「セッシャはモンスターでござる(7)」―無形の異様―
|セッシャはモンスターでござる|
晴れ渡った空を舞う鳥。ウミガラスの番が仲睦まじく飛んでいる光景。
押しては引く穏やかな波。朝日に照らされた砂浜の貝殻がキラキラと、虹色に輝いている。
ぽっかりと開いた洞窟の入口。焚火の炎に照らされた3人がそこでなにやら会話をしていた。
「ふぁ、ふぁ…………ファ、ブエエックシャイエイ!!!」
豪快なものだ。ほぼ全裸な少年がくしゃみを放ち、唾飛沫が岩場に乱れ撃ちにされる。
「ほらぁ! またそうやってお行儀悪く……ちょっと見直したと思ったら、すぐこれなんですもの! まったくあなた様ったら不思議なものですわ……はしたないこと!!」
少女は怒っているらしい。「プイ」として顔を背けられた少年は「へぇぇ?」と鼻水の垂れた面で呆けた。
「テンジロウ様、まずは感謝を……確かにこの者達は追っ手でございましょう。この場を動くことには私も同意いたしますが……ですが、まずはどうか身支度をなさったほうがよろしいかと思います」
老人は深々と頭を下げて感謝の意を伝えつつ、至極最もな提案を行っている。
「おお、そうであるな! もうそろっと乾いた頃であろうか。それにどうも身体が冷えました故、ちょいと用を足し――――たあっ!? いや、その…………あいや、確かにこのままの恰好、冷えて仕方がないでござるな! しばし待たれよ、御両人!!」
そう言うと少年は何か「へへへ」と恥ずかしそうにしながら洞窟へと入っていく。どうやら彼は着物を身に着けたり、何か用を成すために洞窟へと入ったらしい。今更恥じを知るというのか。
老人――“ライアン”はそうした少年の様子を見ながら穏やかに微笑んだ。そうして自分も洞窟に入ると、鞄の中身を整え始める。
少女――“ミラリィース”は少年の挙動に不満を覚えたらしい。それは年頃の娘として当たり前であろうし、加えてもう少し格好よく……それほど、先ほどにあった舞うような姿と印象を汚されたくないのだろう。
それはほんの数秒の出来事であり、また野蛮な行いでもあっただろうが……少女はその時、確かに躍動する彼の姿に釘付けとなっていた。
ミラリィースは「はぁ」と溜息をつく。そしてチラリ、倒れている4名の騎士を見やった。
少女は彼らが何者なのかよく解ってはいない。ただ、どうやら執事の言葉に「追っ手」などというものがあったので「悪い人たち」なのではないかと、そのように察してはいた。
つまりは自宅である城を襲った輩なのだろうと。そしてそれらは恐らく、誇り高い父親から逃げて自分を捕まえにきたのだろうと。人質をとって父親を脅す算段なのだと、卑怯者なのだと……そのように思う。
彼女の想像は大体当たっていた。異なる部分はあるが、概そやつらは卑怯な存在ではある。だが、そうだと思っても少女は彼らの身を案じていた。あんなに「バキン!」と強く頭を打たれて馬から落ち、倒れているのだから心配にもなるというもの。
だから気になって彼らを見たのである。倒れている4名の騎士を――――見たつもりだった。
そこには確かに倒れている4名がある。ほとんど「しぃん」として動かない騎士達。
それらの間に1人、立っている姿が在る。
黒の外套を頭部まですっぽりと纏っており、胸元には金細工を細かくあしらったブローチがぶら下がっている。
両手には刺繍が施された手袋をはめているが、その形状は特殊で指の何本かが露出しているらしい。露出した指の一本には指輪が嵌っていて、それには赤い宝石のようなものがある。
倒れた騎士達の間に立つ人。それが頭部を覆っていた外套をめくると、表情が露わとなった。
赤みのある金色の髪。碧い瞳にこれも金色な短い顎髭……。
露わとなったその顔。それを見た瞬間、少女は――――嬉しそうにその名を呼ぶ。
「まぁ、“ギアード”叔父様! どうしましたの、私を迎えに来てくださったのかしら??」
少女ミラリィースはこの空のように晴れやかな表情となり、胸元で手を合わせた。どうやらその黒い外套を纏う人は彼女の“叔父”らしい。見知った顔がそこにあるので「自分を城へと送りに来た」とでも思ったのだろう。
ギアード……そのように呼ばれた少女の叔父はこれも笑顔となり、応える。
「ああ、そうだよミラリィース。私の可愛い姪っ子よ……今、楽に送ってあげるからね?」
叔父のギアードが歪むように笑うと、その表情にはシワが多く現れる。まだ30代ほどと思われるがそれにしては少し老けて見える風貌だ。苦労を重ねたのであろう、生き様がそこに表れていた。
喜ぶ少女はコートの裾を広げて駆けようとする。迎える叔父は手を広げて――――その右手からは薄っすらと、白い煙が立ち昇っていた。
信頼する叔父の胸元へと駆けようとした少女。だが、それは叶わない。
何故ならその手が掴まれたからである。
「なりません、お嬢様!! 決してあの方に……ギアード様に近づいてはなりません!!!」
老人ライアンだ。少女の家に仕える執事である彼は、無礼にも急に彼女の手を強く掴んで制止したのである。
少女ミラリィースが振り返った。振り返って「何をするのライアン!?」と、邪魔をされたことに不快感を示す。
不服そうな少女。その瞳を「ジッ」と見つめ、老人は静かに首を横にふる。
「お嬢様……ギアード様はもう、あなたの知る“親愛なる叔父”ではありません。昨晩に城を襲った者達……それを率いていたのは他でもないあの方――いえ、あの男なのです」
老人ライアンはそのように言う……が、少女にとっては寝耳に水な話。唐突に何を言い出すのかと、冗談にしては悪いなと、珍しく執事のセンスを疑った。
「ライアン?? どうしてそのような……叔父様に失礼でしてよ? 悪い言葉ですわ。ほら、謝ってくださいな!」
「冗談ならどれほど良かったか……しかしお嬢様、今はそのようなことを言い争う場合でも御座いません。即刻に、この場を逃げねば……!」
叱るようにする少女。強い口調で訂正を求められても、老人はまるで応じない。
老人は知っている。これは以前から心配していたことでもあったからだ。だからこそ、城主に「万が一に備えて」と進言も行っていたが……彼はあまりに優しく、そして誠実がすぎた。
愛をもって肉親の絆を信じた結果……杞憂であれと願ったことは昨晩に現実となったのである。
無礼をはたらき、それも訂正しない執事の手を振りほどこうとする少女ミラリィース。だが老人は決してその手を放さず、そして視線も“黒い外套の男”から逸らさない。
だが、“逃げる”とは言っても……ここは浜辺の端にある。後退するには大海原と崖が阻んでおり、正面を行くには黒い外套の男をどうにかしなければならない状況だ。
そうした状況であると、少女の叔父であるギアードもよく理解している。
「ライアン……そうだな、ここでお前を否定してミラリィースの信頼を利用するのも手ではあろうよ。だが、そのようなことをせずとも……どうせ、お前達に逃げ場などないのだ」
海から吹き付ける風。はためく黒い外套。大きく口が歪んだ笑顔。
ギアードの左右にある手袋からは白煙が昇っている。それは彼の両手が“高熱”を帯びていることを意味していた。
そして、その足元。浜辺に立つブーツの足元にある影は……。
少女と老人。“朝日を背にする”彼らに向かって伸びていく。
晴れ渡る空の下、穏やかな波の音。
ギアードは想いを馳せるように穏やかな表情となり、空を見上げた。照らす太陽の眩しさに眼も細くなる。
「ミラリィースよ。この叔父はね、ずっと頑張ってきたんだ。君の父親を……敬愛なるリチャードを越えるために、ずっと、ずっと……その道を探し、努力してきた」
ギアードは動かない。その場に立ったまま、ただ彼の足元にある影だけが少女に向けて伸びていく。
ギアードが言葉を続ける。
「帝都に学びを求めたのも、君の父を越えるためだった。だが、彼は才能に溢れ、魔術師としても……魔導士としても、結局は越えることができないと悟った。フフッ、彼は独学だというのにね?」
少女と老人は声を聞いている。聞こえる声は確かに親しみあるもので、少女にとってはいつも優しい叔父の声に違いない。老人にとっては彼の幼少期より、その声色の変遷すらよく慣れ親しんだ声である。
しかし、何かが異なっている。優しく、穏やかではあるのだが……決定的に少女と老人が知る彼とは何かが違う。
「真っ向からではあまりに危険が高すぎる。彼は優れた剣術すら用いるからね……だから、“それらでは対処できない力”を求めた。大変だったよ、今はもう廃れたものだからね……危険も犯したものさ」
魔導士ギアードは愛おしそうに、身に纏う黒い外套を撫でる。
ギアードの足元から伸びる影はついに少女の足元へと至り、その影に混じる。
「魔術だろうが剣術だろうがね。生半可な技術など……人の範疇などを超えた力、存在――――そういったものを君たちは知っているか? ……フフッ、フッハハ…………ワァアッッッハハハハハハハハ!!!!!」
眼を剥出し、声を張り上げて笑う黒い外套の男。
幼い頃より頭を撫で、優しく声をかけてくれていた叔父はそこにない。幼い頃より何事にも真面目で、よく兄を慕っていた少年はそこにない。
「そうだよ、殺したのさッ!!! ミラリィィ~~ス、この叔父が君の父と母を……彼らを殺したんだよォォォ!!? ――――ああ、そうさ。昨晩に彼らは死んだよ……もう、この世にはいない。つまり…………私はねぇ、成し遂げたんだよ!!! 兄を越え、真に父上の跡を担うに相応しい存在だと証明したんだ!!! どうか祝っておくれ、愛しき姪っ子よ!!!!」
白煙が昇る両手を広げ、空を見上げて高笑う男。正気を疑うまでもなく明確に狂気である存在。
そうした有様を見て……それでも少女は信じられない。信じたくなどなかった。
「叔父様……? なに、どういうこと? お父様とお母様を……なんですって?? ダメよ、そのような悪い言葉……酷い冗談などやめてください。私は、あなたを嫌いたくない!!」
「お嬢様ッ、いけません!! もう、彼は……あの人はもう、正常ではないのです!! どうか今はこの場をなんとか――――何ッ?? なんだ、いかん……お嬢様ぁぁぁ!!!」
「ああ、ミラリィース……私の可愛い姪よ。そうだ、どうか俺を嫌わないでくれ……嫌いにならないまま、容易く楽に“逝”っておくれ……」
「――――いや~~、すっかり乾いたでござる。快適、快適! ライアン殿、誠助かり申した! 貴殿の焚火によってほら、この通り。拙者の着物は――――」
洞窟から着物姿の少年が姿を現す。すると……目の前には倒れている少女の姿があった。
少女は「痛た……」と腕を押さえている。どうしたことか、彼女は倒れて左の腕を岩に打ち付けたらしい。擦り傷もあるようだ。
着物の少年は屈んで少女に手を差し伸べようとした。何が何やらだが、ともかくそうして屈んでいる最中……。
見えたのはこれも何か解らぬ黒い外套を纏った男の姿。それが何者なのかはとんと見当もつかない。
そして、ふと見上げればそこに……“ぶらさがっている老人”がある。それは砂浜にある奇妙な影から突き出した鋭く太い、槍のような棘によって空中にぶらさげられている。
腹部を貫かれていた。ボロボロのタキシードを着ている老人は腹部を太い棘によって突き貫かれ、そうして空中にて両足を力なくバタつかせてもがいている。
「――――な、なんじゃ?? 一体、これは……何があった?? ライアン、殿……??」
着物の少年は倒れた少女を本能的に抱いた。抱いた彼女の身体から震えと動悸を感じる。
抱かれた少女もまた、空中にぶらさがっている老人を見上げてその光景を認識したらしい。
老人の口から鮮血が吐き出されると、少年の胸元にある少女から周囲をつんざくような悲鳴が発せられる。
理解が追いつかずに呆然とする少年。悲鳴を上げて怯える少女。胸を貫かれて息も絶え絶えな老人……。
そして、それらの光景を眺める黒い外套の男は微笑みと共に言う。
「これはこれは……先ほどは実に見事なものでしたな。貴公、お初に御目にかかります。私は帝都書院の魔導士にして禁忌なる者――“魔役士のギアード”と申す者です。して、誠に失礼ながら……この場にあるあなた様にも“死”を賜らせていただきますので……その旨はどうか、ご容赦願いますよ?」
|セッシャはモンスターでござる|