「セッシャはモンスターでござる(5)」―崖下の洞窟―
|セッシャはモンスターでござる|
それは海岸沿いにポッカリと開いていた。
木々の生い茂る森林の下。波がギリギリ届かない崖に穿たれたようにしてある洞窟。
奥はすぐに行き止まりらしい。大人が5,6人も入れば「狭いな」と感じる程度の広さ。しかし上には高く、ポタポタと時折に水気が落ちる様子が見えにくい。
どこから水滴が落ちてくるのか解らない。だからその1つが直撃した少女は「冷たッ!」と言って飛び退いた。
「おっと、いけません。お嬢様、ささっ、こちらへ……ここは大丈夫です。でも、一応こちらを被っておいてくださいませ」
老人ライアンは鞄から2枚の布を取り出すと、一枚を水気を払った岩に敷き、もう一枚を少女の頭に被せてあげた。
「ありがとう、ライアン。しっかし……なによ、ここは? このような洞窟に……この私がどうしたって隠れることがありまして?」
少女ミラリィースは不満そうだ。確かに環境としてはジメジメと湿気が多く、苔か海藻かの青臭さが強く、しかも暗い。老人が盛らせた焚火が入り口でメラメラとして光と暖を与えてくれているが……快適とは到底言えないものだ。
しかも……。
「いやぁ~~、助かり申した! 拙者、何か冷えるなぁと思えば……このようにずぶ濡れであったのなら、それは寒いはずでござる。ハハハ、しかし心配は御無用! この身体は決して逞しいものではありませぬが、殊更病の類には無類の強さを誇るでござるよ! 自慢ではござらんが……フフッ。拙者、これまで風邪というものは一度もひいたことがありませぬ。まぁ、くしゃみの1つや2つは弾けるでござるが……ワハッハハハ!」
そのように言う。それはテンジロウ少年であり、彼は現在“半裸”の状態にあった。
いや、もうほとんど……9割裸と言ってもよい。装備品は腰元に巻いた下着である布1枚。あとは傍らに細身の武器が一振、置いてあるのみ。
そのような状態で洞窟の入口に陣取り、尻を岩に着けて焚火の暖を受ける。若々しい少年の肉体はこれも細身ながら筋肉はしっかりとあるらしく、確かに逞しくはないが「健康」という印象は受ける。
その裸体をよく見ると……曝されている上半身の背中から、肩を周って胸元にかけて何か文様が描かれているらしい。それは黒を基調として青と赤で色合いを添えたものであり、何か生物を模ったものに思われる。
それが何の生物であるのか……そんなことは少女にとってどうてもよい事柄だ。とにかく、半裸の男性が日光を遮るようにして、かつ暖炉の火で朱く色づいている有様が見るに堪えない。だからチラチラとしながらも、少女は洞窟の入口に背を向けていた。
「ケッホ、ケホ……!」
「おっと、いけません! お嬢様、もう少し入口近くに場所を移して――」
「いい! いいから、ここで十分です。少し煙たいけど……なるべく奥がいいのです!」
焚火の煙によって咽た少女。それを気遣った老人が場所の変更を促すが、それは拒否された。
多少に煙たくとも、“アレ”の近くに居るよりはマシだと少女ミラリィースは思っている。まぁそれはそうだろう、彼女は年頃でもあるのだから……むしろこの老人ライアンとテンジロウ少年が少し雑すぎる。
いまいち察しの悪い男2人。どうしてか機嫌がとても悪い少女を気にしながらも……ようやくに落ち着けたと、2人は顔を合わせて微笑み合った。
「しかしテンジロウ様、それは随分と大変な目にあいましたな。船が難破してしまうとは……」
「いやぁ~、それもよく解らんのでござるがな? 何せ無計画に飛び乗った風情でござったから肩身が狭く、船倉の隙間などで寝ておったところ……急に“ガタン、バキン”と物凄い音がしたかなぁ~などと思えば、気が付くと海の上に浮いて居り申した。おそらく船は沈んだか何かしたのでござろうが……あれで船の皆は拙者を追い出しもせずに飯も恵んでくださっておったからな。心配でござるよ……」
テンジロウは語る――というよりすでに語ったらしい。
彼がどうして海の上で板切れに乗って浮かんでいたのか、そもそもなんで海に出ていたのか……その辺のことを聞かれて答えたようだ。
海の先にある国よりこうして漂流者が流れ着く、ということは珍しい。珍しいがまったく無いということもないので、話を聞いた老人ライアンは「気の毒に……」と思いつつも「しかし不幸中の幸いでしたな」と少年を気遣っている。
それに浮かんでいたところを嵐に襲われたともあって……なお更にこの異国から流れ着いた少年がもつ天運というものに関心していた。
九死に一生の危機を越えてここに至った少年。ほぼ全裸で暖をとるテンジロウは鼻をグスグスとさせながら、「ハハハ、竜神様に感謝でござるよぉ~」などと笑っている。
「ところで……貴殿と“姫”はなぜこうして居るのでござるか? あ、いや洞窟に至ったのはこうして暖をとるためでござろうが……そもそもとしてなぜこのような状況に……?」
老人と少女を交互に見ながらそのようなことを問う少年。しかし、その疑問は最もだろう。
早朝からこの少女と老人はなぜにこのような砂浜へと出向いたのであろうか。散歩にしたってそのような感じはないし、何より老人の衣類はボロボロだ。よく見れば少女の着ているコートも所々が破れている。
まるで森の中、藪の中を走り回って来たかのような不自然さ……。
「ええ。私達はですね、その……いや、なんと申しましょうか……」
老人ライアンが言い淀む。何か後ろめたいのであろうか……それとも、何かを“隠したい”のであろうか。
「ありゃ、どうなされた? いや、別に言い難いことであれば無理にしなくてもよいでござるよ。拙者としては貴殿もそうであるが、“姫”にも実に親切にして頂き、何かお役に立てればなどと思い――」
ハッキリとしない老人。その様子を見たテンジロウが今度は気を遣って話題でも変えようとした。
その時。ここまで黙っていたが、ついに我慢できなくなった人がある。
「無理やりに連れ出されたのですわ! えぇ、そうですとも。昨晩……真夜中のことでしたわね? いきなりランタンなど持ち、彼ったら部屋に押し入って……“お嬢様、お逃げください!”――だなんてね。驚きましたわよ、すっかり寝ていたのに起こされまして!」
少女ミラリィースだ。彼女は語気を強めて不満を暴露し始める。その様子を見た少年は「ポカン」と口を開き、老人は「あちゃ!」と片手で額を押さえた。
彼らにかまわず少女の暴露は続く。
「だいたいですわね……お城に不埒な者が押し入ったとしましてよ? あのように腕を引っ張るようにして逃げなくっとも、お父様がいらっしゃるのですから。何せ私の誇らしい父上は偉大な魔導士でありまして……えぇ、剣術もそれはそれは優れたものでしてよ? だからそこいらの騎士などではいくら集まっても歯が立ちません。もちろん、野盗などお話にもなりませんわ。ですからあのように……どうして真夜中に森の中など走り回るのです! というか、もうそろそろいいでしょう!? ライアン、お城に戻りましょうよ。きっと今頃お父様が全て片づけてくださってますわ!」
ミラリィースはまくし立てるように言うと、立ち上がって洞窟の外を指さした。
「さぁ、帰りましょう!」と表情を険しくしている少女。それを見た老人は慌てた様子で身振り手振り、どうにか少女をなだめようとする。
「お、落ち着いてくださいお嬢様。ですから、その……仰る通りにリチャード様は大変に優れた魔導士で御座います。今頃はその、きっとお城も平穏になっているかと思いますが……一応、念のため。万が一にもですね――」
「言いたいことは解っているわよ! 私など、人質にでも取られたらさぁ大変、ということでしょう? でも、それにしたってもう何時間が経過していると思ってますか。いい加減に戻りましょうよ、きっとお母様達も心配なさってますわよ?」
「や、それはそうですが。しかし……あの……」
立ち上がって洞窟の入口へと向かおうとするミラリース。それを遮るようにしてウロウロとするライアン。
どうにも互いに意見が食い違っている2人。その様子を「ボ~」っとして眺めていたテンジロウ少年は……。
「あいや、どうなされたと? 何々、聞くとお城に郎党共が押し入ったとでも? これはまた……そういった手合いになら拙者、多少なりとも力になれるでござる。いやはや、なにぶん訳あってこの刃は抜けぬが……それでも戦には心得があります故、どうか助力させて頂きたい。――ハハハ、しっかしやはりといいますか……お城とはさすが“姫”でござるなぁ! 拙者の目に狂い無し、でござるよ。アッハハハ!」
ほぼ全裸の少年はそのように言って笑っている。どうやら彼は腕に覚えがあるらしい。先ほどに名乗った際にも何かの「先鋒」であると役職を発言していたし、現在のような有様になっていても傍らに細身の武器を手放そうとしない。
ただ、これも先ほど言っていたが……その武器を使用する意思はないようだ。一体、どのような訳であろうか?
そして、そんなことは少女にとってどうでもよい疑問である。それより気になるのは……。
「・・・・・あなた、テンジロウさん? 先ほどから気になっておりましたが……私のことですのよね、その…………“ 姫 ”というのは?」
「え――――ああ、如何にもでござる! 何せ拙者にビスケットを恵んでくださった御恩もありますし、立ち振る舞いからして高貴なものを感じまして……“これは姫に違いない!”と思っていたところ。さらに聞けば城に住んでなさるということで、思いは確信に変わったでござるよ! 間違いない……貴女は姫君でござろう!?」
……そういうことらしい。
ミラリィースが気になっていたのは自分がどうやら「姫」と呼ばれているらしいこと。そしてそのように呼ぶ理由をテンジロウはつらつらと述べた。
呼称の理由を聞いて……少女ミラリィースはまた微妙な表情をしている。
これは……実際の自分が姫ではないという思いもあるし、されど高貴な存在であることは正解だし、勝手に身分を決めて呼ばれることが不愉快だという思いもあるし、でもお姫様として扱われることは満更でもないという感情もある。
そうした要素が混ざった結果、少女は微妙に口を歪めて眉を顰め、頬を少し赤らめて押し黙ったのであろう。
「フンっ!」として顔を背け、とりあえず動きを止めたミラリィース。彼女の意識が“帰宅”から逸れたことで一先ず安堵する老人ライアン。
しかし、それも長くは誤魔化せないだろう。老人は実際のところ……解っていた。
もう、あの城には戻れないだろうということを……。
「もしかしたら」という思いはある。だが、以前から危惧はしていた事態だ。期待は淡いものであると、そのことも解っている。
だけど、そのことを伝えても……伝えるべきなのか。そうだとしても、彼女が納得するわけはない。
ただ、今はこうして身を潜めるのが良いと……それだけは間違いないだろう。
たとえ何か嘘偽りを繕ってでも、たとえ何をしてでも――この少女だけは守り通すと、老人ライアンは強く覚悟を決めていた。
「あの、お嬢様。せっかくのこういう機会ですのでご提案が――」
老人が何かを言おうとする。気持ちの整理に集中していた少女が「な、なんですか!?」とビックリした様子で応えた。
そうして老人と少女が視線を合わせた時――ほぼ全裸の少年が「スック」と立ち上がる。
彼は洞窟の外を見て首を傾げた。
「およ……なんぞ? これは誰がしか居るのか……?」
何かに気が付いたらしいテンジロウはその姿のまま――腰元に布一枚を巻き、手には細身の武器を携えたまま――周囲を見渡しつつ洞窟の外へと出でた。
朝日が煌々として照らしている。波打つ音が聞こえ、海水の飛沫が岩に当たって弾ける光景。
そして、「ガチャガチャ」と。これは金属と金属がカチ当たるような音がある。
崖下の洞窟前。そこに広がる砂浜。
少年が見た先、そこに在る人の姿……。
否、それは“人々など”。どうやら4人ほどがそこ、砂浜に4つ脚の足跡を残し――小さな足跡を辿り――こちらの洞窟へと迫ってきている。
「おほぉ、あれは……随分と厳つい甲冑でござるなぁ。なるほど、グランダリアの鎧はあのように無骨であるか! 跨る馬もまた立派なものよのぉ……うむ、うむ!」
ほぼ全裸の少年はさらに裸足だ。少女にサンダルなるものと間違われた草履という履物は現在、これも焚火の近くで乾かされている。
本当に布が一枚、股間隠しとしてそれを身にまとうのみ。あとは左手に細身の武器を携えただけの男……。
そのような存在が浜辺を望む崖下、そこにぽっかりと開いた洞窟の前にて威風堂々とした様で立っている。後ろで結ぶほどに長い黒髪が浜風に揺らいでなびいた。
朝日は昇っている。分厚い雲は流れ、今は晴れ渡る空がある。それでも冷えるこの朝の時刻……。
少年に「無骨」と表現された甲冑の4名。それらはいわゆる“騎士”なるもので、これはこの大陸における重装備の戦士だ。その名の通り馬に跨り駆けるものとされ、現在にもこの浜辺を騎乗して向かってきている。
洞窟前に佇むこれ以上なく軽装な男。そして重装備な4名の騎士達。
それらの距離が近づき、やがて洞窟前にて――――相、まみえる。
|オレらはモンスター!!列伝~セッシャはモンスターでござる~|