「セッシャはモンスターでござる(4)」―礼服の老人―
|セッシャはモンスターでござる|
空を覆う雲は黒く、厚い。しかし降る雪は止み、やがてこの空も晴れゆくであろう。
朝日が煌々として海原を照らし、波間を輝かせた。浜辺に薄く積もった雪はキラキラと白銀に色づく。
早朝の海岸で座る着物の少年と屈んでいる可憐な少女。10mの距離を開けて彼らの間に沈黙が流れていた頃合い――。
そこに、近づいてくる人の姿がある。
「おやおや、ここにいらっしゃいましたか。やっと見つけましたよ……っと、お嬢様??」
そこに姿を現した人、それはタキシード(紳士用礼服)を身に纏った男性。
身体は細く、背丈はどちらかと言えば小柄なものだ。白髪で口ひげまでも白く、肌にはシワがよく目立つ。かなりの老齢なのであろう。
少し腰も曲がっているようだ。しかし、容貌はそのようにあっても態度は毅然としたもので、両手一杯に枝や葉などを抱えながらしっかりとした歩行で向かってくる。
背中には鞄を背負っているらしい。そうしてよく見ると……身にまとうタキシードはボロボロだ。至る所が破れており、葉っぱなどがくっついてる様子から木々の枝などで破けたのであろう。
身なりはそのような有様であるが、彼の存在に気が付いた可憐な少女は「あっ、どこに行ってらしたの!?」などと立ち上がって親し気に応じている。どうやら彼女の知り合いらしい。
ボロボロな老人は言う。
「どこにと申されましても……それこそお嬢様こそ。どうか危ないので、近くに居てくださいとお頼み致しましたのに、気が付くと見当たらないから心配しましたよ?」
「あら、そうだった? ごめんなさいね。でもだって、あなたが枝とか葉っぱとか集める様子なんて眺めたって、退屈じゃない?」
「はぁ、それはそうでしょうが……しかし状況が状況ですし。多少の“我慢”を要することにはご容赦願いたいものです」
「フンっ! 何よ、まるで私が我がままみたいな言い方ね? そんなことないもの、ガマンだって随分とできるからね!」
「はぁ、それは……大したものです。だとすれば、どうしてこのように浜辺で1人……いや、えと……その、男性は??」
遠目に話しながらである。老齢の男性はサクサクと、砂とそこに積もった薄い雪を踏み鳴らしながら少女達のもとへと近づいてきた。
そうして少年と少女のすぐ近くにまで寄ると……老齢の男性は首を傾げる。
「ああ、この人はね! この人は…………知らない人っ!! なんかね、ここに倒れていたのよ。そして大きなくしゃみをして、とっても無礼なの!」
「モグモグ……むえっ、拙者でござるか? これはこれは…………座ったまま無礼をいたした。いや、拙者も何が何やら解らんのでござるが……今ほど、こちらのお方にビスケットをお恵み頂いたところでござる。誠、忝ぅ御座いまする。この御恩は決して忘れぬ故――」
少女は老人の問いに答えようとしたが、彼女もよく解らなかった。そして不明な存在たる少年は老人に気が付くと立ち上がり、ビスケットを飲み込んでから頭を下げている。それはいいのだが……どうにもそこにすら回答は得られない。
「この少年は何者なのか」と、そうした疑問を抱きながら。
少年が礼儀正しく努めようとする様を見た老人。その心中にある感情は警戒の気持ちから心配の心境に変化した。
老人は少年がずぶ濡れであることを間近にして確認すると、自分達が吐く息の白さを思ってともかくこの場を動こうと考える。とりあえず円滑に会話を進めるため、自分から紹介を行うことにした。
「ええと、そうですね……では、私から名乗らせて頂きましょう。私の名は“ライアン=リバー”と申します。ここに居られます――」
「“ミラリィース”よ、私はミラリィース!! 誇り高きアルフォンド家に生まれ、偉大なる父、リチャードと聡明たる母、メアリーを両親とする一人娘ですわ!!」
老人は名乗り、その名乗りの途中で遮るように前へと出でて、割り込んだ少女。
紳士然とした老人は名を【ライアン=リバー】というらしい。そしてその隣にある少女――張った胸元に手を置いて顎を上げ、見下げるようにしているその人――は【ミラリィース=アルフォンド】と声高々に名乗り上げた。
浜辺に立つ老人と少女。ライアンとミラリィースが揃って少年を見ている。
そうして名乗られた少年は……ビスケットのもう1つを口に頬張った。名乗られているというのに無礼なものだが、これは空腹からくる本能による行動らしい。無意識なもので……聞きながら呆然とし、そしてビスケットを噛み砕く。
モグモグとした後。ビスケットを飲み込んだ少年は挨拶に応じた。
「おお、これはこれは……丁寧に忝ぅ御座います! ならばこちらこそ…………拙者、宮備えのクロヅノ一家、白滝の守マサタカが次男にして侍衆先鋒頭――――だった、今は一介の流浪人に過ぎぬ者……この名を“テンジロウ”と申しまする! 今日におきましては先ほどの御恩もあり、“お目通り”叶いましたことを天の導きとし、深く深く感謝いたします。以後、何卒よろしくお願い申す次第……!」
着物の少年は頭を垂れ、深々としつつ屈んで両手を膝上に置いた。そうしながらなにか長々と自分を名乗ってみせる。
少年の正体は判明したらしい。だが……。
「・・・・・はいぃ??」
「ほぅ。つまり、なるほど…………テンジロウ様、ですね? いえいえ、こちらこそよろしくお願い申し上げます」
少女ミラリィースは何も解らない。とりあえず少年の名前が【テンジロウ】なんだと、そこだけは聞き取れた。しかし、それ以外に付属する意味不明な用語が多く、結局彼が何者かはまるで解らない。だから不満そうな表情で首を傾げている。
紳士ライアンもハッキリとは解っていない。だが、少年の口ぶりと知っている類似した用語からして……少年の正体に心当たりが多少はあるらしい。
「なるほど、ではテンジロウ様。貴方はこの大陸――“グランダリア大陸”ではない、おそらくは東方の“ダレイオン”からいらしたのですね。それもその様子からして……船が難破でもしましたか?」
老人ライアンは異国の地――ダレイオンなる存在を知っていた。それは海の先にあるという国であり、帝国との交流も細々としてあるらしい。ただ、この海……それも東の大海原というものが実に危険な領域であり、渡ることは容易くなく、交流は命がけであるとも聞いている。
単に広大で時間がかかることもそうだし、嵐などの恐ろしい天災やまるで探索されていない海底に潜む脅威の話も伝え聞いていた。だからこの現在に至っても、幸運な航海によるものや偶然の漂流によってしか交流が成されていないのである。
「え、なんですと……? するとつまりここは…………そうか!! これはなんたる幸運か!? 拙者、何が何やらではありますが……どうやらグランダリアに着いたのでござるな?? やったやった、やりもうした!! 父上、母上――――兄上ッ!! テンジロウは至りました、どうにか無事にグランダリアへと辿り着いたようであります!! ……うぉおおおお!! 都じゃ、都が見れるぞぉぉおぉおおお!!!」
テンジロウ少年は突然と興奮している。どうやら“グランダリア”という地名を聞いて何か思うところがあったらしい。
グランダリアという大地はとても広く、そこには大変に栄えた“帝国”が存在すると文献などで知った。
帝国では科学・文化が大いに発展し、マジュツなる奇妙で便利な技術があるとも聞く。何より都は華やかで……特に大きな祭りなどでは何万、何十万と人々が集まるのだとも聞いていた。
彼は訳あって所持する武器を封じているので、本来の使命を果たせなくなっていた。なのでどうせならこの世界で最も煌びやかな光景を見たいものだと……周囲の反対を押し切って船へと潜り込んだのである。
その結果、大海原を板切れ一枚で漂流する羽目にもなったのだが……。
「うわっ!? な、なんですのいきなり。大声を出して……本当、はしたない人だわ」
少女ミラリィースは海の向こうに何があるのかなどまったく知らない。だけど、目の前にある少年が粗野に物を食べたり急に叫んだりするので、そのことが不快ではある。
寒空の下。朝日が照らす海岸、波の煌めく光景。
そして響いた大きなくしゃみ。ぶら下がった鼻水を少年は「グスグス」としている。
3人の吐く息は白く……老人は「ともかく」と枝の束をこぼさないように抱えなおした。
「このような場所……お2人とも風邪をひいてしまいますね。先ほどあちら……ほどよい洞窟を見つけましたので、そこで暖をとりましょう。ささ、こちらです……」
老人ライアンはそう言うと歩き始める。歩き始めてすぐ、抱えた枝の何本かがこぼれ落ちた。
それを見たテンジロウ少年は老人に駆け寄って「ありゃりゃ、ここはどうかお任せください!」と落ちた枝を拾い、さらに老人の抱える枝を指さした。
ライアンは「そんな、悪いですよぉ……」と申し訳なさそうにしながらほとんどの枝を少年に渡す。身軽になった老人は背中の鞄を揺らしながら、軽快に砂浜を駆けだした。
「早く、早くぅ~~こっちですよ、こっち!」
ボロボロなタキシード姿の男が飛び跳ねている。呼ばれた少年は素直に「解り申した!」などと言って、ガチャガチャと枝葉を鳴らして走り始めた。
跳ねるように浜辺を駆ける老人と、それを「お待ちくだされ~」などと言いながら追いかける少年……。
そうした光景を少女ミラリィースはしばらく眺めていた。
眺めて「ふぅ」と溜息。そうして空を見上げて、分厚い雲の流れを見送っている。
「……ま、悪い人じゃなさそうだけどね? でも、そうしてすんなりと信用したようにして……私はまだよく解らないのだから。フンっ、別に良いですけど……あなた達で勝手に納得なさっても私は一向、かまいませんわ? どうぞ、ご勝手になさってくださいな……」
なにか独りで言っている。 海岸に立ち尽くす少女は誰に言うわけでもなく、虚空に向けて不機嫌そうに呟いた。
そうしている少女にへと、遠くから「おぉ~~い、お嬢様ぁ~~!」と老人の声が聞こえてくる。それに続いて「おぉ~~い、“姫”、こっちですぞぉ~~!」などとも声が響いてくる。
「はぁぁ~~」と、白い息を強く吐き出して。
少女ミラリィースは海岸を歩き始めた。濃い雲は流れ、次第に薄くなっているようだ。
じきに空も晴れ渡るだろう。もう少し陽が昇れば、より周囲も解りやすくなる。
それこそ、海岸に残された小さな足跡など……ハッキリと見えるというものだ。
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