「セッシャはモンスターでござる(3)」―砂浜の少女―
|セッシャはモンスターでござる|
大気中を舞う雪の結晶が日の光を反射してキラキラと輝く。
雪がチラホラと、ほんのり降り注ぐ景色。空は曇り、気温は低い。だが、早朝とあってか水平線から射す光がそれなりに眩しくはある。それは閉じた瞼にも明るさを感じるほどに――。
だからこそ。この朝っぱらから海岸で寝そべっている“黒髪の少年”は「う~~ん、う~~ん」と寝苦しそうに唸っているのであろう。
「ち、父上……母上……ああ、なんと穏やかな笑顔か! 名残り惜しゅうございます……うぅぅ」
黒髪の少年は唸りながらも何かを言っている。それは寝言であろうし、なにか悪夢を見ているようでもある。どうやら彼は自分が生きているなどと、てんで思ってもいないらしい。
「うぅっ! く、苦しい……眩しい……あの世とはかように神々(こうごう)しいものであるか。ああ、どうか竜神よ――願わくば、生まれ変わったら拙者を鳥さんにしてくださらんか? 一度、大空を飛んで世界を見渡してみたいのでござる。できれば主食が虫ではなく木の実の鳥さんが良いでござるなぁ……あっ、あと魚になるのは絶対にご遠慮願いたい。もう海水はたくさんでござるよ……トホホ」
これはおそらく、“起きている”。本人は死後の世界か何かで語っているつもりだろうが……実際のところ目は覚めている。だから眩しいのだろうし、ペラペラとよく口が回るのだ。それに気が付かず、すっかりと“溺死”したものだと彼は思い込んでいる様子。
浜辺で寝そべる少年。その着物を含めた全身はすっかりとびしょ濡れだ。海水の塩っ気で磯臭くもある。
あまり近寄りたくない存在であろう。雪がチラつく早朝の海岸で寝そべり、ぶつぶつと独り言を呟くずぶ濡れの男性……。しかもその腰元には何か細長い――おそらく“武器”と思われるものがくっついている。
そもそもその“着物”たるものもあまり見慣れないものだ。この“大陸”に生きる人はそれこそ都の海岸都市以外だと、ほとんどこのような衣装を見ることはない。
それがこのような北方――それも勢力の狭間にあるような雪国では着物を見たことがある人こそ希少というもの。
そして、だからこそ。“彼女”は物珍しそうに眺めていた。
チラつく雪の降る海岸。僅かに積もった雪が朝日によって溶け始めている。
その海岸で屈んでいる人……それは“少女”だ。
朝の陽によって色づく艶やかな髪が赤みがかった金の輝きを帯びている。碧い瞳は興味深そうにしながら、その白い指先に摘ままれた木の枝は倒れている人を用心深く突いていた。
見た目として実に可憐である。遠目にもきっと人目を惹くであろう可憐なる少女が、海水塗れの少年を棒切れで突いている。
「う、うぅぅ……誠申し訳が立たぬ! このような無様……とても先祖様に顔向けなどできますまい……ああ、どうかお許しを!」
「・・・・・なんだろう、この人。泣いてるの? どうしちゃったのかしら……でも、まぁ生きているみたいでそれは良かったわ……臭いけど」
興味の対象は泣いているらしい。それを枝で突きながら、とりあえず少女は安心した。
安心したけど、そうなると今度は不思議に思う。なぜ、どうして……この人はこのような状態になったのだろう……と。
臭いし濡れているからあんまり探れないが……どうやら怪我もほとんどないようだ。掠り傷くらいは少しあるだろうが、その程度で出血なども見られない。
もう何分も観察しているのでその辺は解ってきた。あとはこの人が何者なのか……そして一体、何があったのか?
少女は厚着をしている。毛皮を用いたコートに身を包み、首元にはこれも毛でモコモコとした襟巻がある。足元は底の厚いブーツで、雪道でもよほど積もらなければ問題なく歩けるだろう。
それが、どうしたことか?
この倒れている人……黒髪の少年はやたらと薄着だ。彼が着用する着物は薄手らしく、下には袴なるものが纏われている。それを知らない少女からすれば「スカート?」と首を傾げる代物だ。
さらには足元が酷い。これは何か枯れたような乾いた植物を編み込んだものらしく、ハッキリと薄い。サンダル、というものが南の海岸地では流行っているらしいが……それなのかな? と、少女はまた首を傾げる。
そうした恰好の異質さ、塩臭さ、そして泣きながらの独り言……。
なんとなくだが、少女は思う。きっとこの人は「この辺りの人ではないのだろうな」と。そして「きっととても辛いことがあったのだろう」とも。
そうして可憐な少女が謎の少年を観察していると、“異音”が聞こえてきた。
“ キュルルルル……ゥゥ…… ”
何の音か? それは少年の腹……その内側から発せられた音。つまりはそのまま腹の音である。
「あら、お腹が空いているの? どうしましょう……あっ、そうだわ。“持ってなさい”と渡されたモノがありました!」
そう言うと少女はゴソゴソとコートの内ポケットを探り始める。そしてそこから取り出したのは……“ビスケット”。
穀物を焼き固めた菓子、その香ばしい香りは衰えている。どうやらコートの内側、ポケットの中にそのまま押し込んであったので湿気ったようだ。少し前には手を引かれて走らされていたので汗もかいたことだろう。やむを得ない。
そうして湿気たビスケット。それを1つ取り出すと、少女は思案した。目の前で横たわる少年は相変わらず涙を流しながら独り言を呟いている……どうにもこちらには気が付いていないらしい。
仕方がないので…………“置いた”。どこにかと言えば、少年の口の上にである。
置かれたビスケットが揺れている。少年が何か独り言を発する度にビスケットが不安定に揺れた。そうした滑稽な様を見て、少女は「クスクス」と笑う。
勝手に置いて笑うなんて酷いとも思うが、いい加減にここまでされて起きない少年もどうかというもの。
少女がこの少年を発見して構い始めてからかれこれ30分は経過している。おそらく、少年にはそれほどショックな出来事があったのだろう。きっと、死ぬかと思うほどの体験に違いない。
「――――うぅぅ、兄上……あとはお頼み申した。拙者はもう、もう……腹が減って腹が減って…………んっ??」
不条理なビスケットの様子を見る少女が「ケタケタ」と、ドツボにはまって腹を抱えて笑い始めた頃。ここに至ってようやくに少年はこちらの世界に戻って――まだあの世に旅立っていないことに気が付いたらしい。
目を開いた着物姿の少年。パチパチと目を瞬きさせて、まず気が付いたのは口元の違和感だった。
鼻先に香る良い匂い。空腹が反応してまた音が鳴る。少年は口元に手をあて、そして異物を手に取った。
かざして見ると……どうやらそれはビスケットらしい。
「――――ありゃ、まさかあの世で最初に見るのモノがビスケットとは……こりゃ、驚いた」
いや、まだ気が付いていない。着物の少年は死んだ心持ちのまま、生存本能のままにビスケットを頬張った。そこそこ大きなものだったが、あまりに腹が減っていたのであろう。一口にボリボリと咀嚼し、そして飲み込む。
そうして「なんかやけに味が生々しいでござるなぁ」などと思っていると――
「まぁ、お行儀が悪い人ですこと! 寝たまま一口ですわ!」
――声が聞こえた。それはすぐ隣から聞こえたようで、聞き覚えのある声ではない。
「何事か?」と、少年は口の中の残りをボリボリしながら横を見る。
すると……
「・・・・・えっ。」
「・・・・・あっ。」
少年と少女、2人はしばらく見つめ合う。何も言わずに……それは数秒のこと。まるで時が止まったかのようだった。
そうして見つめ合った後。先に叫んだのは――――“少年”である。
「――――アリャァァアアアアアッ!?!?!? 何事でござる、これは何事でござるか!?!?」
「きゃあっ!? な、何々?? どうしたのいきなり!?」
「しゃ、しゃしゃしゃ…………喋ッたぁぁぁあ!?!? そしてッ、動いたああああああああ!?!?!?」
「・・・・・はぁぁ?? 何よそれ……というか、煩いですわね、あなた!!」
少年は半身を起こして驚き、叫んだ。少女は身を逸らして驚き、呆れた。
叫んだ少年は目を丸くして口をパクパクとさせている。それを見る少女はいきなりの態度と無礼な言葉をくらってすっかり呆れてしまっている。
「あ、ありゃりゃ……か、人形でござろうか? いや、しかし……かように麗しいものがあるかと……さっすがあの世でござるなぁ~~」
「へぇぇ?? …………ふぅ。あのね、あなたが何者か解りませんけど? 私のことを見て、まるで言葉を発して動くことが間違いかのようなその態度……それはあまりに無礼では御座いませんこと? なんですの、私が話して動いたら悪いですか?」
「えっ。あ…………す、すまぬ!! あいや、これは失礼致したッ!! ここはこの世か…………いやはや、目を覚ましたらあまりに麗しいものでつい勘違いをしてしまった。いやッ、誠不届きな行いぞ!! しからば、この通り――――御免ッッッ!!!」
「・・・・・。」
謝っている。着物の少年はどうやら目の前にある存在が“少女”であることを理解したらしい。そしてここが現実であることもやっと解ったようだ。
ある意味寝ていたようなものである少年。彼は目を覚ました時、横に居た人を見て勘違いをしたという。言い訳としては「あまりに美しかったから機械仕掛けの人形かと思った」というものらしい。
少女としては彼の発言に解らないことがある。ただ、急に姿勢を正して座ったと思ったら腰を曲げて砂浜に額を着き、ともかくに謝っていることは見て感じた。
あとは自分のことを「美しい」という旨で評していることも聞き取れている。
「――あの、頭を上げてくださいな。よく解らないけど、きっと混乱されていたのでしょう? 私も急に無礼な感じがしてつい声を荒げてしまいましたが……悪気がなさそうだし、許して差し上げますから」
可憐な少女は心中複雑そうだ。どうも褒められたらしく、それは素直に嬉しい。だが、目の前にある少年があまりに得体知れずなので警戒はしている。
身形も見慣れないものだが、言動にも何か違和感がある。それにやっぱり、ずぶ濡れで海岸に横たわっていた状況もあって……正直、怪しい。
一方、少年は現実を実感してまず“寒い”と思った。それはそうである、雪がチラホラと舞うこの時期に濡れた薄着なのだから凍えて然りというもの。
実際のところ、もしこの場に少女が居なかったら……少年はもしかすると、あのまま夢心地に凍死していたかもしれない。それこそ眠るようにして、やがて波にさらわれ……本当に海中深くへと沈んでいたはずだ。
だが、そうならなかった。
「本当にすまぬ……いや、しかし驚いたでござるよ。貴女があまりに麗しいものだから、てっきり凄く出来栄えの良い人形かと…………あっ!? い、いやすまぬ!! どうしてまたこうも無礼を……ええいッ、拙者の馬鹿者め!! この、このッ!!」
着物の少年は自分の頭を叩いている。それも腰に下げていた“細長い武器”の柄の硬い部分で叩いている。どうやら彼は混乱しているらしい。
目の前でゴチゴチと音を鳴らして頭を叩き始めた少年。その様子を見る少女はなんとも――――微妙な表情。
(・・・・・本当になんなのこの人。でも、とっても不思議な人……)
それは「うわぁ」と不気味なモノを見るようでもあるし、ちょくちょく挟まれる誉め言葉に照れる気分でもある。加えてそこに塩やら磯の臭いが漂い、少年の見慣れない風貌が興味深くもある。
総じて“困った”というところであろう。どうしたものかと……だから少女は微妙な表情で目の前にあるモノを眺めていた。
「――――およっ?? い、いかん。視界と頭がクラクラと……叩きすぎたでござるか??」
確かにそれもあるだろう。ゴチゴチと武器の柄で叩いたのだから、意識の1つくらい朦朧としても然りである。だが、それとは別の原因もあった。
「あ、ありゃりゃ? 何故か力が……入らんで、ござる……」
少年は額を押さえてヨロめいた。彼は座ったまま、ぐったりと傾いて地に伏せる。
「ちょ、ちょっと……大丈夫ですの? ほら、急におかしなことをし始めるからそうなるのですわ」
「うぅぅ……面目ござらん。されど、この感覚は――」
“ キュルルルル……クゥゥ…… ”
音が鳴った。それはどうやらまた、少年の腹の中から発されたようだ。彼は「うぅぅん」と弱弱しく唸っている。
そう、この少年は空腹であった。それも丸2日、何も食べていないのだから意識も虚ろになろうというもの。
ぐったりとした少年。そうした彼の様子を見た少女は「困った人ね」とコート裏のポケットを探る。
そうして3枚のビスケットを取り出すと手を伸ばし、地に伏せている少年の鼻先に近づけた。まるで寝ている犬に餌を与えるかのような具合だ。
香ばしい匂いを嗅ぎ取ったのか、反応がある。少年は「ガバッ」と勢いよく顔を上げると伏せた姿勢のまま少女の顔を見た。
「こ、これは…………ビスケット! う、ぅぅぅ……!」
「なによ、泣かないで? 食べていいのよ、あなたにあげるのだから」
「うぅぅ――――――えっ??」
「いや、意外そうな反応しないでよ。私がただ見せびらかすような、そんな意地悪するわけないでしょう? ・・・あっ、そうか。今、会ったばかりですものね…………えぇ、よっく覚えてくださいな? この誇り高き“ミラリィース”がッ、そのようなはしたない真似をするはずありませんからね??」
金色の髪を掬い上げ、得意気な様で見下ろす少女。それを伏せた姿勢で見上げ、見下げられてモノを恵まれる状況……。
それは光景として情けないったらありゃしないものだろう。だが、少年は恥や屈辱といったものはまるで感じていない。
ただ、呆然とする。頭がクラクラとしてこの冷えた朝で身体が熱く感じられた。
先ほどまでは「麗しい」と感想を真っすぐ言えていたのに……今は自分の中にある想いを言い表せない。だから困惑して呆けてしまう。
自分はこの少女に――――一体、何を感じているのか?
「・・・・・食べないの?」
「――――――へぇぇ??」
「だから、お腹が空いているのでしょう? 食べないのなら仕舞っちゃうから。それともこんな湿気ったビスケットなんてお口に合いませんかしら?」
「え。あ、いや…………忝いッ!! 見知ったばかりの拙者になんとお優しいことか…………感謝に尽きませぬッッッ!!!!!」
「・・・・・そ、そう?」
冷めた目で見ていた。見下していた少女は呆けて動かない少年を「なんなのこの人」と呆れた眼で見ていた。
それが今度は身体を勢いよく起こしたと思うと、叫ぶような勢いで感謝してくる。それを見た少女は重ねて「なんなのこの人……」と思う。
今、まさに丁重な様でビスケットを賜う着物の少年。黒髪の彼が頭頂部が見えるほどに頭を下げ、両手でしずしずと3枚のビスケットを頂戴すると、その一連にある行動を見る少女はちょっと彼から身を遠ざけた。
この時、少女は思う――それはこの少年に対して「やっぱり変な人」という印象だった。
そうしてビスケットを頂戴した少年がそれを1つ、口に含もうとした……その時。
「あっ・・・・・ハッ――――ブワアアアアッ、クショイエイ!!!!!」
何事か。それは少年の“くしゃみ”である。
危ないところだった……。もし、ビスケットを口に含んだ後だったら取り返しのつかないことになっていただろう。
少年が大口を開いた間抜けな面でビスケットを口へと近づけた段階で大きなくしゃみは放たれた。それと同時に少年は顔を伏せ、ちゃんと右斜め下方を向いて唾飛沫を破裂させることができたのである。
確かに最悪の展開は免れたようだ。しかし、それにしたって唾は盛大に飛んだし鼻水も垂れる。くしゃみの瞬間にはクシャクシャの表情にもなっていた。
砂浜に放たれた盛大なくしゃみ。唾の飛沫によって積もった雪が一部、溶けている。そして鼻水が垂れた顔面を「むむ、イカンイカン」と言いながら衣類の袖で拭う様子……。
可憐なる少女はそれら一連の出来事を――――顰めた表情で見ていた。
到底可憐ではない表情である。“険しい”と言って差支えない様相だ。
それによって彼女は少しどころかかなり距離を置いた。手を伸ばしてビスケットを渡せるような距離から、現在は10mほどにまで少年・少女の距離は広がっている。
鼻を「グスグス」とさせながら、着物の少年は「ありゃ、如何した?」などと言う。その着物の袖はキラキラと、昇りゆく朝日の光を受けて輝いた。
距離の離れた2人。チラついていた雪は止んだらしい。
それでもまだ冷える朝の浜辺。そこに……何者かが姿を現す。
「――――おやおや、ここにいらっしゃいましたか。やっと見つけましたよ……お嬢様?」
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