「セッシャはモンスターでござる(2)」―夜半の襲撃―
CASE0: セッシャはモンスターでござる /
――――それはひどく吹雪いた夜のこと。
暗がりの平原を越える“一団”の姿がある。跨る馬の吐く息は白く、仮面越しに零れる者共の息もまた白い。吹き付ける風雪が彼らの纏う外套に積もり、鋼の甲冑を着込んだその身に寒さがよく染みた。
それでも彼らは駆ける。数にして20名……それが雪原を抜け、やがて森林を切り拓いた道へと入っていく。
吹雪に荒れる宵闇。普通にしてみれば外出などもっての他であるし、何か“事を起こそう”とするにも不便に思われる。何せ、なにも見えなければ“目的地”に着くこともできないだろう。
だが、彼らは見間違いなく夜を駆け抜ける。なぜ迷わないのか? ……それは彼らが“光”に導かれているからだ。
一団を先導する者の手には一柄の杖が握られており、掲げられたそれから煌々とした灯りが周囲に広がっている。強い光源は宵闇を切り裂くかのように辺り一帯を色づかせ、“彼の一団”による闇夜の行軍を可能とした。
積もる雪を巻き上げ、武装した軍馬が力強く走る。宵闇に列を成して進む一団はある地点に至ると速度を落とした。そのことを合図するかのように、先導する者が光を弱める。
そこからは慎重に……気配をなるべく潜めて進めと、無言のままに指示が伝わる。
一団は速度を落とし、変わらず迷いなく行軍した。目的地はすでに見えている。
それは森を抜けた先、小高い丘の上にある……。
――武装した一団が静かに迫る目的地。それは丘の上に聳えた小さな館……いや、“城”である。そうは言ってもそこまで立派なものではない。ただ、一応の城壁に監視塔まで備わっており、見た目にそこそこ厳重そうな雰囲気はある。
しかし、どれほど見た目が厳重に見えても実際の警備状況というものは内情を知らねば解らない。そして知っているからこそ、武装した一団を率いる者はこの人数と武装を用意したのである。
丘の上に聳える城。夜のこの時間にそこは静かなものだった。
それほど多くない使用人達はほとんどが眠りについている。起きているのはメイド長の老婆と城に長く仕える執事。あとは城主とその妻が暖炉を前に夜更かしをしているばかり。城主の“1人娘”はスヤスヤと、寝息をたてて清潔なベッドの上で寝ていた。
暖炉に燃える火。その朱に色づく情景……。
城主であり、この家の長であり、真摯なる夫でもある男。長い顎髭をたくわえた紳士はふっかりとしたソファに腰掛けて、手にしている本の1ページをめくった。
彼が手にしているのはこの世界におけるいわゆる“歴史”を記した書物である。皇の側から綴られたそれを読み上げる声は低く、聞き入るほどに落ち着いたものだ。
淀みなく読み上げられる歴史の流れを感じながら、これも誠実なる妻は目を閉じて、揺り椅子に揺られながら過去の出来事に想いを馳せていた。
そこにあるのはいつもの光景。忙しい時も、忙しくない時も、こうして2人の時間を穏やかに過ごすことは彼ら夫婦にとって大切な日常の1つである。しばらくしたら眠り、そして朝になれば愛娘の額にキスをして起こす……それもいつものことだ。
変らないはずだった。このまま2人、伴に年を重ねていこう……そう思っていた。
夫の父である大領主が亡くなった今。その跡を継いで責務を全うしなければならない。それによってこれまでより忙しくなっても、この日常だけは変えないでいようと。夫婦は見つめ合い、暖炉の前で優しく手を重ねる。
愛し合う2人が口づけを交わした――――その時。
「 ギャァアアアアアアアア!!! 」
悲鳴が聞こえてくる。この静かな夜に……誰かが、また新人の娘が皿でも落としたのか、と。そのように夫婦は思った。
だが、それにしてはあまりに悲鳴が鋭すぎる。まるで恐怖したかのような……それこそ“絶叫”であるその金切声。
城主夫人は「なにかしら」と不思議そうに首を傾げた。一方、城主は……顎髭の長い男性は数秒だけ思案した後、よく耳を澄ませながら「まさか」と言って立ち上がった。
城主は夫人に言う。
「メアリー、この場を動かないでくれ。大丈夫……きっと、何事もないさ。ただちょっと様子をみてくるからね」
そのように微笑む城主。彼の声はいつもと変わらず低く、落ち着いた優しいものである。
だが、夫人は理解した。理解した上で「解りました。お気をつけて……」とこれも微笑んで返す。
城主は愛する妻の姿を見つめた。そうしてその姿を目に焼き付けるようにすると、壁にかけたケープ(袖のない外套)を羽織る。そして鍵のついた箱から手袋を1対取り出すと、それらを両手にはめた。それらには何か、銀の刺繍かのように文様が施されている。
そして振り返る。城主は素早く部屋の扉を見た。その表情には「驚き」や「焦り」、「意外」の様相が露骨となっている。
扉越しに声が聞こえてくる。それは零れるような、優しいものだ。
「兄上…………」
扉越しに聞こえた声。それは城主にとって聞きなれたものである。
「キィィ……」と、木材を軋ませてゆっくりと開かれる扉。そうして開かれた扉から、1人。黒の外套で全身、頭までを覆った人物が顔を覗かせる。
覗かせると言ってもその表情は不明。何故ならそれは仮面を着けているからだ。
胸元には金細工を細かくあしらったブローチ。両手には城主と同じような刺繍が施された手袋がはめられている。――ただこれの手袋は少し特殊な形状をしており、指の何本かを露出できるように形作られているようだ。
露出した右手の中指には指輪が嵌っている。
「――――ギアードよ。どうした、こんな夜半に……」
一瞬に見せた驚きの表情はなく、落ち着いた、低い声色を繕う城主。
そうして態度を隠す城主が名を呼んだ人。黒い外套の人物――仮面を着けたその男は見えない表情ながら、確かに“笑った”。
「ク、フフフ……“どうした”ですってって? 兄上ぇ、解っているでしょう。言っておきますが、もう引き下がれませんからね……」
「…………そんなに権力がほしいか? 弟よ、そんなものを手にしたところで――」
「“そんなもの”なんてのは、当たり前だと感じる立場だから言えるんです。恋焦がれ続けた者の気持などあなたに解らないでしょう?」
仮面の男の表情は解らない。だが、その口調からして明らかに彼が笑ってなどいないことは解った。歯ぎしりが聞こえてくるかのような、荒々しい呼吸が仮面越しに感じられる。
そうした気配を察した城主の男は深く息を吐き出し、そして穏やかな視線を向けて言う。
「……解ったよ、ギアード。そんなにほしいのなら遺産など――」
「いいや、解っていませんねぇ? ダメなんですよ、ダメダメ……生きてちゃダメなんです。兄上、義姉様――――それに、可愛い姪っ子もね」
「――!? ま、待て。それは…………娘は関係ない!! あの子に近づくな!!」
「関係あるでしょぉが……だって1人娘ですよ? それに、どうせ1人生き残ったらかえって可愛そうなことになりますが……よろしいんです? クっフフフ……」
「き、キサマ……いつの間にッ……!?」
城主の両手が黄金に輝いた。彼がその手を合わせ、開くように手を広げるとそこに一振の長剣が形成される。
金に輝く刃に暖炉の炎が映る。朱く光を反射する長剣を構え、城主が掲げた。その光景を後ろで見守る夫人が「あなた、やめて!」と声を上げる。
だが、城主は止まらない。愛する娘の姿を思い浮かべて……目の前に立つ“弟”へと切っ先を振り下ろす。
「キサマ、そこまで堕ちていたか……ギアードォォォ!!!」
城主は叫び、剣は弧状に軌跡を描いた。
振り下ろされた刃。暖炉の灯りにつくられた影。
仮面の男の足元、“影の中から”出でた存在が腕を伸ばし、そして長剣の刃を容易く掴んで止めた。
指輪が輝いている。仮面の男は紅く光る指輪を嵌めた右手を突き出す。
「!? うっ、こ、これは……キサマ、禁術に手を――!?」
城主の顔が掴まれ、仮面の男は掴んだ右手に力を込める。
「――長年、苦汁を覚えながらも研鑽を積んできた。全てはこの日のため……兄さん、あなた達を殺すために私は、沢山の我慢と努力をしたんだよ?」
「ぎ、ギアード…………頼むっ!! む、娘は……どうか、妻とあの子だけは…………!」
頭蓋が軋むことを感じながら、されど自分のことなどもう諦めていた。
城主はただ、大切な人のことだけを願い、祈り、そして――
「聞ぃこえなかったかぁ?? 私はね、あなた“達”だと言ったんだ。ここまでしたんだ……これもさっき言いましたよね? もう、“引き下がれない”……って」
「ギアード!! ああ、我が愛する弟よ……頼む、私はどうなっても構わな――――」
城主の言葉は半端に途絶えた。
暖炉の炎が揺らいだ。肉の焼けた臭いが部屋に充満する。生暖かい液体が滴り、絨毯を黒ずませていく。
煙が沸く灰の塊。頭部から熱せられ、焦がされた物体が床に落ちた。
仮面の男は右手を払い、煤と血液、それに熱を発散させている。
「あ、ああ…………あああああああああッ!!!!!!」
城主の妻が悲鳴にもならない叫び声を上げた。だが、それもすぐに途絶える。
胸を一突きにされた夫人はしばらく音もなく口を開いたり閉じたりした後、まるで動かなくなった。
夫人の胸元から腕が引き抜かれる。しかし……腕といってもそれは本当に腕なのであろうか? どうにもその、【仮面の男の足元から生えたような存在】は生物的ではない。
暖炉に照らされたその姿はそれこそ黒い炭の塊のようであり、目も口もどこにあるのか解らぬ様相で長い棘のように鋭く身体の一部を伸ばし、それで夫人を突き刺した。先ほど城主の剣を受け止めたのもこうしたものであり、やはりそれは腕ではないのかもしれない。どちらかと言えば“鋭く硬い触手”のようなものなのだろう。
そうした得体の知れない存在はスルリと潜る。何処へかといえば、それは仮面の男の足元にある影の中へとだ。
そうして不明で不気味な炭の塊のような存在がこの世から潜むと、同時に紅く輝いていた指輪が光を失う。
仮面の男はしばらく変わり果てた夫婦の姿を眺めた。そうしてからやがて背を向け、彼は部屋をあとにする。
「……兄上。20年、遅かったですね……」
去り際、男は零すようにそう言い残した。
事を終えた仮面の男は城内を迷いなく歩く。どうやら目指す先は決まっているらしい。
想定通りならこの先にて「よくやった」と自分の一団を褒めることになるだろう。褒める、とは言ってもそれをしくじるようならそもそも論外な仕事なのだが……。
とは言え、どんな小さな成功でも褒めておくべきだと、そのようなことを思いつつ歩く仮面の男。
彼は目的の場所――ある“居室”へと至ると、しかし褒めるどころか言葉を失うことになる。
「あ!? ぎ、ギアード様……その……」
暗がりの居室。灯された蠟燭の朧な灯の中。
そこには揃って仮面を着けた一団の姿がある……いや、むしろ“それだけしかない”。
可愛らしい居室だ。ベッドの白いシーツは清潔そうだし、窓に飾られたレースのカーテンは模様が細やかに凝っていて美しい。熊やら犬やらの人形が枕元に置いてあり、本棚には絵本が並んでいるようだ。
そして…………それくらいである。肝心要の存在はそこに無い。
仮面の男……達を率いる人。かつての城主に“弟”と呼ばれた男は仮面を外した。
そうして裸眼になってみても居ないものは居ない。無いものは無い。居室近くの廊下には息絶えたメイドの姿はある。だが、それではない。
「……どういうことだ?」
仮面を外した男――【ギアード】は唸るように問う。手袋をはめた腕は震えているらしい。
周囲にある仮面の男達は萎縮した。誰もが返答に困り、そして仮面越しに目線を合わせる。
暗がりの室内。どうやら“子供部屋”らしいそこに立つ男達。
彼らに向けて再度、質問が飛ぶ。
「どういうことだ…………どうして“ミラリィース”が居ない、死体が存在しないッ!? 誰か答えよ……ふざけるなよ、キサマら!!!」
怒りのあまりに声が震えており、それは聞き取り難いほどだ。そうして憤怒の様相にあるギアードは右手を隣に立つ仮面の男に向け、その頭部を掴んだ。
頭部を掴まれた仮面の男は「ヒィィィィ」と泣き叫び、震えてしまっている。その震えは“恐怖”によるものであろう。
そうしてギアードの右手から煙が上がり始めた時――部屋に駆けこんでくる人がある。
「ギアード様、地下に隠し通路を発見いたしました!! どうやらミラリィース様はそこから逃げ延びた様子です!! それに、“執事長”の姿も見えません!!」
仮面の一団の1人であろう。駆けこんできた仮面の人はそのように報告した。
子供部屋で震える仮面の男達と異なり、随分と関心したものだ。そうして有用な情報をもたらしてくれた仮面の男に対して、ギアードは「そうか、よく調べてくれた」と冷静に言う。
言った後……。
「――――――なんだとぉぉぉぉ!?!? ふっ、ふざけるな!!! すぐに追撃しろ!!! 絶対に生かすな、確実に殺せ!!! 宗家の人間に生き残りなど……あってはならんのだ!!!」
ギアードは叫んだ。仮面を外していたのでその表情は解る。蝋燭の朧な灯りの中でも解るほど、察せられるほどに彼は憤っている。仮面の一団は「ヒィィィ」と怯えた後、鋭く睨まれたことで慌てて走り出した。
城の地下に発見された隠し通路。それはどうやら近場の森へと続いているらしい……。
そうした調査を終えてから仮面の一団は馬に跨り、いくつかに手分けをして駆け始める。
追跡すべき対象は森の中から何処へと向かったのか? 仮に真っすぐ逃げたのだとすれば……おそらく。
“彼女と執事”は、東の海岸へと向かったことになる――――――。
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