「セッシャはモンスターでござる(1)」―漂流の少年―
「いやはや、困り申した。何故にかような事態に……?」
快晴の空だ。見上げれば「スカッ」と、気持ちも晴れ渡るような青い空。
まるで気持ちの良い日差しの下、広がる大海原。凪の海面は静かなものだ。
「とんと思い出せぬが……確か、“何か揺れましたかな?”などと思ったら、ガタンバキンなどと喧しく……あの時一体、どうしたのだろう?」
風もゆるく、温度は熱くも寒くもない。実に申し分ない気候である。本来ならばこのような日の“船旅”であれば、うたた寝でもして気分よく過ごせるはずだ。
だが、それはできない。
「命あってこそなれど……しかし、これでは生きた心地も致しませぬ。ああ、父上、母上よ……今頃どのようにしておりますか?」
誰か他に人でもあれば「良い天気だね~」「釣りなどしてみようよ!」などと楽しいひと時も過ごせるはずだ。
だが、それはできない。
「……このまま“拙者”、死ぬのでござるか? そんな……まだうら若き男児であるというのに……何も成せぬままに空腹でこの命、尽きるとでも……?」
釣り竿でもあれば釣りができただろう。厨房とは言わずとも、何か米かパンでもあればそのまま食べたって構わない。ふりかけもジャムもいらないから、なんなら湿気たビスケットでも良い。
だが、それらは存在しない。何も無い……いや、1つだけある。
「トホホ……こんなことなら大人しくお国に仕えていればよかったでござる。でも、だって、しかし……男児たるものこの世に生まれたからには――」
食べ物は何もないし、生活の役に立つ物もない。ただ、現在ある物といえば……。
「うぅぅ……いっそ潔く散ってやろうか? それがお望みとあらば……天よ、竜神よ!! 拙者の覚悟と侍の誇り、魅せてくれようか!?」
たった1つの所持品、それは“ただ一振の刀”。それだけがこの――――【大海原のド真ん中で板切れ一枚に乗っかって漂流している少年】――――の持ち物だ。他の装備品と言えるものはまぁ、そこそこ古びた着物であろうか。あとは髪を結ぶ紐。
他には無い。何もない。身長160cmほどの少年が乗っている板切れは3m四方はあるので、寝転がってちょっと寝返りをうつことはできる。幸運と言ってよいのか……どうやら穴などは開いていないので浸水はあまりしていないらしい。波も穏やかで助かっている。
「トホホ」と着物の少年は俯いた。いくら天気が良くとも、食料を含めおよそ生きるために必要な所持品がまるでなく、しかも現在地は広がる海のド真ん中。四方八方、どう見渡したって陸地の影すら見えない状況。
彼が落ち込むのも仕方がないだろう。そうして天に恨み言を吐いて刀を手にしても無理からぬこと。そして言ってはみたもののやっぱり死ぬのは怖く……チラと見えた刃を鞘に戻すのもまた、生命として当然の仕草である。
「ひぅぅ……拙者、拙者は……こんなはずではござらんかった! きっと今頃は船の甲板にて日差しを浴び、“やぁ船長殿!今日も良い天気でございますなぁ、して目的地まであと如何ほどでござろうか?”――なんて。そういえば彼らはどうなったのだろう……無事であろうか。というか何があったのか不明ではあるが……うむむむ」
他人を気遣う余裕はあるらしい。しかし、それもいつまで保つものか。
この少年が精神的な超人でない限り、あと1日もすれば正気ではなくなるだろう。むしろそれまでこの板切れが浮かんでいるのかも解らない。ジワジワと浸水して、やがて沈んでしまうというじれったくも絶望的な光景だってあり得るはずだ。
だが、それらの心配は必要ない。
何故なら――
「ひんんん……ありゃ? なんぞ、あれは……?」
帯刀している少年は顔を上げた。そして涙を拭い、先を眺める。
眺めた視界に映るのは“真っ黒な雲”。そこにチラチラと稲光が見えた。
どうやら大嵐が先の海の上で荒れ狂っているらしい。なにか竜巻のようになって海面が巻きあがっている様子もうかがえる。
「・・・・・・・えっ。」
嵐の前の静けさ。それが今の自分にある状況なのだと、少年は数秒考えてから気が付いた。
頼りない板切れに意思などなく、真っすぐに嵐の海へと向かっていく。
「――――――アリャァァアァアァア!?!?!? ダメダメ、死にとぅない、死にとぅない!! まだまだ生きたいでござるぅぅぅぅぅ!!!!!」
少年は漕ぎだした。オールも無いのに如何様に? というと、それはもちろん刀である。具体的にはその鞘で精一杯に海面を掻いている。
彼の装備品たる刀というものは帝国にあるような太い両刃でもなく、片刃の細身で鋭く、そして繊細だ。物を断ち切ることには比類なき技の伴として心強いが、こうして海面を漕ぐことなどにはまるでもって頼りない。
無力なものだ。少年は必死にするが、意思なき板切れはまるで意思があるかのように嵐の海へと突き進んでいく。
いっそ降りて泳ぐにしたってそれも意味がないだろう。何故ならそもそも、嵐の根源たる雷雲そのものがこちらに近づいてきているのだから。
時間をかけて飢えたり、じわじわと浸水して沈むのも絶望的であろうが……これもまたなんとも絶望的な状況である。
「父上、母上……兄上ッ!!! 拙者は……“テンジロウ”は死にませぬ!! きっと生きて、できれば都に……でも無理そうだからせめてそちらに……お国へと帰還いたします!! 死にとぅございません!! だってだって、まだ拙者は…………拙者はまだ、女子と仲良くしたことすらないんですものォォォ!!! このまま死ぬなんて、イヤでござるぅぅぅぅ!!!!!」
涙が迸っている。それは必死に鞘を漕ぐから少年の顔が激しく揺れているからだ。あと涎も飛び散っているが、仕方がない。
飛び散る涙、弾ける海面。
進む板切れ、迫りくる嵐。
大海原に少年の叫びが響き渡った。されど、その叫びがなんkm響こうとも、誰もその声など聞こえはしない。
やがて、着物の少年を高波が襲った。ちっぽけな板切れは舞い上がり、少年の身体も宙を舞う。
海原に放り出された少年は何も考えてはいなかった。ただ無意識に、抱えるようにして刀を握りしめた。そんなもの、この時に何の役にも立たないだろう。哀れなものだ。
――大陸の外に広がる世界。嘆きの女神に見過ごされたこの海を悲哀なる少年が漂う。
少年は忘れられ、放心の上で呆然自失となったところを海中に放り出された。
度胸以外のすべてから見放された少年。そこに、容赦のない天災が迫る。
このまま、その悲哀なる少年は無残にも若い命を散らしていたかもしれない。
もし、流れ着いた先に“彼女”が存在していなかったとしたら――――
「オレらはモンスター!!」列伝 ―セッシャはモンスターでござる―