第一章 第四話 【龍の髭は千年越しの風に靡き】
「────でい────かえ──」
気分が悪い·····
全身を悪寒が駆け巡る。
だが、体は暖かい。
薄く開いた瞼から、誰かが見えた·····。
「おう────にか──じゃ」
誰かが誰かに叫んで手を振った·····。
その景色を最後に、リョーガの意識は再び途切れた。
◇◇◇
目が覚めた─────。
寝起きのまどろみの中で、少しの違和感が頭の隅をつつく。
未だしゃっきりしない意識をたたき起こして、言葉を絞り出した。
「知らない、天井だ·····」
落ち着いた色彩の木の板が貼られた見知らぬ天井を眺めながら、リョーガは改めて自分が転移した事を実感した。
深く伸びをしながら体を起こして、ベッドから降りる。
どうやらここは小さな家の二階の様だ。
もっとも、誰の家かは分からないが····。
少し離れた位置に置かれた、これまた木造りの机に近づく。
机の上には、ランプとインク壺に刺さった羽根ペンだけが整えられて置かれている。
生まれて初めて見る羽根ペンに少し興奮しながらも、周囲を観察する────
「広い屋根裏部屋って感じか·····」
さっきまで自分が寝ていたベッド一つと、机····そして謎の木箱が三つ。
机の向かい側に付いている小さな窓からは、綺麗な湖が見えた。
険しい山々をバックに湖が広がる壮大な景色に気を取られていると、背後の階段が軋んだ。
「なんだ、もう起きちょったのか」
振り返ると、頭に白い鉢巻を絞めた四十代半ばのオヤジが階段を上がってきた。
日に焼けた太い腕を、これまた分厚い胸板の前で組んでいるのには中々の威圧感がある。
「オッサン誰だ?」
「オレか?オレはコロル·····クーストス・コロルだ、見ての通り、アルウェウス湖のしがない漁師だ。」
ガハハ、と大口を開けて笑った男──コロルが右手に持っていたトレーをリョーガに手渡した。
トレーに乗った木皿には、細かい魚の切り身が入った粥が湯気を立てている。
「腹減ったろ、ほら食え」
「え、いいんすか?」
じゃあ遠慮なく····と、木製のスプーンでお粥をかき込む。
目覚めた直後は分からなかったが、かなり飢えていたようで、皿はすぐに空になった。
自分で自分のがっつき具合に驚きながらも、食べ終えた皿をトレーに乗せてコロルに返す。
「いい喰いっぷりじゃねぇか。もう一杯いるか?」
「じゃぁ·····」
「ちょいと待ってな」
トレーを持って階段を降りていくコロルの後ろ姿を見送りながら、自分の空腹について思いを巡らす。
あの洞窟にどのくらいいたのかは分からないが、意識を失っていた事を考慮すれば、転移から今に至るまでに少なくとも一日───24時間は経っていると考えるのが自然だろう。
転移先が真っ暗闇だったり、さらにはその洞窟の出口が遥かな上空だった事には思うことがあるが、
「ぶっちゃけ、ビビりすぎて思考吹き飛んだもんな·····」
正直、結果良ければ全て良しを座右の銘とするリョーガにも許容範囲ギリギリの体験だった。
「ほれ」
礼を言ってお代わりを食べるリョーガを見たコロルが口を開く。
「お前さん、随分と珍しい見た目だが···どこから来たんだ?」
「ん?あぁ····」
珍しいという言われように一瞬困惑するも、コロルの灰色の髪色を見て氷解した。
どうも黒髪黒目は珍しい世界線らしい。やったぜ、レアキャラだ。
「ちょいと別世界からな、黄金の国よう」
コロルの口調を真似て返答したリョーガに、「まぁ言いたくねぇなら別にいいが·····」とコロルが背を向ける。
「名前は?」
「リョーガだ」
「いい名前だな」
だろ?と頷きサムズアップするリョーガ。
「ちょ、まだ食べ終わって····」
「おう、食い終わったらそこらに置いとけー、後で取りにくっから。あぁ、それと────」
階段を半分程降りたコロルが、思い出したように手を叩いて言う
「──お前、今日一日は安静に寝てろよ。なんせ溺れてたんだからな」
「ふぇ!?」
声をかける前に、階段の下に消えたコロルを呆然と見送る。
開かれた窓から入ってきた、柔らかい春のそよ風が顔を撫でる。
部屋には、目を丸くするリョーガだけが残った·····。