第二章最終話 第三十八話 【 天龍回帰 】
ゆっくりと意識が甦る。
薄明るい意識の底で微睡みながらも、リョーガはうっすらと瞼を開いた。
すぐ目の前には、すっかり冷たくなった黒イタチの巨大な骸が身動きもせずに横たわっている。
視界が、一定のリズムを取って揺れる。 うっすらあいた視界の中で、朝の森を背景に、黒イタチの巨大な死骸が上下に揺れる。
まだこの空間から出たくない。·····リョーガは体を捩る。
いつまでも目覚めぬリョーガに業を煮やしたのか、明るい光がリョーガの目をこじ開けた。
「ここは·····?」
明るい·····夜の開けた森が、目の中で縦に揺れる。
───リョーガは、板張りの荷車で牽かれていた。
「お、目が覚めたか!」
明るい茶髪を朝日に光らせて、レクスディアがリョーガの顔を覗き込む。
まだいまいち意識の醒めきってないリョーガが、後ろを振り向いて素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「あぁ、すまんな。担いでいこうと思ったんだが、傷が多いからな」
「だからって敵の死体の横に置くなよっ!」
リョーガの真後ろに積まれた黒イタチの、丸太のような足を叩きながら、リョーガが抗議の声を上げる。
「あ、そういや皆は?」
アルティマとコロルの安否が気になって、レクスディアに問いかける。
「安心しろ。スペリッセとラグナーと大長老以外に死人はない。」
聞き覚えのない名前に、心の中だけでホッと一息つく。
右腕に白く光る〝風爪〟を撫でる。そのまま自分の腕を見て、リョーガが思わず唸る。
「傷だらけだな····」
昨日の戦いでムステーラ達に付けられた、夥しい数の引っかき傷がリョーガの前腕全体を覆っていた。薄い瘡蓋の前兆が見えるリョーガの腕の傷を見て、レクスディアが口を開く。
「生憎、もうこの村には回復魔法が使える者は残っていない。重症でもないし、しばらく待てば治るだろう」
「まぁ·····そうか。」
傷の深さを確認する。心の底で、魔法で治してもらえるだろうという甘えがあったことに気が付き、自分を戒める。
「あの、あなたは·····」
「あぁ、私はレクスディア。レクスディア・クーストスだ。」
「!じゃぁコロルの·····!」
「そうだ」
やっぱりそうだったのか。
「レクスディア···さん?は、回復魔法は使えるんですか?」
「使えん。····自己治癒なら使えるが」
「?どう違うんすか?」
疑問に首を傾げたリョーガに、レクスディアが説明する。
「自己治癒は魔力を操り、自らの体内を整えて、あるべき姿····万全な状態に調節する術だ。····他者の肉体を復元させる回復魔法とは根本から異なる」
···なるほど?
大体分かった····。この世界を 破壊する。
·····。
まぁ違うって事は分かったな。うん。俺は天才だ。
レクスディアから目を外し、片側の森を見やる····。
今になって出てきた傷の痛みを誤魔化すように欠伸をして、自分の乗る荷車の前方を見たリョーガが、声を上げる。
明るい朝の光を浴びて、ラットスがこっちに手を振っているのが見えたからだ───。
ラットスだけじゃない····。
走ってきたのか、息を切らした村人達が大勢、荷車を引く戦士達に向かって手を振っていた。
リョーガ一行の先頭の戦士と村人達が、抱き合う。皆一様に涙を流し、子を、親を、抱き締める。
こうして、長きに渡る黒イタチの復讐劇は幕を閉じた。
───ポンと肩に手を置かれ、振り返る。
「歴史に名を残したな!」
陽光の中で天を見上げ、笑うレクスディアに頷く。体を起こして荷台に腰掛ける。
自分達は昨夜、この世界で絶対的なネームバリューを誇る七天龍の一角を倒したのだ。
──そう言われても、まだ異世界に来てから日の浅いリョーガにはイマイチピンと来ないが、自分が死線を抜けて、その結果、作戦が成功したのは純粋に嬉しい。
「やりましたね、リョーガさん!···スゴいです!」
叫びの途中で、うるっときたのか、目を湿らせたラットスが、リョーガに肩を貸す。
助けなどなくても大丈夫だと思ったが、足が地に触れた瞬間、バランスが崩れかける。咄嗟にラットスに掴まり、肩を借りる。
····どうやら思っているよりもボロボロのようだ。
まだ少しぼやける頭で、疲労の原因を思い出そうとする。
───だが、特に思い当たる節はない。確かに体を酷使したが、こんなに疲れるとは思ってなかった。
イタチ達に追われて、夜の森を走って。挙句は黒イタチ──、リベルと鉢合わせて·····。
「ねむい····」
「テントはこっちです、お風呂もありますよ?」
風呂はいい····。入りたいが、今はいい。
顔をのぞき込むラットスを、頭にかかった霧越しにボンヤリ眺めながら、リョーガはテントをくぐり寝床に倒れ込んだ····。