第二章 第三十七話 ❨ 龍 ❩
冷えた夜風に冷まされた森の地面が、黒イタチの頬にヒンヤリと触れる。気味の悪い暖かさをした過去の追憶から逃れたリベルは、高性能なイタチの目で、闇を見透かした。
目の前には、血をコンコンと流しながら地に伏す獣の体があった·····
····首を斬られたか。一瞬で、リベルはそう理解した。あの隻腕の剣士、レクスディアとか言ったか。近頃見ない腕だ。
いや·····
頭を失った体をフラフラと立ち上がらせて、リベル続ける───、
····そもそもこの村は外部から遮断されていた。王国も村の存在を知らなかっただろう。国は俺がここに居る〝だろう〟という事しか知らないだろうし、俺も国の事を知らない。
もっとも、ちっぽけなヒトの国など、吾輩には関係ない事だが。この村を潰したら、世界がどのようになっているのか見て回るのも良いだろう。
もう長い事、外の世界を見てない。この辺りは住み心地が良すぎた。山脈と湖に挟まれ、他と隔絶された空間に、豊富な食料····。
「終わらせよう」
口に出して呟きながら、リベルは頭の具合を確かめながら立ち上がった。
◇
「は?おいおいおい嘘だろ?えっ、ちょっ、」
頭が揺れないか、トントンと確かめるように首を叩いて立ち上がった黒イタチを見て、リョーガが慌てる。
首斬っても死なないタイプなのか、と心の中でめっちゃ舌打ちするリョーガ。
背中を伸ばして、2本の後ろ足で立ち上がった黒イタチが、振り返る。笑みの形を顔に貼り付けて震えるリョーガの黒い瞳を、遥か高所から、これまた真っ黒な黒イタチの目玉が捕らえる···。
二足で立つその姿は、熊のようだが、そのサイズと纏う覇気は桁違いだった。
まぁ野生の熊など見たことないのだが·····。そんなことに気づく余裕などあるはずがない。
見上げているだけで意識が遠のき、堪えようのない吐き気に臓腑が掻き回される。艶がかった黒毛が、雲の切れ目から差し込む月光の微かな光を反射する。その美しい景色を最期に、酷く呆気なく、リョーガの意識は途絶えた────。
◇◇◇
「?·····小僧?」
突然白目を剥いた少年を見て、リベルが、不審の声を洩らす。
生温い風が、リベルとリョーガの間を通り過ぎた。
リベルはふと──、何かを感知した。
その本能に従って、右腕を少年の頭へと振り下ろす。
だが、少年の柔らかい頭蓋を潰し切るはずだった右腕は、何かに抉られたかのように吹き飛んだ·····。
「·····」
土を蹴って距離をとったリベルの後ろに、少年が移動する。少年が地を蹴る軽い音が、リベルの耳に響く。
少年の左手に、右胸を貫かれたリベルが、言葉にならぬ息を吐き出す。
「ガっァァァ!·····!」
腕を引き抜いた少年の手には、不釣り合いなほど大きな岩·····龍魔石が、有り得ない握力で掴まれていた。
白目を剥いた少年が、息を吸ってから口を開く。
全身から超高密度な魔力を湯気のように立ち上らせながら、〝リョーガ〟だったものはリベルに話しかけた。
「久しぶりだな、リベル。」
「·····!?」
音を立てて地面に倒れたリベルの目が、驚愕に見開かれる。
「なるほど、そういう事だったのか····」
地に伏したまま、リベルが弱々しく呟く。
それを黙ったまま見下ろす少年の背に一瞬、翼の様なものが現れて、消えた。
「そういう事だ。悪いな。全ては────、」
リョーガの唇と、リベルの牙の動きが重なる。
「「神を殺す為」」
白目を剥いたままのリョーガが、地面の龍魔石を片手で掴む。バランスボール程の大きさで····しかし、バランスボールとは比較にならない程の重みのある魔石が、リョーガの手の中でパキリと罅割れる。
「グッ·····」
「リベル。」
〝龍〟が、リベルに呼びかける。
ヒビが入っていく龍魔石を、苦しみながら眺めるリベルが、ほんの少し、顔を上げる。
「苦労をかけてすまなかった。」
「·····」
黒イタチの瞳から一筋の涙が零れて、森の地面に吸い込まれて消えた。同時に、バキリと一際大きな音がして、龍魔石が粉々に砕け散った。
「あと八つ····」
長い時を経て還ってきた自らの身体の一部に、少なからず違和感を覚えながらも、〝龍〟は体の制御を手放した。