第二章 第三十五話 イレギュラー
パリン──と、鋭い音を立てて、光る正二十面体が砕け散る────、
角の一つに穴が空き、結晶の内部が露となる·····
中に何かあるのか····ふと覗き込もうとした瞬間、悲鳴が夜の闇を斬り裂いた────、
「うわっ····!?」
発光体が、悲鳴を上げていた·····
エ○ァのラミエルに似た、どこか機械的な高い悲鳴が、笛のように夜の宇宙へ響き渡る。
不協和音に、思わず耳と目を塞ぐ。
その甲高い断末魔の叫びは、何故か、イタチを切り殺した時以上に、自分が他者の命を奪ったのだと実感させる何かを含んでいた。
───今リョーガは、間違いなく正二十面体を〝殺した〟のだった。
長く鋭い悲鳴も、いつしかやみ·····気がつけば、発光体の姿は、跡形もなく消えていた。
地に落ちたはずの破片も、中に入っていたかもしれない何かも·····。
黒イタチの大切にしていた物は、呆気ないほど簡単に消え去った。
「·····よし、合図だ」
しばし呆気にとられていたリョーガも、現状を思い出して動き出す。
腰に吊るした筒に、用意した弾を込める。マッチでカンテラに火をつけ直し、その火を落ちてた木の枝で、筒に付いた導火線に移した。
火縄が燃えるしばしの間の後に、パンッと軽快な音を立てて、小さな花火が闇夜に打ち上がった。
「ふぅ·····」
額の汗を拭い、火花の消えた闇空を眺める。
これで自分の役目は果たした····集合場所へ行こう。
◇
『すでに罠は張り巡らせた───。』
長老が、ズズっとお茶を啜る。
「罠·····ってどんな?」
罠と聞いて、頭にトラバサミしか浮かんでいないリョーガの問いに、長老が答える。
『誓約魔法の一種····それもとびきり強力なのを』
『なるほど·····全然分からん。』
開き直ってドヤ顔するリョーガの脇腹に、隣に座ったアルティマの手刀が突き刺さる。
『グボォ!?───アギャァァ』
『·····まぁよい。』
全然よくない感じの悲鳴を上げるリョーガを見て、長老が頷く。·····よくねぇよ。
『兎も角、リョーガ殿の役目はイタチをあの沼地に誘導することだ。』
『誘導して合図を出したら·····』
『『即撤退···』』
『なるほど分かったOKだ。』
『あの魔法を仕掛けるのにこの村の魔法使い全員が死んだのだ·····』
『え、まじ?·····そういうやつなの·····!?』
·····
◇
「即撤退、即撤退ー·····」
光が消えた腕輪を擦りながら、軽く体を確かめて、気分転換····
「よし、ずらかるとするか!」
くたびれた体を引きずって、帰路につく。
帰り道もイタチ共と戦わなければいけないことにビビりかけたが、今の俺には腕輪がある。魔力もまだ残ってるはずだ。
「あぁぁー、腹減ったぁぁ!疲れたー!眠たいー!」
腕を上げて叫んだリョーガの声に、暗闇から返事が返る。
「そうか、なら手間がかからなそうだな。」
「!?」
「腕輪を、返してもらおう」
黒イタチの黒い瞳が、リョーガを見下ろす。
離れているのに、真ん前で睨まれているかのように鋭い眼光がリョーガを射貫く。
「ん?小僧·····神の残留をどこへやった」
神の残留·····あの発光体の事だろうか。
体に重くのしかかる圧倒的な圧力になんとか抗いながら思考する──、この獣の一挙一動で、自分は簡単に死ぬ。
その事実の再確認に、全身が震える──────。
「答えろ小僧ッ!」
黒イタチの十本の爪に、複雑な紋様が浮び上がる····。
闇夜でもハッキリと視覚できる程に黒い煙を爪全体から出しながら、リョーガの矮小な頭を、二本の爪で摘む。
「答えないのならばこの頭を────ヵッ!?」
黒イタチの胴体に、どこからともなく降った、黒い槍が突き刺さる────長老の言っていた制約魔法とやらだろう。
ぬかるんだ地面を放り出されて、派手に転がったリョーガが、衝撃に唸りながらも立ち上がる。
「有り得ん、何故ここにッ!───グッ!?」
背中に刺さった槍を器用に手で引き抜いて、槍の飛んできた方向を睨んだリベルの叫びが終わらぬ内に、その真っ黒な背中に二本目の槍が突き刺さる·····黒イタチの背中から血が吹き出す。
黒い毛皮を血に濡らしながら、リベルが焦った表情を見せる。
『何か知らんが····今のうちに逃げなければ。』
腕にべっとりついた泥をそのままに、こっそりと···それでも素早く、森を目指して駆ける。
「待テ小僧ォォ!!」
リベルの慟哭が耳に響く───。それと同時に、不可視の風の刃が、リョーガの頭頂の毛を切り飛ばす。
「やばいやばいやばい!」
「小僧ォォォォォオオォォッ!!───ガァァアァ!」
異次元の恐怖に足を早めたリョーガの後ろで、叫んだリベルに再び黒い槍が突き刺さる重く鋭い音が聞こえる。
今この瞬間にも死ぬかもしれない恐怖に顔を引きつらせながら、走りのスピードを更に引き上げる。
「ん?」
森に入った、前方から何かが駆けてくる。半ば無意識的に右手の腕輪を握りしめる。低い姿勢で、凄まじいスピードで迫る物体が、雲の切れ目から出た月に照らされる·····掠れた水色の羽織りの様な服と、風に流れる長く真っ直ぐな茶髪が闇に浮かび上がる───。
·····どうやら人間らしい。
近づくにつれて、全体像が見えてくる。
「んん?」
どこかで見たことある人だ····。
走ることに大半の思考を割かれながらも、記憶を探る。
気が付けば、女性との距離は縮まっている。
右手に抜き身の剣を提げて地を這うように走る片手の剣士···。
一瞬────。
剣士とリョーガがまさにすれ違う瞬間、森の木々の隙間を、嵐が駆け抜けた────
「ッ····!」
その威力に、体を倒され、地面に蹲るリョーガ。
視界の端で、足を止め、剣を構えなおす剣士の姿が見えた。
「····大概しつこいものだな、人間というものは」
黒塗りの夜空の下を───誰よりも早く、黒い風が駆け抜けた·····。