第一章 第十話 【 交渉 】
「で?何しに来たの?あんた·····」
「あー·····」
興味なさげに目を逸らして、髪を結び始めた少女───その様子を観察したリョーガは、こう結論を出した。
『やっぱ無理じゃね?····これ。』
だがやるだけやらねば····。
軽いプレッシャーに、気づけば食後の眠気が霧散していた。
少女にバレぬよう静かに息を整えて、リョーガは本題を切り出した。
「今夜の祭り、行かないの?」
沈黙が、辺りを覆った····。
その沈黙は、どこからか聴こえる鳥の長いさえずりが終わるまで続き·····
「だから、なに?たとえそうでもあなたに何の関係があるの?」
「おぉう、辛辣ぅ····」
少女が、茶化すリョーガに冷え切った視線を浴びせてベンチから立ち上がる。
「じゃあね」
「ちょ····」
慌てて立ち上がり、森の中へ消えようとする少女の行く手を塞ぐ。全身で停止を求めるリョーガの必死さにつられたのか、少女は動きを止めた。
ただその鋭い目と険悪な表情は止まらずに加速し続けているので、場の空気は悪くなるばかりである。
さて、どうしようか····。
とりあえず止めてはみたものの、最悪の空気と少女の不機嫌MAXの顔に呑まれて頭が上手く回らない。
リョーガ は 空気 に 呑まれた !!
「あ〜·····腰に下げてるのは剣かな?」
「····」
少し···ほんとに少し、少女の眉が上に上がった──。
剣に関する事なら気を引けるようだ。
少女が腰に下げている剣は諸刃のロングソードで、棒型の鍔がついている───、柄の部分に綺麗な赤い宝石が埋まっているT字形の普通の剣だ。
「·····」
整った小さな口を固く閉めて、少女は剣の柄にゆっくりと右手をおく·····。
無言のまま、少女は右手でスラリと剣を抜いた。
そのなんとも言えない凄みに、思わず少し後ずさる。
敵意は感じられなくとも、抜き身の刀を引っさげた人間には独特の恐怖が漂う。
「そう·····」
「?」
小さく呟いた少女が、春の日差しを受けて白く光る真剣を鞘に収める。····こうして唐突に始まった睨み合いは、少女が剣を収めるという形で終わりを告げた。
少女が剣を収めたのを確認したリョーガは身構えるのをやめて、気がつけば額に浮き出ていた脂汗を黒パーカーの分厚い袖で拭った。
急に空気が暑くなった気がして、パーカーを脱ぐ。白Tシャツ1枚になったリョーガは、ある決意をした。
····とてもではないが、このままアルティマを祭りに連れ出す事は出来そうにない、なら!
Tシャツをパタパタさせる手を止めて、リョーガは地面に膝を着いた────。
「なにを····」
突如、地面に座り込んだリョーガの姿に困惑を隠せない少女。
その綺麗な薄緑色をした瞳を真っ直ぐ見つめながらリョーガは叫ぶ───、
「どうか祭りに来てください!」
アルティマの戸惑いに満ち溢れた視線と、春の暖かな太陽に見守られながら····リョーガは堂々たる土下座をした──。
それはもう見事な土下座だ。レベルでいえばガチャガチャのストラップになれるレベルだ。
ゴッホの絵の隣に置かれていても何ら遜色ない·····いや、そこまでではないか。足は揃えて手は三角に····昔習っていた剣道の座礼で鍛えた土下座スキルを遺憾無く発揮した逸品だ。
地上三センチで目をつむるリョーガのすぐ前に、カランと何かが投げられた音がした。
顔を上げると、目の前に粗削りの木刀らしき棒が転がっていた。
「私から1本取れたら、祭りに行ってもいい····」
「は?」
言葉の意味を理解する前に····少女が軽く振るった木剣が、膝立ちになったリョーガの左腕の骨を打ち砕いた────