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自然


母なる大地に風が吹く。


人が作り出したものでは無い、この世界に存在する自然による現象。



枯れ木がざわめき、火が灯る。


人類が世界を生き残る上で、もっとも危険でもっとも大切であろう自然による現象。



木に()る林檎が、世界へ落ちる。


我らが生まれる遥か前より存在している、重力と呼ばれる世界の常識。



我々は、そんな常識を"世界の理"とし、それを受け入れ享受して生きてきた。


それが正しいことだと思い込み

『世界とはこういうものである』と、誰もが疑うことも無く生活している。



それが自然の摂理だと、信じて止まないのだ。



しかし、我々が常識と定めた"世界の理"でさえ、この世界にとっては自然から生まれた有でしかない。





───では、この世界にとっての最たる自然とは何か?





それは我々の理解も及ばないような原初の自然。



生物の根底に深く根づいている、未知という恐怖の体現。



我々人類、全生物、全物質の元である、重力という常識すら存在しない世界。




───宇宙という名の大いなる自然。







人類は愚かしくも、そんな宇宙を解明しようと歩みを進めている。




その先に何があるのかも知らず




その先にある何かを求めて。





───先には、何が有るのだろう?





私は考えるのだ。





大いなる自然である宇宙のその先。




時間や空間、果ては次元や感覚、その境界さえも超えたその先に




有という理に縛られることすらないような




"何も無い"という自然が広がっているのではないだろうか?




完全なる無こそが、圧倒的な自然なのではないだろうか?




いや、私が思考を許されている時点で、それは完全なる無ではないのだろう。



きっと、本当の自然は、理解さえもさせて貰えないのだろう。



何故ならば、宇宙という知覚できる自然でさえも、我々には理解が及ばないのだから。





しかし、是非とも一度見てみたいものだ。




まぁ……見えるかどうかは、知ったことでは無いのだが。

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