私は宿屋の娘であって「聖女」と言う名の娘は宿屋(ここ)には居ません、お帰りはあちらです。
春も麗らかな午後──王都シルヴァルリエに“微睡み亭”なる一軒の宿屋がある。
二階建て6室しかない小ぢんまりとした…何処にでもあるごくありふれた木目調の宿屋だ。
一階は受付と食事処で…裏庭に“浴場”がある…男女別に分かれたその浴場はやはり宿に合わせて小ぢんまりとしたもの。
僅か6畳ほどの浴室に浴槽と洗い場…掛け流し温泉。腰痛・肩こり・疲労・裂傷に効く名泉の一つであり、宿の名物でもある。此方は宿泊客限定。
部屋は四人部屋、二人部屋、個室、大部屋の四種類から選ぶ。
四人部屋が2室に二人部屋が2室の大部屋と個室がそれぞれ1室だけ。どの部屋でも一泊4000セルジュ。これに朝晩の食事が着いてだと──5000セルジュだ。大概の客は食事のプランを着ける。
「いらっしゃいませ、お客様。何名様ですか?」
「済まない…客じゃないんだ」
「…はい?客じゃない……帰られます?」
無礼な男、そう思った白髪の少女はその愛らしい顔に“喧嘩売ってる?”と眉間の皺を深めて笑み作る。
「…ッ!?い、いや…っ!訊ねたい事があるんだ…っ!この宿に“聖女様”はいらっしゃらないか…っ!?」
「……はあ?いらっしゃいませんよ、そんなモン。──では、お帰り下さい」
金髪碧眼の優男…騎士っぽい身のこなしが透けて見えるのだ──例え平民に変装していても。
儀礼剣ではなく──店売りの支給品だと直ぐに分かるロングソード。王都内なら持ち歩いても不自然はない武装。
街歩きする貴族のお忍び──そう言われてしまえば納得するだろう、だが……。
「リン、オムライスを6番テーブルに運んで!」
厨房の奥から母の激が飛んだ。
「はい、ただいまーーっと。?なんです、今忙しいの、わからないかな?!……午後3時にまた来なさい、話「だけは」聞いて差し上げますから。」
「──ッ!?あ、ありがとうございます…ッ!……では、また後で。」
騎士の男は丁寧なお辞儀をして足早に去って行った…。
……。
「チキンカレーお待たせしましたー。」
「ストロベリーマウンテンパフェお待ち!」
「…いや、居酒屋じゃないんだけど?」
「ビール2追加ー、はい喜んでーーッ!!」
「!?昼から飲んでる人居るの…っ!?」
「あはは…びっくりですよね~」
「…豚のしょうが焼き定食大盛一丁──!」
「日替わり定食特盛で3つ!」「はいよ!」
「お子さまランチ3、豚骨ラーメンギョーザセットで2、チャーハン大盛1ーーッ!」「了解!」
…………
……。
慌ただしくも賑やかな昼の部が終了するのは午後3時。これ以降は夜の部まで食堂は営業休止。夜の分の仕込みと掃除を終わらせたら従業員は暫しの休憩だ。
「聖女様…」
「当宿屋にそのような名前の娘は居りません、お客様。」
折り目正しく父が断る。
にこやかに笑んでいるけど…目の奥は笑っていない──どこまでも虚無だ、虚無が広がっている…。
…心なしか少し怒ってもいるようだ。
優しそうな面立ち、銀の短髪に青目…ハイライトの消えた瞳は何処までも冴え冴えに凍えている。
「ですが教会でそちらのお嬢様──リン・カノワ様が聖女修行を積まれた…、と。そうお聞きしております。どうか」
「お断り致します。宿の営業妨害です、そのような噂を真実のように語られては」
そうそう。
もっと言ってやれ!
私は宿屋の娘──確かに、確かに10歳の頃より教会に「聖女」の素質を見出だされ日夜宿屋の手伝いと聖女の修行を片手間にしていたけれど──…教会からは修行終了後も宿屋の娘を続けていいと言われたし、教会の奥に居なくていい──とのありがた~いお言葉も賜った。
白髪に赤目の美少女、『微睡み亭の看板娘』とは私のこと。
身長140㎝、バストB75㎝、ウエスト42㎝、ヒップ60㎝、靴サイズ21.5㎝の小柄美少女…そんな私は今16歳。まだ身長は諦めていない、絶対伸びる筈…っ!
「今こそ聖女様のお力が必要なのです…ッ!」
「私は必要としておりません。夜からまた宿のお仕事がありますから」
「!!!…どうしても、ですか?」
「どうしても。です。お客様。」
に~っこり。お父さんのアルカイックスマイル炸裂☆
…………うわ、恐ッ!!
お父さん好きだけど…この笑顔だけは恐くて好きになれないわ~。いや、ホント。マジで。
…背後に仁王像と阿修羅王が視える。
お父さんが時々無礼な客と兄弟の下らない喧嘩に仕事のイライラが溜まっている時にお父さん愛用の眼鏡を不注意で壊した時に我が家で度々視られる現象。…正直恐い。チビどもがこの場に遭遇したらオシッコちびってる。
「魔王を倒すべく勇者御一行にパーティーとして参加して欲しいのです…っ!」
「──何故?」
……え゛っ?マジ?マジか~、こいつ。
…。
結界張っとこ~。
ついでに幻術と消音……よしっ!裏行って休憩しよ~。
この間2秒。サッと音もなく従業員入り口から裏庭を通って…家族用の住宅へ。…宿屋と自宅は分かれているのだ、うちは。
消灯時間は夜10時、それ以降は居酒屋帰りの酔客を明日の朝の仕込みをする父と母が見てくれる。
バキッドコッ、ドカッ、バシッバシンッ!
ガシャンッ!ドサドサッ、ダンッ!!
……
…う、うん。私、ナイス~!
結界張ってて良かった~。
心からそう思う。
言い争う──と言うか一方的に“怒り”をぶつけられた騎士の人…大丈夫かな~?生きてる~??
………………
…………よし、何も見てない!私は何も知らないぞ~っと♪
この世界──ううん、惑星と言った方が正しいのかな?──で“聖女”とは魔法を使う時に瞳の中に十字架が顕れる人物の事を指す。女性が「聖女」で男性が「聖人」と言われている。
何故聖女ばかりを贔屓にするのか…教会には聖人である司祭様がいらっしゃると言うのに。ワケワケメ。
大方勇者なるこの国の王子に釣り合うよう、配慮された接待接待パーティーでしょう。
私は!美少女だからな。フフンッ♪
「お母さーん!私のパンケーキ苺マシマシでお願ーい!」
「リン!あんたは…まったく~、ちょっとの距離を頓着するんじゃないよ」
「あはは、めんごめんご♪じゃ。汗流してくるから」
午後のティータイム兼昼食。チビ達のご飯は昼12時に来た近所のお母様連中…、お母さんのママ友が代わりに乳を与えたり、オムツの始末を着けたりしてくれている。
“お姉様”なんて呼ばれて慕われている。
因みにお母さんは綺麗系美人。かわいい系は父方の祖母。私は祖母の隔世遺伝。
黒髪セミロングに赤目の美女である。私の自慢のお母さん。頼れる近所の“姐御”…それが私のご近所さんの総意である。
キッチンにいるお母さんに渡り廊下を渡った所で声を張り上げたわけ。だから、呆れられてる。知ってる、だがそこまでの距離が面倒なんだ…。
因みに家族用の温泉と宿屋の“大浴場”(宿屋の風呂としたらくそ狭いけど)とは別になっている。
屋内と屋外、裏庭に面している小屋みたいな所に「浴場」はあって、家族だけが使用する屋外にある「露天風呂」…裏庭の先は…家族用の住宅、その地下一階に賢者が張ってくれた転移魔方陣がある。そこを渡れば…次の瞬間には風光明媚な山頂、着替えの為の小屋に転移される、と言う訳だ。
さっさっと脱いで、すっぽんぽんで温泉に突撃──する前に掛け湯をして肩まで浸かる。
「はぁ~~、生き返るぅ~~!!」
温度は39℃。適温。私はちょっと温い方が好き。長く浸かってられるから。はあ~極楽極楽。疲れが一気に吹っ飛ぶ感じ。最高だわ~。