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待つという仕事

……………………


 ──待つという仕事



 八代たちがルーノ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーの暗殺に向かっている間、エーデたちは青妖精族(フロスト・エルフ)の隠れ里で待っていた。


 今回の任務にエーデは参加できなかった。八代は彼女を連れて行く必要性を感じず、今回はここでの留守番ということになっていた。


 そこには八代なりの心配もあったのかもしれない。


 今回の任務は成功するかどうかの怪しい長距離移動を伴う作戦であったし、ミラ国内軍と自由エトルリア同盟の最初の合同作戦だった。


 任務が失敗してエーデが死んでしまうことや、仲間内で揉め事を起こして同じようにエーデが殺されてしまうことを八代は恐れたのかもしれない。


「浮かない顔をしているね」


 エーデが自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会の兵士たちが建造した冬を越すための家屋の玄関で物思いにふけっているのに、声をかけてくる人物がいた。


「これはエリス殿下」


 エリスだ。いつものミラ王国王族としての黒いドレスを纏った彼女がエーデの目の前に現れて、にこりと微笑んでいた。


「エリスでいい。そなたは聖女なのだから」


「では、エリスさん」


 エリスが告げるのにエーデが何やら落ち着かない感じでそう告げた。


「お茶でも一緒にどうだろうか? やることはないのだろう?」


「はい。今は何も……」


 エーデはそう告げて暗い表情で俯く。


 ずっとエーデは八代と一緒に戦っていけるものだと思っていた。常に自分は八代の傍にいれるものだと信じていた。一緒に戦い、勇者とともに女神ウラナが求める精霊帝国の打倒という神託を果たすのだと確信していた。


 だが、八代は今回エーデを連れて行かなかった。


「いい茶葉がある。菓子はないが、我慢してくれ。食料事情は逼迫しているのだ」


「分かっています」


 夏と秋の間に獲物を仕留められるだけ仕留めておいた。動物性たんぱく質については何の問題もない。今は干し肉や腸詰にして食糧庫の地下に保存されている。問題は炭水化物などの必須の栄養素の欠如だ。


 自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会が持ち込んだ穀物は急激に増加した青妖精族の隠れ里の人口を賄うにはギリギリであり、今後の食料事情は危ぶまれていた。


 小規模な部隊が出撃し、精霊帝国の食糧庫を襲ったりなどして、食料を集めてはいるがそれだけで本当に冬が越せるのかどうかは分からなかった。


 そんな状況であるからにして、茶菓子など作る余裕はなかった。


「では、こちらに」


 エリスはそう告げるとM14自動小銃を抱えて立ち上がったエーデを連れて、この隠れ里の中で落ち着ける場所である丘の上の小屋を目指した。


 この小屋はエリスの専用の場所で、冬の間以外は彼女はここで物事を考える。これから青妖精族の民をどう導いていくか。ミラ王国はどうすれば再興することが可能なのかを。


「今、茶を淹れよう」


「それでしたら私が」


「いいのだ。そなたは持て成されておいてくれ」


 エリスは暖炉の炎で沸騰させておいたお湯を手に取ると、そこに茶葉を入れ、ゆっくりと蒸した。小屋の中にほんのりと茶葉の香りが漂い始め、エーデは少しリラックスした気分になってくるのを感じていた。


 だが、本当にリラックスすることはできない。ここには八代はいないのだ。


 エリスは十分に茶葉を蒸すと、茶漉しを使ってティーカップにお茶を注いだ。


「この茶葉は」


 エリスが告げる。


「今は精霊帝国に飲み込まれたミラ王国の王都ワルスで栽培されていたものだったのだ。体を温め、風邪などの病気に効き、落ち着ける茶葉として王家ご用達の品だった。ワルスが陥落してから、この隠れ里に持ち込んで栽培を始めたのだが、この茶葉は青妖精族のように逞しく、この決していいとは言えない環境でも育った」


 エリスはそう告げて、エーデを見る。


「そなたも南部の出身のようだが、よくここに馴染んでいるな」


「青妖精族の方々は親切ですから」


 エリスがそう告げるのにエーデは僅かに微笑んだ。


「しかし、それでも待つのは辛いか?」


 エリスの言葉にエーデは沈黙した。


「待つのは辛いものだ。まして待っている人間が戦場で戦っているとなれば、それはより辛いものになる。そなたにはもう分かっているだろうが」


 エリスはティーカップに注がれたお茶に口を付ける。


「妾も多くの兵士たちを、妾の臣民たちを戦場に送り出してきた。彼らが生きて帰ってくるのかも分からないままに。妾にはそなたのように戦う技術も力もないし、たとえあったとしてもコシチュルシュコ元帥たちが戦場に行くことを許しはしまい」


 エリスは今現在、唯一のミラ王国の王位継承者だ。彼女の兄弟たちは死に絶えている。生き残ったのは彼女だけだ。


「そなたもまた待つことに悩んでいるのだろう?」


 エリスはそう尋ねた。


「……はい。ヤシロ様の帰りを待たなければならないということに悩んでいます」


「そうか」


 エーデが正直にそう告げたのにエリスが微笑んだ。


「そなたにとってヤシロ殿は大切な人物なのだな。羨ましいな」


「羨ましい……?」


 エリスの言葉にエーデが首を傾げる。


「妾にとって兵士たちは臣民であり、家族だ。その親しみは恋愛感情ではない。そもそも王族である妾は付き合ってもいい人物というのは限られる。同じ王族か、高位の貴族。妾にとっては恋愛すら政治であるからな」


 エリスはそう告げてエーデに微笑む。


「だが、そなたにとってはヤシロ殿は大切な人間なのだろう。戦友などの垣根を越えた恋愛対象としての大切な人間なのだろう。そなたの様子を見ればよく分かる」


「そ、そんなことは……」


 エーデは自分が八代をどう思っているのか、それは分からなかった。


 八代はエーデと同様に女神ウラナに選ばれた勇者だ。聖女であるエーデが行動を共にすることは当然のことであった。神託にそうあったのだから。


 だが、それだけだろうか。


 エーデは八代のことをひとりの男として見ているのではないだろうか。


 八代はエーデに優しい。過保護すぎるぐらいだ。それでいて、エーデのことを聖女として崇め、距離を置いたりはしない。八代はどこまでも親し気に接してくれている。


 聖女として神託を受けてから様々なことがあった。


 家族と隣人は殺されたそうであり、エーデの目も焼かれた。


 そこに助けに訪れてきたのは勇者である八代だった。


 八代はエーデを救ってくれ、戦うための武器を与えてくれた。彼は恩人だ。とても大切なエーデの恩人だ。


 それをひとりの男性。恋愛感情を抱くことが許される男性として見ていいのだろうか?


「私には分からないのです。ヤシロ様のことは大変お慕いしております。ですが、それを恋愛感情というものに結び付けていいのか分からないのです」


 エーデに恋の経験はない。


 聖女として神託を受ける以前は多くの人間がわざわざ遠方からまで集まって、エーデの美貌を拝見しにやってきていた。だが、その中でエーデに告白するような人間はおらず、誰もが女神像のようにエーデに崇拝の視線を向けていた。


 だから、エーデにはこれが恋なのかは分からなかった。


「エーデ。そなたはヤシロ殿のことを率直にどう思っているのだ?」


 エリスが穏やかな口調でそう尋ねる。


「常にともにいてほしい人です。ともに戦い、ともに勝利し、ともに精霊帝国を打ち破るということを成し遂げたい人です」


「精霊帝国が崩壊してしまえば、別れてしまってもいいのか?」


 エーデが答えるのにエリスが質問を重ねる。


「それは……」


 エーデが声をつまらせた。


「それは嫌です」


 そして、エーデはそう告げる。


「それはやはり恋人のそれだよ。妾は読書の中でしかそれを知らぬが、そういう思いがあるのは恋人を思う気持ちの証だ」


「そうなのでしょうか……?」


 エーデはエリスのように恋愛小説など読んだことはない。彼女は閉ざされた村にいて、閉ざされた知識しか知らない。


 村の中で婚姻が行われることはエーデも見てきた。着飾った花嫁が花婿とともに村の人間に祝福される様子は見てきた。だが、そのほとんどはお見合いでの結婚であり、男女が出会って恋を重ねて結婚するものではなかった。


 仮にそういうものがあったとしても、エーデには知りようがない。エーデが見るのは華やかに行われる結婚式だけなのだから。


「あなたが本当に戦いのためだけにヤシロ殿とともにいたいのならば、戦いが終わった後はどうでもいいはずだ。そうでないということは、それは戦いのためだけという訳ではないということだ。そなたは聖女と勇者という関係だけではなく、それ以上の関係を欲しているということだ。そして、それは往々にして恋心と呼ばれる」


 エリスはそう告げる。


「男女の間にそういうものが生まれることは何もおかしなことではない。むしろ、健全だと言っていいだろう。切っ掛けが聖女と勇者というものであったとしても、それが進展して恋心になったとしても、それはよくあることだ」


「私は……」


 エーデは自分が八代のことをどう思っているのか分からなかった。本当に男女としての恋愛感情だとこの気持ちを呼べるのか。


 エーデが八代から離れたくないのは、女神ウラナの神託のためだと思っていた。聖女は勇者とともにあらなければならない。その神託のためだと思っていた。


 だが、エーデ自身もそれだけではないことは分かっていた。


「私はどうするべきなのでしょうか?」


 エーデは辛うじてエリスにそう尋ねた。


「それを私に問われてもな」


 エリスはそう告げて苦笑いを浮かべる。


「そなたはそなたの望むままにやるといい。その思いのままに行動するがいい。その好意が本物であるという確信があるならば、そうするべきだ。やらずに後で後悔するよりも、やってから後悔した方がずっといい」


「そういうものなのですね」


 エリスの言葉にエーデは小さく頷いた。


「何事も挑戦あるのみだ。そなたが戦闘に臨むように果敢に挑むといい」


「頑張ります」


 エーデは決めた。後悔のないようにしたいと。


「しかし、どうしてエリスさんは女王にならないのですか?」


「ああ。そのことか」


 エーデが疑問に思ったことを尋ねるのに、エリスが頷く。


「代々ミラ王国の王族はワルスの丘にて戴冠式を行う。だが、今やその丘は精霊帝国の手にある。戴冠したくともできないのだ。一時でもワルスの丘が取り戻せればいいのだが。そうすれば妾がお飾りだったとしても、それなりの役には立つはずだ」


 ミラ王国の国王が戴冠式を行う場所は決まっていた。


 それはかつての王都ワルスの東に位置する丘の上で、その丘で代々戴冠してきた過去の王族たちと、それを支えてきた臣民たちに敬意を払って戴冠式は行われる。


 それ以外の場所で戴冠はできない。それはミラ王国の権威というものを著しく損なうがために。ミラ王国の王族は必ずあの丘で戴冠しなければ、それは国王とも女王とも呼べるものではなくなるのだ。


「その丘、取り戻せるといいですね。いや、取り戻しましょう」


「そうだな。一時的にでも奪還できればいいのだが」


 彼女たちはそう言葉を交わし合い、待った。



 自分たちの大切な人たちが無事に帰ってくることを。



……………………

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