彼女が望むのは静かな時
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──彼女が望むのは静かな時
夢を見た。
中央アジアの夢だ。
我々があのアジアの戦争を勝ち抜くために張り巡らせた陰謀と、その後片づけが行われているときの夢を見た。
あのアジアの戦争で日本情報軍は敵の足を引っ張るということに古典的な手段を使った。むしろ、古典的な方法しか我々には残されていなかったのだ。巨大な敵の軍隊と正面から戦うことは論外だった。それは下手をすると全面核戦争すら招きかねない。
だから、我々はそうならないように敵の足を引っ張る手段を考えた。彼らの脆弱な中央アジアという方面において、民族主義・宗教原理主義・民主運動を掲げる人々に武器を与え、敵に叩きつけたのだ。
その作戦の名前がシュライク作戦。ソ連のアフガニスタン侵攻時にアメリカが実行したサイクロン作戦と同じようなもの。その拡大的多国籍版とでも言うべきか。チャーリー・ウィルソンと愉快な仲間たちの戦争。
911で我々はすっかりその手の行為を反省したはずなのに、結局のところ我々は敵対的組織を倒すのにまた軍閥とテロリストを利用したということ。もはや、シリアにおける軍事支援で枷は外れていたのだから、後はどれだけ上手くやるかだった。
日本情報軍、オーストラリア情報軍、そしてアメリカ情報軍は上手くやった。実に上手くやったとも。中央アジアでは憎悪が溢れ続け、中国内陸部には殺戮の嵐が吹き荒れた。アメリカ情報軍を中核とするシュライク作戦実行部隊は、中国内陸部の不満を持つ住民たちを中央アジアで武装させ、訓練し、中国へと送り返した。
その効果は面白いほどに上がっていた。人民解放軍は戦力を、主戦線である太平洋方面から中央アジアに抽出しなければならず、アジア太平洋合同軍による上海上陸を阻止できなかった。あの作戦で流れた血が比較的少なかったのは、中国内陸部で我々の代わりに血を流してくれていた民衆たちがいたからだ。
東トルキスタン解放戦線、チベット自由運動、エトセトラ、エトセトラ。我々日米豪情報軍は戦う気力があり、兵士となれる若い人間がおり、それでいて中国中央を憎んでいる人間がいればどんなならず者にだろうと支援を与えてきた。
その結果の混沌。
戦争が終結した後も混沌だけは残った。
オスロ和平会議の結果、調印した関係国家は中国の内陸部における主権回復を妨害しないという条文にサインしたため、これまで支援を受けてた軍閥とテロリストたちは、あっという間に日本にとっての敵に変わった。それは裏切りだったのだ。
裏切られた彼らは新宿駅で銃を乱射し、駅を爆破した。日本の戦後史上最悪のテロが新宿でおき、それに対するテロとの戦いのために戦争終結後も混沌とした様相を成している中央アジアに日本陸空情報軍は派遣された。
偉大なる勝利を得た戦争の後片付け。全く以て日本情報軍にはこの手の仕事が似合っている。国家にとっての栄光も何もない汚れ仕事こそ日本情報軍の仕事ではないか。これ以上に我々に似合った仕事があろうものか。
そして、俺はその混沌とした大地で、混乱の渦巻く世界で最初の戦友を失った。
名前は……。
「八代大尉。何をぼけっとしているんだ?」
声がする。女性の声だ。
俺はその声に振り返った。
「相変わらず死人か生者か分からないような面をしているな、八代大尉」
日本情報軍の2030年代におけるドレスコード。環境適応迷彩である迷彩服5型。磁性流体とケブラー繊維の組み合わせによって高い防護能力を有する防弾チョッキ4型。傷口の応急手当てを自動的に行ってくれるナノスキンスーツ。そして着用者の身体能力を何十倍にまで増幅させる強化外骨格。
それを纏った女性がHK416自動小銃を抱えて立っていた。
「君は、鈴谷加奈か」
「戦友の名前すらも忘れちまったかね?」
俺が問うのに、女性はけらけらとからかうように笑った。
「ああ。忘れてしまったよ。死んだ人間の名前など」
「確かに死人とは忘れ去られるべきものだ」
俺がそう告げるのに鈴谷の左目から血が滴り落ち始めた。
彼女を屠ったのは我々が訓練し、その後諸事情あって敵に変わった子供兵がカラシニコフから放った7.62x39ミリ弾で、それが左目を潰し、眼孔を抉っていき、最終的に脳に達したことによって彼女は死んだ。
彼女は俺が最初に失った戦友であり、部下だった。
「だが、あんたは本当に忘れ去れるつもりがあるのか? 未だに引き摺っているんじゃないのか。中央アジアのあのくだらない戦争の記憶を」
「そうかもしれないね」
俺が病的に混乱にこだわるようになったのはいつからだっただろうか。俺が混乱の中に、奏でられる戦場音楽の中に、立ち上る異臭の中に、人が人を殺す憎悪の中に己の存在意義を見つけたのはいつからだっただろうか。
それは鈴谷が死んでからではなかっただろうか。
「死人と喋るのも気が滅入る。もっと明るい話題はないものかな」
「死人と話すのに明るい話題もあるものかい。あんたがすっかりと忘れ去ってしまえばいいのさ。ナノマシンに弄られた脳みそならば、こんな嫌な思い出のひとつやふたつは簡単に消してしまえるんだろう?」
「そこまで簡単ではないよ」
人間の記憶を消し去るということは難しい。一度定着した記憶を排除するのはナノマシンにとっても難題なのだ。
日本情報軍は兵士たちが戦地でショッキングな光景に出くわしても、それに衝撃を受けることを阻止し、そのことで記憶に残ることを阻止しようとした。実際のところ、それは上手く機能していた。兵士たちはゲームでもしている気分で戦場を歩き、戦地にあるグロテスクで衝撃的な死などバックグラウンドミュージックのように聞き流していた。
──それが同じプレイヤーである味方の側に降りかからなければ。
鈴谷は俺の目の前で死んでくれた。彼女の眼球にライフル弾がめり込む瞬間を俺は見てしまっている。俺はナノマシンによって制限された感情の中で素早く子供兵に向けて銃口を向け、2回引き金を引いてその頭を弾き飛ばした。
それからはフラットなはずであった。俺は鈴谷の死体を運び、ティルトローター機に乗せ、それが飛び去るのを眺めた。涙のひとつも出やしなかった。
「君はいい奴だったのに、俺は薄情だったのだろうか」
鈴谷は冗談が面白く、国家への献身もそれなり以上のものであり、人好きのする性格をしていた。俺は個人的に彼女と話し、彼女の価値観に共感したこともある。ことに共通の趣味である2010年の非VRコンピューターゲームについては盛り上がれた。
我々はいろいろとレトロな趣味をしており、海外のダウンロード販売プラットフォームを通じて懐かしい雰囲気のするゲームを送り合っていた。陳腐なコンピューター・グラフィックス、頭の悪いAI、難しすぎる難易度設定。そういうくだらないものが我々は大好きだったのだ。
たとえ相手が日本情報軍情報保安部の密告者であったとしても、その点だけでは我々は打ち解けていた。
「それがあんたの頭の中のナノマシンが下した結論だったんだろうさ。レトロゲーを語る友人のために涙を流すよりも、フラットでいた方がいいという判断」
「そうだとすれば、我々の頭の中を弄繰り回して仕切っているナノマシンのAIは、我々が遊んだゲーム以下かもしれないな」
俺はこうして戦友の死を受け入れられないままにここまで来た。
何度もナノマシンの調整は受けたが、こういう夢を見ることは止まらない。
「さて、そろそろ目覚めの時間だ。目覚まし時計が鳴り出すぞ。あんたは生きて、生き抜くことだ。可愛い彼女もできたんだろう?」
「エーデか」
俺はエーデをどう思っているのだろう。
仮初めの同盟者? 戦友? それともひとりの少女?
いずれでもない気がする。
「起きろ、兵隊。仕事の時間だ」
鈴谷はそう告げ、俺の目はゆっくりと開いた。
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俺が目を覚ましたのは純粋に夢のためであったらしい。
周囲の人間はまだ眠っている。
俺の頭の中のナノマシンが俺の中枢を刺激し、メタンフェタミンにも似た興奮作用で目が冴えわたる。ここ数年、コーヒーを飲んだ記憶がない。今更、カフェインの刺激程度では目が覚めない体になっているだろう。
「時刻は0430」
朝の出発は0530だ。そこから正午まで小休止を挟みながら歩き続ける。朝の食事は固く焼いたパンとお湯、それからビタミン剤。育ち盛りの子供たちには辛い食事だが、今は大盤振る舞いをしているような余裕はない。
「ヤシロ様。起きられましたか?」
俺はそんなことを考えているとエーデが声をかけてきた。
「ああ。君も随分と早い目覚めだね」
「アティカ様から他の女性たちと一緒に水浴びをしようと誘われていましたから。今、終わったところです。ここら辺には敵がいないので安心できますね」
エーデからはほんのりと石鹸の匂いがする。
「それは良かった。機会があるならば体は清潔にしておいた方がいい」
「そうですね」
エーデはにこにこと俺の方を見てくる。
エーデも俺の目の前で死ねば、鈴谷のように夢に出るようになるのだろうか。俺は片目が撃ち抜かれたエーデを想像して身震いするのを感じた。
「ヤシロ様? ご気分が悪いのですか?」
「いや、夢見が悪かっただけだよ」
人はいつになったら夢までもを自在に操れるようになるのだろうか。
「そろそろ皆が起き出す時間帯だ。水を汲んで来よう」
「水なら先ほど水浴びをしたときに近くで汲んでおきましたよ。ここら辺の水は雪解け水だそうで、とても清らかです。お湯を沸かす必要もないかもしれません」
「そうだね。だが、お湯がなければあの固いパンは辛いだろう。火を起こそうか」
俺は事前に用意しておいた薪にマッチで火をつけ、ゆっくりと大きな火にして行く。火はある程度強くなければならないが、強すぎてもいけない。大きすぎる火は大きな煙を出し、精霊帝国側に発見される可能性を上げる。
それにこの暖かくなってきた朝に強い焚火は必要ない。燃料も貴重な資源だ。
「ヤシロ様、どうぞ」
「ありがとう、エーデ」
俺はエーデから器を受け取ると、そこに水を満たし、焚火にかける。パチパチと焚火の音が静かに早朝の森の中に響き、静かに時が流れる。
「静かですね」
「静かだ」
逃避行というものは損耗するものだが、エーデはそういう気配を全く見せない。聖女としてそういう風に務めているというわけでもなく、ただただそうあるだけ。彼女は見せかけではなく、実際に疲弊していないし、逃避行を苦痛だとも思っていない。
他の指導者たちはそうでもない。
バルトロたちはこの逃避行で脱落者がでることを気に病んでいる。実際のところ、脱落者は静かに出始めていた。途中で行方不明になった人間は既に30名ほどいる。彼らが崖などから転落したのか、それともまだ終わりの見えない逃避行を前に逃げ出したのかは知る由もない。
それでも問題はない。この逃避行では最大で200名の脱落者が予定されている。彼らには目的地は告げられておらず、目的地を知っているのは幹部のみ。彼らが精霊帝国に捕らえられても、大きな問題になることはない。
それでもバルトロたちは気を悩ませている。家族も同然だった仲間たちがいなくなることに、ファミリーの情報を知るものたちがいなくなることに、革命の同志たちがいなくなってしまうことに、それぞれの指導者が悩んでいる。
だが、そういうときはエーデを見ればいい。
エーデには迷いも悩みもない。どんな困難だろうと朗らかな笑みを浮かべている彼女を見れば、人は安堵するだろう。彼女はそういう意味でも聖女だ。
「精霊帝国が崩壊すれば、ずっとこんな静かな日々が過ごせるのでしょうか」
「君が望むならばそうなるだろう」
いいや。そうはなりはしないとも。精霊帝国が崩壊すれば、各地で抵抗運動が軍閥化し、そこら中で争うだろう。そして、そんな軍閥たちは自分たちこそが正当な抵抗運動であったということを示すために君を求めるだろう。
ここから逃げ出さない限り、君に平穏はないよ、エーデ。
「そうなるのが待ち遠しいですね。私たちの苦労が認められて、世界が平和で静かになる日のことが。そこで私はやっと女神ウラナ様の神託を果たせたと思えるのです」
神託か。
ある意味では女神ウラナは俺にも神託を与えている。精霊帝国を転覆させてくれと。
だが、その神託には見返りがある。地球における何不自由ない生活というものが保障されている。そうであるがために俺は戦うことになっている。
だが、エーデには? 彼女には何かの見返りがあるのか?
何もないのではないのかという疑問が過る。女神ウラナはエーデに何を約束したのだろうか。恐らく見返りは何も約束していないのではないのだろうか。
英雄というものは死ぬまでこき使われ、死んでからも利用されるものだが、エーデもまたそうなのだろうか。やはり英雄などどうしようもない称号だ。
「静かな時が過ごせるといいね」
「ええ。本当に」
俺はエーデにそうとだけ告げ、エーデは微笑んだ。
「さて、お湯が沸いた。みんなを起こそう」
静かな時は君が死んだときだけだよ、エーデ。
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