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故郷を捨てて

……………………


 ──故郷を捨てて



 黒書騎士団が南部属州に入ったという知らせを受けたのは、我々が“大脱出”を始めてから4週間後のことであった。


 そのことから分かるのは黒書騎士団の反乱鎮圧行為というものはお粗末だということ。あのルンビニ公国全土で対反乱戦を繰り広げるならば、とてもではないが4週間などという日数で反乱が鎮圧できるはずがない。


 恐らくは主要な都市と村落を焼いてそれで終わりというところなのだろう。ルンビニ公国に潜んでいる残地諜者は今のところ何の行動も起こしていない。ただ、見たままの光景を報告してきている。


 あの都市が焼かれた、あの村が焼かれた。


 入ってくるのはそう言う情報ばかりだが、その情報が裏付けとなり、黒書騎士団が都市を焼くだけで満足しているという推測の裏が取れていた。


「敵は順調に事を進めているつもりだろう」


 俺は道中の野営地でそう告げた。


 場所は既に南部とティベリア藩王国との国境線まで来た。


 ここから北東に向かい続ければ東部山岳地帯に辿り着く。


「実際に順調なんじゃないのか。敵はルンビニ公国を焼き払い、次に南部も焼こうとしている。今の俺たちにはどうすることもできない」


 ルンビニ革命議会のマルコムが悲観的な意見を告げた。


「そうだな。今の我々にできるのは逃げることだけだ。民衆を弾圧から救うための抵抗運動レジスンタスだというのに」


 バルトロもこれからの南部を思ってから、そう告げる。


「いいや。安心してもらいたい。敵は適切な弾圧を行っているわけではないのだと。敵は目についた大規模な都市を焼いているが、それだけだ。そこから逃げ出したものを追う様子はない、辛うじて敵から逃れた者たちは山林で生き延びている」


 どうにも精霊帝国のこの弾圧は狙いが異なるような気がしていた。


 精霊帝国の戦力である黒書騎士団は、都市や農村を焼き払えど、そこまでだった。遠方に逃げ去った民衆を追撃する様子もないし、まして皆殺しにしようともしていない。そうしていたのは最初の間だけで、カルナック市を派手に燃やし、いくつかの都市を同じように燃やした後は、おざなりの攻撃しか仕掛けていなかった。


 恐らくは最初の攻撃で衝撃と畏怖という目的が達成できたのだと考えたのだろう。


 事実、あの冷酷無比にして、膨大な火力を発揮した黒書騎士団を前に逆らおうと思うような人間はまれであり、多くの民衆は戦意を喪失して逃げ去った。


 抵抗運動の中でもルンビニ革命議会はこれ以上黒書騎士団と戦っていけるかということがマルコムとの話し合いで、疑問に感じているのが分かる。


 民衆は震え上がった。ならば後は都市や様々な設備を焼き、利用不能にして降伏を強い、一からやり直そうではないか。


 それが精霊帝国の方針なのだろう。


 悪くはない理性的な虐殺だ。場当たり的に都市と民衆を焼いているわけではない。


 やはり労働力としての下層民は必要とされているのだろう。ここを治める貴族たちから、どうか関係のない下層民は殺さないでくださいとでも相談があったのだろうか。奴隷とてただではない。この度の抵抗運動レジスタンスの蜂起によって経済的に打撃を受けた貴族たちにとっては奴隷としても安い資源ではないはずだ。


 下層民は奴隷として生かされる。これまでも、これからも。


 だが、そう簡単にいくかな?


 下層民たちも学習した。貴族は決して殺せないものではないと。精霊帝国の支配は絶対ではないと。自分たちが自由を手にするのは完全に不可能なわけではないのだと。


 あえて寛大な処理をしたことに対して、民衆はどう感じるだろうか。精霊帝国の寛大さに感謝するだろうか。それとも精霊帝国の支配は緩んだと見るだろうか。今の民衆ならば寛大さに感謝したりはしないだろう。彼らは本当の自由を知ったのだから。


 抵抗の芽は残り続け、それは黒書騎士団の弾圧が緩んだ時に爆発する。


 それが反撃のチャンスだ。


「とは言うが、黒書騎士団に逆襲するならば何も後でなくともよかったのでは? 奴らが入り込んできたタイミングで仕掛ければよかったのだ。そうすればあのような膨大な量の難民が南部に押し掛けるようなこともなかった」


 バルトロがそのように指摘する。


「それではダメなのだ。我々は黒書騎士団の実際の戦力を知らなかったし、それに加えて黒書騎士団という精霊帝国最大戦力を即座に叩き出すというのは、精霊帝国による膨大な規模での反撃を招く恐れがあった」


 精霊帝国にはこちらの戦力を誤認してもらわなければならない。


 我々の側に彼らと渡り合っていくだけの能力はないと思い込んでもらわなければならないのだ。我々も彼らの戦力というものを把握していないがために。


 黒書騎士団に即座に反撃することは不可能ではなかっただろう。地雷などで待ち伏せ、火力を叩き込めば、黒書騎士団はその絶大的火力を発揮する前に全滅だ。それによって得られるものとは精霊帝国の怒りだ。


ふたりの精霊公に加えて、黒書騎士団までもが壊滅したとあっては、精霊帝国も本気にならざるを得ないだろう。今の黒書騎士団が行っているような隙のある弾圧ではなく、徹底的な弾圧が成されるはずだ。そうなれば我々が築いてきたものは完全に失われる。


 そうならないようにするためにも、精霊帝国にはこちらの戦力を誤認してもらわなければならない。黒書騎士団が何もできずに壊滅したのではなく、黒書騎士団は善戦したものの勝利に叶わず撤退を強いられたというとふうに。


 そうなれば精霊帝国側の対応も変わってくる。黒書騎士団を投入したことで、敵はそれなりの損害を受けた。何もこれから先帝国の全戦力を投入しなくとも勝利できることは分かった。そうであるならば無理をすることはない。警備を強化するに留めよう、という具合に。それこそがこちらにとってもっともありがたいことである。


 戦力の逐次投入を相手に行わせる。投入した戦力は各個撃破されて行き、気づいたときには帝都シオンが抵抗勢力の手で包囲されている。それこそが理想だ。


「我々はこの逃避の間も、ルンビニ公国と南部に注意を払う。敵が撤退に向けて動いたという情報があればすかさず帰還し、民衆を解放する。決して敵の正面戦力とは戦わない。以上だ。何か質問や異論はあるかな?」


 俺はそう告げて集まった人間を見渡した。


「異論はない」


「私もだ」


 マルコムたちが頷いていく。


「では、進み続けよう。長旅になるが、幸いにして我々には強い味方がいる」


 俺はそう告げて我々の装備と物資を運んでいるものを見る。


 それは8脚のロバのような体をした機械だ。スレイプニルという神話の存在が存在し、それがロバであったならばこのような見た目をしてるだろうというものであった。


 体表は環境適応迷彩になっており、頭に位置する部分には各種センサーモジュールが包まれている。アメリカ軍はこれを“ドンキー”という名目で、山岳戦などにおける荷物運搬機材として採用し、日本情報軍も陸軍の導入と同じくして多地形動力荷物運搬機としてこれを採用していた。


 元々はあのよくインターネットに動画の掲載されていた蹴られても転ばないロボットを先祖に持つもので、それがよりスマートになって戻ってきた。


 8本の足は人工筋肉であり、機体そのものはそのサイズに比べて極めて軽量で、さらに都合がいいことにこれはバイオマス変換機能が搭載されている。このロボットはロバたちがそうするように草木を食み、それを体内のナノマシンが分解、必要な栄養素を人工筋肉に行き渡らせる。それによって驚異的な活動時間を有している。


 強化外骨格エグゾの人工筋肉にも栄養素を与える場所がついており、そこから有機燃料を放り込むのだが、このロボットの場合は専用のそれでなくとも構わないのだ。故に今回の逃避行にはこのロボットが10台導入されている。1台に付き、5トン。物資を運ぶにはこれ以上にないほどタフな仲間だ。


 このロボットならば切り立った崖でも本職の山羊のように移動できるし、障害物の多い森の中もすいすいと進める。環境適応迷彩機能もあるので、敵に発見される可能性も低い。武装がないのが玉に瑕とも言えるが、その装甲は拳銃弾程度であれば弾く。


 この文明の利器のおかげで、我々はエジプトから脱出するユダヤ人や、長征に打って出た紅軍のような先達たちのごとき苦労はしないで済むわけである。これだけでも撤退はかなり楽になったであろう。


「私にはあれが神によってもたらされたものなのか、それとも悪魔の産物なのか理解しかねるよ、ヤシロ」


「神の与えた恩恵だ。そう考えておくといい」


 人工筋肉は遺伝子改変した海洋哺乳類から生み出されたものだが、そんなことを気にしている地球の人間はいない。宗教家たちも、環境法活動家たちも、もはや人の手が加わりすぎてしまった遺伝子改変種キメラをどう扱うべきか分からなかったのだ。


 ただ、これは非常に便利である。それだけだ。


 人工筋肉は失われた手足になり、社会を支える輸送インフラとなり、戦場を支える強化外骨格となった。それは確かに社会に貢献している。無駄な死ではない。


「では、進みましょう。東部山岳地帯に向けて」


 エーデは立ち上がってそう告げる。


「ああ。進むとしよう」


……………………


……………………


 我々は装備の大半をロボットに任せていたこともあり、身軽に山林を越えた。


 それでも疲弊は溜まるし、自分たちの故郷がどうなっているかという不安はある。


 おいてきた知人たちは無事だろうか。残ることを選んだ戦友たちは無事だろうか。


 彼らは毎晩2000(ニイマルマルマル)に残置諜者が報告を送ってくるラジオの前に集まる。残置諜者は今日はどこの都市が攻撃を受けたとか、恐らく何千名が殺されたとかいう情報を送ると同時に、貴族たちへの反撃の成否について報告する。


 今のところ攻撃は上手くいっているようだ。エンフィールド銃でも射程はそれなりであり、狙撃することは不可能ではない。残置諜者たちはエンフィールド銃で黒書騎士団の騎士たちを攻撃し、それを嬉しそうにラジオで報告する。


 もっとも、攻撃は推奨されていないものだ。残置諜者に求められているのは情報の収集であり、貴族の暗殺ではない。残置諜者は80名ほど残してきており、それらがツーマンセル(2名1組)で40組活動している。40組。ルンビニ公国と南部でたったのそれだけだ。心もとない戦力であることは分かり切っている。


 それが交戦によって失われ、情報網に穴が開くと、こちらはいつ反撃に転じていいのか分からなくなる。それは問題だった。我々の本命の攻撃とは、大戦力を引き連れて、引き上げかけた黒書騎士団に打撃を与えることにあるのだから。


 しかし、彼らの気持ちが分からないわけでもない。


 目の前で自分たちの縁のあった都市や村が焼かれていくのは苦しいだろう。焼かれていく彼らの代わりに一矢報いてやろうと思うだろう。俺の施した短期の訓練では、そのような個人的な感情を消し去ることはできなかっただろう。


 攻撃の是非はさておき、攻撃成功のニュースは逃げるだけで希望のない我々に希望を与えてくれる。兵士たちはまたひとりの黒書騎士団の騎士が葬り去られたという知らせに歓喜し、この森の中の野営地で歓声を上げている。


 このまま攻撃が続くならば黒書騎士団側も、攻撃への対処に乗り出すだろう。そうなると残置諜者が狩り出されてしまうので好ましくはない。


 彼らには攻撃を可能な限り控えるように命じておかなければ。


 それはそうと4000キロの長い道のりも今日で半分を消費した。


 我々は戦闘員の若い男たちだけではなく、その家族の女子供まで連れているので、1日に移動できる距離は30キロほど。これが街道が使用できたりすればもっと速度は上がるのだろうが、あいにく街道は監視されているので、利用できるのは夜間だけだ。


 その夜間もはぐれたりするといけないので、結論として、街道を利用しての移動はできない。


 先遣隊として少数の精鋭だけを先に送り込んでいるのだが、そちらは既に東部山岳地帯に辿り着いている。今は潜伏して情報を集めることに徹していた。


 それによれば現地の気温はやや低いものの人間の活動できない範囲にはない。だが、東部山岳地帯一帯に精霊帝国の雇った傭兵たちが警戒の視線を走らせており、それを潜り抜けて、東部山岳地帯に忍び込むのはなかなか難しい。また、付近に村落はなく、自分達で食料が確保できていなければ、食料事情は極めて危機的になる。


 そのようなことが報告されてきている。


 気温が活動に適しているのはいいニュースだ。山林の気温は下がりやすいので、この点は問題であった。それが解決されているのは好ましい。人が暖を取る燃料というものも馬鹿にならないものであるのだから。


 だが、精霊帝国の傭兵というニュースはあまり好ましい知らせではない。この逃避行は全く戦闘を想定していないわけではないが、なるべくならば戦闘は避けた。というのも、我々は多くの非戦闘員を抱えており、それを抱えたまま大規模な戦闘をするのはぞっとするというところだ。


 それからやはり問題となるのは食料。


 食料が調達できないことは東部山岳地帯を目指した時から分かっていた。周囲には農業に適した土地はなく、近くに農村などはなかった。


 東部山岳地帯は開拓中であるというが、その開拓がどこまで進んでいるかは疑問なところであった。鉱山業を発展させるにせよ、鉱山労働者に食料を供給する必要はある。そのための交易都市はあるはずだ。これがなければ、精霊帝国には東部山岳地帯を開拓するつもりなどさらさらないということを意味すると言っていい。


 さて、これから物語はどう転がることやら。


 俺は自由エトルリア同盟の兵士に夜中の見張りを交代すると、ポンチョの上に横になった。春の陽光から夏の日差しに切り替わりつつある中でも、夜は静かで涼しい。


 俺は僅かに数秒でナノマシンに管理された眠りの中に落ちていった。


 俺はまた中央アジアの夢を見た。



 偉大な先人の壮大な後始末に追われる中央アジアの夢を。



……………………

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