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故郷からの脱出です

……………………


 ──故郷からの脱出です



 精霊帝国の反撃が始まり、それは多くの難民を生み出した。


 都市が、村が焼かれるという情報を知ったルンビニ公国の民衆たちが、こぞって南を目指して脱出を始め、街道はその難民で覆い尽くされている。飢えを耐え忍んで歩き続ける男たち、子供だけでも連れて行ってくれとまだ歩ける者たちに頼む母親。そういう悲痛なドラマが街道では繰り広げられていた。


 だが、南部に逃げ込んでも安全なわけではない。黒書騎士団は南部にも狙いを定めているのだから。ルンビニ公国を焼き終えれば、次は南部だ。


「凄い数の難民……」


 この状況を報道するべくやってきたペネロペは目の前の光景に唖然としていた。


 難民の列はルンビニ公国から南部に伸びる街道を覆い尽くしている。ある程度の荷物を持った難民もいれば、着の身着のままの難民もいる。馬車は途中で破壊されたか、燃料や食料に変えてしまったらしく、馬車はない。


 皆が徒歩でそれぞれのペースで南部を目指している。そこに救いの大地があることを信じているかのごとく、一歩一歩と彼らは前進する。


「南部に来ても状況は同じなのに……」


 ペネロペは思わずそう告げた。


 そうだ。南部に来ても同じだ。ここはシリアの難民たちが目指した安息の地ヨーロッパではない。ここも精霊帝国の一部であり、ルンビニ公国での掃討戦が終われば、黒書騎士団がルンビニ公国と同じように攻め込み、燃やし尽くさんとする大地なのだ。


 彼らはどこに行っても救われることはない。


「ねえ。ヤシロさん。彼らも東部山岳地帯に連れて行けないかな?」


「無理だな。彼らはここに来るまでで疲弊している。それをさらに東部山岳地帯まで向かわせるのは至難の業だ。既に食料の手配なども終わっており、これ以上東部山岳地帯への脱出者を増やすわけにはいかないんだよ」


 食料の準備は完了している。それは既に先遣部隊によって東部山岳地帯を目指して輸送中だ。途中までは馬車を使い、途中からは徒歩で、東部山岳地帯の安全だと判断された場所まで食料は輸送されて行っている。


 それが今になってこれだけ大量の、それも疲弊した難民を抱え込むわけにはいかない。そのような余裕はルンビニ革命議会にも、自由エトルリア同盟にもないのだから。


「そっかー。せめて、彼らがこの地で生き延びられることを祈るしかないね」


「そうだな。祈るしかない。幸いにして季節は春だ。山に入っても凍死することはない。山の中に隠れていれば、いつかは精霊帝国の報復も終わるだろう」


 これが極めて楽観的な意見であることは俺自身がよく理解している。


 これまで都市で暮らしていたような難民が、山の中で生き延びるすべを獲得できるとも思えない。仮に生き延びられてたとしても、終わりの分からない精霊帝国の弾圧の中では精神が持たないだろう。そうなると人は群れようとする。


 群れてしまえばそれは発見のリスクを上げるだけだ。群れで生活する人間というのは、その音や排泄物の不始末から発見されやすくなる。そうならないように特殊作戦部隊では訓練を受けるが、ここの難民がそれを知っているとは思えない。


 犬でも放たれれば、碌な隠密行動の訓練を受けていない彼らは発見され、結局は精霊帝国に焼き殺されることになる。精霊帝国がもっと攻撃的であり、大自然の喪失を恐れないのであれば、彼らは森ですら都市と同じように焼くだろう。


 難民の未来は決して明るいとは言い難い。


「でも、難民たちへの補助は行うんだよね?」


「補助、と呼ぶのが正しいのかは分からないが、弾圧の速度を遅らせることはするつもりだ。そのために訓練は既に施してある。精霊帝国に対する欺瞞作戦の一環だ。我々が何を使って貴族たちと戦っているかを誤認させる」


 この難民の流入と進む脱出作戦の中で、ひとつの情報戦が動いていた。


 気取った作戦名はない。ただの情報戦のひとつだ。


 それはこちらが使っている武器を誤認させることにある。


 我々が使っているのは東側の現代的銃火器だ。速射性が高く、威力も高く、射程も長い。それを使ってこれまで精霊帝国の軍隊を攻撃し、貴族を殺してきた。


 だが、ここに残すことになる残置諜者については異なる装備を与える。


 彼らに与えられるのはいざという時に通信機を破壊するための焼夷手榴弾。そして、なんと古式ゆかしいエンフィールド銃だ。そう、前装式のライフル・マスケットこそが、残していくことになる彼らと彼らの協力者に与えられる武器だ。


 精霊帝国がよほどの間抜けでない限り、残置諜者は捕虜になるだろう。だが、残置諜者はルンビニ公国から脱出する戦力についてその行き先を知らないものが選ばれている。拷問されても話すことはない。


 そして、精霊帝国が抵抗運動レジスタンス側がどのような兵器を使っているのだろうかと関心を抱いたときに見つかるのがエンフィールド銃というわけだ。


 精霊帝国はその速射性のなさとシンプルさからこちらの戦力について「魔力で押し切ることは十二分に可能」という結論を下すだろう。それが狙いだ。


 こちらの戦力について正確な把握を阻止する。敵には間違った情報で行動してもらう。それこそが今回の情報戦の目的である。


 これまで散々、こちらは銃という武器で勝利を手に入れてきたわけだが、敵が銃について正確な情報を入手することは避けたい。カラシニコフの1丁でも鹵獲されることは避けたい。まだこちらが銃によって魔術師を殺しうる可能性があることは秘めておきたい。


 これまで銃を使った戦いで生き延びた貴族は教会騎士団の貴族くらいだ。それもズタズタにやられている。彼らの報告を聞く者たちは、そのことにバイアスをかけ、彼らは責任を逸らすために敵の戦力について過剰報告しているのではないかと疑う。


 そして、発見されるエンフィールド銃がその意見を補強するわけだ。


 全く以て、味方まで餌にするとは我ながら酷い作戦だ。


「少しでも助かるといいですね、難民の人たち」


「そうだね」


 俺は難民が全て助かるとは思っていない。


 だが、彼らの怒りが我々に向くことだけは避けたかった。現地住民の支持を失ってしまえば、ゲリラ戦は継続できない。


 難民や住民が何万と殺されても構わないが、彼らには解放への希望を抱いてもらい、その怒りは精霊帝国に向けてもらわなければならない。そのための宣伝工作はある程度の戦力が残留することの決まったリベルタ砦を中心に行われる予定だ。印刷機も分解して、リベルタ砦に運び込んである。技術者とともに。


 この南部とルンビニ公国に暮らす下層民たちには、決して解放の日が来ないと思わずに抵抗心を持ち続けてもらい、我々が反撃に転じれば、それを支えてもらいたい。


 そのための下地は作ったつもりだ。土の精霊公ゲルティ・フォン・マントイフェルと風の精霊公ユーディト・フォン・ファルケンホルストの殺害を以てして、南部とルンビニ公国の民衆には、精霊帝国の支配から解放されたという一時的な安息を与えた。


 それを知っていれば、自分たちがようやく勝ち取った自由がむざむざと踏みにじられることをよくは思わないだろう。第一次世界戦後に独立したポーランドにおいて、その自由のための多くの人間がレジスタンス運動に身を投じたように、ここの民衆もようやく勝ち取った自由のために戦ってもらわなければ。



 その自由が血の味がするものだろうとしても。



 自由とは血と泥に塗れていようとも、価値のあるものなのだ。


「我々も撤退を進めよう、ペネロペ。君は準備はできているか?」


「できてるとも。けど、エーデさんがまだみたいだったよ?」


「エーデが?」


 一番に準備の終わっていそうなエーデが残っているとはおかしな話だ。


「様子を見てくる。君は先に集合地点に向かってくれ。もう見るべきものは見ただろう。この様子を報じて精霊帝国を批判する記事を頼むよ」


「お任せあれ」


 ペネロペはそう告げると足早にこの場を去った。


 俺はエーデを探しに行かなければならない。


……………………


……………………


 エーデを見つけるのはある意味では簡単だった。


 今や完全に抵抗運動の手に落ちた南部において騎乗して移動しても、それを咎めたり、不審に思ったりする衛兵はおらず、俺は馬を飛ばして8時間でエーデの下にたどり着いた。馬に乗るという経験は初めてのものではない。中央アジアでは移動手段として利用したことがある。かのモンゴル帝国軍のように颯爽とはいかなかったが、残念な部分を晒すこともなかった。


 そして、エーデのいる場所。それは──。


「エーデ」


「……ヤシロ様」


 俺が声をかけるのにエーデが振り返った。


 彼女は自分がどういう表情を浮かべるべきかを分かっていない表情で、そんな混乱した様子で俺の方を見据えた。


「家族の墓参り、かい?」


 エーデが膝をついてしゃがみこんでいるのは、エーデの両親と家族、そしてその隣人たちの墓の前だった。エーデが悪魔憑きとして大聖堂に連行された日に、火の精霊公ヴィクトリア・フォン・リンドルフによって焼き殺された人々の墓。


 エーデはそんな墓の前にいた。


「分かりません。ペネロペさんに墓があることを教えられて、やってきたのですが、ここでどういうことをすればいいのか分からないのです」


 エーデは俺の言葉に首を横に振って見せた。


「彼らのために祈ればいい。彼らの安息を願って」


「その権利が私にはあるのでしょうか。彼らは私のために殺されたようなものです」


 俺が告げるのにエーデが首を横に振った。


「では、復讐に身を捧げるかね。彼らの死は精霊帝国によってもたらされた。その死の原因である精霊帝国を憎み、それに対する報復を誓うかね。この殺戮を巻き起こした火の精霊公ヴィクトリア・フォン・リンドルフとその上司であるモレク・アイン・ティファレトに対する復讐を成すかね?」


 俺はそう問いかけたが、エーデからの返事はすぐには返ってこなかった。


「それでなくなった人に何かしらの恩恵があるのならばそうするでしょう。ですが、それがないのにそのようなことに身を注いでも無意味です。復讐は何も生まないと言うではありませんか。精霊帝国に支配されるより以前から」


「では、君はどうしたいんだ? 目の前にある死者の墓標を前に何をしたい?」


 俺は心底疑問に感じてエーデにそう尋ねた。


「分かりません。分からないのです。私たちはこれからも戦い続けますが、私の目的は女神ウラナ様から与えられた精霊帝国をひっくり返すことだけです。精霊帝国を破壊することだけです。他のことは目的とならないのです」


 そう告げてエーデが俺の方を見る。


「ヤシロ様は私の戦いで多くが救われると思いますか? それとも大勢が苦しむと思いますか? あなたはどう思われますか?」


 エーデがと問いかける。俺に対して。


「精霊帝国がなくなれば救われる人は大勢いるだろう。今もルンビニ公国では精霊帝国による虐殺が続いている。そのようなことがなくなり、人々が自由となるならば、それは救われたと言っていいのではないだろうか」


 俺は人を救うなんてことは考えてはいなかった。


 人は戦いの中で救われることはない。仮に救われたとして、それは一時な保護に過ぎない。戦局によって左右され、戦局によっては救われるどころか死ぬこともあるだろう。今、こうして我々がルンビニ公国と南部を捨てて逃げ出そうとしているように。


 だが、それでも、ルンビニ公国と南部の住民が一時的に手に入れた自由は本物だ。これまでのしがらみに縛られず、与えられた自由は本物だ。


 それを救いというならば、それは救いと呼べるだろう。


「そうですね。精霊帝国が滅びることによって救われる人々が出てくるのですよね。それを聞いて安心しました。私は女神ウラナ様のために戦うことには疑問の余地はなかったのですが、それによって救われる人がいるかどうかは分かりませんですから」


 エーデが微笑む、幸せそうに。


「ところで、エーデ。準備はできているかね?」


「できています。いつでも出発することは可能です」


「よろしい。脱出は今にも始まる。長い旅になるだろう」


「女神ウラナ様は見守ってくださっていますよ」


 俺が告げるのにエーデはそう告げて微笑んだ。


「そうであることを祈りたいものだ……」


 かくして南部属州から東部山岳地帯を目指す壮大な旅が始まった。


 距離にして4000キロ近い距離を進むという大事業の始まりだ。


……………………

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