逃げるという選択肢
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──逃げるという選択肢
南部とルンビニ公国の国境線付近の村で、自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会が会合を開くことになったのにはいくつかの理由がある。
ひとつ。自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会との間で徐々にだが、摩擦が生じ始めているという問題を解決するためだ。
自由エトルリア同盟の指導者の中でもバルトロとレオナルドは民族主義者だ。南部の民族こそが全てである。地球にもよくいる根拠のない民族の血筋で政治をしたがる手合い。それがどこまでルンビニ公国の住民という異民族と仲良くできるかが問題だった。
今のところは精霊帝国打倒という共通の目的のために共同戦線を展開しているが、バルトロは装備を優先して自由エトルリア同盟の自分が率いる軍事部門に回すように何度も俺に要請しているし、レオナルドはルンビニ公国の悲惨な経済状況を救うために自分たちの稼いだ金を使うことには消極的だった。
話し合いでどうにかなる問題ならいいのだが、この問題は根深い。今はとにかく精霊帝国という差し迫った敵に注意を向けさせ、民族同士の殺し合いは後回しにしてもらわなければ。この戦争が終われば、好きなだけ殺し合ってもらっていい。
そして、もうひとつ。ペネロペの情報網とトゥーリオの情報網が精霊帝国側に不審な動きを察知したことについて話し合うためだ。
ペネロペとトゥーリオは精霊帝国最大戦力である黒書騎士団に動きがあることを察知した。この黒書騎士団というのは火の精霊公ヴィクトリア・フォン・リンドルフに率いられているもので、彼らのやることは反乱の鎮圧という名の虐殺だ。
ペネロペたちから詳しい情報を聞いたが、黒書騎士団には精霊公に匹敵するレベルの魔術師たちが所属しており、都市を炎に沈めることや、あるいは水に沈めることで、反乱が発生した地点を皆殺しにするという。
貴族の中の貴族である精霊公に匹敵する実力は、我々がルンビニ公国で相手にした教会騎士団とは比べ物にならない実力の持ち主たちなのだろうと推察できる。
それが動き出した。
「我々は次の行動を決めなければならない」
俺は地図を広げた円卓を前にそう告げる。
「そうだな。次の攻撃目標を選ばなければ。次はティベリア藩王国か?」
バルトロがそのように告げる。
「残念だが、今は前進できない。精霊帝国はふたりの精霊公という重要人物が暗殺されて、はいそうですかと黙っている愚か者ではないのだよ。その報復が始まるだろう。ペネロペたちが掴んだ黒書騎士団が動き出す可能性がある」
「しかし、あなたは以前に南部が攻撃を受けないようにするためには攻撃を続けなければならないと言っていたではないか」
俺が首を横に振るのに、バルトロが眉を歪めた。
要人の暗殺は大規模な報復をもたらすことがある。
オーストリア=ハンガリー帝国皇太子にしてオーストリア大公フランツ・フェルディナントと彼の愛した妻ゾフィー・ホテクが、セルビア人の暗殺者に殺害された事件では、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに対して宣戦布告し、第一次世界大戦の切っ掛けを作ることになった。
エンスラポイド作戦でナチス・ドイツ占領下のチェコに空挺降下した工作員たち──イギリスの特殊作戦執行部に訓練されたチェコ人・スロバキア人は、ナチス・ドイツにおける大物中の大物ラインハルト・ハイドリヒを暗殺した。その行為によってナチス・ドイツ側はチェコにおける大規模な虐殺に踏み切った。
今回のゲルティとユーディトの暗殺にも、報復があるだろう。まして、下層民を奴隷だとしか思っていない精霊帝国の貴族たちが報復を躊躇わないわけがない。
これから黒書騎士団が動き出し、都市が消滅する。
そうなる前にしなければならないことがある。
「今、戦域を広げることは無謀だ。敵は大規模な軍隊を動員した。こちらの戦闘員はその数1500名程度だが、敵は貴族だけに限らなければ数十万という軍隊を投入できる。大規模な捜索が実行され、貴族たちがこれまでの我々の拠点を焼き払うだろう。デルフィ市ももはや焼き払われることが決まったようなものだ」
デルフィ市は抵抗運動の拠点だったが、そうであるがために精霊帝国の激しい報復を受けるだろう。ルンビニ公国でもカルナック市などが報復を受ける対象になる可能性は極めて高かった。
「我々が防衛に当たればいい」
「どうやって守り抜く? 相手の動きは予想できない。どこを彼らが焼き払うのか予想できない。それなのにこちらには1500名の戦闘員がいるだけだ。無論、不要な都市と必要な都市を分けて、必要な都市だけを守る手もある。だが、それは籠城戦に繋がるだろう。我々ゲリラにとって敵と正面から戦うのは最大の愚策だ。我々は常に移動し続け、敵に捕捉されることを避けなければならない」
今度はレオナルドが告げるのに、俺がそう告げて返す。そうするとレオナルドは明らかに不愉快だという表情を浮かべて黙り込んだ。
「精霊帝国が都市を焼き払い、農村を焼き払い、全てを焼き払うのであれば、逃げるしかない。安全な場所まで逃げ、相手の行動が徐々に鈍ったところで、攻撃を再開する。絶対に敵と正面から戦うことは避ける。我々は精神的な支配領域は広げたが、南部でもルンビニ公国でも実際に支配している地域はごく僅かなのだ」
これは対称戦ではない。非対称戦だ。
対称戦ならば支配地域の取り合いのために防衛や攻撃を行うだろうが、我々ゲリラ側には確実に支配できていると断言できる場所は僅かにしかなく、敵の正面戦力が投入されれば、支配しているつもりのデルフィ市もカルナック市も容易く奪還される。
そんなことに無駄な犠牲者を出すよりも、今は素直に逃げた方がいい。
敵が来る前にさっそうと逃げる。それでこそゲリラだ。
「だが、どこに逃げるっていうんだ? どこなら安全なんだ?」
「俺が考えているのはこの地点だ」
そう告げて俺は地図を指さす。
「東部山岳地帯か……」
南部もルンビニ公国もこれからあらゆる場所が制圧される。バルトロの南部の抵抗の象徴であるリベルタ砦ですらも発見されて殲滅される恐れがある。
ならば、敢えて敵の支配領域に飛び込み、そこで隠れ潜むのだ。
「東部山岳地帯は潜伏するのにはもってこいの場所だと認識しているが」
俺はそう告げて参列者たちを見渡す。
「あそこは文字通りの未開の大地だ。確かに逃げ込むにはいい場所かもしれないが、潜伏し続けるとなると事情は変わってくるだろう。あそこには食料が碌にないはずだ」
「だが、あそこには魔族がいる」
マルコムがそう告げるのに、レオナルドが吐き捨てるそうにそう告げた。
「魔族?」
「ヤシロは知らないのか。彼らは奴隷にされても南部に連れてこられることはまずないからな。私もその姿を見たのはコロシアムの試合でだ。肌は青白く、頭には山羊のような角があり、その耳は尖っている。そして、精霊帝国の定めた共通言語ではない言葉を喋る。それが魔族と呼ばれている者たちだ」
俺が首を傾げるのにトゥーリオがそう説明した。
「そして奴らは人間を憎んでいる。精霊帝国が東部山岳地帯を征服する以前から、奴らは人間を憎んでいた。自分たちを東の端に追い詰めた人間たちをな」
レオナルドはそう告げて眉を歪めた。
「まさか、奴らとまで同盟するだなんて言い出さないだろうな? ダメだぞ。絶対にダメだ。同じ人間とならともかくとして魔族となんて同盟することになって、連中の力を借りるような有様になれば南部人の誇りは終わりだ」
レオナルドは極めて強固に同盟に反対した。
「バルトロ。あなたはどう思う?」
「その同盟が差し迫った危機に本当に必要ならば受け入れよう。そうしなければ生き残れないのであれば、受け入れるしかほかない」
バルトロは渋い表情を浮かべている。
ここに来て民族問題以上の問題が出て来るとは。
生物学的に全く異なる存在との同盟が実際に可能なのか。それはもはや未知の領域だ。これまでの常識が通用する可能性はあまり高くはないだろう。
異質な民族というのは地球にも存在した。こういう場合、よく例に挙げられるのはユダヤ人だろう。彼らは神によってえらばれ、神によって試練を課されたと考えて、イスラエルの再誕までの間、離散した土地で独自のコミュニティーを築いていた。
それは黒死病の時代において迫害され、ドイツとロシアにおいてポグロムにより迫害され、ナチス・ドイツによってホロコーストが起きた。確かにユダヤ人は困難な試練を課せられた民族なのかもしれない。
それでもユダヤ人が全く他の人間と交わることが出来なかったかと言えばそうではない。キリスト教に改宗したユダヤ人もいるし、様々な学問の分野で成功を収め、対外的にも有名になったユダヤ人もいる。彼らも同じ人間なのだ。
だが、今回のケースはユダヤ人問題以上にハードだ。何せ、それは人間と交わろうにも生物学的に異なった者たち──確かに地球の人間も人種によって多少の差異はあるが、今回のケースはその多少には収まりそうにもない。肌の違いだけならともかく角があるのだ──を扱うことになるのだから。
「これまで彼らと接触したことは?」
「ほとんどない。魔族の奴隷は東部山岳地帯から外に出ることはほとんどないのだ。そして、自由な魔族というのも存在しない。魔族は12世紀前に精霊帝国によって征服されて以来、ずっと奴隷の立場だった。人間は自分たちとは異なるものにどこまでも残虐になれるということだ」
俺の問いにトゥーリオがそう返す。
「ならば、どうしてそこまで彼らを嫌う必要が? 会ったこともないのだろう?」
俺は疑問に感じてレオナルドたちにそう尋ねた。
「かつて南部がエトルリア独立国家共同体っていう立派な国だった時代に、俺たちは魔族の難民を受け入れた。心優しい政治家たちが国が征服され、奴隷にされて困っていた連中に手を差し伸べてやったのさ。だが、連中は裏切った。国内で混乱を起こし、精霊帝国が攻め込む隙を作ったんだ。そのせいで南部は精霊帝国に征服された」
レオナルドは忌々し気にそう語る。
「そんな歴史があれば、魔族を憎むのも当然だろう?」
レオナルドの言葉にバルトロが静かに頷いている。
「その歴史は確かなのか?」
「俺の爺さんのそのまた爺さんの時代から語り継がれてきた話だ。間違いはない」
さて、どうだろうか。
キリストはユダヤ人に殺されたという俗説によって、ユダヤ人は長年苦しめられたが、実際にキリストを殺したのが誰なのかは不確かだ。
地球においても歴史認識というものは50年程度しか経っていなくともあやふやになり、根も葉もない噂がさも事実であるかのように扱われる。まして、南部が滅んだ6世紀も昔の話を伝聞だけで伝えてきたといわれてはその信憑性はあいまいだ。
疑るならば奴隷同士が団結しないように、精霊帝国が意図的に流した噂だということも考えられる。精霊帝国にとって下層民同士で争ってもらうのは好都合だろう。
なので、レオナルドの言うことが歴史的事実かどうかは謎だ。
だが、それが謎であれど、レオナルドたちはそう思っているというのは問題になってくる。彼らにとってはそれこそが事実となっているからだ。
「しかし何はともあれ、我々は逃げなければならない。敵に打撃を与え、敵が反撃に転じる前に逃げ出す。それがゲリラ戦というものだ。そして、逃げる先としてもっとも優れた場所が東部山岳地帯であることは間違いない」
民族問題がどうあれど、今は逃げなければならない。
精霊帝国の反撃はすぐにでも始まるだろう。我々はその反撃を生き延び、逆襲の機会を待たなければならない。そうしなければ待っているのは全ての抵抗運動をゼロからやり直さなければならないという悪夢だけだ。
「けど、民衆は守らなくていいのかな? あたしたちの言葉で立ち上がった人たちもいるよ。そういう人たちを見捨てて、あたしたちだけで逃げるの?」
ペネロペが疑問の表情を浮かべてそう尋ねた。
「もっともだ。協力的な民衆は守らなければならない。だから、ともに脱出する。だが、全員を救うのは無理だ。限界というものがある。戦力にならないものたちは、その場に残していくしかないだろう」
最初から全員を救うというような馬鹿げた発想はしていない。精霊帝国の無差別な報復から民衆全員を守るなど不可能だ。そんな大勢を養うだけの食料はないし、そんなに大勢の移動を助ける手段もない。
我々が救うのは、我々が救える範囲でかつ戦力になるものに限定する。
恐らくは大勢の難民が発生するだろう。各地に難民たちが押し寄せるだろう。それをどう扱うかは精霊帝国次第だ。まだそのことに関しての主導権は向こうが握っている。我々の側には主導権はない。
精霊帝国は難民を虐殺するかもしれないし、保護するかもしれない。
我々にとってどちらが都合がいいかと問われれば、虐殺の方だ。精霊帝国が無辜の民衆を大量虐殺したという事実があれば、我々はその恐怖と怒りによってさらなる支持を獲得できる。我々が難民を見捨てて逃げ出したなどという事実も忘れ去れるほどに。
もっとも、精霊帝国も馬鹿ではあるまい。自分たちが殺しただけ人的リソースが減少することは理解しているはずだし、あまりに恨みを買えば将来においてそれが自分たち不利に働くことは理解しているだろう。
起きるのは発作めいた衝動的虐殺ではなく、管理された虐殺。恐怖と怒りのバランスを取った理性的な大虐殺。
虐殺に理性も何もあるかと思うだろうが、理性的な虐殺というのは存在するのだ。ただの衝動に駆られた通り魔的な虐殺ではなく、管理された虐殺というものは。全ての殺人者が衝動的な殺人を犯しているのではなく、一部の殺人者たちが極めて計画的に、そして利己的に殺人を犯すかのようにして。
成功した虐殺、失敗した虐殺。虐殺そのものはただの大量殺人だ。だが、目的を達すればそれは正しいのだ。黒死病の際にユダヤ人を発作的に虐殺したヨーロッパに人間は目的を達さなかったが、コンキスタドールによるインカ帝国に対する行為、アメリカ合衆国をその使命に則って西へと拡大した際のネイティブ・アメリカンに対する行為や、イスラエル建国の際のパレスチナ住民への行為。それらは成功した虐殺であり、目的を達成した。
世の中にはいい虐殺も、悪い虐殺もないが、目的を達成する手段としての虐殺は常に存在する。日本情報軍はその手の虐殺を指導してきた。我々は目的を達成する手段としての虐殺を常に否定しなかった。国際社会がどう思っていようが、気にはしなかったし、実際に起きた虐殺と日本情報軍を結び付ける人間は皆無だった。
つまるところ、虐殺が起きたからと言って世界が一瞬で変わるわけでも、まして空が赤く染まることもないのだ。虐殺の被害者たちには酷な話だろうが。
「我々だけで逃げるのか……」
「俺たちの資産は人との繋がりだ。それを燃やし尽くされちまったらどうにもならん。本当に逃げるしかないのか? あの武器で黒書騎士団の相手はできないのか?」
バルトロが渋い表情を浮かべ、レオナルドがそう告げる。
「1週間程度ならばどうにかなるかもしれない。それだけは暴れられるだろう。だが、それまでだ。敵は我々を上回る物量と精霊公に匹敵する貴族を投入してくる。我々は追い詰められていき、最後には破滅するだろう」
そう告げて俺は沈黙しているマルコムを見る。
「その危険性の大きさはルンビニ革命議会がよく知っているはずだ。精霊公レベルの魔術師となるとこちらが銃火器で武装していようとも虐殺になるということは」
俺の言葉にマルコムが静かに頷いた。
マルコムたちは重迫撃砲に重機関銃まで戦闘に投入したが、主要な戦闘員を僅か数秒で虐殺された。魔術というのはそれなり以上の脅威となるのだ。
「それはルンビニの連中に根性がなかっただけじゃないのか? 実際にお前と聖女はユーディトを殺せたわけだしな」
「なんだと」
レオナルドの言葉にマルコムが目を向いた。
「俺たちの戦友のことを侮辱するつもりなら受けて立ってやる。俺たちは無駄死にしたんじゃない。意義のある戦いを戦ったんだ」
「ルンビニ野郎が。俺たちの支援がなければ冬に野垂れ死んでいただろう」
この有様だ。
バルトロはまだ理性的だが、レオナルドとなると手に負えない。彼は口が悪く、攻撃的で、すぐに相手の怒りを買う。それが彼の性格なのだろうが。
「皆さん、今は仲間たちと争うべき時ですか?」
そう声を上げたのは他でもない。エーデだ。
「ルンビニ革命議会の皆さんは勇敢に戦われました。私はそのことに疑いを持ってはいません。ルンビニ革命議会の皆さんの戦いがあったからこそ、私たちはユーディトを討てたのです。彼らの死は無駄ではありませんし、不名誉なものでもありません」
エーデははっきりとレオナルドに向けてそう告げた。
「だといいんだが」
レオナルドもエーデにはその攻撃性を低める。やはり彼女の価値が分かっているのだろう。聖女という象徴としてのエーデの価値が。
「エーデ。我々はこれから逃げなければならない。そのことに異論は?」
「ありません。ヤシロ様の望まれるままにやり遂げてください」
俺がエーデが喋り始めたことを切っ掛けに話を進めるのにエーデは穏やかな笑顔でそう告げて返した。
「では、撤退の開始に異論があるものは他にいるだろうか?」
俺はそう尋ねたが、声は上がらなかった。
こういうことをするとエーデを利用しているような気になるが、そもそも彼女に武器を渡した時点で利用してるのだ。今更、何を気にする必要があろうか。
「それでは準備を始めよう、諸君。精霊帝国は待ってはくれないだろう」
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