風の精霊公
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──風の精霊公
ユーディト・フォン・ファルケンホルストは死に絶えた傭兵とルンビニ革命議会の兵士たちの死体を眺めた。
彼らを屠ったのはユーディトの最大の技である“無酸素化”の魔術だ。一定区画の酸素を全て消失させ、それによって敵を窒息死させる。この魔術によって彼女は10年前の蜂起を叩き潰したのだ。ひとりで5000名を相手にして。
これによってルンビニ革命議会は再び大打撃を受けた。
訓練された男たち260名近くをユーディトの一撃で失ったのだ。彼らは実戦経験を積み、将来的にはルンビニ革命議会という抵抗運動の背骨を支える下士官となることが期待されていた人材だったというのに。
そして、ルンビニ革命議会の思想的指導者であるジェラルド・グリフィンが死んだこともルンビニ革命議会にとっての大きな喪失であった。彼の思想でこれまでルンビニ革命議会は抵抗運動を続けてきたのだ。同志であるマルコム・モズレーは軍事的な才能こそそれなりにあれど、思想という面ではジェラルドに頼っていた。
彼の死はルンビニ革命議会にとって手痛いものになるだろう。若者の中に彼の思想を継ぐ者が現れればいいものの。
「彼らに神の慈悲がありますことを」
ユーディトは傭兵たちの死体に向けてそう祈った。
傭兵は最初から使い捨てるつもりであった。彼らは貴族ではないし、全滅したところでさしたる問題もない。彼らを肉の壁にして、ルンビニ革命議会の圧倒的火力を逸らし、そこに広範囲魔術を叩き込むことこそ、本来の狙いである。
だが、少なくとも傭兵たちは貴族であるユーディトのために尽くした。彼女はその貢献が死後報われることを祈る。自分が殺した傭兵たちのために祈った。
「閣下。敵、残存勢力の追撃を進言します」
「……追撃することにリスクはありませんか?」
城壁の上にいた教会騎士団の騎士が告げるのに、ユーディトが生気のない目でその騎士を見つめて、静かにそう尋ねた。
「はい、閣下。戦争にリスクはあります。どのような戦いでもリスクはあります。我々もこの戦いで50名近い騎士を失いました。大打撃です。それでも彼らの死を無駄にしないために、ここは敵を追撃し、殲滅するべきです」
軍がもっとも犠牲を出すのは敵と正面から戦っているときではなく、撤退するときであるという。撤退するときの軍隊というのは士気が崩壊している場合が多く、その行動に乱れが生じることがあるためだそうだ。
確かに今のルンビニ革命議会の兵力は残存戦力を何とか掻き集めてはいるものの、大規模な打撃の衝撃が大きく、すぐには戦えない。ここを叩けば、精霊帝国側が抵抗運動側に対して大打撃を与えることができる。
「そうですね。神に選ばれ、その恩寵を受けし貴族が50名も犠牲になったのです。そのことを無駄にしてはならないでしょう。追撃の準備を」
「はっ!」
ユーディトが命じるのに、その騎士は頷き、他の騎士たちに指示を出す。
その時だった。
突如として爆発音が響き渡り、その合間から悲鳴が上がったのは。
「何事ですか?」
「分かりません。また敵の新兵器の可能性も……──!?」
ユーディトが尋ねるのに騎士が爆発音の響いた庭の方向を見て、目を見開く。
「て、敵だ! 敵が中にいるぞ!」
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生物工学の大きな進展による恩恵はナノマシンの開発にアイディアを与えただけではなかった。生物工学の進展は人類に全く新しい工業製品を生み出す機会を与えた。
それが人工筋肉だ。
遺伝子を改変され、淡水環境下での生息を可能にし、かつこれまでのものとは比べものにならないほどの強靭な筋肉を有するように改造された海洋哺乳類の遺伝子改変種。それから取り出され、加工されたものこそ人工筋肉だ。
その有機的な工業製品は産業界のあらゆる分野に普及していき、軍事においてもそれまで油圧駆動で動作していた第一世代の強化外骨格に革命をもたらした。
人工筋肉は油圧式の駆動系統より軽く、環境に適応しやすく、極めつけとして衝撃に強い。第二世代の強化外骨格のほとんどは人工筋肉で駆動するものであり、日本陸海軍と日本情報軍が採用したものも、そのタイプのものであった。
そして、人工筋肉で駆動する強化外骨格が戦場に現れてから戦術単位の変化が見られるようになった。これまではロープなどを使って降下していたヘリボーン作戦などにおいて、ロープを使わずそのまま降下するというのがその表れだ。
日本情報軍の採用している25式強化外骨格はそのスペック上、約300メートルからの落下に耐えられるようになっている。もっともフル装備で300メートルから降下を実行したという人間の話は聞かないが。
しかしながら、これまでのヘリボーンでラぺリング降下、あるいはファストロープ降下を実行する高度であるならば、問題なく降下は実行できる。この戦術の幅の広がりによって、部隊の展開速度は上昇し、市街地戦での制圧も素早く行えるようになった。
今回も似たようなものだ。
まずは窓から手榴弾を放り投げる。距離を的確に15メートルの間隔を置いて、着地と同時に炸裂するように調節して。
城の前庭はちょっとした公民館のホール程度の広さで、そこに50名の教会騎士団の騎士たちが戦列を組んでいる。数名は傷ついた味方を治療としていたり、死人を運び出したりしていたが、他のものは敗走するルンビニ革命議会を追撃するためか整列している。
そこに手榴弾が3発炸裂した。
騎士たちの纏うプレートアーマーに対して破砕手榴弾がどの程度有効かは分からなかったが、爆発とともに悲鳴が聞こえる。
さて、では始めるとしよう。
「行ってくる、エーデ」
「お気をつけて」
俺はエーデに一言そう告げると、城の窓から飛び降りた。
僅かな落下時間が永遠のように感じられるのは本能的な落下への恐怖をナノマシンが殺し切れていないのか、あるいはナノマシンによる遅滞した体感時間によるものなのかを、この状況で考察する気にはなれない。
ただ、言えるのは──。
「敵だ!」
目の前にいるのは全て敵だということ。
「諸君。派手にいこうか」
俺はHK416自動小銃の光学照準器を覗き込むと、手前にいる敵の頭からヘッドショットを決めていく。教会騎士団の騎士たちはまるで射的の的のようにして呆然と立ちすくみ、射的の的のように倒れている。射的の的と違うのはリアルな血を流すということだけ。
VR空間におけるトレーニングでひたすらに繰り返された反復訓練による条件反射と、ナノマシンによる戦闘時感情調整により、俺は的確に“的”を撃ち抜いていき、何の感情も覚えずに人を殺していく。
敵に囲まれているという恐怖はない。そんなものはナノマシンが握り潰している。俺の心身は最適な緊張状態に留められ、ストレスを感じることなく、機械的に殺しを続けていく。狙いを定め、引き金を引いて、また狙いを定め……。
敵は気が狂った人間を見るような目でこちらを見てくる。まるで敵に臆することなく、何の動揺も、興奮も見せずに銃弾を放ち続ける人間が彼らにはゾンビに見えたのかもしれない。実際のところ、俺は今の状況で撃たれても痛みを感じないし、多少の傷を負ってもナノスキンスーツが止血とテーピングの両方を同時に施し、攻撃を続ける。
現代技術が生んだゾンビ的兵士には、この世界のアパルトヘイト染みた価値観を持つ教会騎士団の騎士たちも唖然としたようだ。
「な、何をしている。相手はたったのひとりだぞ。叩きのめせ!」
おっと。ようやくここで相手の頭脳が機能し始めたようだ。
騎士たちが一斉に杖を構え、それを俺に向けてくる。
だが、ユーディトならともかくとして、騎士たちの攻撃には既に情報がある。相手の数が多いことだけが問題だ。こんなことならばミニミ軽機関銃を持ってくるべきだったな、とそう思いながら相手の攻撃に応じる準備を始める。
「放て!」
案の定、氷の刃と金属の槍。そして、高圧水流。
それが一斉に俺に向けて放たれてくる。
だが、これには弱点がある。
「なっ……」
貴族の懐に入ってしまえばそれは当たらないのだ。
俺は貴族の中のひとりの腹部に向けて強化外骨格から繰り出される打撃を加えると、気絶した貴族をそのまま盾にして、片手で自動小銃による銃撃を続ける。こうなってしまうと狙いを定めるなどできたものではないが、俺の目的はここにいる騎士を全滅させることじゃない。俺の目的は──。
「神の名において。参ります」
エーデが動くための時間を稼ぐことだ。
エーデは俺が前庭の全ての騎士を敵に回している間に動いた。
城の窓から飛び出し、そのまま城壁に重量を感じさせない羽のように着地すると、城壁の上にいる騎士とユーディトに向けて突進する。
「……アッシジの悪魔憑き……っ!」
城壁に姿を見せたエーデにユーディトが殺意をむき出しにする。
「弾け散れ……!」
俺は教会騎士団の騎士たちの攻撃は引き付け、ユーディトの注意も引いたはずなのだが不十分だった。ユーディトはエーデに対して、あの空気の衝突にとって生じた榴弾の炸裂染みた攻撃を叩き込んできた。
「温い、です」
だが、その攻撃はエーデには達さなかった。 エーデは高らかとそのままの勢いで4、5メートル飛翔し、その衝撃波をやり過ごした。受け流された衝撃波は城壁に衝突し、城壁が砕け散って、それが騎士たちに降りかかり、騎士たちが勢いよく飛び散った城壁の破片を受けて悲鳴を上げる。
「アッシジの悪魔憑きよ! このユーディト・フォン・ファルケンホルストが、神の名において貴様を始末する。全ては預言者モレク陛下と神のために」
ユーディトは殺意のこもった視線でエーデを睨みつけ、さらなる攻撃を放つ。
次に放たれたのは青白い炎だ。それが何なのか理解するのに時間は僅かにかかったが、すぐに理解できた。あれはプラズマ溶断の刃だ。
風の精霊公というのは空気についてはなんでもありのようであり、エーデにあらんかぎりの火力を叩きつけ、彼女を屠ろうしている。
だが、大丈夫だ。エーデならきっと乗り越えられる。俺はエーデと約束したのだ。生きて、生き延びて勝利しようと。エーデは決して約束は破らない。
俺もその約束を破らない。
貴族の体を盾にしたまま俺は手榴弾を放り投げる。
金属の盾を形成していた貴族の足元にも手榴弾は転がっていき、そこで爆発音を響かせて炸裂しては15メートルの範囲に殺傷性のある鉄片を撒き散らす。現代のケブラ-繊維と磁気流体のボディーアーマーでも完全に防げないものが、厚さ数ミリのプレートアーマーで防げるはずもなく、手榴弾の炸裂はそこにいるものに死を与える。
「ファルケンホルスト閣下を助けなければ!」
「その前にここの賊を始末しなければ、背中をやられるぞ!」
教会騎士団は指揮機能を失い、右往左往している。
その間にもエーデは動き続けていた。ユーディトが放つ城壁を粉々に破壊する衝撃波から身を躱し、プラズマ溶断の刃を躱し、着実にユーディトに迫っている。
「アッシジの悪魔憑き……。やはり、その存在は精霊帝国にとって災いをもたらすものなのですね。なんとしても討ち取らねばなりません」
「神の名において討ち取られるべきはあなたです、風の精霊公ユーディト・フォン・ファルケンホルスト。ここで果てていただきます」
エーデがあと一歩というところまでユーディトに肉薄したとき、衝撃波が彼女を吹き飛ばした。その衝撃は先ほどまでの城壁を破壊するほどの威力ではなかったものの、頑丈な戦闘服を裂き、その下にぴっちりと張り付いているナノスキンスーツに傷を負わせた。ナノスキンスーツはただちに傷口を消毒し、止血し、エーデを戦闘可能なように整える。
「私はここで果てるわけにはいきません。神のために、預言者モレク陛下のために、精霊帝国の精霊公としての義務を全うするのです。死ぬがいいでしょう」
ユーディトはそう告げてエーデに杖を向ける。
それがまぐれだったのか、女神ウラナのちょっとした手助けだったのかは謎だが、その時咄嗟に俺がユーディトに向けて引き金を引き、放たれた5.56x45ミリNATO弾がユーディトの手を貫き、その手から杖を叩き落とした。
「くうっ……!」
ユーディトが苦痛に呻き、杖に手を伸ばすがエーデの方が素早い。
エーデは杖を蹴り飛ばして城壁から蹴り落とすと、銃剣の装着されたM14自動小銃でしゃがみ込んだユーディトの背中から心臓を一刺しにした。ユーディトは鎧を纏っておらず、銃剣は容易くユーディトの体を貫いた。
ユーディトは口から血を吐きながらも、エーデの足に手を伸ばす。
「アッシジの悪魔憑き……。お前は精霊帝国にとっての災厄……。お前のせいで何万、何十万という精霊帝国の民が苦しむことになる……。そのことをしっかりと覚えておけ……。お前は存在するだけで災厄なのです……」
ユーディトのその言葉をエーデがユーディトの頭に叩き込んだ銃弾で終わらせた。
「何があろうとも精霊帝国は滅ぼさなければなりません。それが女神ウラナ様から与えられた私の運命なのですから」
エーデはそう告げて、この前庭に残っている教会騎士団の騎士たちを見る。
「ば、化け物……」
「勝てるはずがない……」
お終いだ。相手はユーディトという最大戦力と頭脳を同時に失った。後に残るは指揮統制などまるで取れない烏合の衆だ。
「エーデ! 離脱だ!」
「分かりました!」
俺が貴族の死体を盾にしたまま城門に向かって駆けるのにエーデは城壁から軽やかに飛び降りた。我々は合流し、追撃するべきかどうかを判断しかねている騎士たちを置いてサンクト・シャルトル城の外に出た。
「アルファ・ツー・ゼロよりブラボー・ゼロ・ツー。迫撃砲の砲撃を始めてくれ。今からそちらに向かって離脱する」
『了解。砲弾の雨を降らしてやる』
マルコムのその通信から数秒後、マルコムの告げたようにサンクト・シャルトル城に向けて120ミリ迫撃砲弾の炸裂が始まった。前庭に集まっていた騎士たちは薙ぎ払われ、我々を追撃するどころではなくなった。
エーデとともに走り続けること40分。我々は迫撃砲陣地まで到達した。
「無事か? ユーディトは仕留められたのか?」
「ああ。ユーディトは死んだ。聖女エーデが殺した」
俺はそう告げてエーデを見る。
戦闘服は破れ、その女性的な体を包み込むぴっちりとした黒いナノスキンスーツが露になっている。いくつかの負傷も見られ、彼女が無傷でユーディトに勝利したわけではないことをはっきりと告げていた。
「今日は大勢の仲間を失ったが、勝利はしたわけだ」
「そうだ。我々は勝利した」
俺がエーデの方を向いて告げるのにエーデが笑みを浮かべた。
「精霊帝国は着実に崩壊に進んでいる。この調子でいこう」
俺はそう告げたものの、今日の勝利ひとつで状況が一気に傾くとは思っていなかった。いくら精霊公を殺そうと、精霊帝国皇帝モレク・アイン・ティファレトが生きている限りは、この状況を打破できない。
だが、カードは着実に揃いつつある。
南部、ルンビニ公国。
このままどこまで進めるだろうか。
俺はそう思いながら、エーデの笑みをじっと見つめていた。
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