目標距離2000メートル
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──目標距離2000メートル
ナジャフ大司教は魔術によって邪教徒たちを討伐したことで聖人に列せられた聖バルトロマイを祭る式典の日が、晴れ晴れとした青空で迎えられたことに感謝した。
これも15世紀にわたって守り続けられてきた精霊教会の教えを自分自身も守り続け、その教えを後世まで残すことに尽力したことに、神が報いてくださったのだろうと彼はその青空を見て思ったのだった。
精霊帝国においては高位の聖職者もまた貴族である。
聖職にある貴族は聖職貴族と呼ばれ、一代限り貴族の地位を得ることになっていた。だが、今では聖職者たちの腐敗も進み、聖職貴族の地位はほぼ世襲制になっている。ナジャフ大司教も父親から大司教の地位を相続した口だ。
逆に下位の聖職者は下層民である。
一部の貴族の使用人たち同様に、聖職貴族に仕えることを特別に許可されたのは聖職者の立場にあるものであり、その地位はあくまで聖職貴族たちに仕える立場を出ない。助祭の地位が最高であり、それ以上にはなることは決してない。
そんな精霊教会の教えは、魔術を与えてくださった神と、魔術の存在を預言した精霊帝国皇帝モレク・アイン・ティファレトを崇めることにある。
魔術によってこの世界をより高みへと導いてくださった神に深く感謝し、その魔術の存在を全ての祝福されたものたちに預言したモレクを崇める。それが精霊教会の教義であり、基本的な教えであった。
魔術とそれを使う貴族たちは崇高な存在であり、世界を導くものであり、彼らは神に愛された存在である。その貴族たちは神の祝福を得ることが叶わなかった下層民たちを導くことを義務とし、皇帝にして預言者であるモレクの下で世界の秩序を維持する。
この精霊教会の教えは精霊帝国の貴族たちは当然として、下層民たちにも教え込まれており、この宗教による教えが精霊帝国の支配の礎のひとつともなっていた。
かつてはこの地にも別の宗教があった。
造物主である女神ウラナを崇め、万人の幸福と救済、そして博愛を謳った宗教が。
だが、それは精霊帝国によって邪教とされ、弾圧された。信仰者たちは火あぶりにされ、神殿は破壊され、住民たちは力ある精霊教会への帰属を強いられた。
その弾圧者こそが、この式典で祀る聖バルトロマイだ。
彼は精霊教会の先兵として南部属州に入り、そこにあった伝統宗教を邪教として駆逐し、邪教徒とされた信仰者たちを火あぶりにして、精霊教会の謳う神への信仰を示した。
そして、彼は反乱を起こした南部属州の住民によって惨殺され、その功績から精霊帝国皇帝モレクによって聖人に列された。
今日、この日は北部の野蛮な征服者に南部の住民が一矢報いた日であり、精霊帝国による南部大征伐が始まった日である。この日から南部は、精霊帝国の完全な属州として支配されることになったのだ。
その日を祝うなど精霊帝国の貴族以外にいるはずもない。聖バルトロマイの式典への参加者が貴族だけに限られていなくとも、下層民となった南部属州の住民たちはこの式典に足を向けることなど決してないだろう。
だが、その点は精霊帝国も、精霊教会も理解している。
今日は征服と圧制の始まりを知らせる日だ。
南部人にとっては屈辱の日であり、この日を機に反乱を企てる者がいるかもしれない。そう考えて精霊教会は今日の式典の警備を厳重にしていた。
交易都市ナジャフの中央広場を守る都市の衛兵の数は600名であり、全ての通りが封鎖されて、中央広場には貴族以外入れないようにされている。
加えて、精霊帝国の貴族によって指揮される軍隊が50名。これらの50名は下級貴族ながらも、魔術が使えるものであり、その戦闘力は下層民による軍隊に置き換えれば1000名に匹敵するとされていた。
ナジャフ大司教は今日の式典は例年通り、平和に終わることを確信していた。
今日は天気も良く、貴族たちも顔をそろえている。この交易都市ナジャフの周辺に領地を持つ貴族たちが、このナジャフ大司教の治める大聖堂に集まっていた。
「しかし、ヴォイルシュ子爵は欠席か」
「はっ。帝都に向かわれるとのことでしたので」
ナジャフ大司教が不満げに告げるのに若い貴族の子弟が務める助祭がそう返した。
「何も聖バルトロマイの式典の日に帝都に行かずともよさそうなものを」
ヴォイルシュ子爵とその娘を乗せた馬車はまだ爆破された現場にそのまま残っている。あの街道は利用者が少なく、発見されることは遅れているのだ。
「ですが、今年は例年以上に素晴らしい式典になるでしょう。春うららかなこの日に、南部の邪教を殲滅した英雄を称えるということで多くの貴族の方々が集まっています。教会への寄付金も期待できることでしょう」
「悪くないことだな」
教会への寄付金のほとんどは聖職貴族の懐に納まる。
教会では下層民を支配するために貧困層への炊き出しや援助などを行っているが、その財源となるのは教会が徴収する十分の一税によるものだ。
貴族からの寄付金は聖職貴族が蓄え、己の欲望と後を継ぐ子供たちのために残される。この世界の教会とはかくも腐敗したものなのである。
「では、そろそろ式典が始まります。ご準備の方はよろしいでしょうか?」
「問題はない。始めるとしよう」
ナジャフ大司教は大きく開かれたナジャフ大聖堂の扉から大広場に出る。
聖職貴族は一代限りの貴族であったこともあって、社会的階級としては普通の貴族たちよりも劣る。だが、精霊帝国皇帝モレクの王権神授説により、神の存在は権威となり、その神を司る精霊教会の地位は馬鹿にできるものではなくなった。
もっとも、王権神授説を取るモレクにとっては精霊教会すらも、支配下にある組織のひとつにすぎず、精霊教会が大きな力を持つことを阻止している。
「お集まりの皆さん」
演台に立ったナジャフ大司教はその権威を示すために貴族たちを見渡し、そのざわめきが収まるまで静かに待った。
「この日は聖バルトロマイが南部の逆徒によって殺害された日です。精霊教会の教えを信じない野蛮な南部人が、精霊教会の慈悲にあふれた教えを拒絶し、自分たちの血にまみれた邪教を信じようとした日でもあります」
ナジャフ大司教は続ける。
「ですが、聖バルトロマイの崇高な功績によって、今や南部の地は平定されました。我々が敬愛する精霊帝国皇帝モレク・アイン・ティファレト陛下のお力で、聖バルトロマイの功績は子孫たちに引き継がれ、我々は今、南部に精霊教会の教えを根付かせたのです」
流血と征服の歴史をこうとまで言い換えられるのはある種の才能だ。
「野蛮なる南部を啓蒙したこの日に、英雄にして聖人である聖バルトロマイを称えましょう。彼のなした偉大なる功績を我々が引き続き続けるのです」
ナジャフ大司教の言葉に貴族たちが頷いている。
南部の貴族たちは南部属州の大討伐によって、今の領地と地位を手に入れたものたちだ。彼らにとって征服の先駆けとなった聖バルトロマイはまさに英雄だ。
「これからも南部の地は発展を続けるでしょう。我々貴族たちが発展させるのです。我々貴族には下層民を導く役割もあることを忘れてはなりません」
貴族が下層民を導く。彼らが貴族たちに反乱を起こさないように抑圧するのだ。
「これからも聖バルトロマイの偉大なる功績は語り継がれ、我々は聖バルトロマイの加護を受けて、これからも平穏に南部を──」
そこまで言いかけてナジャフ大司教が突然姿勢を崩し、後ろに倒れた。
「何事だ」
「どういうことだ?」
貴族たちがナジャフ大司教の方を見つめると、その後頭部からは大量の血が流れ始めていた。それがゆっくりと血だまりを作っていっている。
「なっ……!」
「大司教猊下! いったい、何が!」
倒れておるナジャフ大司教に貴族のひとりが近づく。
次の瞬間、彼が殴り倒されたように横向きに倒れ、下腹部から血を流し始める。
「衛兵! 衛兵!」
「急いで手当てを!」
貴族のひとりはパニックに落ちって衛兵を呼び、他の貴族たちは負傷した貴族を助けようとする。倒れた貴族にはまだ息があり、苦痛に呻く声を発している。
だが、貴族のひとりが救出に向かえば、その者の頭が弾き飛ばされ、地面に倒れこむ。それが2回続いたことから、貴族たちは負傷して、腹部から大きく出血を続け、苦痛に呻き、助けを求める貴族の救出には向かえなかった。
「衛兵! 彼らを救出しろ!」
そこで貴族たちは自分たちの犬であり、使い捨てにできる人材である下層民の衛兵に負傷者の救助を命じた。
「で、ですが、どのように?」
「いいから、あそこに倒れているものを治療しろ。下層民でもそれぐらいのことはできるだろうが。それとも貴様、貴族である私の命令に逆らうという──」
衛兵に指示を出そうとしていた貴族の頭が弾けた。脳漿がまき散らされる。
「ひいっ! 南部人の呪いだ! 聖バルトロマイが殺した南部人の呪いだ!」
衛兵隊はパニックに陥り、逃げ出し始めた。
「貴様! 衛兵! 義務を果たせ!」
貴族たちは混乱に陥ったまま、負傷者を救出することもできず、右往左往する。
そして、またひとり地面に崩れ落ちる。その頭部からは真っ赤な血が流れる。
「なんなのだ!? いったい、何が起きているという──」
パニックに陥り、うずくまった貴族の頭が同じように弾ける。
そして、そんな聖バルトロマイの会場を遠方から眺めているものがいた。
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「お粗末な警備だ」
俺は聖バルトロマイの式典が行われている中央広場を見渡していた。
レーザーレンジファインダー付きの双眼鏡を三脚で立てている場所は、中央広場をそっくり眺められる距離2000メートルの地点にある建物の屋上だ。
このレーザーレンジファインダー付きの双眼鏡はヴォイルシュ子爵家の人間を殺すことで購入可能になったものだ。
さて、爆発物が仕掛けられないということで俺が選択したのは狙撃だった。
衛兵による警備はあくまで中央広場に乱入しようとする人間を対象にしている。ならば、中央広場に入らずに狙撃で殺せばいい。
「アティカ。観測手を頼む」
「頼むと言われましてもどのようなことをすればいいので?」
「あの着飾った聖職者がいる背後に旗が翻っている。それを基に風速を割り出し、俺に伝えてくれればいい。もしできれば、目標までの距離も測定してほしい」
俺はそう告げてアティカに双眼鏡を手渡した。
「理解しました。やってみましょう」
アティカは双眼鏡を覗き込む。
「風速1.0メートル毎秒。距離2000メートル。よろしいですか?」
「ああ。把握した」
俺は日本情報軍が採用したAXMC狙撃銃に.338ラプア・マグナムを装弾し、二脚を立てて、聖バルトロマイの式典が行われている方に銃口を向ける。
この狙撃銃もヴォイルシュ子爵家を殺害することで得られた装備だ。ヴォイルシュ子爵家の死はより大きな混乱をもたらすために役立つことだろう。
俺は遠距離から光学照準器の狙いを定め、それを演台で演説を行っているナジャフ大司教に対して向けた。ナジャフ大司教は立派な衣服に身を包み、尊大な素振りで演説を行っている。こちらから狙われていることなどまるで気づいていない。
念のために余剰のポイントで都市型迷彩を購入しておいたのも良かった点だろう。
俺は深く息を吐いて、それから呼吸を止め、狙撃銃がブレないように細心の注意を払って、狙いを定めていく。
ナジャフ大司教は上機嫌に演説を続け──。
俺は引き金を引いた。
銃声が響くが、2000メートルも先にいるナジャフ大司教と貴族たちには聞こえない。
銃弾はナジャフ大司教の頭を的確に貫き、彼は演台から転がり落ちて、後頭部から地面に赤い染みを広げていく。
だが、これで終わりではない。
ナジャフ大司教を助けに向かった貴族の腹部を狙い俺は銃弾を放つ。銃弾は即死はしないが致命傷となる部位に命中し、ゆっくりと出血を始める。
そして、またそれを助けようと貴族が近づくのに今度はヘッドショットを決める。
狙撃においてはあえて即死させずにもがき苦しむ敵兵を作り出し、それを救出しようとする敵兵を狙撃するということが行われる。俺の行動もそれに基づいたものだ。
貴族たちは面白いように罠にかかり、屍を晒す。
貴族のうちのひとりは衛兵に何事かを言い始めたので、そいつの頭も吹き飛ばしておく。後で思ったのだが、貴族の理不尽な命令で死地に追いやられ、そのことから貴族に対して、反感を持ってもらってもよかったかもしれない。
だが、いずれこの狙撃は俺の仕業だと発覚するだろう。そう考えるならば、嫌われ者でも衛兵の心象を悪くすることは避けておきたい。
「これぐらいか」
俺はマガジンが空になるまで撃ち尽くすと腰を上げた。
「これで相手も大混乱でしょうね」
「だが、連中はきっと犯人は下層民だと決めつける。そうなってもらわなければ」
報復には報復を。虐殺には虐殺を。憎悪には憎悪を。
そうやって内戦の炎は広がっていくのだ。
「幸先のいいスタートですか」
「ああ。幸先がいい。これからはちょっとばかりあちこちに火をつけていくだけだ」
アティカが目つきをより悪くして告げるのに、俺はそう告げて返したのだった。
さあ。ゲームは始まったばかりだ、精霊帝国。そう簡単に潰れてはくれるな。
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