そして、我々の輪は広がっていく
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──そして、我々の輪は広がっていく
ペネロペに頼んでいたビラは準備ができた。
この食料危機の原因は精霊教会の不正にあり、精霊教会は不当に資産を蓄え、そのためにルンビニ公国を飢饉の危機が襲っているのだということを示したビラだ。精霊帝国は同化政策の一環として言語を統一したのだろうが、今回はそれが裏目に出た。
ビラの情報は瞬く間に都市部で、農村部で拡散し、精霊教会には殺気立った民衆が押し寄せ、叫び声を上げている。
「食料を隠してるんだろう! 自分たちだけは冬を越すために!」
「このペテン師どもめ!」
ついこの間までは精霊教会の炊き出しを受け、従順にしていた民衆たちが精霊教会の教会や聖堂を包囲するのに、表に立たされた下層民である精霊教会の下級聖職者は恐怖に震えあがっていた。どうしてこんなことになったのだろうかと。
「お、落ち着いてください。教会にも蓄えはないのです。我々は真っ当に──」
「嘘をつけ! このビラに全て書かれているぞ!」
何という情報リテラシーのなさか。これまで頼りにしてきた精霊教会よりも、突如としてばら撒かれたビラの情報を信じるとは。
だが、こちらもそれが信じられるように誘導してきた。
ルンビニ公国の食料事情を追い詰め、貴族たちが自分たちの食料を確保するように仕向けた。貴族たちは我々が予想した通りに下層民から食料を奪い、下層民はそのことで貴族と同列の存在である精霊教会も同じように食料を不正に蓄えていると考えた。
それにしても追い詰められた人間というのは普段の行いなど全く無視して行動に走るものなのだな。我々日本情報軍の降り立つ戦場も大抵の場合は追い詰めれた民衆がおり、彼らは国連、あるいは国連の代執行者の配給しようとする世界食糧計画の食料コンテナにロメロ映画のゾンビのように群がって、少しでも多くの食料を手にしようとするのは見たことがあるが。
やはり人間の生物としての三大欲求が満たされなければ、人は獣に戻るというわけだ。自己保存の本能に従って、自分が生き残るために、自分の欲求を満たすためにどんなことだろうとやるような獣になってしまうわけだね。
人間と獣の境界線など、実際のところそう明白ではないのだろう。
「食料を出せ! 食料を寄越せ!」
「教会だ! 教会の中に入って食料を探せ!」
民衆の怒りはエスカレートしていき、制止しようとする下層民の聖職者を押しのけ、教会に押し入ろうとする。
「何をしている、貴様らっ!」
民衆たちが教会に押し入ろうとしたときに、騎乗した集団がやってきた。
教会騎士団だ。白黒の祭服の上にプレートアーマーを纏った人間が杖を握って、この場にやってきた。民衆たちが恐怖に硬直するのが遠く離れても明白に分かる。
「お、俺たちはただ食料を……」
「教会に押し入って食料を奪おうとしたのか。この異端者どもめ。真に我々の崇めるべき神を崇め、敬意を抱いているならばこのようなことはしなかっただろう。邪悪な異端者である貴様らは全員火あぶりにされるのが似合いのようだ」
教会騎士団の騎士のひとりがそう告げて、杖を民衆に向ける。
「さあ、その罪を贖うがいい。己の血を以てして!」
教会騎士団の騎士はそう宣言すると杖の先から高圧水流を民衆に叩き込んだ。
民衆はそのウォーターカッターにも近い圧力の高圧水流を受けて、体が引き裂かれ、砕かれ、押し倒され、瞬く間に教会前は殺戮の現場となり果てた。
「逃げろ、逃げろ」
生き残りは息を切らしながらこの殺戮の場から逃げ出そうとする。教会騎士団の騎士はそれを弄ぶように追撃し、民衆を面白半分に殺していく。それでも数名の民衆は殺戮現場から逃げ出すことに成功し、路地裏に飛び込んで姿を消した。
「助けずともいいのですか?」
宿屋の窓からその光景を眺めていた俺にアティカが目を細めてそう告げてくる。
「今助けたところで教会にも大した食料は残っていないという事実を知るだけだよ。こうして教会騎士団が、好き勝手に暴れて、民衆の怒りを買ってくれる方が望ましい。今は恐怖しかないだろうが、飢えはじきにその恐怖すら勝る怒りを生み出す」
教会にもそこまで食料が残っていないのは既に確認してある。聖職貴族たちは自分たちの暮らす屋敷に食料を蓄えたが、教会にはそこまで残していないのだ。
それでも民衆には教会が食料を隠していると思っていてもらわなければならない。時として嘘というものは、真実より価値のあるものなのだ。
「彼らが事実を知った時、どうなるのでしょうね」
「彼らが事実を知ることはないよ。証拠は消えてなくなってしまうのだから」
アティカが呆れたように告げるのに、俺は小さく笑った。
カルナック市の大聖堂で火災が発生し、大聖堂が焼失したのは次の日のことだ。
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飢餓による恐怖に震え、同時に怒りを覚えている民衆の間で、農村部に行けば食料が残っているという情報が流れ始めたのは、大聖堂が焼け落ちた次の日からだった。
我々はその噂を流す数日前から既に農村部における食料配布を始めていた。
ルンビニ革命議会の兵士たちが農村に食料を運び、農村では飢えることがないことに対する安堵と自分たちを支援してくれたルンビニ革命議会に対する感謝の念で溢れた。
「我々はともに戦う同志を求めている」
今日も食料を供給した集落でジェラルドがそう告げる。
「精霊帝国も精霊教会も、我々のことなど考えてはいない。貴族たちは我々下層民のことを家畜以下だと見做している。そのために我々の自由は奪われ、尊厳は踏みにじられているのだ。これを打破しなければ、この冬を真の意味で越すことはできないだろう」
ジェラルドがそう語るのに、集落の人間や集落に食料も貰いに来た人間たちは聞き入っている。ジェラルドの言葉を無視して、食料だけを受け取り、そして去ってしまおうという人間はひとりとしていない。
「冬の食料事情は極めて厳しいものだ。我々は飢えに直面している。こうして我々が食料を供給しなければ、ルンビニ公国の住民は死に絶えていただろう。それでも食料だけでは我々は生きていけない。人としての自由がなければ、人としての尊厳がなければ、我々は生きていくことはできない。それを失くしては人は人ではなくなる。ただ、餌を与えられ、生殺与奪権を飼い主に握られた家畜に過ぎない」
ジェラルドの演説に民衆が同意する声を上げる。そうだ、その通りだ、間違いない。民衆は口々にそう告げ、ジェラルドの言葉に頷く。
「我々の今の立場は家畜にすら劣る。貴族は家畜である馬に餌を与えるが、冬に直面した我々には餌を与えないのだから。そのような状況を許していいのか。このまま精霊帝国の貴族たちの気分次第で生かされ、そして死ぬことを良しとするのか?」
「いいや! 俺たちは自由と尊厳を手にするべきだ!」
ジェラルドの言葉に民衆が大きく声を上げた。
「そうだ。そのためには精霊帝国を打ち倒さなければならない。我々は戦わなければならないのだ。精霊帝国と精霊教会を相手に戦わなければならない。我々が人としての自由と尊厳を勝ち取り、本当の人間になるために」
そこでマルコムが前に出た。
「貴族はこれまで無敵の存在だと思われてきた。だが、そうじゃない。貴族どもは今や殺すことが出来る相手だ。南部属州での知らせを聞いたものはこの中にはいるか?」
マルコムが尋ねるのに数名の人間が頷いて見せた。
「南部属州総督ゲルティ・フォン・マントイフェルは死んだ。南部の抵抗運動の手で殺されたのだ。このような武器を使って、南部の圧政者は死んだ」
マルコムはそう告げると民衆の前でAKM自動小銃を空に向けて引き金を引いた。
全て空砲だが、凄まじい銃声が響き、民衆たちは身をすくめた。
「これは銃という武器だ。貴族の魔術に勝り、貴族たちを殺すことができる。南部では既にこの武器を使った抵抗が始まっており、何十人という貴族を屠ってきた。それによって今や南部は自由と尊厳を獲得しようとしている」
マルコムも南部に向かい、そこで訓練を受けていた。バルトロのような軍閥の指導者から指揮官としての教育を受けていた。この銃火器を使っていかにして勝利するかという教育を受け、そしてルンビニ公国に帰ってきた。
彼は決意している。この銃火器を使って理想を手にするのだと。
「諸君が立ち上がれば、我々は自由と尊厳を手にできる。家畜、家畜以下の扱いをする精霊帝国の貴族たちを一掃し、我々は本当の人間になるのだ。自由と、平等と、博愛を胸にし、その理想が実現される世界を手にすることができる」
ジェラルドがマルコムに代わって再び語り始める。
「戦おう、諸君。我々の手に理想を!」
ジェラルドの言葉に民衆が喝采を浴びせた。
「しかし、我々は10年前に戦って敗れています。無残にも多くの人々があの風の精霊公ユーディト・フォン・ファルケンホルストによって殺されてしまったのです。それなのに今回もそうならないと言えるのですか?」
民衆の中の年老いた男性がそう告げる。
10年前の蜂起の失敗。
それはまだ人々の記憶に残っている。人々は10年前に蜂起した勇気ある者たちのことを記憶しており、そうであるがために今回の抵抗運動が本当に上手くいくのかと疑問に感じているのだ。10年前の蜂起では5000名の抵抗運動の兵士たちが死んでいるのだから。
「断言しよう。今回は必ず成功する。そして、我々は決して諦めない。我々の代で失敗しても次の代が、その次の代が自由と尊厳を手にする機会を失うようなことはさせない。我々は我々自身だけでなく、このルンビニ公国で暮らす次の世代にも責任を負っているのだ。そうであるが故に我々は決して諦めない」
ジェラルドはそう言い切った。
彼らは自分たちが自由になるためだけでなく、自分たちの子孫が同じように自由になれることを祈っているのだ。
俺はそんなことを思ったこともなかった。
少子高齢化が進み、衰退へと向かう日本国の国民として問題解決のための子孫を残そうと思ったことはある。今も精子バンクには俺の遺伝子情報が保存され、仮に俺が40代、50代で結婚したとしても、健康な遺伝子が残せるようになっている。
だが、恐らくそれを使う機会は永遠にないだろう。俺は何かを残すということに意義を見出せない。ただひたすらに破壊され、流され、変化し続けるものの中にこそ、俺は意義を見出した。今更子孫のことなど考えることはない。
「ともに戦ってくれる者はいるだろうか。いるならば名乗りを上げてほしい!」
ジェラルドがそう告げると集まった民衆が声を上げた。
「俺は戦うぞ!」
「俺もだ! 俺の息子たちのために!」
成功した。ジェラルドたちはこれまでの活動基盤である200名という少数で、高齢化した組織から、若く、力ある組織になろうとしている。
「ありがとう、ありがとう、諸君。我々の未来のために、我々の子供たちの未来のためにともに戦っていこうではないか」
ジェラルドは涙を流し、集まった民衆たちの手を握った。
「ヤシロ様」
俺がその様子をただ眺めているのに、エーデが声をかけてきた。
「何か気に障ることでもおありなのですか?」
「そんなことはないよ。ただ、彼らがこれからどうなるのかと思っていただけだ」
俺の感情を見透かしたようなエーデの問いに俺はただ小さく笑う。
ルンビニ革命議会。彼らは戦うだろう。猛々しく、精霊帝国を打ち倒すために戦うだろう。10年前に蜂起して、無駄死にした人間を英雄として神格化し、これから犠牲になる人間を英雄として祭り上げながら戦うことだろう。
英雄。英雄。英雄。
英雄なんていやしない。英霊なんて嘘っぱちだ。ただの軍事的な衝突による死者をそんな風に崇め奉るものではない。俺はそういうことは嫌いだ。あなたのお子さんは祖国日本国にとって立派な英雄でしたという文章を見るたびに吐き気がする。国家のためにというお題目が冠される度にうんざりさせられる。
共産主義者に射殺された家賃滞納のナチ党員のように、人は死んだ人間を祭り上げる。死んだ人間はそれ以上何もすることはなく、それ以上の醜聞を晒さないがために。生きている人間はこれから先何をするのか分からないが、死んだ人間がその時点で終わりであるがために。
死人を生きている人間の都合がいいように使う。それこそが死人の尊厳を踏みにじっている行為なのではないか。それとも死人に尊厳などないというのだろうか。
少なくとも俺には受け入れられない文化だ。
「そうですか」
エーデはどこか悲しそうな顔をしてそう告げた。
俺が事実を話さなかったことを察したのだろうか。エーデにはこちらのことを全て知られているような錯覚を抱くことがある。それは不気味であったが、同時に嘘を嘘で塗り固めて過ごすことを強いられている日本情報軍の軍人には心地よかった。
「しかし、ここでは都市の運動との農村の運動を別々に行う必要はないのですか?」
「そうだね。その必要はないだろう。農村と都市部門ごとの分類は必要になるだろうが、思想的には彼らは統一されているし、10年前の蜂起では都市と農村の垣根を越えて結束していた。南部のように断裂した状況が続いていたわけではない」
南部では農村部の闘争と都市部の闘争を個別に行わなければならなかった。
最終的にそれは統合されたとは言えど、当初それは分裂したものだった。バルトロの南部国民戦線とペネロペとレオナルドたちの南部民族会議は別々に行動していた。その主義主張には僅かながら差異が認められ、南部解放後のビジョンにも違いがあった。
南部国民戦線はバルトロを中心とした南部民族──エトルリア人による中央集権的な政権が発足されることを望み、南部民族会議はそれよりもより民主的で、各都市の自治権を尊重する政治体制を望んでいる。
その差異は今も生じたままだ。自由エトルリア同盟はペネロペの指導力によって表向きは統一された政治体制を発足させ、南部解放という目的のために団結している。だが、いつその解放後のビジョンの違いからくる対立が訪れるのかは分からない。
その点、ルンビニ公国における抵抗運動は統一されている。
ルンビニ公国の抵抗運動はかねてから組織されていたもので、その影響力は小さいながらも農村と都市の両方に及んでいた。そして、その思想はジェラルドの提唱する自由と平等な社会の実現であり、政治的な対立は存在しない。
もっとも、組織が巨大化すれば思想の違いも生まれてくるかもしれないが。
「彼らは精霊帝国を倒すために団結してるのですね」
「ああ。彼らは精霊帝国を倒すために団結している」
そこでエーデは嬉しそうな声色でそう告げた。
エーデは自由エトルリア同盟の思想にも、ルンビニ革命議会の思想にも影響されないだろう。彼女が求めるのは、ただ精霊帝国を破壊することだけなのだから。
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