水上の聖女は奇跡を示す
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──水上の聖女は奇跡を示す
あれから教会騎士団の追撃と捜索を避けるために我々は活動範囲を広範囲なものとした。太陽の上っている間はひたすらに歩き続け、村落では必要最小限のやり取りで、こちらのことは可能な限り情報を伏せた。
村落の住民たちの態度はやや軟化している。我々が精霊帝国を相手に確実にやり返していると分かってきたためだろうし、我々が贈り物として与える船舶から奪った食料や酒がいい賄賂になっているためでもあろう。
今回も村落で小舟を拝借し、運河で情報にあった船舶を待ち伏せる。
手投げ型のドローンの映像には待ち伏せ地点から1.5キロメートルを航行中の船舶の映像が映されている。今回の目標はそれだ。
甲板上には衛兵の姿が見えているが、警戒態勢が格段と引き上げられたわけでもなく、護衛の艦艇もいなければ、衛兵の数が増えているわけでもない。
ここまで無防備であると逆に怪しくなってくるのが人の心理だ。
「ヤシロ様」
目標の船舶が距離1キロメートルに迫った時、エーデが声を上げた。
「どうしたんだい?」
「敵意があり、力があるものの気配を感じます。貴族です。用心されてください」
なるほど。あの船舶は囮というわけか。
南部からの情報では確かに穀物を積み込んでいるが、その際に貴族も乗り込んだというわけだろう。抵抗運動が船舶を襲撃していることに気づいている精霊帝国は、船舶を守るためについに貴族が腰を上げたというわけだ。
ここで貴族の攻撃を受け、部隊が壊滅するのは困る。だが、相手の狙いはそれだ。抵抗運動を山林の中で洗い出せないのならば、抵抗運動が絶対に接触するだろう船舶で待ち伏せる。確実な手段だ。もっと早くこれをしなかったのは、貴族が貴族であるがためなのだろう。貴族はあくせくとは働かないものだ。
「各員、警戒。船舶に貴族が乗り込んでいる。最優先で排除せよ」
『了解』
俺はそう命じると魚臭い布の下からレーザーレンジファインダ―付きの双眼鏡で運河に姿を見せた船舶の様子を観察した。
ドローンからの映像の通りに甲板には衛兵の姿が見える。貴族の姿は見えない。貴族は内部にいるのだろう。貴族を相手に最初の一撃で仕留められないのはかなり面倒だが、ここは何とかするよりほかあるまい。
「距離300メートル」
今回は揺れる戦場からの射撃であることに加えて、機動性も遮蔽物もない小舟からの射撃になる。貴族の魔法は時として威力と精度において現代の銃火器を上回ることがある。そう考えるならば十二分に引き寄せておきたい。
「距離200メートル」
だが、あまり引き付けると今度は衛兵の有するクロスボウの射程に入ってしまう。衛兵の攻撃がお粗末なものであったとしても、武器を有する人間は脅威であることに変わりはない。用心しなければ誰かが死ぬことになる。
「距離150メートル」
そろそろ始めるとしよう。
「撃ち方始め」
我々は布を払いのけ、甲板上の衛兵に銃弾を叩き込む。
衛兵は何が起きたのかも分からないままに運河に転落し、船舶は進み続ける。
「移乗準備」
「移乗準備」
こうして小舟で船舶を襲っているとソマリアの海賊になった気分がしてくる。アフリカの角の安定化作戦は最終的に国連から民間軍事企業に投げられたんだったか。あそこでは多くの人間が血を流したが、最後はビジネスになったわけだ。
我々は素早く船舶に移乗し、銃を構える。
今回の装備は俺がMP7短機関銃。自由エトルリア同盟の兵士たちがAKM自動小銃。俺は先頭を進むことになるので、取り回しの利きやすい武器がいい。もっとも、この手のPDWはほとんどの場合アサルトカービンで代替できるのだが。
貴族がいるというエーデの情報に慎重に甲板を進む。エーデたちも移乗を完了し、周囲を警戒しながら合流した。
「エーデ。貴族の位置は?」
「この下です。甲板に上がり始めています。まもなく、甲板に出ます」
「各員、貴族に警戒。すぐに交戦に突入する」
船内から甲板までの距離は長いようで、短い。相手が碌に外を確認せずに出てくるならば、すぐに戦闘に突入するだろう。
「残り100歩」
「撃ち方準備」
船内から外に通じるのは積み荷を積み下ろしするときに使用する甲板上のハッチと船員が行き来するために使用する船橋の扉のふたつだ。そして、この場合貴族が出入りするのに使うのは船橋の扉以外にあり得ない。
「来ます」
エーデがそう告げたとき、戦況の扉が吹き飛んだ。
「賊どもっ! よくものうのうとこの私の乗る船を襲撃したものだな。だが、それが命取りとなるだろう。この次代の土の精霊公と噂されるルーカス・フォン・リュトヴィッツが貴様らを屠ってくれるわ!」
目の前に鉄の壁が展開し、その向こうから男が叫び声を上げる。
「手榴弾」
俺はその壁の向こう側に手榴弾を放り投げる。
数秒後に炸裂音とともに男の悲鳴が響いた。
「や、やってくれるな。だが、まだまだだ」
壁が突如として消滅し、その向こう側に貴族の姿が視認できた。貴族は全身を防爆スーツのような鎧で覆い、それで手榴弾から身を守ったようである。面倒な。
「牽制射撃」
「ゴーレムよ!」
俺が射撃を命じるのに貴族がそう叫んだ。
どこからともなく土が積もり、それが人型を形成する。
「ハハッ! このゴーレムは私のような高位の術者でなければ作れないのだ。これを以てして貴様を葬り去ってくれるわ」
貴族が上機嫌にそう告げると、2体の土の人型がこちらに向かってきた。
「ヤシロさん。どうしたらいいんですか!?」
「あの土の人型とは前にも交戦したことがある。落ち着いて射撃を集中させれば崩れる。エーデを援護するんだ。彼女が貴族を始末できるように」
「了解!」
混乱は一瞬だった。自由エトルリア同盟の兵士たちはシンドーナ兄弟を中心に土の人型に向けて射撃を行い、放たれた銃弾が土の人型を解体していく。1体が崩れ、もう1体も自動小銃の射撃によって蜂の巣にされる。
「まさか。そんな馬鹿な。私のゴーレムが崩れるなど」
貴族は呆気に取られていたが、あの城でゲルティを相手にしたときよりも状況は楽だ。こちらには10名近い戦力があり、貴族の側には応援が来る予定もないのだから。
「エーデ。今だ」
「はい、ヤシロ様」
我々が2体目の土の人型を撃破したとき、エーデが甲板を駆け抜けた。
彼女の鋭敏な銃剣が貴族に狙いを定め、金属の鎧の隙間にあるスリットを狙う。
「ゴ、ゴーレム! 私を守れ!」
貴族は再び土の人型を生み出すも、それはエーデに切り捨てられただけに終わった。銃剣が抉り込むように土の人型の腹部を貫き、そのままエーデは銃剣で土の人型を叩き切った。土の人型は上半身を失い、土に戻っていく。
「神の名において」
「ま、待て! 待って──」
エーデが鎧のスリットから銃剣を深々と突き刺した。銃剣は貴族の眼球を潰し、眼孔を貫いて恐らくは脳にまで銃剣の刃は到達した。
貴族は短く痙攣すると地面に崩れ落ち、金属の鎧も消え去る。そして、エーデは確認殺害のため貴族を足で仰向けにし眉間へ1発の銃弾を叩き込んだ。
「終わりました」
「ご苦労だったね、エーデ」
戦闘が終結してエーデが微笑むのに俺はそう告げて返した。
「やっぱり聖女って凄いですね。あんな土の怪物をあんなにあっさりと倒してしまうだなんて。流石は女神ウラナ様が遣わしてくださっただけはあります」
「そのようなことは。私はまだ聖女に相応しいことはできていませんので」
エーデが真に聖女と名乗るのは、精霊帝国が崩壊したときだろうか。
「さて、船内に残っている敵は?」
「2名です。貴族ではありません」
衛兵が2名か。注意を払えば犠牲は出さずに済みそうだ。
「片付けてしまおう。これで貴族側も少しは恐怖してくれるだろう」
貴族が護衛していた船舶までもが襲撃されて、消息不明になった。そのことは精霊帝国にとって衝撃をもたらすだろう。我々が組織した抵抗運動は貴族すらももはや敵とせず、容易に葬り去るのだとして。
そして、そのことを民衆が知った時、食料危機の恐怖と相まって、このルンビニ公国の地でも抵抗運動が本格的になる。
準備は着実に進んできている。後は炎を大きく燃やすために薪を積み上げるのだ。
そうすればこの穀物を乗せた船舶のように、反乱と憎悪の炎は高らかと燃えながら、精霊帝国を崩壊という名の川底に引きずり込むことだろう。
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運河を行きかう南部からの食料を輸送する船舶の損害率はほぼ90パーセントとなった。交易路は事実上寸断され、ルンビニ公国には南部から満足な食料が入手できなくなり始めている。それは大規模備蓄食料庫の食料を失ったルンビニ公国にとって致命的だった。
さらには冬が迫っている。ルンビニ公国内の食料は全て貴族によって差し押さえられ、下層民には冬の蓄えは残らない。このままでは下層民たちは冬を越せないだろう。
「事態は非常に危機的なのですね……」
ルンビニ公国総督にして風の精霊公ユーディト・フォン・ファルケンホルストは、自分の城であるサンクト・シャルトル城で代官の報告を聞き、呟くようにそう告げた。
「はい、閣下。このままでは大規模な餓死者がでます。どうにかして南部属州から食料を輸送しなければなりません」
代官はそのように報告する。
ユーディトはルンビニ公国総督の地位にあるが、その統治は代官に委ねられている。ユーディト自身は精霊教会への多額の寄付をするだけであり、他に何かをしようとすることはない。ただただ、神のために祈っているだけだ。
精霊帝国皇帝モレク・アイン・ティファレトを地上に遣わしてくださった神に対して、祈りを捧げているだけである。
「ですが、運河は抵抗運動によって封じられているのではないですか?」
「その通りですが、街道を使うなどして……」
ユーディトが問うのに代官がそう告げて返す。
「運河すら封じる相手が街道を無警戒にしているものでしょうか。街道の移動は運河での移動より遥かに時間がかかり、その道のりを全て警護することはできません。つまり、我々は既に南部との交易路を遮断されたのです」
そう告げてユーディトは祈るように十字架を握りしめた。
「しかし、閣下。この状況で無策というのはモレク陛下に申し開きができません。何かしらの策を講じなければ。運河の輸送に警備を増強するというのはどうでしょうか? 教会騎士団からも応援を募れば、それなり以上の戦力が護衛に就くことになります」
代官はそう告げるが、ユーディトは黙り込んでいる。
「……南部属州の貴族に船舶の護衛を依頼しましたね?」
「はい、閣下。そのように要請しました」
「その貴族はどうなりましたか?」
ユーディトのその問いに今度は代官が沈黙した。
「……行方不明です。船舶ごと姿を消しました。恐らくは……」
「つまり、相手は貴族ですら屠る力があるということなのですね。南部属州でゲルティが殺されたのです。驚くには値しませんが、恐怖はするべきです。我々は本当は何を相手にしているのだろうか、と」
ユーディトはそう告げて生気のない瞳で代官を見る。
「我々は何を相手にしているのでしょうか? 抵抗運動は南部属州において聖女という人物を解放したと聞きます。詳細を知っているのは、その処分に関わったヴィクトリアとモレク陛下だけですが、あれは本当に聖女であったのでしょうか?」
ユーディトは問う。
「じ、自分には分かりかねます、閣下。ただ、聖女は人間ではないとだけ。あれは悪魔憑きであり、おぞましい存在であるがためにアッシジ大聖堂の地下に封印せねばならなかったとだけ聞いております。あれは邪悪にして、災いをもたらす存在であると」
「やはりあれは精霊帝国に災いをもたらす存在なのですね……」
代官の言葉にユーディトが憂鬱そうな表情を浮かべる。
「モレク陛下にお聞きしなければなりません。精霊帝国の救世主にして預言者たるモレク陛下が聖女という存在を、あのアッシジの悪魔憑きを、どのように判断しているかお聞きせねばなりません。それによって我々の行動も変化するでしょう」
ユーディトはそう告げて代官を見る。
「モレク陛下に謁見の申し出を。ユーディトめがご意見を伺いたいと」
「はっ。しかし、閣下。食料問題はどうなさるのですか? 教会騎士団を船舶に乗り込ませるというのはどうでしょうか?」
ユーディトは食料問題について何の解決策も示していない。ただ、彼女の信じる精霊教会にとっての異端者にして、悪魔憑きであるエーデに関する情報を求めただけだ。逼迫している食料問題への答えはそこにない。
「彼らは馬上の戦いは知っているでしょうが、船上での戦いについて知っていると、あなたはそう思うのですか?」
「い、いえ。ですが、彼らは貴族であり魔術師です」
ユーディトの問いに代官はそう返す。
「そうですね。そして、相手はその貴族を殺すすべを有するものたちなのです。敬虔な精霊教会の信仰者たる彼らに死に行けとは私は命じられません」
「畏まりました、閣下」
ユーディトは教会騎士団の運河における護衛を拒否した。
だが、このまま状況を放っておけば、ルンビニ公国では餓死者が出始める。
「モレク陛下にお尋ねせねばなりません。あのアッシジの悪魔憑きの存在について」
ユーディトはサンクト・シャルトル城の窓から彼女が治めるルンビニ公国の大地を眺めてそう告げただけであった。
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