運河を堰き止めろ
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──運河を堰き止めろ
大規模備蓄食料庫への襲撃は成功した。
我々が襲撃したカルナック市の1か所の他に、3か所の大規模備蓄食料庫が襲撃され、焼き払われた。こちらが支払った犠牲はゼロで。完璧な成功だ。
そして、その影響は早速ルンビニ公国に影響を及ぼし始めた。
市場に並ぶ食料は侘しいものだったのが、ついに商品が皆無となった。飲食店の多くは休業の看板を下げてしまっている。
我々の目的であったものにも影響は出ている。
教会の炊き出しの規模が目に見えて縮小した。配っているパンの大きさも小さく、スープには具が入っていない。そんなものが少量ずつ配られている。
「ちょっと待ってくれ。うちには5人の子供がいるんだ。これは少なすぎる!」
「で、ですが、これが決まりですので……」
施しを受けていた男が叫ぶのに、修道女が身をすくめながらそう返した。
結構じゃないか。空腹から全員が苛立っている。
このまま人心が荒廃し、治安が荒れるならばそれはそれで成功だ。
だが、ただの治安悪化では精霊帝国は倒せない。貴族が鎮圧を図れば、それは各個撃破されて鎮圧されてしまうだろう。
そうであるからにして、我々は精霊帝国に反感を抱き、いよいよ自分たちの身が危険に晒されることを理解し始めた民衆に道を示さなければならない。
すなわち、抵抗運動に加わって、自分たちを虐げている精霊帝国を倒すという道を示さなければならない。
そのために必要なのは政治・宗教・民族などの要素だ。
ルンビニ革命議会は民族主義的なイデオロギーを持たない。その代わりに万人が平等な社会の実現という政治思想を有している。ルンビニ革命議会は革命によってルンビニ公国における革命を通じて、社会改革を行おうと考えている。
無論、いきなり21世紀並みの民主主義国家が実現するわけでもなければ、ルンビニ革命議会がその政治思想を確実に履行するかの保証もない。
少なくともルンビニ革命議会は精霊帝国からの独立を考えている。それでいい。
「ルンビニ公国の歴史は長いはずだった。少なくとも10世紀前までは精霊帝国に飲み込まれてはいなかったのだからな」
いつもの廃倉庫地下でマルコムがそう語る。
「そうだ。10世紀前までは我々は独立した国家でした。大公閣下は臣民である我々のことを思い、我々のための政治を行ってくれていました。我々民衆のことを精霊帝国のための奴隷としてではなく、ひとりひとりの血の通った臣民としての幸せを願って政治を行ってくれたのです。それがルンビニ公国の歴史なのです」
そして、ジェラルドも誇りを持ってそう語る。
10世紀。人々が過去を忘れ去るには十分すぎるほどの時間だ。
実際の歴史を知っている人間はルンビニ革命議会の中にもいないのではないだろうか。彼らの書物は残っておらず、彼らの使う文字は精霊帝国のものだ。既に歴史というものは消え、こうであったらよかったという願望になっているのではないだろうか。
「なるほど。それは理想的な国家だったのだね」
だが、それをいちいち指摘しても意味がない。人々がそれで踊るというのであれば、どんなくだらない考えだろうと受け入れようではないか。
「大公閣下の血筋は完全に断たれてしまいました。精霊帝国によって。故に我々は王も、貴族も、下層民もない新しい社会を目指すのです。新しい社会では皆が自由と尊厳を持ち、人として敬意を払われる社会となるのですよ」
ジェラルドの言葉に俺はただ頷く。
そのような社会を実現するには技術的にも、民衆の思想としても、今は難しいのではないかということを指摘はしない。
民衆は解放されれば、新しい奴隷を探すだろう。労働力というものはどうあっても必要であり、経済的にはそれが安価であることが追求される。恐らく都市部において自由と独立を手に入れても、農村部では相変わらず小作人や農奴による労働が続くだろう。
地域格差を完全に解決する方法など、地球の政治家ですら思いつかない。
「ヤシロ。俺たちはそんな社会を実現できるだろうか?」
そして、マルコムが俺にそう問いかける。
否定するのは簡単だ。彼らの理想が実現不可能であることなど、いくらでも挙げられるだろう。だが、そんなことをする意味があるというのか。
「理想は志し続ける限り、実現に近づくものだよ。決して諦めないことだ。理想を持ち続け、そのために必死に戦えば、いつか理想は実現できる。すぐに実現できないからといって諦めてはならない。理想とは理想であるがために達成が難しいのだ」
理想は志した時は輝かしく、立派なもので、それを胸に抱き続けることは有意義なことである。それが自分たちの行動で薄汚れていったとしても、志した最初のときの輝きを覚えているならば、そのために殉じられる。
もっとも、理想は所詮は理想だ。現実という壁を前にそれは呆気なく行く手を塞がれる。これまで多くの理想家の理想が、ただの夢想に終わってきた。夢を持とうとも人種差別はなくなっていないし、難民たちは未だに世界の負担であり、核兵器はなくなっていないどころか新たに使用された。理想とは、やはり所詮は理想なのだ。
「素晴らしい。我々は戦い続けますよ。理想を実現するために」
だが、理想とは麻薬にも似ていて、多幸感と理性の麻痺をもたらす。理想という名の言葉は、下手なドラッグよりも大勢の人間を殺している。
「では、戦い続けよう。次の目標は運河だ」
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ライン運河は半人工的な運河である。
ふたつの川を結び付けるように、支流を拡張し、建造された。
建造には15年の年月と下層民10万人の犠牲がかかった。労働者たちに対価は支払われず、彼らは完全な奴隷として扱われ、劣悪な環境下で次々に命を落としていった。
そんなライン運河であるからこそ、ルンビニ革命議会にとっては憎むべきものであった。その運河によって南部からルンビニ公国に食料が輸送されているとしても、それだけの血を吸った運河というものは受け入れがたいのだ。
「我々はこの運河を航行不能にする」
俺は地図のおけるライン運河の位置を指さしてそう告げた。
「大規模備蓄食料庫が焼き払われた今、食料事情を安定化させるために南部から食料が移送されることが予想される。我々がせっかく食料を焼き払い、抵抗運動に対する民衆支持の基盤を作ろうとしているのに、そのようなことになるのは望ましくない」
大規模備蓄食料庫が焼け落ちたことは抵抗運動による攻撃ではなく、事故であると発表された。ルンビニ公国総督ユーディトは情報規制によって、これ以上の混乱が起きようとするのを避けるつもりのようである。
だが、それはこちらにとって好都合。
民衆が抵抗運動から食料を奪ったという事実を知らなければ、民衆からの支持を得ることに問題はない。これが抵抗運動による攻撃だと知らされていれば、それはそれで精霊帝国側の支配は緩んだと民衆の目には映るであろう。
つまり、精霊帝国に選択肢はなかったのだ。
では、追撃だ。追撃をかけ、精霊帝国の行動をさらに束縛する。
「運河を塞ぐということは可能なのか? 運河は巨大だぞ」
「確かにこれだけの川幅のある運河はそう簡単には堰き止められないだろう。船を1、2隻沈めたところで話にならない。それではどうするのかと言えば──」
俺は運河をつうと指でなぞる。
「運河沿いに部隊を配置し、運河を航行する船舶を攻撃する。船舶を燃やし、船舶を沈め、南部からルンビニ公国に運び込まれるはずだった食料を海底に沈める。継続的な攻撃によって、事実上運河を使用不能にする」
運河を堰き止めるのは不可能だ。だが、使用するコストを吊り上げることはできる。
運河の周囲は開拓されていない地域も多くある。そこは絶好の潜伏ポイントだ。待ち伏せて攻撃を仕掛けるには向いている。
我々はそのような地点で敵の船舶を待ち伏せし、海に沈める。
幸いなことに運河は長い。警備を行うには長すぎる。敵は衛兵を総動員しても、運河全域を警備することなどできはしまい。
よって、運河の攻撃は現実的だ。
「ふむ。確かにそれならば現実的だな。俺たちにできることは?」
「あなた方は南部に人間を送ってそこで訓練を受けてきてくれ。それから現地の案内に何名かの人間を寄越してほしい。現地住民たちと意思疎通を取って協力してもらえるように説得するには、現地住民の助けが必要だ」
「分かった。こちらから人間を出そう。南部のどこに行けばいいんだ?」
「それはこちらで案内する」
ようやく自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会の本格的な連携が始まるわけだ。ともに大規模備蓄食料庫を襲撃し、貴族を殺し、我々は血と炎によって団結した、と。
「運河への攻撃は可能な限り急ぎたい。食料が運び込まれる前に運河を使用することにはコストがかかるのだということを理解させなければ」
「それもそうだが、南部は既に抵抗運動の手に落ちているのだろう? ならば元を断ってしまえばいい。南部から食料が輸出されなくなれば、運河を塞ぐという手間は省けるんじゃないのか? 運河をこれから攻撃し続けるよりも、その方が効果的だ」
マルコムが俺の意見にそう指摘する。
「南部は抵抗運動の手に落ちたわけではないよ。拮抗状態にあるだけだ。貴族たちは我々を大規模に攻撃できないし、我々も貴族たちを南部から蹴り出すまでには至っていない。精霊帝国本国が動けば、この拮抗状態は崩れ、我々は南部での活動を行うだけに留まらざるを得なくなるだろう。そうならないための北部進撃だ」
南部の貴族たちは南部属州総督たるゲルティを失い、混乱状況にある。だが、精霊帝国の貴族たちから南部を解放したのかと問われれば、そうではないと答える。
今も南部では貴族による支配が続いている場所が残り、抵抗運動は今もそれを必死に攻撃し、死体の山を築いているところだ。
しかし、それは絶妙なバランス感覚で行われている殺戮だ。精霊帝国本国が軍隊を動かすことのない規模の抵抗で、まだ南部の貴族たちだけで対応できるのだと思わせている。本格的な攻撃に転じるのは、北部においても反乱の芽が芽吹いてからだ。
つまり、我々は完全に南部からルンビニ公国への食料輸出を停止させることはできない。その数を少なくすることはできるだろうが、南部からルンビニ公国への食料供給が元から完全に断たれれば、精霊帝国本国が動いてしまう。
「あなた方が南部で訓練を受け、戦力となるならば全面蜂起の機会も回ってくるだろう。ルンビニ公国での戦いは南部にとっても希望であるのだ」
ルンビニ公国で勝利しなければ、南部における勝利もない。
その点では自由エトルリア同盟とルンビニ革命議会の利害は一致している。
「そこまで言われては仕方がない。運河への攻撃に賛同する。訓練のために南部に送る人員だが、我々の組織だと年寄りばかりだ。それでも大丈夫か?」
「ああ。あの武器は女子供であろうと兵士にする」
マルコムが告げるのに、俺がそう告げて返す。
「女子供、か」
そして、マルコムは俺の言葉を鼻で笑った。
だが、彼もいずれは考えるだろう。この限られた人的リソースにおいて、子供兵は使うべきか否かを。そして、結論を出すだろう。自由エトルリア同盟が出したように。
子供兵は使えるのだという悪魔の結論に。
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