殺し合いを引き起こすには
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──殺し合いを引き起こすには
交易都市ナジャフに到着した。
意外なことに、都市の入り口に検問などはなかった。
アティカが言うには交易都市ナジャフはごく少数の貴族と大多数の下層民で構築されている都市だそうで、下層民に対してはいちいち検問など行わないそうだ。下層民が何をしようと、雲の上の人間である貴族たちは気にしないというわけだ。
だが、時折意地の悪い衛兵がいて、積み荷を検査するといって積み荷を地面にまき散らしたり、罰金と称して金を巻き上げているのが目に入った。
不運な商人が商品である小麦を地面にまき散らされ、荷台から酒が見つかると、それは没収された。商人はとぼとぼと小麦を拾い集め、鈍いと衛兵に蹴り飛ばされながら、城門をくぐり、死んだような目で馬車を進ませていた。
「下層民同士の対立か」
「衛兵は下層民ではありますが、貴族の番犬です。貴族からは蔑まれ、下層民からは恨まれる。そういう職業を選んだことについては自己責任というものですね」
貴族がいくら魔術なる不思議な力が使えたとしても、街の治安維持を貴族だけでやるわけにはいかないというわけだ。
少数による大多数の支配とは巧妙にできている。
イラクのように少数派のスンニ派の独裁者が多数のシーア派を従わせたように。
「しかし、俺の服装はさして問題になるようなことではなかったね」
交易都市ナジャフに入ると、そこにはぼろきれのような服装の人間が多数いた。擦り切れ、継ぎ接ぎし、サイズの合っていない服を無理やり来ているような、そんな清潔感の欠けた人間が濃い体臭を漂わせながら群れている。
むしろ、俺の服装は上品すぎるものだったと言えるだろう。アティカの藍色のワンピースは言うまでもなく、上等すぎる。
だが、それを気にするような人間はここにはいない。
人種が雑多なのだ。コーカソイド系の住民がいれば、ネグロイド系の住民、そしてモンゴロイド系の住民がいる。経済事情も下層民の中では豊かそうな人物と、底辺の中の底辺に属するだろう人間が入り混じっている。
「流石は交易都市といったところか」
これならば紛れ込むのに問題はなさそうだ。
「では、何を偵察されますか?」
「様々なものをゆっくりと。都合のいいことに、向こうの会話は俺にも通じている。問題なく情報収集ができるだろう。そこでまずは──」
俺は交易都市ナジャフの通りを見渡す。
「食事するとするか」
「本当にのんびりしていますね」
俺はそう告げるのにアティカが目つきの悪い目をさらに細める。
「新聞があれば文句なしなのだが、下層民にどれほどの識字率があるかだ」
「下層民の識字率は都市部ではそれなりに高いものです。農村部ではほとんどが文盲となりますが、都市部では下層民による下層民のための教育も一部では施されており、識字率は全くのゼロというわけではありません」
「ならば、新聞はあるのかね?」
「貴族たちによって検閲されていますが、簡素なものでしたらあります」
「それはいいニュースだ」
たとえ検閲されているとしても、この世界で今何が起きているかを知る手がかりぐらいにはなるだろう。
俺は再び通りを見渡すと売店のようなものを探した。
売店はなかったが、新聞を売っている少年を見つけることはできた。
「1部。いくらかな?」
「50フォリントだよ」
「これでいいかな」
俺は持っている硬貨の中で、銀色に輝くものを選んで新聞売りの少年に手渡した。
「ちょっと。500フォリントなんて渡されても、おつりはないよ」
「なら、取っておいてくれ」
俺がそう言うとそういうことならと新聞売りの少年は俺から硬貨を受け取り、俺に新聞を1部手渡した。
俺が買ったのは“ナジャフ・アルゲマイネ”という新聞だった。
女神ウラナの祝福のおかげで、文字を読むことには苦労しない。
第一面には“聖バルトロマイの式典開催”というニュースがトップに乗っており、なんでも教会が聖人の誕生日を祝って式典をするそうだ。
この交易都市ナジャフに大司教が存在しており、宗教的な大権威として、この街の大聖堂に務めているらしい。今回の式典にもその人物が参加し、式典を取り仕切るようである。式典へ参加できるのは貴族たちだけだが。
「面白いニュースだ」
俺は小さく呟いて、新聞を畳み、アティカの方を向いた。
「では、食事に行こう。少し周囲の感触を窺ってみたい話ができた」
「地道な仕事ですね」
「ヒューミントとはそういうものだよ。誰もが殺しのライセンスと改造車を持った、ド派手なスパイというわけではない」
ヒューミントも、シギントも、エリントも地道に情報を収集していき、そうやって蓄積された数多の情報を地道に分析していくものだ。急いではことを仕損じる。冷静に、用心深く情報を集めていかなければならない。
「君は食事は必要なかったのだったね」
「確かに生理的には食事は必要ありません。ですが、美味しいものを味わう機能は備わっています。あなたが料理したのが蛇をそのまま焼いたものだったりしていたので遠慮していたのです。調味料もなしで、よく蛇の肉を食べられましたね」
「加熱できただけ食べやすかったよ」
もちろん、この世界に来るのに調味料など持ち込んでいない。蛇は皮を剥ぐなどして下ごしらえをし、そのまま焼いて食べただけだ。
「では、君も食事を楽しむといい」
俺はそう告げて、ちょうどいい混雑具合の食事処に入った。
テーブル席は満員でカウンター席が空いている。
「いらっしゃいませ。お食事ですか?」
「ああ。2名だ。いいかな?」
感じのいいウェイトレスがやってきて問いかける声に、俺はそう告げて返した。
「カウンター席の方にどうぞ」
俺はウェイトレスの案内で、カウンター席に座る。
「ご注文がお決まりになられましたら、お呼びください」
ウェイトレスは忙しいのか、慌ただしく去っていった。
「店主。明日に大司教が式典を開くそうだね」
「ああ。そうらしいですね。まあ、下層民の我々には関係のない話ですが」
俺が尋ねるのに、店主がそう返す。
「ここの大司教は好かれているかい。この間の街では尊敬を集めていたが」
俺はここでウソを混ぜて、店主の反応を探る。
「よく思っている人間はいませんよ。神に祝福されるのは魔術の使える貴族だけ。それ以外の人間は人にあらず。今回の式典も貴族たちのためであり、俺たちに教会の権威を見せつけるためのものでしょうさ」
店主はよほど鬱憤がたまっていたのか、そのように告げた。
「おおっと。喋りすぎちまいましたね。衛兵には秘密にしてください」
「理解しているとも」
やはり教会もそれなり以上の恨みを買ってるわけだ。
この国の絶対王政は王権神授説によるものだ。皇帝が神に選ばれたとし、絶対的な権力を振るう。そうであるならば、皇帝に権力を与えた神は下層民の敵となる。
「それでご注文は?」
「ハンバーグセットをもらおう。アティカ、君は何にするかね?」
「私はスープパスタセットを」
アティカが注文を告げる。
そして、運ばれてきたハンバーグはハンバーグだった。だが、一口口に運ぶと、それがファミレスのそれよりも遥かに不味いということが分かった。
肉汁はまるでなくてボール紙のようにぱさぱさだし、肉の中にはえらく筋が混じっている。恐らくことは素材の問題だろう。下層民は下層民の食事しかできないわけだ。
隣でパスタを食べているアティカは具がほとんどないスープパスタを黙々と口に運んでいる。あれも美味いのかどうかは分からないが、素材の価値に左右される度合いは少ないものだろう。俺もパスタにするべきだった。
「ところで、この店は創設から何年だい?」
「爺さんの代から続けて40年です。立派なものでしょう」
3世代で40年か。この世界の寿命はやや短いもののようだ。
「食事をありがとう。会計を頼む」
「400フォリントになります」
俺は先ほどの新聞売りの少年に教わった500フォリントの硬貨を差し出す。
「それでは行こうか、アティカ」
「ええ。行きましょう」
作戦は決まった。
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聖バルトロマイの式典は交易都市ナジャフの中央広場で開かれることになっていると、あの新聞には書いてあった。
開催を明日に控えて、中央広場は封鎖されており、衛兵たちが列を組んで、意地の悪い視線で周囲を監視している。そして、中央広場の中では式典に備えて会場の設営が始まっていた。会場と言っても演台がひとつと、客席が配置されているだけだ。
中央広場は大聖堂に面しており、演題は大聖堂を背景にしている。
アティカに聞いたが、大聖堂は貴族専用のもので、普通の下層民は外からそれを眺めるか、街中にある小さな教会に行かなければならないそうだ。
「まるでアパルトヘイトだな」
徹底した隔離政策がとられていることに俺は感心とも呆れともとれる息を漏らす。
「街中でも貴族は下層民と関わりを持たないように決して馬車から降りません。馬車の窓すら閉じて、視界に入れないようにすらするのです。そんな人たちが同じ祈り場を共有するとはとてもではないですが思えないではないですか」
アティカはそう告げて、遠巻きに中央広場を警護する衛兵たちを眺めた。
「それで、何をなさるおつもりなのでしょうか?」
「前にも話したが、混乱に必要なのは人の死だ。衝撃をもたらす事件はいろいろとあれど、取り返しがつかないのは人の死だ。人が死んでしまえば、もはや後戻りすることはできなくなる。不可逆な混乱には人の死が不可欠なのだよ」
前にも俺は同じようなことを部下に語って聞かせたことがある。
「つまり誰かを殺すと?」
「そういうことだ。権力者たちがその死に対して反応し、その反応に民衆が反応するようになれば混乱の下地はできたも同然だ。火は確実に広まり、内戦の炎が燃え上がるだろう。人と人が憎しみ合い、殺し合う内戦の炎が」
人という生き物は簡単に殺し合う。
イデオロギーのために。民族のために。宗教のために。家族のために。
その動機というのはさして重要ではない。人というのはもともと殺し合うようにできているのだ。ユダヤ人の精神科医が言っていたように、かの有名な書物に“汝殺すことなかれ”と書かれているのは、人は古来から殺人者であることを意味している。
一度、何かしらの“枷”が外れることがあれば、人間はその血筋に従って殺し合う。イデオロギーの衝突が枷を外すかもしれない。民族の理想が枷を外すかもしれない。宗教の教えが枷を外すかもしれない。家族の危機が枷を外すかもしれない。どのようなものでも、刺激さえあるならば枷を外しえる。
「思ったのですが」
俺がアティカにそう語った時に、アティカは目つきをより悪くして俺を見た。
「あなたは学者のように殺し合いについて語りますね。まるで嬉しそうに」
「そうかな。俺は学者になった覚えはないのだが」
アティカにそう告げたのちに、我々は衛兵に不審に思われることを避けるために中央広場を見渡せる場所から離れた。
会場には近づけない。爆発物を仕掛けるのは無理だろう。
ならば、手はひとつだ。
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