アンクル・トムの鉱山にて
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──アンクル・トムの鉱山にて
トゥーリオたちが脱走を計画していたのはコロシアムの剣闘士たちではなく、デルフィ市内の金鉱山で働かされている鉱山奴隷たちであった。
鉱山労働というのは昔から過酷なものである。特に坑道のような狭く、その基盤の確かではない環境においては様々な死の可能性がある。
坑道の崩落による圧死、窒息死。鉱山の水没による水死。ガスの噴出による中毒死。そんな危険に満ちた環境での労働を奴隷に任せるというのは、古くからの伝統であった。それは世界が産業革命を迎えてからも、鉱山における児童労働という過酷なものが残っているという事実がある。
そんなデルフィ市の金鉱山はデルフィ市の主な収入源であり、その正式な所有者は南部属州総督にして土の精霊公ゲルティ・フォン・マントイフェルであった。
今、鉱山の管理と運営を行っているのはその彼から委任された貴族であり、その貴族は各地から奴隷を買い集め、金鉱山での労働を強いていた。
劣悪な環境において奴隷たちは30歳の誕生日を迎える前に死ぬ。夜明けから夜更けまで働かされて、満足な食事も休憩もなく、不衛生な環境に大人数を押し込められて働かされているのでは、その寿命が短いことも納得できる。
その奴隷たちによって採掘された金は魔術師である貴族によって精錬され、黄金に輝く金塊となってデルフィ市から売却される。その金は精霊帝国中央──帝都シオンにある造幣局によって金貨に加工されたり、貴族たちを喜ばせるためのアクセサリーに加工されたりする。それを採掘した下層民が手にすることはない。
鉱山。地下資源。それは現代の地球においても争いの火種であり、非人道的行動の原動力となるものであった。
軍閥やテロリストはその組織を維持するために収入を必要とする。それは外国からの支援という形で得られることもあったが、ほとんどの軍閥の場合は自分たちの組織に必要な資金は自分たちで稼がなければならなかった。
そこで軍閥たちは産業を興す。それはドラッグの密造であったり、武器の密造であったりしたが、もっと確実なのは地下資源であった。
紛争ダイヤモンドという言葉を聞いたことがあるだろうか。
その名の通り紛争地帯で採掘されたダイヤモンドだ。軍閥の収入源として採掘され、先進国に販売されてきた宝石のことだ。
場所はアフリカ。この地下資源の豊富な眠れる巨人は冷戦終結後も内戦という混迷した時期を過ごしていた。反政府勢力がマチェットで民衆の腕を切断し、子供たちをドラッグ漬けにして子供兵として利用する、そんな混乱した時代を過ごしていた。今もなお。
だが、そこに蔓延る軍閥たちは冷戦終結後、危機を迎えていた。これまで自分たちを支援してくれていたソ連が消滅し、アメリカも手を引いたことで、活動資金を失ったのだ。合法非合法問わず武器商人たちから武器を買うには資金が必要だ。それがなければ、彼らは戦争を続けることができない。
そこで軍閥たちはアフリカの豊富な地下資源──ダイヤモンドを売ることにした。
ダイヤモンド。ダイヤモンドは永遠の輝き。先進国では素敵なアクセサリーとしてダイヤモンドが購入され、その資金が紛争地帯に流れて武器を買う資金になる。ダイヤモンドは紛争という炎の輝きを永遠にしていた。
軍閥のみならず、様々な勢力がダイヤモンドを狙ってアフリカで戦渦を広げた。あの有名な民間軍事企業エグゼクティブ・アウトカムズ社も、ダイヤモンド鉱山の争奪戦に参加した。それは内戦を終結させることに繋がったりもすれば、内戦をより混乱させるほうに繋がったりもした。
アフリカの民衆の血でダイヤモンドが輝いているのは、流石に倫理的な問題があると考えた人間もいたので、紛争ダイヤモンドは規制される方向になった。本当に美しく、血の臭いがしない適切なプロセスを得たダイヤモンドだけが市場に出回るようにと。
だが、この手のプロセスには必ず穴がある。産地偽装や第三国を経由することやブラックマーケットでの売買などで、結局は紛争ダイヤモンドは市場に流れていた。
そして、アフリカに続いて中央アジアが混沌の中に突き落とされると、そこでも同じようなことが起きた。今回は紛争ダイヤモンドならぬ紛争レアメタルだ。一般的にこれらの地下資源を紛争鉱物と呼ぶ。
レアメタル、レアアースは現代社会にとって欠かせない存在だ。携帯電話、コンピューター、電気自動車、ナノマシンなどの現代を代表する製品には必ずと言っていいほど希少な地下資源が使用されている。
中央アジア各国が内戦に突入し、軍閥が跋扈したとき軍閥たちは自分たちの足元に眠っているこれら地下資源に目を付けた。
彼らは先進国が必要とする地下資源を拉致したり、買ったりした奴隷たちを使って採掘させ、先進国に売って資金源とした。地下資源を売却し、その金でさらなる武器を買い、奴隷を買い、勢力を拡大しては他の軍閥が支配する鉱山に攻撃を仕掛ける。
そこで働かされる労働力は使い捨てだ。劣悪な環境下で、健康に被害の生じる薬品や鉱物を扱い、逆らえば殺される。子供だろうと、女性だろうと、病人や怪我人であろうとも、軍閥は労働力として使い潰した。
結果、中央アジアの内戦は長期化した。数多の武器が投じられ、数多の虐殺の犠牲者が計上され、数多の混乱が中央アジア全土に広まった。
それでも先進国はその必要性から中央アジアの鉱物資源を完全には輸入停止にできない。地球温暖化問題など環境問題に対応するためには電気自動車などのハイテク産業を推進しなければならないし、北極で暮らせなくなる可哀そうなホッキョクグマと比べたら中央アジアの人間の価値など大したものではなかったが故に。
奴隷は今も地球の鉱山で働き、彼らの流した血と汗と涙を知ることなく、先進国の住民はクリーンでスマートな生活を享受しているのだ。
そんな状況を内戦の最中にある中央アジアにいた我々日本情報軍は知っていた。だが、何もしはしなかった。軍閥やテロリストたちが鉱山を巡って争っている限りは、その攻撃の矛先は自分たちに向かわなかったのでそれでよかったのだ。
しかし、デルフィ市の金鉱山はそのように見過ごすことはできない目標だ。
ここはゲルティ・フォン・マントイフェルの財政を、そして延いては精霊帝国の財政を支えている。ここが万全の状況にあることは望ましくない。
もっとも、今からやることの直接的結果で彼らに大打撃が与えられるとは思わない。鉱山から奴隷を十数名逃がしたところで、精霊帝国は代わりの奴隷を投じるだけだ。
この作戦の意義は間接的影響の方が重視されている。
すなわち、聖女エーデの起こす奇跡の影響が。
「準備はできたか?」
時刻は0300。夜襲には打ってつけの時間帯だ。
俺とエーデ、そしてシンドーナ兄弟はトゥーリオたちの抵抗運動とともに地下下水道を進み、鉱山近くにある兵舎の傍の茂みに身を潜めていた。
トゥーリオたちの抵抗運動からは6名が作戦に参加している。彼らは脱走奴隷たちで、武器こそ持っていないが負傷者や女子供を鉱山から連れ出し、地下下水道で安全に逃がす役割を負っていた。彼らが奴隷を逃がす。
我々はと言えば、少しばかりエーデの奇跡を示すために暴れるのだ。
「できている。作戦を改めて確認しよう」
俺はトゥーリオにそう告げて軍用規格のタブレット端末を広げる。
「奴隷たちの宿舎の隣には別の兵舎があり、常に12人体制で見張りが行われている。奴隷の宿舎がある兵舎にいる衛兵50名前後。12名を同時に気づかれず、そして警報を発されることなく排除することはまず不可能だ」
これまでトゥーリオたちの抵抗運動は奴隷たちを脱走させてきた。何度も、何度も、十数名もの奴隷を逃がしてきた。
それに相手が対応するのは分かり切った話であった。敵は警備を強化し、奴隷の脱走を防止する。奴隷の宿舎の見張りは強化され、隙がなくなり、いつでも衛兵たちが奴隷たちの暴動を鎮圧できる状況を作り上げた。
この状況で以前と同じように奴隷を脱走させようとしても失敗する。
「そこでこの奴隷の宿舎から離れた兵舎で騒動を起こす。兵舎に火を放ち、一暴れする。そこで衛兵たちがこちらに向かったところで、奴隷たちを纏めて脱走させる。今回の脱走を逃せば、恐らく次はもっと強固な警備になり手が出せなくなる」
警戒度は上がった。だが、まだ対処可能なレベルだ。
奴隷の宿舎は外から施錠させれているが、奴隷たちは鎖に繋がれているわけでも、個々の独房に収容されているわけでもない。少人数、短時間でも大量の脱走が実現可能だ。
無論、そのためには奴隷の宿舎に併設されている衛兵の兵舎や見張りをどうにかしなければならない。
そのための陽動だ。
この奴隷の宿舎より低地に位置する別の兵舎に攻撃を仕掛け、敵の注意がこちらに向いたところで、別動隊が奴隷たちを解放する。全ての衛兵がこちらに向かってくるほど都合がいいものではないだろうが、少なくとも主力は引き寄せられるはずだ。
何せ、このデルフィ市では貴族が暗殺されたばかりで、衛兵たちは抵抗運動の存在を恐れている。抵抗運動が兵舎を攻撃してきたと考えても不思議ではない。
「役割分担は事前に話し合った通りだ。俺とエーデがここで衛兵たちを相手にし、シンドーナ兄弟とそちらの抵抗運動が奴隷たちを解放する。それでいいね?」
「しかし、ここの兵舎にいる衛兵は200名近い。それでも大丈夫なのか?」
俺が告げるのに、トゥーリオがそう尋ねる。
「問題はない。聖女の奇跡を見せようではないか」
幸いにして今回は重装備に身を固めている。
今回の俺の装備は念願の強化外骨格を装備し、手にはミニミ軽機関銃を手にしている。日本情報軍の正式装備である日本製の強化外骨格。淡水環境下で飼育された海洋哺乳類の筋肉を加工して作られた人工筋肉によって、個人の行える作業量と規模を大幅に増強できる装備だ。
これに日本情報軍の同じく正式装備である防弾チョッキ4型とナノスキンスーツ、そして環境適応迷彩効果が加えられた迷彩服5型が加われば日本情報軍第101特別情報大隊の最低ラインのドレスコードは完成だ。これらはどのような状況でも兵士が一定の戦果を挙げ、生還することが期待できる装備品セットである。もっとも、今の状況においてそれらを全て揃えることは過剰装備であるが。
強化外骨格の購入にはかなりの魂を消費することになったが、注文したのは1着だけだ。シンドーナ兄弟はこれを装着した状況での戦闘を訓練されていないし、この強化外骨格の装着者による動きを上回る運動力を示すエーデには邪魔になるだけであるがため。
この強化外骨格とナノマシンによる補助、そして古くはあるが確かな性能がある軽機関銃と各種爆薬を組み合わせれば、碌な夜戦装備も飛び道具も持たない衛兵たちが200名集まろうと大したことはない。
それにこちらにはエーデもいる。
「こちらは派手に暴れる。そちらは迅速に行動し、決して地下下水道での移動のことを悟られぬように離脱してくれたまえ。この暗闇がそちらの行動を助けてはくれるだろうが、衛兵も馬鹿でなければ逃げる奴隷を追うはずだ」
「そっちは任せてください。俺たちがどうにかします」
俺の言葉にセルジョが頷いてそう告げる。彼は本格的な戦闘任務──それも英雄的な行動が求められる少人数での作戦を前に興奮している。
だが、俺は誰にも英雄になってもらうつもりはない。英雄は逃避の称号だ。愚か者と英雄の間には、そこまでの違いはない。両者はほぼ同じものであり、時と場合に応じて使い分けられるだけに過ぎない。
エーデにはそんな英雄ではなく、確かな象徴になってもらう。
「よろしい。では、時刻規正を行う」
全員に行き渡った軍用規格のデジタル時計の時間をぴったりに合わせる。数秒のずれでも命に繋がりかねない軍隊においてよくよく行われることだ。
「0315にこちらは行動を開始する。そちらの幸運を祈る」
「そららも神の加護があらんことを祈る」
この世界の神は些か当てにならないが、その加護もないよりはましだろう。
トゥーリオたちの抵抗運動のメンバーとシンドーナ兄弟は再び地下下水道に潜り、これから奴隷の宿舎付近の地下下水道入り口を目指す。地下下水道は奴隷の宿舎に直結した出口はないものの、近くに出入り口がある。
「エーデ。不安はないかい」
「ありません、ヤシロ様」
俺が尋ねるのにエーデは何の迷いもなく答えた。
「ヤシロ様がいらっしゃって、女神ウラナ様の加護があるのです。恐れるものはありません。我々は必ず勝利するでしょう」
エーデはそう告げて優し気に微笑む。
本当に彼女は恐怖を覚えていない。これから自分たちの何百倍もの敵と戦うというのに彼女は全く恐怖していない。そのことは彼女の表情筋の動きを見れば分かる。
神を信じているから? 中央アジアの軍閥は神を信じていても、死は恐れた。彼らは神のためというお題目を掲げても、死は恐れた。彼らが死後の生があると思っていなかったのか、それとも自分たちのやってきたことから死後の生が決して幸せなものではないと思っていたのかは定かではないが。
エーデの状況は神を信じて戦う軍閥の兵士たちより、先進国の特殊作戦部隊のオペレーターたちの状況に似ている。ナノマシンを頭に叩き込み最適な緊張が維持され、恐怖という感情を握り潰された兵士たちの状況に似ているだろう。
ナノマシンで感情を調整された兵士たちは死の恐怖に混乱することがないようになっている。ナノマシンが自己保存の本能を残しながらも、死そのものを恐れないようにしているのだ。だから、兵士たちは適切な判断を下し、恐怖によって体を縛られたりしない。
だが、それは生命としては狂った状況だ。生命というものは死を恐れるものだ。野生動物のほとんどは死に敏感であり、本能的に死を避ける。死の恐怖を前にすればアドレナリンが分泌され、心臓が高鳴り、ストレスによって突き動かされる。それが自然だ。
死を恐れず行動する特殊作戦部隊のオペレーターたちはゾンビのようにも見える。ナノマシンが恐怖を掻き消し、痛みを掻き消し、ナノスキンスーツが銃創を止血し、兵士たちは頭を吹き飛ばされるまで戦い続ける。
エーデはそんな特殊作戦部隊のオペレーターに似ている。ナノマシンの補助を受けていなくとも、まるで恐怖を抱いていない様子はそれなのだ。
「エーデ。君は死が怖くはないのか。死とは終わりだ。全てがそこで終わる。死後の生などありはしない。それは幻想だ。死ねばただの肉塊だけが残り、そこに宿る精神も何もかもが消滅するのだ。それでも死は怖くないのか」
俺はエーデにそう問いかける。
「はい。たとえ死後の世界がなくとも、そこで全てが終わろうと怖くはありません。私は神託で戦うことを運命づけられたのです。戦って、精霊帝国を打倒することだけが存在意義なのです。その過程で死ぬこともあるかもしれません。ですが、それに怯えて神託を果たせなくては私が私である意味がなくなります」
エーデは笑みを浮かべたままそう告げた。
「女神ウラナは君に何を約束したんだい? 何を与えられるからそこまで神託を信じられる? 恐らく、女神ウラナは君が死ねば代わりの人間に神託を与えるよ」
「分かりません。神託は神託です。神から与えられた運命です。私にはそれに見返りを求めるようなことは思いつきません」
俺が少しばかり苛立って尋ねるのに、エーデは困った表情を浮かべてそう返した。
ああ。違った。エーデは特殊作戦部隊のオペレーターたちのようなゾンビではない。彼女は純粋無垢なのだ。神を疑うことを想像すらせず、人生の意義を広大な社会に求めない。ただ、彼女が信じるもののために戦う。
エーデは聖女だ。紛うことなき純粋無垢にして、白痴の聖女だ。
もし、エーデの瞳が焼かれておらず、その輝きがあったならば俺は発狂していたかもしれない。彼女はあまりにも純粋無垢だ。俺のように世俗の泥で薄汚れた人間にとっては、あまりにも眩しすぎる劇物だ。
「時間だ」
俺はそう告げて時計を叩く。
お喋りは終わりだ。仕事を始める。
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