真夜中、血染めの聖女
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──真夜中、血染めの聖女
我々は地下下水道を駆け抜けて、標的の貴族の屋敷に迫る。
「では、仕掛けよう」
俺は地下下水道の整備用出入口になっているマンホールを慎重に、静かに持ち上げ、頭を半分だけ出すと素早く周囲に視線を走らせた。
屋敷の警備は交代済みであり、2名が門の前に立っている。俺のナノマシンによって補正された聴覚には遠くで歩く金属の鎧を纏った人間の立てる物音が聞こえるのみ。少なくともこの付近に2名以上の敵はいない。
「エーデ。出るよ。手を貸そう」
「ありがとうございます」
俺はマンホールから這い出ると、エーデに手を貸して引き上げた。
そして、また静かにマンホールを閉じると前方を見据える。
闇夜の中にランタンを下げた衛兵が2名。右手に一列に並んでいる。我々は衛兵の側面におり、衛兵はこちらに気づいた様子はない。
「ここは俺が処理する。君は静かにしていてくれ」
「はい、ヤシロ様」
俺はサプレッサーの装着された自動小銃を構えたまま、衛兵たちににじり寄る。側面からの接近に、衛兵たちはまるで気づいていない。彼らはただぼうっと城門の前に立ち、そのまま雑談を交わしてるだけだった。
あの売春宿の娼婦はいい女だった。俺はコロシアムの賭けでスっちまった。娼婦を買う金がない。これからまた下層民たちを脅して賄賂を手に入れなければならないな。
そんな他愛のない話を衛兵たちはぼんやりを交わしてる。
それは衛兵のこめかみに照準を合わせると、深く息を吸ってゆっくりと吐き出す。そして、呼吸によるブレがなくなった状態で引き金を引いた。
放たれた5.56x45ミリNATO弾は衛兵のこめかみにめり込み、頭蓋骨の中で暴れまわって脳を撹拌すると、その膨大な運動エネルギーに従って反対側のこめかみから抜けていった。脳漿がまき散らされ、衛兵は僅かに痙攣するとその場に崩れ落ちた。
まるで警戒状況になかったもうひとりの衛兵がその異常に気づいたときにはあまりにも遅かった。彼は何が起きたか分からず、呆然として倒れた仲間を見ているところを額から銃弾がめり込み、脳漿をお土産にライフル弾は抜けていった。
「前方、クリア。死体を発見される前に素早く動くよ」
俺は倒れた衛兵たちの下に向かうと、屋敷の門の錠前をワイヤーカッターで切断し、門をなるべく音をたてないように開く。そして屋敷を覆う壁の中にふたりの衛兵の死体を素早く運び込み、隠蔽した。
「ここからが勝負だ。屋敷の中にも警備はいるだろう。衛兵が屋敷を守っている可能性は十二分にある。ここからは可能な限り交戦を避け、隠密行動で進む。衛兵を見かけても、それがどうしようもない障害でない限り交戦は避けるように」
「交戦は避けるですね。理解しました」
俺はエーデを連れて屋敷の敷地内に入り、屋敷の正面入り口に向かう。
ドアの鍵についてはペネロペから情報を得ていた。簡単な錠前でピッキングツールを使えば2分と経たずに開錠することができた。
俺は慎重に扉を開き、銃口をそっと扉の間から擦り込ませながら、室内にどれほどの目標がいるのかを確認しようとする。
正面玄関には敵影はなかった。使用人が働いている様子も見受けられない。
流石に電気もなく、夜が来て暗くなれば寝るという体内リズムを有しているこの世界の住民で残って仕事をしている使用人はいないようだ。
俺は自動小銃を構えたまま室内をクリアリングし、正面玄関に繋がる室内に人間はいないと判断するとエーデに合図を送り、エーデは音もなく屋敷の中に入る。
「エーデ。君の感覚ではどれほどの人間がここにいる?」
「1階に1名。2階に5名。1階の人間は武装していません。民間人だと思われます。上階の人間には貴族が混じっています。注意されてください」
俺はエーデのその言葉を確認するために室内の捜索を続ける。
すると1階の裏口のところに人間がいた。どうやらこの屋敷の使用人のようであり、裏口に腰かけたまま、ぼんやりと空を眺めている。
これは無害だな。次だ。
我々は慎重に階段を上っていき、エーデとふたりで死角を潰しながら、2階へと達する。視力のないエーデに後方の死角を潰すことを頼むというのもおかしな話だが、彼女は見え方は我々と異なるとしても世界が見えているのだからそれでいいだろう。
我々は階段を上り終えて階上に達すると、まずは廊下をクリアリングする。
階段付近の廊下には敵はいない。
我々は階上の廊下の奥に進み、ナノマシンが整えてくれている適度な感情と、ナノマシンが殺している魂の叫びを胸に、ゆっくりと階上のフロアを進む。
「ヤシロ様。この廊下の角を曲がって290歩のところに兵士がいます。数は2名」
「分かった」
俺はエーデの特殊な感覚を信じつつあった。
そいて、俺が角から顔を出すと、確かに2名の兵士がいる。だが、彼らは廊下を移動しており、向こうからこちらに向かってきている。
俺は顔を引っ込め、衛兵たちが角に差し掛かるのを待った。
「エーデ。静かに仕留めよう。物音を立てないように慎重に」
「分かりました」
そして、次の瞬間、衛兵たちが曲がり角を通り過ぎようとしたとき、俺とエーデが彼らに飛び掛かった。
俺は衛兵の口を塞ぎ、コンバットナイフで喉笛を掻き切る。鮮血が噴出し、衛兵は何が起きたのか分からないままに出血性ショックにより俺の腕の中で息絶えた。
エーデの方は装着していない銃剣で喉を突き刺し、そして心臓を突き刺す。こちらも悲鳴を上げる暇はなく、エーデに抱えられる形で息絶えた。
「残り3名」
「残りはいずれも貴族です。注意さなってください」
3名の貴族か。メイドを手籠めにして殺したリーヌス・フォン・ロッソウとその家族だろう。家族に恨みはないが、この状況では殺さなければならない可能性が高い。
我々は貴族の邸宅の中を進む。
「貴族は南西の方角、距離320歩のところです。動きはありません」
「つまりあの扉の部屋の中だね」
このような室内戦では素早い判断が必要になる。室内戦では閉所故に突発的な遭遇と戦闘が起きやすく、野戦よりも素早く引き金を引かなければ相手に蜂の巣にされることがあるためだ。紛争地帯につきもののどこで製造したかも分からないカラシニコフでも、室内戦の戦闘距離では十二分に敵を殺傷し得る。
そのような室内戦を優位に進めるために日本情報軍は様々な装備を有していた。
狭い隙間から室内の様子を偵察するファイバースコープ。特殊作戦部隊のオペレーターの脳内のナノマシンにリンクした超小型のドローン。パックボットを祖先の持つ、人工知能で自律的に室内を偵察し、交戦する軍用ロボット。
兵士の価値は現代においては酷く高くなった。慢性的な高齢者社会と若者の軍という閉鎖的で、危険で、束縛された職場環境を忌避する傾向から、軍への志願者は少なく、それに加えて現代の兵士に求められる専門性の高さによって兵士の価値は一兵卒であっても使い捨てなどにはできないほどに高くなった。
だからこそ、軍は兵士を過保護なまでに守ろうとする。ドローンやロボットで危険な任務を代わりに行わせ、各種装備で犠牲を最低限にまで抑え、ナノマシンでその人間という脆弱な主を有する精神を保護する。
そして何より日本情報軍は自分たちで戦わないという選択肢すらも選んだ。軍閥やテロリストたちを殺し合わせ、自分たちはそれを見物し、その戦いが継続するように調整する。異国の人間を殺し合わせて、日本の国益を守る。
それでよかったのだ。それで日本の国益が守られるならば、それで日本の兵士たちの家族に送られるお悔やみの手紙が少なくなれば、それでよかったのだ。
この世界でも俺は異国の人間を殺し合わせている。下層民と貴族の軍隊を殺し合わせている。内戦の炎を燃やし、人々を殺戮と憎悪の中に突き落とそうとしている。
俺に与えられた目的──精霊帝国の転覆のために、異国の人間を利用する。これからもそうし続けるだろう。
そのことに悔いの念などない。俺はこれを罪だとは思っていない。同じことをやれと言われれば何度でも同じことをするだろう。
これは俺の仄暗い感情を満たしてくれるのだ。
とは言えど、今は自分で行動しなければならない。この仕事は他の人間には任せられないものだ。少なくともレオナルドの提示した条件においては。
レオナルドの条件がなく、貴族を殺すだけならばシンドーナ兄弟にやらせただろう。貴族が馬車で屋敷を出て、人の多い通りに入ったところを白昼堂々と蜂の巣にしてやればいいだけの話なのだから。
だが、レオナルドは期限を短く指定してきたし、殺し方にまで注文を付けた。故に前述のようなシンプルで、他人に任せられる作戦は実行を諦めざるを得なかった。
もっとも、俺は自分の手を汚すのが嫌いなわけではない。日本情報軍第101特別情報大隊という特殊作戦部隊にいて、たくさん殺してきたのだから。
「扉に鍵はかかっていない。3カウントで突入しよう」
「分かりました」
せめてこの屋敷の見取り図でもあれば、突入後の行動がスムーズに行えるのだが。現状ではナノマシンによる体感時間の遅滞化を駆使して、幾度も訓練で行ってきたように的確な行動を行うことに尽力するしかない。
3、2、1。
静かに扉を開き、我々は内部に突入する。
いた。
事前に伝えられていた目標の貴族リーヌス・フォン・ロッソウと外見的特徴が一致する人間が天蓋付きの大きなベッドの上で眠っている。
その脇には妻だろう中年のふくよかな女性。そして、少し離れたベビーベッドには1歳にも満たない程度の赤子が眠っていた。
俺はサプレッサーを装着したHK45T自動拳銃を抜くと、その銃口を女性の頭部に向け、引き金を絞った。.45口径のサブソニック弾が発射される音はほとんどなく、放たれた銃弾は女性の頭を弾き飛ばし、枕に脳漿が飛び散る。
「後は──」
「私がやります」
俺が自動拳銃をホルスターに収めるのに、エーデがそう告げた。
「では任せよう」
俺はそう告げてエーデに道を譲った。
目的の貴族はまだ目を覚ましていない。隣で妻が死んでいるというのに、貴族は静かに寝息を立てていた。
そこにエーデが近づく。鋭く研がれた銃剣を握り、静かに近づく。
「!?」
そして、エーデは貴族の口を抑え込み、そこで初めて貴族は目を覚ました。
エーデは貴族の口を抑えたまま、慌てふためく貴族の様子を眺めるように顔を動かすと銃剣を貴族の首に突き立てる。そして、そのまま抉るように銃剣を横に動かし、貴族の喉を掻き切った。レオナルドのつけた注文通りに、相手の目を見ながらナイフで貴族の首を掻き切った。
貴族の首から気泡の混じった血が吹き上げ、エーデの貴族の口を押さえる手から貴族の吐く血が滲んでくる。エーデは喉元から銃剣を抜くと、次はそれを未だに死に至っていない貴族の心臓に深々と突き立てた。
貴族の体が最後にビクリと痙攣すると、そのまま四肢から力が抜けてだらりと垂れ下がり、その指先から地面にぽたぽたと血が滴り落ちた。エーデはそれを確認すると銃剣を引き抜き、貴族の口から手を離した。
「終わりました」
そして、エーデは血塗れの手でにこやかに微笑む。
彼女の目にはこの惨状がどのように映っているのだろうか。彼女は自分のしていることを理解しているのだろうか。彼女は神のためにというお題目を本当に心の底から信じ、それを理由に行動しているのだろうか。
本当に信じているからこそ、平気なのだろう。人を殺すことも、命の危険がある戦場に飛び込むことも、家族の死と2年間の監禁に何の感情も抱かないことも、何もかも。
彼女は正真正銘の聖女だ。
「よくやったね、エーデ。それでは離脱しよう。長居は無用だ。これ以上、ここにいて警報が鳴らされた時のリスクを冒す必要はない。急ごう」
「はい、ヤシロ様」
そして、彼女は女神ウラナが俺をこの世界に送り込んだことを知っている。そのように女神ウラナが神託として伝えたのだろうから。
彼女の信仰の対象にはその俺も含まれていることは、彼女の態度を見ても間違いない。彼女にとっては彼女に神託を与えた女神ウラナも、その彼女が遣わした俺も、同様に信仰するべき対象なのである。
そのことには些かぞっとさせられる。俺は崇められるような対象ではない。崇められるほどの偉業を成し遂げたわけでもなければ、敬意に値する人格者でもないのだ。
それでもエーデは俺を信じてくれるのだろう。
この世界にいる俺の数少ない信頼のおける同盟者は俺を裏切らない。
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