地下下水道を駆け抜けて
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──地下下水道を駆け抜けて
件の貴族、リーヌス・フォン・ロッソウはデルフィ市内に邸宅を有していた。
街の中心部付近にある邸宅で、貴族の邸宅の多くがそうであるように屋敷は高い塀に覆われ、周囲には衛兵が立っていた。
警備としてはそれなりだ。1日監視したが、夜間も警備は行われている。3交代制で、夜2200に警備の交代が行われる。衛兵たちの装備は小型のクロスボウと1メートル強の長さの槍。室内戦などは想定しない。
夜間の人通りはほとんどなく、時折警邏の衛兵が周囲を回るものの、別の衛兵たちによって警備が行われている屋敷の方には全く近づかない。
衛兵を排除することは問題にならないだろう。そして、貴族を殺すことにも問題はないだろう。レオナルドは街の中で騒ぎが起きたとしても、無事にここから脱出させることを約束している。それにいざとなればどうやってでも城門を突破することは可能だ。
だが、殺すまでに騒ぎが起きては困る。
夜間の人通りのなく、遮蔽物も少ないこのデルフィ市の通りを装備を抱えて歩いていれば、間違いなく発見されるだろう。それが面倒だった。
警邏の衛兵の通過時間やルートの規則性が分かればよかったのだが、残念なことにそんな時間的余裕はなかった。我々は2日で目標を始末しなければならないのだ。
だが、幸いなことに助けはあった。
ペネロペだ。彼女が“秘密の通路”の存在を教えてくれた。
ペネロペ曰く、脱走奴隷の脱走ルートにも使われている地下下水道で、デルフィ市内に張り巡らされている。脱走奴隷たちがペネロペたちの印刷した機関紙“自由の声”を配達するのにも使用されており、詳細な地図がある。
それによれば貴族の邸宅の傍に出入り口がひとつあった。
ここから侵入し、警備を片付け、貴族を始末する。
問題は動員する人員だ。
全員を連れていくつもりはなかった。今回は突発的な戦闘の危険性を可能な限り抑えた隠密作戦であり暗殺任務だ。火力を増やす必要はないし、素人を大勢引き連れてこの手の任務に赴くのは少しばかりぞっとする。
俺とバックアップの1名がいれば十分。
そこで俺はシンドーナ兄弟のどちらかに同行を頼もうかと思った。シンドーナ兄弟はバルトロに選ばれただけあって、それなりの練度があるし、アッシジ市の戦いを経験している。市街地戦が全くの初めてというわけではない。
エーデ、アティカには留守番を頼み、セルジョがシストのいずれかと暗殺任務に向かう。そのことを俺は宿屋の部屋に全員を集めて告げた。
「ヤシロ様。私が同行するのはダメでしょうか?」
そこでエーデがこう言い出したのだ。
「君がか? だが……」
「お役に立ちたいのです」
エーデか。
彼女もある意味ではアッシジ市の戦いを経験し、そこで能力を示してる。その人間離れした力は、現代技術の恩恵を受けた特殊作戦部隊のオペレーターでも再現不可能なものであった。その点では彼女に問題はない。
だが、彼女は子供だ。
子供兵を使うことを忌避しているわけではない。子供兵など山ほど使った。中央アジアの内戦で我々日本情報軍が軍閥やテロリストを介して使い潰した子供兵の数は、軽く4桁を超えるだろう。我々は子供兵を使い、使い、使い潰した。
しかし、それは使用の用途が今回の場合とは異なる。
日本情報軍は子供兵を戦力として当てにしたことはほとんどないのだ。彼らは、撹乱に成功すれば好都合、という程度の戦力でしかなかった。
陽動のために検問所を襲撃させたり、街中で自爆テロを行わせたり、パトロールの車両にパイプ爆弾を投げさせる。その結果、彼らが文字通り全滅しようが、攻撃が不発に終わろうが関係はなかった。攻撃があったという事実があれば相手は動いたのだから。
今回はそういうわけにはいかない仕事だ。
繊細な隠密と暗殺任務。それは日本情報軍がもっとも信頼する特殊作戦部隊──日本情報軍第101特別情報大隊によって執行されてきた。
俗称、日本国首狩り部隊。日本の有する殺し屋ども。法律なき死刑執行人。国家のために、というお題目を信じている健康な男女。命令に忠実たる国家のしもべ。
日本国と言う国家にとっての汚れ仕事を引き受ける掃除係。
俺自身もそこに所属している。
我々は暗殺任務のエキスパートだった。ここ最近の暗殺の手法が、主にドローンからの対地ミサイル攻撃に取って代わられつつあっても、地上を這って進む兵士たちが銃とナイフによって目標を消さなければならないということはなくなりはしなかった。
第101特別情報大隊は西側の同業者の中でも実戦経験豊富で、刈り取った首の数はかなりの数に及ぶ。それだけの実戦経験と最適な訓練、そしてナノマシンによる補助を受けた特殊作戦部隊のオペレーターこそがこの手の任務における最適解だ。
決して子供兵にその代わりをやらせようなどという人間はいない。
「エーデ。君は命令もなく発砲した。今回もそういうことがあっては困る」
エーデは子供であるし、レオナルドたちとの接触では命令もなくリベラトーレ・ファミリーの構成員とレオナルド本人に向けて発砲した。
そういう不安定な部分があるのは、この手の任務において大きな支障となる。
「申し訳ありません……。あの時は敵意が感じられたので……」
盲目のエーデにこの世界がどう映っているのか、俺には分からない。ただ、我々が見ているようには映っていないのだろう。
そして、彼女は人間を超えた感覚を持っている。ナノマシンで補助された特殊作戦部隊のオペレーターを超えた感覚を持っている。そしてまた、その感覚がどのようにあの発砲に繋がったのか、俺には知るすべはない。
ただ、彼女は命令なく発砲した。軍隊ではそれは問題だ。いくら南部国民戦線の兵士たちが民兵で、交戦規定が時折守られていなくとも、俺の指揮下においては問題だ。
だが──。
「次はきちんと交戦規定を守れるか? 次は不用意な発砲は絶対に許されない」
「できます。信じてください」
エーデのその感覚は不確定とは言えど、有益だ。彼女は遠く離れた目標を的確に感知したという実績がある。どの程度の索敵距離があり、どの程度の精度があるのかは分からないが、全くないよりは当てになる。
結局のところ、シンドーナ兄弟の方が野戦における実戦経験はあるが、市街地戦の経験はエーデと同じだ。
「では、エーデ。君が一緒に来てくれ。セルジョとシストは宿屋で待機。作戦の成否はその場で報告する。成功した場合はそのまま待機。失敗した場合は君たちだけでドン・リベラトーレに接触し、この街を出るんだ」
「了解」
もし、エーデを連れて行って失敗したとしても俺が責任を取る。エーデは必ず脱出させるし、シンドーナ兄弟に尻ぬぐいは頼まない。
「では、エーデ。俺の命令には必ず従ってくれたまえ。今回は絶対に不用意な騒動を起こすわけにはいかない。我々の失敗は我々の命が失われるだけの損害に留まらない。南部国民戦線の勝利にも、精霊帝国の打倒にも影響する」
「はい、ヤシロ様。あなたのおっしゃるがままに従います」
エーデは真剣な表情で頷く。
「では、今夜決行だ。全員、準備してくれ」
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深夜2200。
俺とエーデはペネロペに示された地下下水道を進んでいた。
地下下水道はそれなり以上に広く、汚物の臭いが立ち込めている。
この地は東に聳え立つ金鉱山があったことで水が溜まりやすくなっており、地下下水道が整備される以前の大雨の日は大量の水が溜まり、洪水になっていたという。
そのため、金鉱山を保有する貴族がデルフィ市における地下下水道の整備を命じ、下層民たちの手で地下下水道が作られた。地下と閉所という最悪な環境での作業のため、事故によって多くの死傷者を出しこそしたものの、その犠牲によって地下下水道は整備された。
この際、下層民たちは貴族が作業の様子をまるで見に来ないのをいいことに、自分たちのための隠し通路をいくつも作った。それは今では脱走奴隷の逃亡に使われたり、リベラトーレ・ファミリーが街の外で商売をすることに使われたりしている。
そして、今現在その地下下水道は精霊帝国の貴族リーヌス・フォン・ロッソウ暗殺のために使用されている。
いくつもの分岐がある迷路のような地下下水道を俺とエーデは事前に十二分に把握しておいた地図で的確に通り抜ける。軍人にとってこの手の地形の把握は必須の能力だ。三次元の構造だろうと、的確に把握できなければ特殊作戦部隊のオペレーターはできない。
装備は俺がいつものHK416自動小銃にサプレッサーを装着して装備し、エーデはM14自動小銃にサプレッサーを装着して装備している。そして、エーデの希望でエーデには銃剣が6本支給されていた。彼女はサイドアームのサプレッサーが装備されたP320自動拳銃と自動小銃の予備マガジン4個──7.62x51ミリNATO弾80発──に加えて銃剣を6本、その都市型迷彩のタクティカルベストに吊るしている。
歪な装備だ。少なくともそんなに多くの銃剣を装備することはありえない。
だが、エーデの希望だ。エーデは我々とは異なる感覚器官で動き、我々とは違う方法で戦う。我々日本情報軍の常識は通用しない。
「そろそろ出口だ。時刻は2215。屋敷の警備の交代が終わった直後になるはずだが、万が一の場合に備えて周囲に警戒。エーデ、何か感じるか?」
「人の気配を感じます。距離は900歩先に数は2名、動きは止まっています。それから1600歩先に数2名、東から西に向かって歩いています」
「900歩先のが屋敷の警備だ。もう一方は警邏中の衛兵だね。こちらには向かっていない。予定通りだ。仕掛けよう」
エーデのその特殊な感覚がどこまで通じるのかは分からないし、どこまで信じていいのかも分からない。だが、警備の数と距離については俺の推測した通りのものになっている。目安にすることはそこまでの間違いではないだろう。
「私はお役に立てていますか?」
エーデはナノマシンが光源を増幅し、補正した俺の視野の中で、心配そうな顔をしてそう告げた。このデルフィ市に来てから、エーデは様々な表情を見せている。
子供たちへの愛情ある笑いの表情。レオナルドへの怒りの表情。失敗したときの悲しみの表情。そして、今の心配の表情。
最初は人を心配させまいとする優し気な笑いだけを見せていたエーデが、これだけ多様な表情を見せている。俺は彼女のことを感情の起伏が少ない子供だと思っていたが、どうやらそれはただの思い込みだったようだ。
「君は役に立っているよ。俺は君を頼りにしている」
「よかったです」
俺が告げるのにエーデが微笑む。
感情の起伏が少ないのは俺の方だ。俺はナノマシンの感情適応調整を受けて、どんなにショッキングなことがあろうとも、その感情をフラットに保つようになっている。
目の前で誰かが死んでも、目の前で誰かを殺しても、俺の感情はフラットであり続ける。人工的に調整された緊張感のみが作用し、何の感情の起伏も起こさない。
目の前で戦友が子供兵が構えるカラシニコフに撃たれたときも、その頭蓋から脳漿が飛び散った瞬間を見ても、俺は何の感情の起伏も湧き起こらなかった。俺は極めて冷静に戦友を撃った子供兵の頭にダブルタップを決めただけだった。
俺は戦友が殺されたことになんの衝撃も受けなかった。本来感じるべき怒りや悲しみをまるで感じず、ただ目の前に現れた敵に向けて銃弾を放っただけだった。
戦友の死体を抱え、それを帰投するためのティルトローター機に乗せたときも、俺の中には何の感情もなかった。ただただ、事務的に戦友の死を報告し、家族にお悔やみの手紙を書いた。あなたのお子さんは英雄です。日本のために名誉の戦死を遂げられました。お悔やみ申し上げます。
そのテンプレートに沿った手紙を書いているときも、俺の中は英雄という言葉に嫌悪を抱いたもののフラットだった。
日本情報軍の兵士は人間性の何かが欠如している。任務を極めて優秀にこなすが、彼らの中には人間性が足りていない。そして、俺もまた他者のことを想像するという共感性が欠如していたのだろう。それとももっと多くの人間性が欠如しているのか。
それは今の俺には知りようがない。
少なくともエーデよりも俺の方が人間性は確実に欠如しているというだけだ。
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