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新聞というのも複雑なものでして

……………………


 ──新聞というのも複雑なものでして



 我々が河川公園に来てから30分が経過した。


 河川公園いっても堤防の下にちょっとしたスペースが空いているだけで、そこで下層民の子供たちが遊んでいた。ボールを蹴って遊んだり、追いかけっこをして遊んだり。子供たちはまだ精霊帝国の弾圧の恐怖には触れていないようである。


「失礼」


 俺が河川敷に腰かけて新聞を眺めているのに、女性の声がかけられた。


「なんでしょうか?」


「我々には共通の友人がいるのではないでしょうか?」


 声をかけてきたのは栗毛色の髪をボブカットにして纏めた若い女性で、好奇心に満ちたきらきらと輝く瞳で我々を見ている。


「違うと言ったら?」


「何も。何も起きません。私は去り、あなた方はここで新聞を読んで過ごす。それだけで終わりです。そう、何も起きないのです」


 女性の年齢は20代前半ごろだろう。興味心旺盛な態度からは情報要員としての色を感じ取ることは難しいが、その目の中には好奇心に混じって、情報要員たちが有する相手を品定めする試すような色が混じっている。


「では、今日を有意義な日にしよう。我々は君が待っていた人間だ」


「それは重畳。あたしは南部民族会議のメンバーだ。ところで、あなたが南部国民戦線のメンバーだと証明するすべはあるのかな?」


 こちらが疑えば、向こうだって疑う。当たり前のことだ。


「ここにバルトロからの書状がある。それが証明する唯一の手段だ」


 俺はそう告げてバルトロから託された書状を女性に差し出した。


「オーケー。確認しました。では、改めて自己紹介を。あたしはペネロペ・ピレッリ。南部民族会議の末端組織のメンバーだ。あなた達はこのデルフィ市に来ることで誠実さを示し、私たちの信頼を得た。次はあたしたちがあなた方に対する信頼を得るためのことをしなければならないね」


「何をするのかな?」


 ペネロペが早口で語るのに、俺はゆっくりとそう尋ねた。


「我々が絶対にあなたたちを裏切らないという証拠をお見せするんですよ。そう、つまりはこちらの弱みを晒すことになる。ついてきて」


 ペネロペはそう告げると河川公園から進み始めた。


「では、いこうか」


 俺が手を降って合図すると河川公園で周辺に目を光らせていたシンドーナ兄弟とエーデ、アティカが動いた。


 我々は一定の距離を置いて進む。万が一、このペネロペが裏切って衛兵に我々のことを告げた場合に備えて。先頭の俺は拳銃で応戦し、後方のシンドーナ兄弟は鞄からAKMS自動小銃を取り出して応戦する。


 だが、ぶっつけ本番になる。上手く連携できる自信はない。


 ペネロペが裏切らないことを願うばかりだ。


「こっちだよ」


 ペネロペはそう告げて通りを曲がった。


 通りを曲がるとそこは随分と薄汚れた場所であった。発展途上国にあるようなスラム街とでも言うべきものであり、廃材で作られた家屋が路地に並び、表の建物も廃材によって増改築されており、緑というものは見当たらない。ただただ、人々は風雨を凌ぐ場所を欲し、そのために作られた区画だというのが窺える。


「ここは貧民街。とは言っても貴族たちの暮らす地域はみんなこんな感じだけれどね。ここはその中でも特に酷い場所。住民には脱走奴隷とかも混じってるから」


「脱走奴隷? 都市にも奴隷がいるのか?」


 ペネロペが街を歩きながら説明するのに、俺が尋ねた。


「いるさ。貴族がコロシアムで玩具にして殺す奴隷とか金鉱山で残りカスみたいな金を採掘するために磨り潰される鉱山奴隷たちがね。どっちも30歳の誕生日を迎える前に死んでしまうから、逃げ出すんだよ。逃げ出した先にも自由はないけれどね」


 そういえばこのデルフィ市にはコロシアムがあったんだったな。貴族たちはどうやら古代ローマ帝国のように下層民の奴隷をコロシアムに放り込んで、殺し合わせたりなどして楽しんでいるらしい。悪趣味な。


「奴隷が解放されることは?」


「死んだときだけ。死だけが救いだよ。みんな諦めてる」


 諦観、か。死を覚悟した人間が見せる諦め。


 これは嫌な感じだ。


「しかし、脱走奴隷を脱走させている人間もいるのだろう?」


「それがここでの抵抗運動レジスンタンスさ。あたしたちが奴隷を脱走させている。貴族たちを殺すことはできないけれど、奴らの足を引っ張ってやることはできる」


「ふうむ」


 それなりに効果のある抵抗運動だろう。貴族たちがその報復としてそこらの下層民を手当たり次第に奴隷にしなければの話だが。


 下層民は元より貴族の奴隷のようなものだ。ただの下層民でもゴミのように扱われる。それが本当の奴隷になったら、いったいどのような仕打ちが待っているのだろうか。そして、奴隷たちは逃げ出したとしてどうやって明日を暮らしていくのだろうか。


 このデルフィ市の状況は些か複雑そうだ。


「さて、ここだよ。付いてきて」


 ペネロペはそう告げると一軒の古びた家屋の扉を潜り、我々を招き入れる。


 家屋の中はカビの臭いがする。どこかが腐っているのかもしれない。それに加えて隣人が怒鳴り合っているのが大きく響いている。壁の厚さもそこまでのものではなさそうだ。本格的に安い住居なのだな。


「ここで見たことは他言無用だよ?」


 ペネロペはそう告げて念を押すと、タンスを押してずらし、そこにある地下への入り口を見せた。なるほど。大層な秘密が眠っていそうではないか。


 ペネロペは地下への階段を下りていく。ここら辺は後から急ごしらえで作られたらしく、床板はギシギシと音を発し、いつ壊れるかも分からなかった。


 そして、行きついた先には造りの頑丈そうな扉が見える。


 ペネロペはその扉をノックした。


「黒き月は?」


 すると、扉の向こうから問いかけが来る。


「闇夜に吠える」


 ペネロペがそう告げると鍵を外す音が響き、扉が開かれた。


「ペネロペ。無事に接触できたんだな」


「当たり前。こっちが南部国民戦線の皆さん。自己紹介はまだだよ」


 扉から顔を出したのは頬に深い裂傷の痕跡がある初老の男性だった。肉屋のようなエプロンを身に着け、そこは黒い液体が付着した痕跡がある。


「南部民族会議のピエトロ・ピレッリだ。ペネロぺの祖父でもある」


「南部国民戦線の八代です。こちらはシンドーナ兄弟とアティカ、そして聖女エーデ」


 ピエトロが手を差し出して挨拶するのに俺はそう告げてその手を握った。


「聖女か。噂は本当だったんだな……」


 ピエトロはエーデの顔をまじまじを見つめるとそう呟いた。


 やはり人は彼女から人ならざるものを感じるのか。バルトロも、ピエトロも、そして俺もエーデを見た瞬間、彼女が聖女であることを理解した。その美しさが、その纏っている言葉では言い表せない神秘的な雰囲気が彼女を聖女だと認識させているのだろうか。


「おじいちゃん。あれをこの人たちに見せてあげて。この人たちは危険を冒してデルフィ市に飛び込んできたんだから、こっちも相手を信用させないと」


「ああ、分かった。こっちだ」


 ペネロペの言葉でピエトロが動く。扉の奥へと進んでいく。


「これだ。何か分かるか?」


 そして、部屋の奥にあったのは巨大な機械であった。


「何なんですか、これ?」


「さあ、何だろうな……」


 シストが尋ねるのにセルジョが首を傾げる。


「これは印刷機だな」


 俺はこの機械の正体が分かった。


 これは活版印刷機だ。それも初歩的なものである。中世にグーテンベルクが開発したかのような。手動で動き、文字を印刷する機械が目の前にあった。


「そう! 一発で見抜くとはなかなかだね、お兄さん。お兄さんの言うようにこれは印刷機。あたしたちの自由を求める戦いの重要な武器だ」


 ペネロペは感心したように俺を見る。


「これで我々の抵抗運動の機関紙“自由の声”を印刷している。民衆に貴族の卑劣さを伝え、我々が手にするべき自由と尊厳を伝え、来るべき一斉蜂起の日に備えて準備するようにと武装闘争の行い方を伝えている。この自由の声があるからこそ、我々は団結していられる。我々は共通の理想を共有することができ、そうであるが故にそれを得るための戦いに赴くことを決意できる。まさにその名の通り自由の声だ」


「だが、印刷物は貴族の検閲を受けているのだろう。これは違法な印刷機か?」


 これまでの情報では印刷物は全て貴族たちの検閲を受けている、とのことだった。交易都市ナジャフで購入した新聞も、街中に張り出されているポスターも、出版されている本も、全てが貴族の検閲を受けて、体制に不利になる印刷物は発行が許されないはずだ。


「そうだよ。これは違法な印刷機。印刷工場から部品交換の名目で一部品ごと持ち出して、6年かけて組み立てのがこの印刷機。あたしたちの武器だ」


 6年、か。エーデが囚われていた時間よりも長い。そのころから既に抵抗運動の芽は出ていたわけなのだね。


 南部は屈さずというわけか。


「貴族たちにとって自由な出版物というのは脅威だ。奴らは知識を怖がる。精霊帝国を脅かすのは魔術ではなく知識だということを知っている。民衆たちが知識を持てば、精霊帝国は脆くも崩れ去るということを理解している。知識の力は皇帝モレク・アイン・ティファレトすら屠る力を持つ」


 ペネロペはそう自慢げに語る。


「これまで何度も焚書が行われてきた。幾度となく書物が燃やされ、著者が焼き殺されてきた。民衆が知識を得ることがないように、民衆が無知な奴隷でいるようにと。貴族の連中は民衆が知識を持てば、どうなるかを知っているのさ。数で勝る民衆が共有された知識を持てば、数で劣る貴族たちは不利になるってね」


 そう早口で捲し立てながらペネロペは続ける。


「民衆は今はまだ無知で、貴族の奴隷だ。だが、この自由の声が民衆を啓蒙する。民衆は自分たちの置かれている状況が如何に理不尽なものかを知り、そして次は貴族たちとの戦い方について理解する。そうやって立ち上がった民衆が精霊帝国をこの南部から叩き出すんだ。理想像だけでも共有できれば、それは戦いにおいて団結の鍵になる。そして、民衆の真の団結は貴族たちの支配を打ち破るんだよ」


 確かに知識は無知な大衆を体制にとっての脅威に変える力がある。


 ルターによる聖書のドイツ語への翻訳は宗教改革を引き起こした。ヘブライ語・ギリシャ語原典から翻訳された聖書の言葉の意味を大衆が知ることで、宗教への認識が変わったのだ。このルターの起こした宗教改革では体制である神聖ローマ帝国皇帝カール5世の地位が揺さぶられた。


 ヨーロッパだけではなく、アジアにおいても知識の力は評価されている。中国の始皇帝も知識の力を知っていた。だから、彼は焚書坑儒の名の通り、知識を抹消した。権力を脅かす知識は必要ないとして、これまでの文化の歴史ごと抹消した。


 フィクションにおいてすらも知識の力は示される。ジョージ・オーウェルの描いた世界では独裁体制を永続させるために知識は言語の単位で刈り取られた。かの有名な言葉である「無知は力である」というスローガンの名において。


 そして何より、この目の前にある活版印刷の開発は社会を変えた。ルネサンス文化の始まりを告げるこの発明はこれまで貴重なものであった書物をより身近なものに変えた。多くの本が出版され、大衆に知識を広め、科学・文化・政治のあらゆる方面で改革を促す原動力となった。


 そう、知識には力がある。そして、それは悪用することもできる。


 知識の負の側面とも言えるプロパガンダは歴史を動かしてきた。


 偏った知識は民衆を特定の思想に誘導する。それは戦時下や全体主義国家では必要とされるものであり、プロパガンダによって民衆は誘導され、特定の国家に敵意を有したり、自分たちの指導者や体制を神格化した。


 革命後のソ連。ナチス政権下のドイツ。冷戦下のアメリカ。国や人種、イデオロギーを問わず、プロパガンダという手法は利用されてきた。


 そして、今ペネロペたちが行おうとしていることもプロパガンダだ。


 彼らは決して、中立的な立場から純粋な知識を広めようとしているわけではない。彼らはあくまで精霊帝国の転覆を狙った情報発信を行っている。その知識には政治的に大衆を誘導するべき目的があるというわけだ。


 無論、純粋な知識などというものはこの世にほとんどない。知識というものは得てして何らかの作用があり、その知識を発見した人間のベクトルが含まれるのだ。そういうものが一切含まれていない知識はそれこそ自然科学における発見程度だろう。その自然科学の発見にすらも、人々は優生学という思想を見出したのだが。


 ただ、その知識を広めるものに作為がないならば、ベクトルの異なる知識も併せて発信するべきである。ギリシャの哲学者たちが様々な意見を交えて、知識を深めたように。


 だが、今は戦時下である。そのようなくだらない善意は必要ない。現代日本ですら戦時下では情報統制を行い、自分たちにとって都合のいい情報が流れるように宣伝工作を行ったのだ。日本情報軍にはそのような宣伝工作に関わる部隊も存在し、彼らは一般メディアを介して、日本の国益になる情報を流すことに成功していた。


 だから、俺はペネロペたちの活動を否定しない。むしろ、肯定する。


 精霊帝国を転覆させるために彼らはプロパガンダを広めるべきだ。抵抗運動にとって有益な情報を流すべきだ。大衆を動かす知識の力を発揮するべきだ。


 その後のことなど知ったことではないのでね。


「君たちの抵抗運動は理解できた。まだここでは武器によらない抵抗が起きているのだね。どれほどの民衆が君たちの運動に賛成しているのかな?」


「まだ規模はそこまで大きくはない。だけれど、確実に広まってはいる。脱走奴隷たちは危険を冒してこの自由の声を賛同者たちに配ってくれるし、それを見て我々の仲間に加わりたいという人間も出てきている」


「数にしてどの程度だろうか」


「200名程度だ」


 期待していたよりも少ないな。今の南部国民戦線が500名を超える戦闘員を有していると考えると、この人口の密集した都市で200名というのは見劣りする。


「やはり行動が必要なのだろうな。君たちはアッシジ市の件を報道したか?」


「もちろんだよ。抵抗運動の大きな勝利として報道したね。それによって民衆は貴族たちに勝つことは絶対に不可能ではないと信じ始めている」


 俺が尋ねるのにペネロペが自慢げに告げた。


「それでも活動人員は200名か。テコ入れが必要だな」


 ここからアッシジ市は遠い。地球ならば各種交通手段と通信技術によってすぐの距離も、この世界の未発展な技術では遠い存在である。


 アッシジ市の襲撃だけでは不十分だ。もっと身近に抵抗運動の実力を示す機会がなければならない。このデルフィ市の下層民が喜び勇み、貴族たちが震え上がるような行動が必要とされているのである。


「しかし、あなたたちは抵抗運動の末端組織だと言っていたね。これだけ重要な仕事を任されていながら、末端ということは本隊にはもっと大規模な抵抗運動の存在があるのだろうか。このデルフィ市で抵抗運動を組織しているメンバーというのはどのような人物たちなのであろうか?」


 バルトロも最初に接触するのは末端だと言っていたし、ペネロペたちも自身自分たちを末端組織だと告げている。


 となると、デルフィ市で実際に抵抗運動を組織している勢力は誰だ?


「噂では犯罪組織が抵抗運動を組織していると聞くが」


「どうでしょうかね。犯罪の定義は複雑ですから。あたしたち自身もこうして違法印刷機で違法な出版物を出回らせている時点で犯罪者です。あなた方もそうでしょう?」


「確かに。精霊帝国の法律ならば我々は犯罪者だ」


 違法な出版も、貴族に対するテロも、どちらも精霊帝国にとっては犯罪だ。


「だが、それでも犯罪のベクトルは違うだろう。精霊帝国という体制に対する犯罪か、それとも倫理に対する犯罪か。俺の推測が正しいならば倫理に対する犯罪の方が我々の同盟者となるのではないかな?」


 犯罪は様々に分類できる。犯罪の原因、犯罪の被害者、犯罪によって損なう利益。


 我々は精霊帝国という体制に対して犯罪を犯している。精霊帝国の定めた精霊帝国の利益を守るための法を犯し、精霊帝国に損害を与えている。違法出版でも、テロ攻撃でも、損なっているものは同じだ。


 だが、我々がこれから手を組む相手が損なっている損害というのは、一般大衆の倫理に対するものではないのだろうか。


「彼らをあまり悪いようには言わないでほしいな。彼らは確かに荒くれものだし、あたしたちとはちょっとベクトルの違う犯罪を犯しているけれど、抵抗運動の仲間であることには変わりがないんだから」


「会ってみなければなんとも言えないね」


 ペネロペが眉を歪めるのに俺は肩をすくめてそう告げる。


「だってさ、おじいちゃん」


「仕方ねえ。もう数日様子を見たら連絡する。また河川公園で待っていてくれ。向こうはかなり用心深いんだ。こちらとしては信頼したが、向こうがどう思うかは分からない」


 ペネロペが告げるのにピエトロがそう告げた。


「分かった。連絡を待とう」


 俺はそう告げるとペネロペたちの隠れ家を出て宿に宿泊した。


 向こう側から連絡がきたのは4日後のことであった。



 今度は荒事になる可能性があるな。



……………………

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