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裏切り者は、どこにでもいる

……………………


 ──裏切り者は、どこにでもいる



 合流地点からデルフィ市まではすぐである。


 10分と経たないうちにデルフィ市の城壁が見え、今も金を吐き出す金鉱山が見えてきた。少しばかり高い山で、デルフィ市の城壁の中に組み込まれている。


「ところで、あなたはどうして抵抗運動レジスタンスに?」


 俺は御者席に座る本当の行商人の背後でそう尋ねた。


「精霊帝国の弾圧のためですよ。連中は我々行商人を犯罪者扱いして、身ぐるみを剥いで牢獄に叩き込むんです。法律で守られているのは貴族だけで、私たち下層民はどう扱われようと文句は言えない。牢獄の中で病気になり死んだ仲間もいます」


 行商人は怒りをにじませてそう語る。


「南部から貴族とそれに媚びる連中を叩き出すべきです。そして、南部を精霊帝国の支配から解放しなければなりません。我々が人としての誇りと尊厳を持って暮らせる社会を作るためにも。そのためなら私も是非とも協力しますよ」


「そうだね。それが理想だ」


 理想というもので動く人間というのはあまり信用できない。人は理想のために死ぬこともあるが、その理想をあっさりと捨てることもあるからだ。


 1700年代のフランスにおいて共和主義を掲げた国家を理想としたナポレオンが、権力の座に就くと皇帝となり、帝政を敷いたように。


 愛国心のために多くの犠牲を出した日本で、戦争に反対する人間を非国民と罵った世論と人間たちが、戦後になった途端戦争は間違ったことだったと言い出したように。


 戦後の学生運動で社会主義を高らかと謳った大学生たちが澄ました顔をして、資本主義の一部である大企業に入社していったように。


 そんな風にイデオロギーというものは容易に捨てられるし、鞍替えすることができるものなのだ。だから、ヒューミントにおいて協力者を得る際にはイデオロギーへの共感を求めるよりも即物的なものを利用することが安定しているとされる。


 つまりは金銭で買収することや、異性を使ってセックススキャンダルを手に入れることや、当局による身の危険からの保護を約束することで人的情報資源を入手せよ、というわけだ。実際にイデオロギーを利用したヒューミントよりも、こうした即物的なものを利用したヒューミントの方が短期に成果を上げられるし、どこの国でも通用する。


 だから、行商人が自由や権利のためだと言ってもあまり信用はならなかった。


 どちらかと言えば彼らは身の危険がなく商売ができる社会を求めているのだろう。今の精霊帝国の社会では、商人は貴族に代金を支払ってもらえなかったり、この行商人が語ったように突如として犯罪者扱いされることがある。


 朧げな自由を謳うよりも、そういう身に差し迫ったものがある方が信用できる。


 俺自身、この世界の自由には興味がないのだから。


「デルフィ市の抵抗運動について知っていることはあるかい?」


「あそこは抵抗運動の拠点ですよ。私もあそこを訪れたからこそ、抵抗運動に身を投じる覚悟ができたんです。何せ、あそこには──」


 行商人は何か言おうとして、俺の方を見た。


「まあ、ご自分の目で確認なさってください」


「そうするよ」


 行商人の目には疑いの色があった。彼の所属している抵抗運動は南部国民戦線ではなさそうだ。まだまだ都市部と農村部の抵抗運動には隔たりあり、か。


「では、そろそろです。皆さん、落ち着いて行動されてください」


 行商人はそう告げるとデルフィ市の閉ざされた城門に馬車を進めた。


「止まれ!」


 城門にいた衛兵が馬車を止める。


 衛兵の数は6名。自動拳銃でもどうにかできる数だ。だが、ここで騒ぎなれば何十倍という数の衛兵たちに逆襲されるし、下手をすると貴族が出てくる。


 穏便にことが済めばいいのだ。


「身分証を出せ。全員分だ」


「はい。ご苦労様です。お疲れでしょう。これもどうぞ」


 衛兵の指揮官と思しき兵士が告げるのに、行商人は身分証と同時にワインのボトルをそっと兵士に差し出した。


「気が利いているな」


 酒瓶を受け取った兵士はにやりを笑ってそれを部下に渡した。


「お前たちは行商人か。数が多いな」


「片方の馬車が壊れてしまったもので。それでよければ乗ってくれと言ったのですよ」


 兵士が馬車の中を覗き見ながら告げるのに、行商人がそう告げて返す。


「ふん。まあいいだろう。問題はなさそうだ。ここ最近は反乱勢力とやらが暴れているらしく、あれこれ注意しろと言われているのだ。貴族様はこのデルフィ市が襲われると思っているらしい。アッシジ市も襲われたからな」


 兵士はそう告げると身分証を行商人に返却した。


「だから、市内で不審なことをするな。分かったな?」


「もちろんです」


 兵士の言葉に行商人は人のいい笑みを浮かべると、開いた城門に馬車を進める。


「さて、入れましたよ。これで衛兵からどうこうと言われることはなくなりました。市街地の衛兵は小遣い稼ぎに賄賂を要求してくるだけなので、支払ってやれば不審には思われません。この街では衛兵たちはやる気を失くしていますからね」


「随分と頼もしい番犬だね」


 いい加減な番犬だ。だが、それで結構。


 ここは抵抗運動の拠点になっているという情報が正しければ、ここは民衆の反感を買うだけの弾圧が行われているが、その実態は伴っていないということになる。都市部において本格的に精霊帝国という体制が動くならば、城壁に囲まれてこの都市では瞬く間に反乱の芽は摘まれてしまうだろう。


「私はこの“紅葉亭”にいますから、街を出るときには声をかけてください。また馬車にご乗車いただいて、街の外までお連れいたしますから」


「ありがとう。ところで、君への対価の支払いはどうなっているのかな」


「既にいただいていますのでご心配なく」


 バルトロから既に協力者には対価を支払ったと聞いていたが、さらに強請ろうとするほどの強欲さは持ち合わせていなかったようだ。


 それでもこの行商人が密告すれば我々はこの城壁で閉ざされたデルフィ市の中で危機に立たされる。アティカから幾分か武器が購入できるとはしても、人員が圧倒的に足りない。僅かに4名ではできることは限られる。


「この街に入れたのはあなたのおかげだ。感謝しよう。あなたのおかげで我々はこの都市の中に入ることができた。その名前と顔は決して忘れないだろう。報酬を受け取っているのだからその仕事に疑いは持たない」


「はい。今後とも御贔屓に」


 疑りすぎたな。俺も日本情報軍情報保安部の偏執病パラノイアが伝染しているのかもしれない。誰もが二重スパイ(モグラ)だと思い込んでいるジェームズ・アングルトン染みた狂気に囚われ、誰も信用できなくなるという状況に。


 社会には一定の信用と信頼が必要だ。全てを疑い始めるのは情報要員にありがちな病であるが、社会というものは疑ってばかりで、他者を信頼しなくては回らない。時には疑心を抑えて、他者を信頼しなければならない。


 それでいて、他者が裏切った場合に備えるのだ。


 隣に立っている戦友は本当に信頼のおける相手か? それは情報保安部の密告者ではないか? そうである可能性があるならば、公開するべき情報は上辺だけのものにとどめておくべきだ。自分の本音を告げる必要はない。


 ともに作戦行動を同じくするアメリカ情報軍の兵士は本当に信頼のおける相手か? それはアメリカの国益を優先し、日本に不利益をもたらすものではないか? その可能性があるならば、彼らの行動の中からこちらが手札にできるものを記録しておくべきだ。


 情報戦の中で味方はいない。孤独との戦いだ。孤立した個々の存在が集めた情報が分析官アナリストによって整頓され本当に信頼できる情報インテリジェンスになった時、それを組織の最高位の情報閲覧権限(クリアランス)を有するお偉方がそれらを眺めて、また下の兵士たちに決断を下し、命令を発する。


 個々の行動がひとつの組織に組織的に貢献する。一見して矛盾したようなこの状況こそが、日本情報軍における情報戦のあり方なのだ。


 だから、俺は行商人にも保険をかけておいた。もし、我々が拘束されるようなことがあれば行商人のことを告げ、行商人も牢獄に引きずり込む。彼は南部国民戦線から金銭を受け取っており、逃げ出せる立場にはないのだ。


「これが成功すればあなたにはさらなる追加の報酬も約束している。ここ最近では行商人も弾圧のせいで稼げないだろう。少しでもそれが助けになればいいのだが」


「ありがたい話です。私も商売をやっている都合上、あれこれと元手が必要になりますから。バルトロ様にはよろしく伝えておいてください」


 そして、金銭による買収で信頼性を固める。我々と衛兵に突き出して得られるだろう些細な報酬と、バルトロから支払われる協力者への多大な報酬を天秤にかければ、バルトロから金をもらう方を選ぶだろう。


 決定的なのはこの行商人が裏切ったと知れれば南部国民戦線から報復を受けるということが確実な点だ。バルトロは俺と聖女エーデを嵌めた人間を許しはしまい。草の根分けててでも探し出し、落とし前をつけさせるだろう。


 これでようやく行商人が信用できるようになった。


 情報の世界はこうして回っていくというわけだ。


「それで接触場所は?」


「西にある河川公園です。そこで向こう側から接触します。この花束と新聞を持って行ってください。それが相手にとっての目印になります」


 いくら世界の情報戦がデジタル化されていようとも、こういう古典的な接触は今も残っている。ましてこの世界ではデジタルというものが存在しないので、この手の方法を使わなければ相手と接触できない。


「ありがとう。帰るときは声をかける。この街で商売は?」


「どこもかしこも精霊帝国の弾圧のせいで碌に商品が調達できません。ここでは農村部で採れた小麦と農村部で作られた酒。それから北部の工芸品を売るつもりですが、大した金にはならないでしょう。精霊帝国は私たちのような流れ者が怪しいと思っていますから」


 事実、この行商人は南部国民戦線に協力している。他の行商人の大多数が潔癖だとしても、このような人間が紛れ込んでいる限り、精霊帝国は行商人や旅の人間に目を張らなければならないだろう。


 そして、そこで起きる裁判なしの投獄や拷問が民衆の反感を買い、こうして抵抗運動に加わる人間を増やしていくというわけだ。



 全く以て素晴らしい話じゃないか。これぞ報復と裏切りの連鎖だ。



「それでは馬車の荷物を回収してください。私は宿の宿泊手続きをしてきますから」


 行商人はそう告げると宿屋に向かった。


「エーデ。彼から敵意は感じられたか?」


「いいえ。彼は善意で行動しています」


 未知の現象を利用するのも気が引けるが、目安程度にはなるだろう。


「では、装備を回収。武器は決して見えない形にするように。シンドーナ兄弟は鞄に装備を収めて、エーデは楽器ケースに装備を収める。俺も鞄に武器を収めておく。きちんとセーフティーをロックしておくようにね」


 シンドーナ兄弟のAKMS自動小銃は携行性に優れている。折り畳みストックによって銃全体の大きさがコンパクトに纏まっている。


 エーデのM14自動小銃は携行性に優れているとは言い難いが、行商人が準備してくれた楽器ケースにならばギリギリで収納できる。


 俺のHK416自動小銃は9インチ銃身モデルであり、鞄にはどうにか収まる。とっさにこれを取り出して戦闘を行う訓練も日本情報軍で行われており、鞄に隠匿していたとしても、それはすぐに戦力になる。


 だが、我々が想定している敵は、これから接触する都市部の抵抗運動を組織している人間たちである。交渉が上手くいかなければ銃弾をばら撒いて逃げるだけだ。無論、俺は交渉がスムーズに進むことの方を願っているが。


 そして俺は肩に自動小銃の収まった鞄を下げ、花束と新聞を握る。


 後は河川公園に行けば、向こうから接触してくる。


 さて、我々の接触する相手はどのようなものだろうか。



 そして、それが裏切らないという保証はどこにあるだろうか。



……………………

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