マヤ式、神との交渉術
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──マヤ式、神との交渉術
「勝算はある。しかし、まずやらなければならないことがあるだろう」
「と、おっしゃられますと」
「偵察だ」
ここがその精霊帝国の支配地域なのは分かり切った話だが、どういう人間が、どのような暮らしをしているかが重要になってくる。
反乱工作の基本は民衆の中に忍び込むことだ。彼らの仲間として振る舞い、イデオロギーを洗脳するように広げ、引き起こされた惨劇と憎悪によって団結する。
俺がひとりで暴れまわってもやれることは限られる。ここはどうあっても民衆を味方につけなければならない。そのためには偵察は必要だ。
「少なくともまずは現在地が分かればいいのだが」
「それは分かっています。地図のこの地点です」
俺が告げるのに、アティカがどこからともなく地図を取り出して地面に広げた。
「ここは精霊帝国南部属州の交易都市ナジャフ近郊の森、と。意外と人里が近いね。あの女神ウラナも考えて飛ばしてくれたようだ」
「偶然だと思いますよ」
地図に記された交易都市の大きさは地図の中ではそれなりに大きかった。恐らくはここら辺の地域の中心地なのだろう。
「この交易都市に偵察に向かいたいところだな」
「ですが、それは問題があるかと思います」
俺は告げると、アティカが渋い表情を浮かべた。
「女神ウラナからお聞きでしょうが、この世界の技術は停滞しています。あらゆるものが遅れているのです。そして、そのような状況で問題になるのは、あなたの服装です」
そう告げられて俺は自分の服装を見た。
日本情報軍が採用しているデジタル迷彩。プロテクターも強化外骨格なども身に着けておらず、戦闘服だけを身に着けている。
「あなたの服装はこの世界では異色のものとして映るでしょう。そうなれば偵察どころの騒ぎではなくなります。異端者として火あぶりにされるかもしれません」
「なるほど。被服技術の遅れも考慮しなければならなかったか」
20世紀半ばで蒸気機関も存在しなければ、当然被服技術も劣ったものだろう。
そこに最新鋭のデジタル迷彩の戦闘服で乗り込めば不審に思われる。そもそも、日本においても迷彩服の人間がうろうろしているのは酷く目立つものだ。
「では、まずは服を手に入れなければならないということか」
「そうなります」
ここでどうするかだ。
対価を支払って服を買うか。それとも奪うか。
対価は何も持っていない。あるのは転移の時に持ってきたコンバットナイフとHK45T自動拳銃だけだ。
となると、奪うよりほかない。
「では、追剥をするとするか。ここら辺で一番近く、人里から離れた街道はここだ。ここで待ち伏せて、通りかかった人間から物資を奪う。身ぐるみを剥ぎ、可能ならば現地通貨も手に入れておきたいところだ」
俺はそう告げて待ち伏せのポイントに向けて歩みだす。
「待ち伏せは長期に及ぶかもしれませんよ?」
「それならば森の中でサバイバルだ。その手の訓練は十二分に受けている。銃を使わなくても小動物を捕獲し、野草を探し、必要な栄養源を確保する」
そこで俺はちと問題があることに気づいた。
「この世界の住民が人間だというのは察していたのだが、現地の生物学的構造はどうなっているのだろうか? 地球と大差ないとありがたいのだが」
食べられる野草で俺が知っているのは地球のものだ。異世界の食べられる野草というのは想像したこともなければ、そんな知識など持っていない。
「生物学的構造は地球とほぼ同じです。違う点についてはアドバイスいたします」
「それはありがたいね」
アティカは現地について詳しい。彼女の知恵を借りるとしよう。
「ところで、追剥と言いますが、このような街道を走る馬車は大抵護衛付きです。それでもどうにかなるとおっしゃられますか?」
「幸いなことにコンバットナイフを持っている。それで木々を加工すれば、ちょっとしたブービートラップの類は作れる。まずはブービートラップで打撃を与え、それから一気に敵の護衛戦力を殲滅。難しい話じゃない」
日本情報軍では森林地帯ので作戦に備えて、そこら辺にある木々でブービートラップを作る方法も教育されている。実戦でも何度か使ったことがある方法だ。
「それもよろしいのですが、もっといいアイディアをお聞きになる気はありませんか?」
「ふむ。どのような?」
アティカが何事かを告げるのに俺は首を傾げた。
「あなたに与えられた女神の祝福と恩恵です。説明は受けていないのでしょうが」
「ああ。あれはただの形式的な挨拶かと思っていた」
女神ウラナは俺をここに送り出す前に“神の祝福と恩恵を与えておく”というようなことを言っていた。あれは宗教的な挨拶だとばかり思っていたが、アティカの口ぶりからすると、どうやら違うようである。
「ひとつ。現地の人間とのコミュニケーションに障害が生じないようにするための祝福。これがあれば読み書きも会話も問題ありません」
「便利なものだ」
任務で異国に行くときはいつも言語学習から始めていたが、それが必要ないのならばありがたい限りだ。あれは意外に時間を食うからな。
「ひとつ。あなたのいた世界の神と交渉して手に入れたもので、向こうの世界の物質をこちら側に持ち込むことができる恩恵。これがあればあなたが軍隊で使用していたような兵器についても使用可能になります」
「ふむ。それはありがたいが、どのようにして?」
便利そうな恩恵ではあるのだが、使い方がまるで想像がつかない。
「私を介して向こうの神と取引ができます。対価を支払い、物質を受けとる。最初はお試しで無料です。試してみますか?」
「そうしよう」
「では」
アティカはそう告げると両手を広げた。
すると、まるでARのようにして、空中にウィンドウが開いた。
表示されたウィンドウには“取引を始めよう”というボタンが点滅している。
「これを押せばいいのか?」
「そうです。押してください」
俺はアティカに言われるがままにボタンをタップした。
すると、検索エンジンのようなウィンドウが新たに表示される。中央には入力欄。右上にはアカウント名──八代由紀と俺の名前。そして、下部には“おすすめ”と記された項目欄が並んでいる造りだ。
俺は“おすすめ”の欄を眺める。
そこでは“初心者向け車列襲撃セット”なる物騒な代物がおすすめされていた。
「最初のお試しで使えるのはそれだけです。それをタップしてください」
俺は言われるがままに“初心者向け車列襲撃セット”をタップする。
すると、地面にドサリと音とともに木箱が落ちてきた。
「ふむ。これがそうなのか?」
「ええ。そうです。開けてみてください」
木箱の蓋は釘打ちされていない。そのまま開けることができた。
「155ミリ榴弾、2発。フィンランド製携帯電話、2機。電線コード、2メートル。そしてAKM自動小銃、1丁と銃弾30発」
俺は木箱の中に入っている目録を読み上げると同時に中身を確認した。
信管と別に梱包された155ミリ榴弾がずっしりと底にあり、その上に携帯電話と電線コードが乗せられ、その脇にAKM自動小銃と銃弾が収められていた。
「確かにこれは初心者向けの車列襲撃セットだね。典型的なIEDだ」
携帯電話のコードを信管につなぎ、榴弾に装着すればIEDの出来上がり。
「よく分かりませんが、木々で罠を作るより確実では?」
「それはそうだ。これならば装甲車でも吹き飛ばせる」
俺はAKM自動小銃を確認し、その状態が極めていいことを確かめた。
「さて、では聞いておきたいのだが、さっきのサービスはどのようにして利用していくものなのだろうか。対価を支払うというのは何かしらの現金を?」
「いいえ。対価となるのは魂です」
アティカはそう告げた。
「魂? 随分と宗教的な話になったね。神に送り出されているのだから今更だが」
「宗教的な話ではなく、魂という名のエネルギーが必要なのですよ」
「つまり?」
「エントロピーの増大と熱的死についてお聞きになったことは?」
「ある。軍学校時代に軽く教わった」
熱力学第二法則。宇宙が冷たい死を迎えるという話。
「魂というのはあなたの世界では観測されていませんが、実在する現象です。そして、その魂もあなた方の物理学者が発見した法則から逃れられないのです。魂は形を持ったものから、乱雑な、均等に分布した形に変化する」
アティカはそこで俺の反応を窺うように半開きの眼で俺を見たので、俺はまだ理解が追い付いていることを示すために頷いた。
「魂は生物が生物たる根底にあるもの。それが失われれば、生物はもはや生物とは言えません。その魂ですが、そちらの世界ではエントロピーの増大によって魂がゆっくりと失われつつあります。そこで今回の取引です」
アティカはそう告げて、広がっているウィンドウのアカウント横を指さす。
「あなたが直接的、あるいは間接的に殺害した人物の魂はそちらの世界に送られます。こちらは物質が受け取れて助かる。向こうは消滅していっている魂が受け取れて助かる。お互いに損のない取引ですよ」
「ということは、俺はこれからマヤの神官のように神に生贄を捧げるわけだ」
「そういうことになりますね」
やれやれ。随分と物騒な話だ。
だが、決して悪くはない。
「殺せば殺すほどというのはこれからの展開にはうってつけだ。しかし、間接的な殺害というものの、基準は?」
「あなたに起因する死です。流石にバタフライエフェクト染みたものは却下されますが、あなたが引き起こした混乱で生じた死者の魂は使えますよ」
「ふむ。つまりはひとりで殺しまわらなくてもいいわけだ。いいことじゃないか」
混乱というものはその性質上、広がり続けるものだ。憎悪が憎悪を呼び、報復が報復を呼び、虐殺が虐殺を呼ぶ。
最初の引き金さえ引いてしまえば、あとはどこかで理性が働かない限り、無秩序が広がっている。これもまたエントロピーの拡大か。
「他に何か聞いておきたいことはありますか?」
「今はこれだけで十分だ。追々聞いていくとしよう。まずはこれを仕掛けなければな」
俺はそう告げて砲弾の収まった木箱を見下ろした。
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