聖女の力
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──聖女の力
エーデが物陰から飛び出した。
貴族は杖を振るい、エーデに衝撃波を叩き込もうとする。
だが、それは命中しなかった。
エーデの速度が尋常ではなかったのだ。
俺のナノマシンによって遅滞した体感時間でも捉えられないほどの速度で通りを駆け抜け、一気に貴族との距離を縮める。
その速度たるや軍用オートバイですら鈍足に感じるようなものだ。銃弾で彼女を狙ってもまず当たりはしないだろう。それほどまでに彼女は素早い。
加速。加速。加速。
貴族とエーデの距離は僅かに数コンマ秒で縮まり、貴族が動揺するのが分かった。
「援護射撃を」
「援護射撃だ。撃て!」
貴族が怯み、突風が収まった状態で我々は貴族に向けて銃弾を叩き込む。命中は期待できないが、相手の動きを制止することは可能になった。
そして、その援護射撃の下でエーデが進む。
建物の壁を蹴って次々に立体移動していき、エーデは屋上に達した。普通の人間ではまずありえない動きだ。アクション映画ですらこのような動きは非現実的だとして、採用することがないような、そんな出鱈目な動きである。
それも彼女は目が見えていないというのに。
「貴族ですね。その命、女神ウラナ様の名において頂きます」
エーデが対面した貴族にそう告げるのが、俺の補正された聴覚に響いた。
「賊がっ! 私は偉大なる精霊帝国貴族ヴォイルシュ子爵家のバルトルト。貴様のような下層民の賊にやられるほど軟弱ではない」
そう告げながらも貴族の手は震えていた。
死が目の前に迫っているのだ。いくら貴族でも所詮は子供。子供とは恐怖に対する耐性が低い。目の前に死をもたらすものがいたら、震えてもそれは臆病ではない。
「それでは参ります」
エーデは動いた。
貴族が杖を振り、衝撃波を発生させた中をまるでそよ風でも浴びたかのように突き進み、M14自動小銃の銃身に取り付けられた銃剣を突き出す。
貴族はまさか相手が自分の魔術に耐えるなど思ってもみなかったようだ。
だが、エーデの突き出した銃剣はまだ12、13歳程度の少年貴族の喉を貫いた。
銃剣が喉を抉り、頸動脈から放たれた鮮血がほとばしる。エーデの一撃は外すことなく、的確に貴族の頸動脈を引き裂いていた。
貴族は口から気泡の混じった血液を大量に吹き出し、生を求めて必死に呼吸しようとしたがエーデの突き出した銃剣は気道と頸動脈を大きく切断し、いくら息を吸ってもそれは肺には届くことはない。
貴族は最後に杖を構えようとしたが、出血性ショックの方がそれより早く訪れ、貴族は自分の血でできた血の海の中に沈み、立ち上がることはなかった。
エーデは自動小銃にマガジンを装填すると、初弾をチャンバーに送り込み、倒れている貴族の頭に銃弾を1発叩き込み、確実に貴族を殺害した。そこに躊躇はなければ、憫憐の念も感じられない。彼女はただそこにあったゴミをゴミ箱に捨てたかのように澄ました顔している。
全てが一瞬の出来事であり、気が付いたときには決着がついていた。本当にあっという間の戦闘であり、何かを感じるような余裕すらなかった。
エーデは自動小銃を軽く振って血を落とすと、高さ12メートルほどの建物の屋上から軽々と飛び降り、体操選手のように見事に着地すると我々の下に駆け戻ってきた。
「お役に立てたでしょうか、ヤシロ様?」
「ああ。とても大きな貢献になった。ありがとう、エーデ」
俺がそう告げるとエーデは嬉しそうに微笑んだ。
その少年貴族の血を浴びた真っ赤な手と顔を綻ばせて。
それは不気味ですらあるが、ある意味では美しかった。
そこに浴びた真っ赤な血は彼女の絶対にして純粋な忠誠の現れなのだ。彼女の神に対しての忠誠と信仰の証なのである。
ここまで迷うこともなく、血を浴びて、神という存在に忠誠を示せるのは狂気によるものか、あるいは純粋さ故のことなのか。
いずれにせよ、彼女が聖女であるということは間違いない。
女神ウラナに対して、彼女以上に忠誠を示した人間は未だいないのだから。
「貴族は死んだ。後は撤収するだけだ。バルトロ、ここを去ろう」
「ああ。貴族が倒れたせいか、衛兵たちの士気も落ちている」
あれだけ強力な魔術を操る貴族が一瞬で屠られたことによって、下層民からなる衛兵たちは混乱の様子を見せていた。ある者は撤退を始め、ある者はただその場で立ち止まり、我々を追撃しようとするものはいなかった。
我々は銃弾をばら撒きながら撤退し、スモークグレネードで視界を封じると、そのままアッシジ市から撤退した。
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アッシジ市からの撤退。
負傷者は複数名でたが、死傷者はゼロ。文句なしの結果だ。
アッシジ市を離脱した我々は山林に逃げ込み、再び拠点であるリベルタ砦までの長距離の移動が始まった。頼れるものは自分の体だけの撤退戦だ。
行きと違って負傷した兵士もおり、困難な撤退となった。歩けない兵士はいなかったものの、体力は落ちており、周囲の兵士が支援しなければならなかった。傷口から出血が始まれば止血しなければならなかったし、行軍速度も負傷者に合わせなければならない。
幸いなことと言えば、行きは負担になっていた弾薬の類が減っていることだ。弾薬が乏しいのは心もとないが、機動力を考えるならば身軽な方がいい。
我々は途中の山林で野営をしながら、リベルタ砦を目指す。
「エーデ。食事だ」
俺はそう告げてエーデにレーションの食事を差し出す。レーションと言っても味が悪いことに定評がある戦闘糧食III型ではなく、レトルトパックの戦闘糧食II型だ。今日のメニューはハヤシハンバーグ。可もなく不可もなく、レーションの食事だ。
「ありがとうございます、ヤシロ様」
エーデは食事を受け取り、プラスティック製の先割れスプーンで食べ始める。
味わうようにゆっくりと。急ぎはしていない。
大聖堂に囚われていた間、どのように扱われてきたのかは分からないが、満足な食事が得られていたとは思えない。その手足は細く、折れてしまいそうなほどなのだから。
人としてはしっかりと食事をさせて体力を回復させてやりたいと考える。だが、拠点の食料も余るほどあるというわけでもなく、新鮮な野菜や動物性たんぱく質は欠如しがちだった。長期保存可能で体に栄養な必要素を満たすとなると、それなりの負担になる。まるで第二次世界大戦中の潜水艦の乗組員のような生活をしなければならない。
レーションならば栄養バランスが考えられ、カロリーも豊富だが、如何せん魂を消費することになる。今は大量の死人が出て、装備の更新も考えているのだが、無駄なことには魂を消費したくはない。
エーデを助けるのは無駄か?
どうだろうか。エーデは力を示した。あの人には不可能な動きは、確かに強力な戦力になるだろう。あのような力があれば貴族との突発戦闘においても混乱が生じずに済む。
だが、所詮は一点豪華主義な戦力だ。旧帝国海軍が大和と46センチ砲という強力な兵器を建造したものの、それに付随する装備を疎かにした故にその強力な戦力は効果を発揮しなかった。装備というのは一点だけ飛び抜けた性能があってもダメなのだ。
一点豪華主義な軍備はアンバランスで、敗北に繋がりやすい。装備というものは平均的に調達していかねばならず、今ならば通信機器の充実や、小部隊ごとの火力の増強──グレネードランチャーや軽迫撃砲の導入──を行うべきだ。
その点ではエーデの扱いには困る。
いくら彼女が強力であるとしても、彼女個人で担当できる戦域は限られる。そして、その力が個人のそれであるがために代えは利かない。エーデが倒れればそれまでだ。
彼女が聖女という権威であることを考えれば、あまりにも危険な戦場に投入して、戦死されてしまうのも困る。かといって、彼女を普通に勝利できる戦場に投入するのでは、彼女の強さを活かせない。
「何を悩んでおられるのですか?」
俺がレーションを口に運びながら考えているのにエーデがそう尋ねた。
「君をどう扱ったものかと考えていた。君はどうしたい? 戦いたいのか? それとも聖女として人々を導きたいのか?」
俺は率直にそう尋ねた。本人の意志を確認することが第一だろうと考えて。
「私がどうしたいのか、ですか」
エーデはそう告げられて、戸惑った様子を見せた。まるでそんなことを問われるとは思ってもいなかったようにして。
「私は戦いたいと思います。女神ウラナ様は神託でおっしゃいました。精霊帝国を“万物破壊の聖剣”を以てして打ち砕き、民衆を解放せよと。そうであるならば戦うことが私の義務です。私は戦わなければなりません」
エーデは決意固くそう告げた。
「そうか。そのためにはまずは体力を回復させなければならないね。よく食べて、よく休みたまえ。今は戦わずともいい」
「はい、ヤシロ様」
戦いたいのなら戦ってもらうしかないだろう。それで死んだとしたら殉教者にでも祭り上げればいい。もちろん、死なないのならばそれが一番いいのだが。
「お優しい方なのですね、ヤシロ様は」
俺は一瞬自分の考えを見抜かれて皮肉を言われたのかと思ったが、エーデはあの朗らかな笑みを浮かべており、皮肉の色はなかった。
「そう思うかい」
俺はただただ人々を憎しみ合わせ、殺し合わせ、世界を混乱の中に突き落とそうとしているだけだというのに。理想やイデオロギーはなく、ただの殺し合いのための殺し合いを演出することを楽しんでいるだけだというのに。
それが優しい方、か。
「もう休むといい。明日の朝は早い」
俺はそう告げてエーデに背中を向けて立ち上がった。
どうにもやりにくい。
バルトロはよくいる軍閥の指導者だと思える。自分たちの利益のために戦争をする手合い。民族主義的な思想も地球によくいる軍閥の指導者を連想させた。だから、彼を裏切ることや、見捨てることに戸惑いは覚えない。これまで日本情報軍が裏切ってきた軍閥は両手の指では数えきれないほどに多いのだから。
だが、エーデは違う。
エーデはこれまでの我々が接したような人間とは違う。子供兵とは戦場でよく見てきたが、結局のところ彼らは軍閥の指導者の思想に洗脳されていたことと、子供という弱い立場から利用されているだけの存在に過ぎなかった。
あの子供兵たちは本気でその思想を実現しようなどとは思っていなかったのだ。少なくとも主体的にその役割を演じるつもりはなかった。軍閥の指導者に利用され、その日を生きるために戦っていただけだ。
だが、エーデはどうだろうか。
彼女は本気で女神ウラナの神託を信じている。2年間という囚われの身であった期間があってもなお、彼女は女神ウラナの神託を信じている。
そして、それを実現するために自ら行動しようとしている。命の危険を恐れず、目を焼かれても挫けることなく、女神ウラナの示した神託のために行動している。
そのような少女だからこそ扱いにくい。
無論、ナノマシンに感情が調整された我々日本情報軍特殊作戦部隊のオペレーターたちは自分たちの利益次第で簡単にエーデのような子供でも裏切るだろう。
だが、彼女を裏切ることに今は何のメリットもない。彼女は聖女として権威になるし、その戦闘力はたとえ使いにくいものであったとしても証明されている。
そして、何より彼女は女神ウラナから与えられた仲間のひとりなのだ。ふたりしかいない事情を知っている仲間のひとり。
二重スパイ狩りに勤しむ日本情報軍の軍人たちに心から信じ合える仲間というものがいないとしても、仮初めの同盟というものは存在する。そうでなければ日本情報軍はこれまでのような内戦を引き起こせなかった。
エーデとは仮初めの同盟になるだろう。
だが、俺の心の中ではどうにも彼女を裏切れないような、そんな気持ちがしていた。
その理由は分からない。ただ、その感情をナノマシンは消し去ってくれないだけだ。
この異国の地にあって、俺の気はおかしくなりつつあるのかもしれない。
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本日の更新はこれで終了です。
第1章はこれにて完結となります。明日からは1日1回更新です。
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