彼女に剣を
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──彼女に剣を
エーデは鋼鉄の椅子から立ち上がった。
だが、その瞳は未だ閉じられている。
「目に何かあるのかね?」
「失明しているのです。貴族たちに目を焼かれまして」
そう告げてエーデは片目を開いた。
その瞳は白濁している。何かで焼かれたようだ。光を宿さぬ瞳が虚ろに映る。
「だが、君は俺が誰なのかを当てて見せた」
「分かるのです。どこに何があるのか。そこにいるのが誰なのか。それは敵意を持っているのか、それとも味方なのか。目が見えずとも分かるのです」
2年。目を焼かれたのが彼女が囚われた2年前だとすれば2年間、エーデはこの地下室で光を見ることがなかったわけである。
その2年間で別の感覚器が発展した?
あり得ない。盲人のリハビリでも2年以上はかかるはずだ。今の地球ではiPS細胞とナノマシンの組み合わせで失明という状況が失われつつあるとしても、常識的に考えてたったの2年で失明した状況から他の感覚器がその代わりになったとは思えない。
「アティカ。女神ウラナは彼女に何を与えたのかな?」
「さて。私にも分かりかねます。我々の神も調整ができたはずではありませんので。失明してもどうにかなるぐらいの力はあるのではないでしょうか?」
「いい加減だな」
「私に言われましても」
何も分からないことに俺が愚痴るのに、アティカは肩をすくめた。
「ヤシロ。聖女は救えたのか」
我々がそんなやり取りをしているときにバルトロが地下に降りてきた。
「彼女だ」
「聖女は本当にいたのだな……」
バルトロも彼女の美しさに目を取られたようで、暫し彼女を見つめる。
エーデは美しい。
まだ幼げを残しているものの、ほぼ完成された美がそこにある。目元、鼻筋、唇。全てが神が設計したかのように美しい形に配置されていた。その瞳さえ輝くならば、彼女を前にして息を止めない人間はいないだろう。
それほどまでに彼女は美しい。
「バルトロ。引き上げよう。衛兵たちが陽動だということにやっと気づいた。この大聖堂に向けて衛兵が進んできている。交戦は最小限に収めたい」
「ああ。いつでも脱出できる。聖女は歩けるのか?」
俺が告げるのに、バルトロがそう尋ねる。
「問題ありません。それよりもお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何かな?」
エーデが相変わらず澄んだ声で告げるのに、俺が尋ねた。
「剣を頂けませんか。剣があればお役に立てます」
剣か。アティカは聖剣の聖女と言っていたが、彼女は剣を振るうのだろうか。
「残念ながら剣はない。剣に似たものであればあるのだが」
「それで構いません。私もお役に立ちたいのです。この神託を受けてから2年間、ずっと神託のことを考え続けていたのですから」
2年間、か。
アジアの戦争で捕虜になり捕虜収容所に2年間、収容されていた人間を知っている。その人物は捕虜になった際の訓練を受けていたが、見るからにやつれ衰え、人間としての覇気を完全に失っていた。終わりのない捕虜生活でその人物の人生は破綻していた。
だが、エーデにその様子はない。
彼女ははっきりとした自分の意志を持ち続けている。目を焼かれるという拷問を受けてもなお、彼女は自分の果たすべき目的を諦めずにいる。
彼女は確かに聖女なのだろう。そうでなければ狂人だ。
「アティカ。魂の取引を」
「どうぞ」
俺はそんなエーデのための武器を取り寄せる。
剣。それに相応する武器。
木製のストックを持ち、南部国民戦線の兵士たちが使うAKM自動小銃よりも、俺の使っているHK416自動小銃よりも、銃身の長い銃。その銃身の先端には俺の照らしているLEDライトの光を受けて剣呑に輝く銃剣。
M14自動小銃。
ベトナム戦争で目的に適さないと蔑まれるも、その後は優れたライフルとして改装を施されて現代でも使われ続けた銃だ。
剣と言われて思いついたのはこれであった。海兵隊の儀仗隊が整列してそれを扱うさまは中世の騎士が剣を扱う様子を連想させる。武器に対する敬意と武器の有するシルエットと性質が、そのようなものを連想させていた。
「これだ。どのようなものか分かるだろうか」
「ええ。分かります」
エーデは俺からマガジンと弾薬の装填されていないM14自動小銃を受け取ると、銃剣のついたそれを構えた。
まずは銃として構え、次に剣として構える。
銃剣の戦闘での基本動作は突きだ。突いて抉る。突いて斬る。突いて貫く。
エーデはまるでそのことを教わっていたかのように自動小銃を滑らかに剣として機能させる。突き、突き、そして叩き切る。
「マガジンを渡しておこう。銃口の向きには気を付けてくれたまえ。銃口は決して味方と自分に向けないように。特に引き金に指をかけている状況では」
俺はそう告げてエーデのマガジンを手渡す。7.62x51ミリNATO弾20発。
「ありがとうございます、勇者様。必ずやお力になります」
「勇者様というのは止めてくれないか。八代でいいよ」
エーデがまだ聖女としての仕事をしていないならば、俺もまた勇者とやらの肩書がつく仕事はしていないし、今後も行う予定はない。俺はただこの世界を憎しみと、怒りと、死体で埋め尽くしたいだけなのだから。
「では、参りましょう、ヤシロ様。悪意を持った敵が来ております」
エーデはそう告げて微笑む。あたかも現実感のない人形のような少女だが、笑顔は確かに天使のように朗らかである。
「バルトロ。離脱だ」
「準備はできてる。行くぞ」
我々はエーデを連れて大聖堂の1階に向けて戻っていく。
外からは銃声が聞こえる。既に交戦状態に入ったようである。
「全部隊へ。聖女は救出した。今すぐにこの場を離脱するぞ。急げ!」
バルトロがインカムに向けて命令を叫ぶ。
まだ上空を旋回しているドローンの映像では大聖堂のある中央広場に向けて北側から衛兵たちが押し寄せており、それを救出本隊が迎え撃っている。救出本隊は貴族の出現に備えて、遮蔽物に隠れながら衛兵の隊列に向けて弾幕を張っていた。
交戦距離は800メートル。弾幕を張れば命中が期待できる距離だ。
だが、そんなに派手な戦闘ができるほどの弾薬は持ってきていない。個々の兵士の機動力を重視して、なるべく軽装にしてあるためだ。自動小銃と機関銃としたところで予備弾薬は200発前後だし、対戦車ロケットは温存しておかなければ貴族との戦闘が回ってくる可能性がある。
「時間がないな」
状況を短く評価するとそういうことだ。
「敵の殲滅は考えないように。そんな余裕はない」
「分かっている。急げ、急げ。交互に弾幕を展開しながら撤収だ。スモークも使え!」
バルトロも状況を理解している。今回はこちらから動いた能動的作戦であるし、敵地後方での作戦だ。物質的にも、精神的にも余裕はない。
だが、ただの衛兵ならそこまでの脅威にはならない。彼らが有する飛び道具はクロスボウだが、その射程は30メートルから50メートル程度。AKM自動小銃の命中が期待できる射程である300メートルには及ばない。
それでも今のように長距離で撃ちあっていれば弾薬は瞬く間になくなっていくし、貴族が現れればもっと多くの火力が必要になる。
今の南部国民戦線の兵士たちはここが敵地後方ということもあって、気負いすぎている。目の前の敵を全て倒さなければ自分たちの根城には戻れないと考えている。それが精神的な余裕のなさの現れだ。
山林に隠れれば、元来た時と同じように帰還することはできる。こちらは山林の地形を知っており、山林での戦闘に慣れているのだから。対する敵は明らかに平野部での正面戦闘しか想定しない装備なのだ。
「撤退だ、撤退。無駄弾を撃つな。聖女は確保できた。もう戦闘の必要はない」
バルトロが先ほどから必死に指示を出している。これ以上は不要な戦闘であることは共通の認識だ。だが、前線の兵士たちの心理状況はそうではないというわけである。
大聖堂を出ると激しい銃声が直接響いてきた。
兵士たちは必死に射撃を繰り返している。フルオートでマガジン1個分、自動小銃を射撃するような者はいないが、それでも弾薬の消費量はかなりのものだ。
「1個分隊ずつ撤収させろ。交互に援護し合え。距離を取ったらスモークだ」
バルトロが姿を見せて指示を出すことでようやく撤退が始まった。
北門から迫る衛兵たちに対して1個分隊が短時間の射撃を浴びせ、その隙に他の部隊が撤退していく。そして、また別の分隊が援護に回り、その援護の下で撤退が行われる。そうやって交互に援護と撤退を繰り返し、衛兵たちから距離を取っていく。
衛兵たちも激しい銃声に怯えているのか、その歩みは遅く、中にはパニックに陥って逃げ出すものもいる。敵も味方も大混乱というわけだ。楽しくなってくる。
「ヤシロ様」
「どうしたかな、エーデ。久しぶりだろう外でいきなり騒がしくて申し訳ないね」
エーデにとっては2年振りの青空だろうが、彼女にはその青空を感じる視力はなく、澄んだ空気は硝煙の臭いで汚染されていっている。
「いえ。力のある者が来ます。敵です。貴族だと思われます」
その言葉に俺は素早く周囲を見渡した。
ドローンの映像には大通りを進んでいる衛兵たちが映し出されている。エーデの言葉が正しいならば、敵は北ではない方角からくる。
だが、目が見えないのにどうやってそれを知った?
それを今考えるのは不毛だ。俺がこの世界に飛ばされた時点で常識は通用しなくなっているのだということを認識しなくてはならない。
「バルトロ。敵が来る可能性がある。貴族だ」
「ちっ。分かった。警戒しろ。貴族との戦闘になる可能性があるぞ」
俺の警告にバルトロが舌打ちしながら指示を飛ばす。
「エーデ。具体的な敵の位置は」
「東から、距離650歩。建物の屋上です」
その言葉でドローンの映像をズームアウトさせ、都市全体を見渡す。
いた。
「バルトロ。既に我々は敵の射程内だ」
「畜生」
ドローンの映像が途絶えた。貴族に撃墜されたのだ。
「東の方向! 建物の屋上に警戒!」
俺が叫び、撤退中の部隊が東を向く。
東の方向の屋上。それも一番高い建物の屋上に貴族はいた。
俺のナノマシンで補正された視野に映るのは金糸で刺繍が施された豪華なマントを羽織り、杖を握った──少年の姿。
ここにいる貴族が子供なのは分かっていた。事前の偵察でもアッシジ市に出入りしている貴族の姿は10代の子供であった。
そして、俺はそのことに何も感じない。あれは殺すべき敵だとしか。
子供など何人も、何十人も殺してきたじゃないか。何を躊躇うというのだろう。
俺が光学照準器で狙いを定めるより先に貴族が動いた。
杖が振るわれ、突風が吹き荒れる。
加えて榴弾砲の炸裂のように生じた衝撃波が南部国民戦線の兵士たちを薙ぎ払い、兵士たちが壁に叩きつけられたり、飛んできた石材で負傷する。
「遮蔽物、遮蔽物だ。遮蔽物に隠れろ」
バルトロがこの突風の中で物陰に飛び込み命令を叫ぶ。
だが、困ったことにこの突風と衝撃波のせいで部隊が分断されてしまった。これまで交互に撤退を行ってきた部隊と連携が取れなくなり、部隊が立ち往生している。
そして、そこに衛兵たちが迫っていた。
「狙うには少しばかり風が強すぎるね……」
俺の装備であるHK416自動小銃ではこの突風には耐えられないだろう。この自動小銃が使用する5.56x45ミリNATO弾というのは運動エネルギーがそこまで高いものではないのだ。だからと言って、ここで大口径弾を使って狙撃しようにも、弾丸が命中するまでにかなりの時間がかかる。大口径弾は運動エネルギーは高いがその大きさ故に、風による影響を受けやすい傾向にあるのだ。
まして、観測手もいない状況で闇雲に銃弾を放っても、命中は期待できない。
「どうすればいい、ヤシロ」
バルトロが切羽詰まった様子で俺に問いかける。
考えている時間はない。急いで行動しなければ。ただし、論理的にだ。
「ありったけの対戦車ロケットを叩き込んで牽制。その隙に機関銃で鉛玉をたっぷりと叩き込む。対戦車ロケットと機関銃はここで全ての弾薬を使いつくしてしまう気持ちでいこう。そうでなければこのまま撃破される」
「だが、機関銃の銃弾はあまり残っていない」
先ほどの無駄撃ちが響いたのか、機関銃班の銃弾は恐ろしく減少している。困ったことに敵に命中が期待できるほどの弾幕は展開できない可能性があった。
「参ったな」
対戦車ロケットの命中は期待できない。この突風で照準は大きくブレるだろうし、そもそもRPG-7対戦車の命中が期待できる距離は短い。その上、相手は位置的に高い場所にいる。時限信管を使わなければ、着発式信管では炸裂しない。
全く以て手詰まりだ。
友軍を見捨てて、エーデとバルトロだけを連れて逃げるという手もあるが、それが今度の士気に大きく影響するだろう。誰も置いていかないという鉄則はただの戦術的な問題ではなく、自分が置いていかれないことを兵士たちに示すための精神的なアピールの側面もあるのだ。それは士気に関わる。
死体だろうと連れて帰る。そうやって兵士たちは互いを信頼するのだ。
しかし、現状では犠牲はやむを得ないかもしれない。
「ヤシロ様」
そこでエーデが囁くような声で告げた。
「私がやります。お任せ願えませんか?」
「君にかね?」
エーデの言葉に俺は眉を歪めた。
エーデはただの少女だ。鍛えられている様子もない。多くの子供兵が正規の戦力としては期待されず、鉄砲玉、自爆要員、陽動に使われいたようにエーデもまたその程度の役にしか立たないのではないだろうかという気持ちが俺にはあった。
「お任せいただければ結果を示します」
ここで聖女を戦死させるデメリットと聖女の力を信じてこの場を任せるというふたつの選択肢が、俺の前に提示された。
「分かった。任せよう。援護は行う」
不思議とエーデの申し出は不可能なことだとは思えなかった。それが酷く非論理的なものであったというのに、俺はその提案を受け入れてしまった。
「では、参ります」
エーデはM14自動小銃を構えると、物陰から飛び出す。
その次に繰り広げられたものは我々の常識を超えた──驚くべきものだった。
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