女神という理解不能な上位者
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──女神という理解不能な上位者
聖女救出作戦開始。
先遣部隊を指揮する俺が1個分隊10名の兵士を引き連れて、アッシジに向けて出発した。装備はいつものHK416自動小銃に光学照準器とサプレッサーを装着したものとHK45T自動拳銃、そして手榴弾とコンバットナイフ。今回は偵察なのでまだ武器を使う機会が訪れないことが望ましいが、やはり備えておかなければならないだろう。
予備のマガジンは5個、マガジン1個につき5.56x45ミリNATO弾は30発。つまり予備弾薬は150発限り。重たい背嚢を背負っているが、そこには武器弾薬は含まれず、自分たちのための戦闘糧食と水、次に現地住民を懐柔するための食料と酒、そして擬装網などの長期の偵察任務に必要なものが収められている。
強化外骨格があればかなり楽になるのだが、まだどれほどの死人がこれから生じるのか分からない限りは魂の無駄遣いは避けたい。強化外骨格を使用せずとも、これぐらいの荷物を運ぶことには耐えられる。
兵士とはとにかく歩くことが任務であり、特殊作戦部隊においてもその傾向は全く変わらないどころか強化される。歩け、歩け。重い背嚢を背負って、武器を持ちとにかく歩き通せ。強化外骨格という便利な道具があろうとも最後に頼れるのは自分の体だけなのだというように、特殊作戦部隊の選抜過程でも、日常の訓練でも歩かされる。
そして、我々の歩き通した先に村落があった。地図通りの場所だ。
この村落からアッシジまでは50キロメートルだ。ここには街道が走り、馬車の馬を替える馬屋がある。活動拠点としても、情報収集の拠点としても適している。
我々はここを最初の拠点に選んだ。
そして行われた住民との接触と交渉はスムーズに進んだ。この村の住民たちも親戚を殺されたりし、貴族に村を焼き払われることを恐れているようだった。我々が噂されている抵抗運動だと知ると最初は動揺したが、食料と酒を使って懐柔し、貴族の軍隊に勝利することができる未来が来ることを説得すると我々の側についた。
「南部もついに立ち上がるのですね。もう精霊帝国に支配されていた記憶しかありませんが、南部がついに自由を勝ち取る日が来るのですね」
俺と交渉した村落の村長は涙を流して頷きながらそう告げていた。
自由、か。彼らは本当にそれを欲してるのだろうか。
仮に南部国民戦線が精霊帝国に勝利したとして、その後の体制はどうなる?
バルトロは戦時の指導者としては優れている。彼は有能な扇動者であり、民族主義を掲げた思想家である。戦争中ならばその能力は高く評価されるだろう。俺も彼の戦争における能力は決して否定しない。
だが、戦争が終われば話は変わる。
優れた戦争の指導者は必ずしも最良の政治家ではない。対日戦、対国民党戦を勝利に導いた毛沢東がそうであったように、優れた戦争の指導者に内政を行う政治家としての手腕が伴うとは限らないのである。
そして、革命や内戦後の国内を統治するには優れた政治家としてのセンスが必要になる。今は敵を殺すだけでいいが、戦争が終わり、国を治めようと思うのであれば殺す以外の技術も必要になってくる。反対者を殺し続けていけば、ポル・ポト政権のように屍の山が築かれる“理想の国”になるだろう。
戦後の舵取りは勝利もまだ不確かな今ではあいまいだ。ただ、南部国民戦線が精霊帝国に勝利すれば必ずしも自由が訪れるというわけではないというだけ。
「ええ。自由と尊厳を勝ち取りましょう。我々が貴族の手で無為に殺されない世界を実現するために。ともに勝利に邁進しましょう」
だが、俺は村長の言葉を否定しない。
プロパガンダなど誰だって使っている。自分たちにとって都合のいい情報をいちいち正してやる必要などない。我々は内戦を戦っているのであり、軍事的に勝利するためには情報の面においても勝利しておかなければならないのだから。
「ところで、アッシジの聖女について聞いたことは?」
協力が取り付けられたところで、俺は情報収集に入る。
「ああ。アッシジの聖女ですな。2年前に囚われてから、ずっと大聖堂の地下に囚われ続けている可哀想な子です」
村長はそう告げて語り出した。
今から2年前、女神ウラナの神託を受けたという少女が精霊教会に捕らえられた。
その少女は神から与えられた贈り物のように美しい娘で、天使のように朗らかだったという。彼女はしがない小作人一家の末娘だったが、その美しさからわざわざ遠方より見学に来る行商人までいたそうだ。
その少女が2年前のある日に神からの神託を受けたと語った。
神──女神ウラナは少女へ「聖剣を手にし、精霊帝国を滅ぼすように」という神託を与えたそうである。少女はその神託を受け止め、聖剣を手にする旅に出ようとした。
だが、どこからか情報が漏れたのか、精霊教会の聖職者たちがやって来て少女を異端者として捕らえ、大聖堂に連行していった。少女の姿はそれから一度も見られていない。地下にいるというのは憶測である。
少女の家族はと言えば、精霊帝国の貴族の手によって村ごと焼き払われ、皆殺しにされた。精霊帝国の貴族にとって下層民の命の価値はその程度だったということだ。
「我々が聖女を救い出します。アッシジ市について可能な限りの情報をください」
「ええ。分かりました。我々も是非とも協力したいのです。我々は一度、女神ウラナ様から遣わされた聖女を見捨てているのですから……」
俺の言葉を聞いた村長は悔いるようにそう告げた。
彼が何を悔いるのか分からない。その当時は精霊帝国に抗うすべはなかっただろう。南部国民戦線が存在していたとしても、それは貴族の操る魔術には抵抗できないほどの小さな武装集団にしか過ぎなかったはずだ。
それなのに何を悔いるのだろうか?
無謀にもこの村だけで蜂起して聖女を奪還しようとしなかったことをか?
馬鹿げている。結局のところ、この村長は自分たちの無力を自分で悲しがっているだけなのだ。2年前の事件ではなく、6世紀前から続く自分たちの無力が悲しいだけなのだ。聖女はそのことが顕著になった一事件に過ぎない。
だが、それで結構。我々の側に立つというのならば、その感情がどうあれ構いはしまい。所詮、感情というものはただツールだ。多くのイデオロギーとともに人を動かし、殺戮に向けて突き進ませるためのツールに過ぎないのだ。
それから我々は村長たちからアッシジ市の状況や警備状況について聞けることを聞き取った。俺の読んだ通り、後方のアッシジ市から兵力は前線──彼らがそう信じている──に移されており、アッシジの警備状況は手薄になっていた。
アッシジのアッシジ大聖堂を警備するのは精霊教会の衛兵隊のみで、アッシジ市の警備に任務に当たっている衛兵250名のみ。その他、アッシジ市を領地として治める貴族が頻繁にアッシジの警備状況を確認しているとのことだった。
これならば救出本隊と合流すれば問題なく聖女を救出できる。
「お話、ありがとうございました。暫しの間、この付近に留まりますが迷惑はおかけしません。ただ、水などを分けていただけると幸いです」
「もちろんです。水でも食事でも寝床でもなんなりとご提供いたしましょう」
「お心遣いには感謝します」
寝床は必要ない。いつ精霊帝国の軍隊が警邏に訪れるかもしれない場所に留まり、さらには寝ているところを襲撃されるリスクなど冒したくはない。
我々は近くの山林を拠点とし、そこで行動する。アッシジ市内の実際の警備状況や、大聖堂までの道のりについての偵察活動を実施しなければならない。
救出本隊の到着までは2日。それまでに偵察を終えなくてはならない。
「それでまた森の中で寝泊まりすると」
「そういうことだ」
先遣部隊にはアティカもついてきていた。彼女の場合は何の荷物も背負わず、ただ歩いてここまで来ただけだが。
「しかし、君は聖女について聞いても何も思わなかったのかね?」
「聖女ですか。話だけは聞いていましたが、本当にまだいるとは思いませんでしたよ」
まるでアティカは聖女がとっくに死んでいるような言い方をする。
「つまり、聖女は最初から期待されていた存在ではないと?」
「前にもご説明しましたが、我々の神の力は強すぎて、この世界に細かな干渉はできません。あの方は力を可能な限り制限した状況で振るわれ、その結果生まれたのが聖女と聖剣なのです。それがどのようなものになるのか、我々にも想像できませんでした」
アティカはそう告げる。
「あの方の力を受けすぎて壊れた存在が生み出された可能性もあるし、真っ当に聖女が務まる存在が生み出された可能性もあります。こればかりは現物を見なければ何とも言えませんね。私としては力になってくれることを望みますが」
壊れた存在か。神である女神ウラナにとってはこの世界は自分の玩具箱なのだろう。だから俺のような人間を投じることに躊躇いもなかったわけだ。
聖女として神託を与えた少女がどうなろうと、その家族が焼き殺されようと、女神ウラナにとっては些細な地上の出来事。まるで偵察衛星が澄んだレンズで地上の殺戮を見下ろしても何も思わないように、女神ウラナも澄ました顔で地上を眺めているのか。
偵察衛星の画像はどこまでもクリアだ。それはただの映像だからだ。その偵察衛星に写される何十万の死体があろうとも、それはクリアであり続ける。
何故ならばそこには映像という情報しかないからだ。地上で殺し合う人々の声は聞こえないし、銃声もしない。タイヤの焼ける臭いや人の焼ける臭いもしない。そして、そこに暮らす人々の背景も知ることはない。
あの死体とあの死体は家族だった。あの死体とあの死体は恋人だった。あそこら辺の死体は日本情報軍が裏切って殺した死体だった。そのような背景を偵察衛星の画像は写し込まない。写されるのはただの死体の写真だけである。
神というのも空高くから地上を見渡し、ミクロの視点ではなくマクロの視点から眺めているという点では偵察衛星と同じ存在なのだろう。
聖女の家族が焼き殺されようと、それはただの死体。
「神というのは本当に神なのだな。地上に生きるものを超えた上位存在」
「まあ、そうですね。あの方もちゃらんぽらんに見えて、しっかりと上位者であります。そして上位者のすることというのは、地上の常識に生きるものには理解されないというものであることを私は知っていますよ」
俺が肩をすくめるのにアティカも肩をすくめた。
「俺も人のことは言えないがね。ナノマシンの感情調整を受けている日本情報軍特殊作戦部隊のオペレーターもまた常識というものを考えない。効率的に動くことのみを追求している。俺が神の立場でも聖女のことについてはもう少し丁重に扱っただろうとしても、彼女の家族が殺されたことには何の反応も示さなかっただろう」
人の死は人の死に過ぎない。それ以上でもなければ、それ以下でもない。それは社会的不可逆な変化を生み出すとはいえど、変化の度合いによっては無視できる。
そして、聖女の家族の死は無視できる死だ。彼女の死を受けても南部は蜂起しなかった。聖女の家族の死は周辺住民に僅かな同情をもたらしただけだった。
「何はともあれ聖女は救出する。女神ウラナが準備してくれた現地協力者だ。少ない味方は確実に確保しておきたいものだ」
「そうですね。あの方の力が行使されたのですから、それなり以上の素質はある聖女が生まれたはずです。壊れていないことを祈りますが」
アティカは祈るだろう。女神ウラナに。
だが、俺は誰にも祈らない。祈っても意味はない。
世界を動かすのは祈りではなく、確たる行動なのだ。
それがたとえ世界を内戦に叩き込むことであったとしても。
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