ようこそ、異世界へ
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──ようこそ、異世界へ
光による眩さが消えた後、俺はゆっくりと目を開いた。
目の前には草木が生い茂る森が広がっていた。周囲を見渡しても森が広がっている。
「……もうちょっと考えた場所に送ってくれたらよかったんだがね」
俺は空を見上げた。
太陽が空に輝き、地上を照らし出している。空の色は青色で、地球と何ら変わりのない風景が広がっていた。ここは本当に異世界とやらなのだろうかと疑問に思う。ひょっとすると狐に化かされたのかもしれない。
「こんにちは」
そんなことを考えていたときに、俺の背後から声がかけられた。
反射的に背後を振り返り、拳銃を引き抜きそうになるのを堪える。
安心しろ。ここは中央アジアじゃない。
俺はゆっくりと振り返り、声の主を視界に収めた。
声の主は子供だ。
くすんだアッシュブロンドの長髪に赤い瞳をした14歳前後の少女。眠たそうに眼は半開きになっており、そのせいで目つきが悪く感じられる。その服装は伝承に出てくる天使のような白い貫頭衣だ。それも染みひとつない真っ白な。
「転送は問題なく終わったようですね。安心しました」
「女神ウラナの関係者かな?」
目つきの悪い少女が告げるのに、俺はそう尋ねた。
「ええ。天使アティカと申します。以後よろしく」
そう告げて、天使アティカと名乗った目つきの悪い少女はちょこりと頭を下げた。
「さて、では聖女はどこに?」
「分かりません」
「それは変だな。女神ウラナはふたりの味方がいると言っていたのだが」
女神ウラナは天使と聖女が現地協力者としていると話していたのだが。
「いるにはいると思いますよ。ただ、どこにいるのかは分かりません。聖女は私のように女神ウラナの座す天界から送られてくるのではなく、現地の人間に神託と祝福を与えたものですから。どこにいるやらです」
アティカはそう告げて僅かにため息をついた。
「それから女神ウラナより伝言です。“ちゃんと世界に到着したならおめでとう。間違って転移された先が別の世界だったり、転移で出た場所が悪かったりしたらごめんね。てへぺろ♪”だそうです。よかったですね。お空から落下とかにならなくて」
「地面に埋まっても困っていたところだね」
苦笑いがでるほどにいい加減な神様もいたものだ。
「女神ウラナから説明を受けているかと思いますが、あなたに果たしていただきたいのはこの世界の体制の破壊です。どうせ我々の神のことですから、適当にしか説明してないでしょう。あの人はいい加減な神ですからね」
「まあ、具体的な説明は受けていないね」
どんな国と体制を破壊すればいいのだろうか。
分かっているのはその国家が王権神授説に基づく絶対王政と階級社会を維持しているということだけだ。それから魔術とやらか。
魔術? 鳩でもシルクハットから出すのだろうか。いまいち想像できない。
「この世界を現在牛耳っているのは“精霊帝国”という国家です。世界全土が影響下にあります。精霊帝国は魔術を使えるものを貴族とし、魔術の使えないものを下層民と位置付けています。精霊帝国の主は建国当時から“モレク・アイン・ティファレト”という男性で、この世界に魔術をもたらしたとされていますが詳細は不明です」
「建国当時から、か。若い国なのかね?」
「いいえ。15世紀に及ぶ歴史があります」
15世紀? 聞き間違いか?
「恐らくは不老不死の人物であると予想されます。全く、どこから沸いたのか」
アティカはうんざりしたような口調でそう告げた。
「つまり君たちは15世紀にわたって、世界の有する問題を放置していたということか」
「そうなります。実際のところ、我々にとれる手段はなかったのですよ」
「神がいるのにかね?」
女神ウラナは本当に神が王権を授けていれば革命など起きないと語っていたが。
「我々の神が何を言ったかは存じ上げませんが、我々の神ウラナの力は加減が利かないのです。下手に動けばこの世界そのものがぶっ壊れます」
「君たちの神は破壊神か?」
「まあ、似たようなものですね。対策案の中には世界を完全に破壊して一から作り直すというのも選択肢に入っていましたから」
やれやれ。随分な神様に選ばれたものだ。
「しかし、15世紀も同じ君主による支配の続いている国か。それは──」
俺は思わずそう告げた。
「壊し甲斐がある」
アティカが俺の言葉にわずかに眉をしかめる。
「そうおっしゃられるということは何か手をお持ちなのですね?」
「勝ち目のない戦いに赴くほど、君たちの神に忠誠を誓っているわけじゃない。特に俺は勝ち目のある戦いが好きだからね。勝算はあるとも」
アティカが尋ねるのに俺がそう告げて返す。
「流石は我々の神がお選びになっただけはあるというべきでしょうか」
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「別の世界から応援を呼ぶ、と?」
アティカが八代に出会う数時間前。
アティカは女神ウラナから唐突にそう聞かされていた。
「そうそう。地球って場所がちょうど生物学的にも同じでさ。そこからちょいとばかり応援を呼ぼうと思うんだ。いい加減、私の世界がクソすぎることだし」
女神ウラナは全裸で髪にブラシをかけながらそう告げる。
「そのことを向こうの神は承知なさっているのですか?」
「当然。こう見えても私はちゃんとしてるのだよ」
ちゃんとしているならもっと早期に手を打つべきだったのではとアティカは思った。
「ですが、どのような人物を?」
「とびっきりのイカれた人間を。生理的三大欲求の隣に破壊欲求がついているような奴をね。実をいうともう呼ぶべき人間は何人か見繕っているのさ」
女神ウラナはそう告げてひょいとどこからともなく取り出したファイルをアティカに向けて投げ渡した。
「“八代由紀”。日本人ですか。噂に聞きましたが日本人というのは平和を愛する温厚な民族であるのでは?」
「ハハッ。ナイスジョーク。十数世紀もの間、腹切り、神風、一族郎党皆殺しをやっていた連中が温厚な民族のはずがない。あいつらは正真正銘の蛮族だよ」
アティカが告げるのに、女神ウラナはけらけらと笑って返す。
「特に最近はおかしな人間が増えているみたいでね。戦争のせいだろう。短い平和も終わって戦争の時代になるとその民族の本性が現れるものさ。その人物はそんな連中の代表格と言っていい人間なんだよ。そう、私の目的に沿った能力を持ってる」
「目的とおっしゃると精霊帝国の転覆ですか」
「その通り」
女神ウラナにとって精霊帝国が憎き世界の敵であることは間違いなかった。魔術なるものを使って、世界を支配し、世界の進歩を止めている存在なのだから。
「ひとつの戦争における確認殺害戦果466名。これだけでも大したものだけど、この男にはなくてはならないものがある」
「と、おっしゃられますと」
「混乱を引き起こす能力だよ」
アティカの問いに、女神ウラナはにやりと笑った。
「この男は混乱を引き起こすことについては恐ろしく有能だ。この男が兵士として、そして参謀として従事した作戦では大混乱が起きて、国が丸々ひとつなくなった。分裂して、憎み合い、殺し合い、その挙句に国が消滅したのさ」
女神ウラナは上機嫌にそう語る。
「我々にはまさにこういう人材が必要がと思わんかね?」
「確かに完全に硬直した今の体制を打破するためには、そのような強い刺激剤があってもいいかと思いますが……」
アティカはそんなことをする必要が本当にあるのだろうかと思った。
そこまで世界を破壊するのならば、本当に世界を完全に初期化して、最初からやりなおせばいいのではないだろうか。その方があと腐れなく、かつ向こうの神に借りを作るようなことにならずに済むのでは、と。
そのようなことを告げていたのは女神ウラナ本人だ。ついこの間までは彼女は世界を破壊する気だったのだ。
だが、そこでアティカは考えを改めた。
この神はそういう神だ。
混乱が大好き。世界が秩序正しくあるなんてとてもではないが受け入れられない。それでいて、ひどくものぐさで、プレイヤーになるよりも観客でありたがる。
全く以て迷惑な神を上司に持ったものだと、アティカはため息がでそうになった。
しかし、アティカは不味いことに気づいた。
「ところで、どうしてそのような物騒極まりない人物の話を私めに?」
「それは決まっているだろう?」
アティカの問いに女神ウラナがぴっと人差し指を立てる。
「この男の面倒を見るのは君だからだよ、アティカ君!」
アティカの嫌な予感は的中したのだった。
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