理解の及ばないことについては考えない
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──理解の及ばないことについては考えない
南部属州総督にして土の精霊公であるゲルティ・フォン・マントイフェルは怒りと混乱と焦りという感情の渦の中にあって、どこにも助けはなかった。
南部で大規模な反乱が発生。
あの忌々しい交易都市ナジャフにおける虐殺から、日に日に状況は悪化している。
最初はまだ鎮圧可能だと思われた反乱も、今や公然と脱走した農奴や小作人たちが山々に篭り、精霊帝国に対して攻撃を仕掛けている。それによって貴族たちが命を落とし、南部属州の統治基盤が揺らぎつつあるのだ。
貴族は支配者であると同時に軍人だ。軍人として死んでも、領地の経営には穴が開く。今では46もの家族が家の当主を失い、まだ幼い子供たちが先祖代々の領地を仕切らねばならないような状況に追い込まれていた。
そして、その子供たちですら反乱勢力は殺そうとするのだ!
子供たちは誇り高き精霊帝国の貴族として反乱勢力の手から自分たちの正当な領地を守るために戦わなければならず、その子供たちも犠牲になっていた。
だが、本来ならば子供であったとしても下層民、それも農奴や小作人など相手にならないほどの実力を有するはずであった。魔術とは精霊帝国の15世紀に及ぶ統治の基盤となったほどに、強力なものなのだから。
最初、ゲルティは反乱が続く原因が貴族たちの怠慢にあると考えた。そして、今もそう考えるようにしている。
だが、何かがおかしいということは分かっていた。
あの交易都市ナジャフの中央広場で採取された銃弾。そして、貴族たちを殺している武器──それはどう考えても精霊帝国皇帝モレク・アイン・ティファレトによって技術が抹消されたはずの銃であった。
どこから銃が湧き出たのだ? 反乱勢力はどこから銃の技術を手にしたのだ?
いくら考えても答えは出ず、情報も少なすぎた。
反乱勢力の動きを探ろうにも貴族たちでは不可能だ。だからと言って、下層民の情報には信頼性がない。下層民は今や明白に精霊帝国を統治するべき義務を負った貴族たちの敵であり、兵士たちですら寝返ったという情報があるのだ。
反乱勢力がどこを根城にしているかも分からなければ、反乱勢力がどうやって物資を収集しているかも分からない。何もかもが分からない。
もし、ゲルティたち貴族が下層民たちに宥和政策を取り、彼らの立場を改善し、反乱勢力に対する求心力を割いていたら答えは違っただろう。
だが、実際にゲルティたちがやったのはただの虐殺と弾圧であり、それは寓話における北風と太陽の関係のように、下層民たちを反乱勢力の下に引き寄せさせただけであった。彼らはゲリラ戦というものを知らず、間違った対応を取り続けたのだ。
「失態だ。失態だ。失態だ!」
ゲルティは執務室で叫ぶ。
「怠慢だ。きっとどこかで見落としているに違いない。下層民への服従を教育するのが不徹底なせいに違いない。報告として上げられてきた数字は嘘ばかりだ!」
南部属州の貴族たちはゲルティに数字で、目に分かる形で成果を出せと言われた。そうであるがために、彼らは明確で、ゲルティの機嫌を損ねない数字を上げられるように分かりやすい方法を採るしかなかったわけである。
つまりは下層民を何名殺害したとか、反乱勢力に加担している疑いのある村落をいくつ焼き払ったとか、そういう数字だ。数字としては高いものだろうが、その効果を分析する人間が精霊帝国側にはいなかった。
もし、ちゃんとした分析官がいたとすれば、下層民をいくら殺そうと、村をいくつ焼き払おうと、それが反乱の鎮圧に繋がっていないことを導き出せただろう。少なくとも分析できる数字は用意してあるのだから。
だが、不幸にも精霊帝国の貴族たちは長年に及ぶ支配であまりにも平和ボケしていた。彼らは下層民が今更貴族に盾突くなど思ってもおらず、それに加えて血筋による統治組織要職の継承がなされているがために、その能力はお粗末のそれに尽きた。
彼らは魔術だけを重視し、他の側面から物事を見ることを放棄していたのだ。少なくともこのゲルティの統治する南部属州においては。
「失態は許されないというのに……!」
──失敗の代償は死だ。
火の精霊公ヴィクトリア・フォン・リンドルフの言い残した言葉ははったりやただの脅しなどではない。精霊公としての務めを全うできないものは、その地位を辞し、そして自分を任命してくれたモレクへの悔悟のために自害せねばならない。
ゲルティは自らの死が迫るのに、対応を迫られていた。
幸いにして南部属州全土で反乱が起きているわけではない。これはいいニュースである。反乱が起きているのは南部の奥地に限られており、南部属州全体に反乱の火が付くことはまだ避けられている。
だが、それも時間の問題。反乱勢力は今も勢力を拡大し、精霊帝国の神によって定められた統治が崩壊していっている。このままでは抑え込み切れなくなり、南部属州全体に反乱の炎が広がることは避けられないかもしれない。
「失態を犯した貴族を懲罰せねば。貴族たちの規律を取り戻し、反乱勢力と断固として戦うのだ。モレク陛下が治められるこの精霊帝国において下層民が支配権を握るような最悪の場合は絶対に避けなければならない」
ゲルティは貴族たちを懲罰し、団結と戦意の向上を呼びかけ、これ以上の反乱拡大を防ぐつもりだ。確かに貴族たちが領地ごとに個別に戦っていては負けてしまう。
これはかつて起きた反乱のように大規模な軍隊を以てして鎮圧せねば。
「マントイフェル閣下」
ゲルティがそう決意していたとき、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
「はっ。失礼いたします」
ゲルティの執務室に現れたのは彼の秘書官であった。
「それで何の用だ?」
「アッシジ大聖堂の大司教より警備を強化してもらいたいとの要望が届いております。ここ最近の治安の悪化から、アッシジ大聖堂を精霊教会の衛兵たちだけで行うのは難しく、マントイフェル閣下のお力が借りたいとのことです」
アッシジ大聖堂は南部属州では交易都市ナジャフに匹敵する規模のある大都市で、5世紀前から大聖堂が建てられていた。
精霊教会も衛兵を有しており、大聖堂の警備を行われているが、アッシジ大聖堂の大司教はそれでは不安だと、ゲルティに助けを求めていた。
「まだ反乱勢力の手はアッシジまでは及んでいないだろう」
「ですが、アッシジには聖女が閉じ込められています」
アッシジの聖女。その言葉を聞いてゲルティは鼻で笑った。
「そんなものは迷信だ。そもそもアッシジを治める貴族はどうなっている」
「ヴォイルシュ子爵家です。ですが、当主とその子供は反乱勢力の手で殺害されており、今では10歳の甥が領地を仕切っています。兵士たちの規模も小さく、それをさらに他の反乱の激しい地域に派遣しているために彼らにはアッシジ大聖堂の警備に回す戦力はないというのが現状であります」
「子供領主か……。だが、アッシジは主戦場ではない。大司教には断ると告げておけ。大聖堂を守りたいならば、自分たちで警備を強化するようにと伝えよ」
「畏まりました、閣下」
ゲルティの言葉に秘書官は頭を深々と下げ、退室した。
「アッシジ、か。聖女など迷信に過ぎない。取るに足らない話だ」
ゲルティはそう告げて、引き続き南部での反乱拡大を阻止する方法を思案し始めた。
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地図を広げる。
南部属州の地図だ。そこには大まかな都市と街道の位置が記されている。
「アッシジ方面は完全に敵支配領域だ。まだその方面で住民の協力は得られていない。作戦を行うのであれば、その点をある程度解決してからにするべきだろう」
我々が地図を広げているのはリベルタ砦におけるバルトロの私室。
そこでバルトロとともに俺は地図を見下ろしていた。
「その点は問題ないはずだ。アッシジの方面にも貴族たちに弾圧されている同胞たちは存在する。彼らに抵抗を呼びかければ協力してくれるだろう」
「では、まずは彼らと接触しなければならないね」
ゲリラ活動は現地住民の支持と支援なしには難しい。これまで戦場としなかったアッシジ方面で作戦を行うならば、まずはアッシジ方面の住民たちに我々への協力を確約してもらわなければならないだろう。
「先に敵地における戦力と住民の協力を得るための先遣部隊を派遣する。先遣部隊には我々の中でももっとも優れた部隊を選ぼう」
「ふむ。アッシジは完全な敵地であるし、兵力の規模はそれなり以上ではないのか?」
「そうは思わない。アッシジは後方すぎる。精霊帝国はゲリラ戦の何たるかを理解せずに戦線を引いて戦おうとしている。そのため兵力は実際に戦闘が行われている南部奥地に集中しているのだよ。恐らくは後方からも兵力を抽出しただろう。そう考えるならば、これから向かう先の戦力は何の備えもないものが僅かにいるだけだ」
敵はゲリラ戦の何たるかを理解してはいない。
敵は対称戦のようにこの戦争には戦線があり、戦線を突破することや、戦線を崩壊させることで勝利が得られるのだと思っている。全くの間違いだ。
ゲリラ戦に戦線など存在しない。点在する拠点を中心に敵の後方で、敵の側面で攻撃を繰り広げるのがゲリラ戦の本質なのだ。数において敵に劣る我々がどうして敵と正面から戦わなければならないというのか。
だが、敵が戦線があると思ってくれるのはいいことだ。敵は些か虚しく戦線を求めて軍を進めては側面、背面を突かれて殲滅されている。そして、それがより強く、戦えば勝てる正面における戦線を求めることに繋がり、後方の戦力は手薄になる。
アッシジが敵地後方であるならば、敵の戦力は手薄だろう。敵は未だに我々との決戦を求めて正面に戦力を集中させているのだから。
「先遣部隊が現地協力と敵情偵察を終えたら、救出本隊を送り込み合流。救出本隊は合流後、ただちに行動に移り、短時間の戦闘で聖女を救出する。その後、バックアップ部隊を送り込み、先遣部隊と本隊の脱出を援護する」
作戦は三段階。
少数の先遣部隊が現地住民の支持を取り付け、その支持のある環境の下で敵情を偵察する。敵の規模と練度、配置状況などを観察し、無線で本隊に連絡する。
次に救出本隊を送り込み、救出本隊は先遣部隊と合流し、速やかに作戦に入る。こちらの動きに気づかれてはゲリラ戦の要である奇襲の効果が失われてしまう。それに加えてせっかく先遣部隊が手に入れた情報も時間経過によって変化するだろう。ここは迅速に行動に移らなければならない。
最後に先遣部隊を救出本隊の離脱を支援するためにバックアップ部隊を派遣する。バックアップ部隊を別にするのは機動力を向上させるためである。救出部隊に全戦力を投入すると部隊が大きくなっただけ、機動性に欠ける。だからと言って、少数すぎる部隊では間違いなく敵が動く離脱の際に問題になる。
「戦闘時間は可能な限り短くし、携行する弾薬量も減らす。今回の作戦の目的はあくまで聖女の救出にあり、敵の殲滅ではない。敵との交戦は可能な限り避け、交戦に陥った場合でも短期間で決着をつけていく。異論はあるだろうか?」
「ない。俺はあなたを信頼してる」
俺が尋ねるのにバルトロが頷いて返した。
「では、決まりだ。早速行動を開始しよう。先遣部隊の指揮は俺が、救出本隊の指揮はあなたに任せたい。バックアップ部隊には信頼のおける指揮官を」
「俺が選んでおこう。精鋭を選りすぐって送る。ここ最近では俺たちの練度も著しく向上した。主要な指揮官たちはあなたの戦い方を理解しているぞ、ヤシロ」
南部国民戦線が俺の戦い方を受け入れてくれたのはいいことだった。大抵はよそ者が現地住民の武装集団の戦略や戦術について口出しすると、疎まれ、その意見は無視されるものだ。バルトロが俺を受け入れてくれたのは成功の第一歩だった。
「それでは装備の方を準備する。無事に聖女を救出しよう」
「ああ。俺たちならばできる」
俺はそう告げて、バルトロの手を握った。
いつかは見捨てるかもしれない組織の指導者の手を握った。
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本日の更新はこれで終了です。
やっとこさメインヒロインの気配が出てきました……。
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