どこも似たようなものです
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──どこも似たようなものです
尾行がついていないと確認が取れると、我々は男たちの先導を受けて、レジマ山の森の中を進んだ。どうやらルートは決まっているらしく、男たちは比較的歩きやすい場所を進み、レジマ山を登っていく。
それから4時間ほどが経っただろう。すっかり深夜になってしまった時間に我々はレジマ山の中腹にある洞窟に案内された。
洞窟の中は入り口は薄暗かったかが、中に入ると松明の炎でうっすらと明るくなってきた。少なくとも人間の顔の判別はつく明るさだ。
「ようこそ。精霊帝国に弾圧を受けた南部の民よ。南部国民戦線は君たちを歓迎する」
そう告げるのは30代前半ぐらいの青年だった。
黒髪を短くまとめて背後に結んで束ね、そのブラウンの瞳の色は確かな知性と尊大さを感じさせる色をしていた。そして、その瞳の色が雄弁に語ったように、彼は大げさな素振りで、我々を洞窟の奥に導きいれた。
「あなたがユニオ・ボルゲーゼ氏か?」
「いや。俺はバルトロ・ボルゲーゼ。ユニオ・ボルゲーゼは父だ。父は1年前に精霊帝国との戦いで戦死した。南部国民戦線の指導者は今は俺がやっている」
なるほど。情報が古かったわけだ。
「フェルラ村の生き残りがいる。そちらで面倒を見てもらえるだろうか?」
「フェルラ村には恩がある。父が精霊帝国との戦いで負傷し、本隊ともはぐれた時に村に匿ってくれて、食事を与えてくれて、傷の手当てをしてくれた。そう聞いている。フェルラ村のものであれば喜んで迎え入れよう」
俺が尋ねるのにバルトロが満面の笑みでそう告げた。
「だが、そちらの素性は定かではないと見るが」
笑みが消え、鋭い視線でバルトロは俺の方を見る。
「俺は旅人だ。通りすがりだ。親交の証にこれを受け取ってくれ」
俺は背嚢からスコッチ・ウイスキーの瓶を3本取り出して差し出した。
「酒か?」
「ああ。酒だよ。気に入ってくれるといいのだが」
地球において米ドル、酒、タバコは共通通貨であった。下っ端役人を買収するのにはこの手のものがよく使われる。
タバコはこの世界においては流通している様子がなかったので酒を選んだ。一応はそれなりに値段のするものだ。味についてはよく分からないが。
無論、イスラム教徒に酒は賄賂にならないどころか、逆効果だ。
かつて、911同時多発テロの際にアフガニスタンに入り、北部同盟の軍閥と接触したグリーンベレーは現地の重要な移動手段であった馬のための飼い葉などを贈り物として軍閥の将軍にプレゼントした。確かにその将軍は心配りに感心しただろうが、実際に彼らが喜んだのは大量に持ち込まれた米ドルとアメリカ軍の航空支援の方だっただろう。
「酒を飲むのは久しぶりだ。全員で乾杯といこう」
バルトロはそう告げて洞窟の中の兵士たちを集める。
「我々の勝利を祈って!」
「我々の勝利を祈って!」
兵士たちは琥珀色の液体で満ちた杯を掲げて一気に飲み干す。
そして、むせたように咳き込み始めた。
「口に合わなかっただろうか?」
「いや。これは美味い。いい酒だ。だが、最近はここまで度数の高い酒を飲むこともなかったのでな。貴族たちから奪ったワインを時折飲むくらいで、ここまで強い酒を飲むこともなかった。これはいい。久しぶりに酔えそうだ」
バルトロはそう告げて、ウィスキーを一気に飲み干した。
「本当にいい酒だ。旅人よ。あなたも飲むといい」
「では、少しばかり」
バルトロが杯を差し出すのに、俺はそれにウィスキーを注ぎ、バルトロたちと同じように一気に飲み干す。アルコールが喉を焼く感触が感じられ、それが胃にまで達する。
だが、酔いはしない。日本情報軍の軍人は酒には酔わない。
俺はバルトロたちが盛大に酒盛りを始めた様子を静かに眺める。
「旅人よ。名前は何という?」
「八代。八代由紀という」
俺はそこで初めてバルトロたちに名を明かした。
「では、ヤシロ。改め礼を言おう。あの子供たちをここまで送り届けてくれてありがとう。子供たちだけではここまで来ることは不可能だっただろう。あなたのおかげで、大切な子供たちの命が守られた」
「良心に従っただけだよ」
俺は口から自然と嘘が出るのに何も感じなかった。
「良き人間だな。そういう人間がもっといればいいのだが」
そう告げてバルトロはため息をつく。
「俺が思うにあなたたちは抵抗運動を組織していると思うのだが、それについては間違いないだろうか?」
「抵抗運動、か。確かにその通りだ。我々は精霊帝国への抵抗運動を行っている。この精霊帝国によって支配された南部の大地を解放するために」
俺の考えは間違いではなかったようである。
「精霊帝国の弾圧を受けた難民たちを保護したり、脱走した農奴たちを匿ったり、貴族たちの馬車を襲ったり、あるいは貴族たちがたっぷりと財貨を蓄えている銀行を襲ったりした。そういう抵抗運動を行っているのが俺たちの南部国民戦線だ」
なるほど。地味だがきちんと行動している。
だが、これまでその活動が刺激を生まなかったのは、その被害が無視できる規模だったからだろう。彼らの活動が大きな成功を生み出していれば、貴族は平民に無関心ではなく、もっと身の危険からくる恐怖で対応していたはずだ。取り締まりや弾圧も、俺がここに来る以前から激しいものになっていただろう。
所詮は小さな抵抗運動というわけだ。
だが、それでもいい。これから大きくすればいいのだ。
「俺も協力したいと思うのだが、どうだろうか?」
「あなたがか? 旅人は南部に留まらず、移動していくものではないのか?」
バルトロは猜疑の目で俺の方を見る。
「良心から、という理由では不十分かね。あの子供たちをここまで連れてきたことで、それなりの良心は証明したつもりなのだが」
「旅人は時折いい贈り物を持ってきてくれるが、常にいい贈り物を携えているわけではない。我々はあなたを良き贈り物を持ってきてくれた旅人として歓迎し、持て成そう。だが、旅人であることをやめてここに留まり続け、南部の血と交わるというのであれば、具体的な理由を聞かねばならない」
流れ者──部外者というのはこういう扱いを受けるものだ。
このような現地の武装集団というは相手にしている敵が敵なだけに疑り深く、信用を獲得するのは苦労する。酒の1本、2本で信用が得られていれば、誰も苦労はしない。
前述したアフガニスタンにおけるグリーンベレーのように買収するか、あるいは味方にすることで大きなメリットがあることを示さなければならないというわけだ。彼らは疑り深いが、同時に欲深い。得るものが得られるのならば信用するだろう。
メリットは用意している。だが、それを示すまでが大変だ。
「理由を話そう」
俺は告げる。
「俺は精霊帝国を破壊したい。魔術の使える貴族が下層民を支配する体制を破壊したい。そして、自由を得たい。民族が自分たちで自分たちの理想を決める世界を実現したい。ちゃんとした正義の行われる社会を作りたい」
自由・民族自決・正義。どれも耳に心地よい言葉だ。
地球ではあまりに多くのペテン師たちにより使われ手垢がつき、酷く胡散臭くなったこの言葉も、この世界ならばまだその本来の価値を持つだろう。理想とは志した当初は素晴らしいものなのだから。
「今の体制のどこに自由があるだろうか。今の体制のどこに民族の理想があるだろうか。今の体制のどこに正義があるだろうか。精霊帝国の貴族たちによる支配は腐っている。あの子供たちの村が焼かれたように、自由は抑圧され、民族は蹂躙され、正義は朽ちている。そのような体制──精霊帝国を倒すことを俺は望むのだよ」
僅かに熱を込めて、本当にその理想を信じているような口振りで俺は語った。
多くの指導者に俺はこのように語って見せた。彼らと理想が一致しているかのように振る舞い、彼らと利益が一致しているかのように振る舞った。
実際は俺は彼らの理想や利益などどうでもよかった。ただ、彼らが殺し合ってくれるならば、どんな理想を掲げていようが、どんな利益を得ていようが構いはしなかったのだ。彼らは日本情報軍にとって内戦を引き起こすためのツールに過ぎなかったのだから。
「ヤシロ。この南部がかつては何と呼ばれていたか、あなたは知っているか?」
「あいにくだが、知らない。精霊帝国の一部ではなかったと思うが」
バルトロが試すように告げるのに俺はそう告げて返す。
「無論だ。今から6世紀前まではここは独立国の集まりであった。“エトルリア独立国家共同体”。都市国家同士の緩やかな同盟が、ここで文明を育んでいた。魔術などによらない自分たちの力による文明をここに築いていたのだ」
俺が静かに視線をアティカに向けると、アティカは小さく頷いた。
「今はその名を覚えているものすらいない。我々のルーツたる文明は精霊帝国によって徹底的に滅ぼされた。俺とて父から話を聞かなければ、知りもしなかっただろう。我々の民族と文化の源流を精霊帝国は滅ぼし、歴史から抹消しようとしているなどとは」
バルトロはウィスキーの杯を握ったままそう告げる。
「我々が南部国民戦線と名乗っているのも、もはやエトルリアという名前を憶えている人間がいないからだ。この南部の民は自分たちを精霊帝国南部属州民という貶められた地位でしか定義できない。そうであるがために反抗の意志が芽吹かないのだ」
確かに体制に反旗を翻すには明白な目的と大義が必要になる。
バルトロが語るようにこの南部に暮らす下層民が自分たちをエトルリアという国家にルーツを持ち、そこには独自の文化が存在したと知らなければ、彼らは精霊帝国南部属州民としての人生を受け入れてしまうだろう。
精霊帝国は歴史を消した。中国の王朝が変わった時に書物を燃やしたようにして。
そのために恐らくは最初の頃は抵抗運動も盛んだっただろうが、今では従順な奴隷に成り下がっているのだろう。歴史というものも民衆を扇動するための道具になる。だから、地球でも些細な歴史認識の違いで揉めるのだ。
たかが過去の話、されど過去の話。
「俺たちは南部を解放し、再びエトルリアを再建する。民族の誇りを取り戻す」
そう告げてバルトロはウィスキーを飲み干した。
「あなたもそのような戦いに身を投じるか?」
バルトロはそう尋ねてくる。
「俺の目的はあくまで精霊帝国という体制の破壊だ。だが、それがあなたたちの理想であり、目的であるならば利害は一致している。あなたたちの力になろう。戦友として、ともに隣で戦おうではないか」
俺はバルトロの瞳を見つめてそう告げた。
「嬉しい意見の一致だな。歓迎しよう、ヤシロ。今日は休むといい。フェルラ村からここまでの道のり、それも子供たちを連れての道のりは苦労しただろう」
「ありがとう。では、今日は休ませてもらおう」
俺はアティカを連れて、マリカとミロが向かった洞窟の奥に向かった。
「意外なほどすんなりと話が進みましたね」
「アルコールのおかげだよ。アルコールは人の判断を鈍らせる。あれは贈り物であると同時に、話を円滑に進めるための一種の薬物だったということだ」
アルコールの効果は馬鹿にはできない。アルコールの多幸感は人の判断力を歪め、正常な判断力を失わせる。ヒューミントにおいても相手を酔わせてぼろが出るところを狙うという手段があるほどだ。
流石に専門のドラッグと比べれば効果は低いものの、ドラッグと違って自然に相手に摂取させることができるのがアルコールの強みである。
「なかなか腹黒いことをされる方ですね。あの理想とやらも嘘なのでしょう」
「嘘はついてない。俺の目的は精霊帝国を転覆させることだ。それが理想だ。それには付随的なものとして自由や民族自決がついてくるかもしれない」
嘘。嘘。嘘。嘘ばかり。日本情報軍の軍人はあまりにも嘘に慣れきっている。
「まあ、これでようやく目途が立ったというところですね。我々の神もお喜びになられるでしょう。あの方もそろそろダイナミックな展開がなければ飽きて、文句を言い出しますからね。全く、困ったものです」
アティカはそう告げて目つきの悪い目で俺を見た。
「本当に勝算はあるのですね?」
「ああ。もちろんだ。これからも死人は増え続け、混乱は広がり続ける」
これから俺のやることを考えれば世界は混乱に向けて突き進むだろう。
「今日はもう何かをするには遅すぎる。ゆっくりと眠らせてもらおう」
5日間、眠らずに過ごしてきた。ナノマシンがいくら便利でも、生理的な欲求を完全に殺しきれるわけではない。体は強張り、脳は安らぎを求めている。
俺はアティカとともに洞窟の地面に軍用ポンチョを敷くと、その上で久しぶりの眠りについた。どんな場所だろうと寝れることも軍人の技能のひとつだ。
俺は眠りにつき、夢の中で中央アジアの夢を見た。
我々が混乱に突き落とし、憎悪の渦巻く大地の夢を。
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