疲労困憊で辿り着いた先には
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──疲労困憊で辿り着いた先には
歩き続けること5日間。
森の中で野営をし、体力を温存しながらもハードな日程でレジマ山までやってきた。
主要な街道は避け、野道を進んできたものの、途中で精霊帝国のパトロールと接近することは何度かあった。その度に我々は戦闘を避けて、森の中や廃屋に静かに潜み、精霊帝国の軍隊をやり過ごした。
戦おうと思うならば戦えただろう。だが、そうすることに意味はない。
非戦闘員3名を連れた状況で交戦すれば、それなりのリスクはある。そして、そこで交戦し、敵兵を殺せば問題が生じる。敵は自分たちの戦力がやられたことに気づき、周辺一帯の捜索、警邏の強化を行うだろう。そうすれば逃避行はさらに難しくなる。
ただ、ひとつだけ確認しておきたいことがあった。
それは魔術だ。
俺は魔術というものを未だに理解しかねている。
その射程は? その威力は? その速射性は? その応用性は?
これから混乱を起こすならば、自然と魔術と相対することになることは間違いない。精霊帝国の支配階級である貴族たちは魔術師だというのだから。
俺は人殺しにはそれなりの自信があるつもりだ。どのような状況であろうと、どのような相手であろうと殺す自信はある。
もっとも、それは相手についてある程度の知識があることが前提になる。何の情報もなく放り出されてしまっては少しばかり困る。どのような場合でも、相手について知るための偵察は行われるものだ。
泥の中を這って泥の中で静かに相手を観察するのか。それともドローンを飛ばして上空から相手を観察するのか。あるいは軽い攻撃を仕掛けて、相手の出方を調べるのか。
方法は様々だが、偵察の必要性は変わりはない。
敵を知るということは戦争における基本なのだから。
そのような理由で敵のパトロールや移動中の部隊──そして、作戦行動中の部隊を見つけたときは暫しその場に留まり、その様子を密かに観察した。
精霊帝国の軍隊と言っても、大部分は下層民のようだ。街の衛兵と同じように鎖帷子の鎧を纏い、鉄兜を被り、槍を携えた兵士たちが徒歩で移動している。薄汚れたその恰好からして、それが支配階級にある人間でないことは察することができた。
そして、その大多数の下層民の兵士たちを貴族が率いている。
貴族は煌びやかなプレートアーマーとマントを身に纏い、腰には木製の杖と鋼の長剣を下げ、乗馬して移動している。見ただけでそれが支配階級にあると分かる格好だ。
それもまたこの世界の軍事が遅れている証拠だろう。一目で指揮官だと分かる人間がいれば絶好の狙撃の的だ。現代の軍隊では指揮官は指揮官だと気づかれずに行動する。ベトナム戦争での苦い経験が導き出した答えだ。
それはそうと軍隊における下層民と貴族の割合は概ね250対1だ。例外的に少数の兵士を率いた貴族も見かけるが、原則として貴族たちはひとりで250名の下層民の兵士たちを率いている。少なくとも貴族は中隊指揮官ではあるようだ。
さて、問題はその貴族がどのような力を使うのかだ。
この5日間の逃避行でその力を目撃する機会があった。
それは地形上、やむを得ず村落の傍を通過しなければならなかったときだ。
その時は酷く運が悪いと思ったのだが、我々が近づいたとき、精霊帝国の部隊がその村落を掃討中だった。村の方から煙が昇っているのに、俺はマリカとミロをアティカに任せ、俺は静かに村落に近づいていくことにした。
時刻は正午で、視野は良好だ。ナノマシンによる視野の補正は必要ない。
俺は姿勢を低くし、木々の中に潜みながら、煙の発生源に近づく。
村落は精霊帝国の下層民の兵士に包囲され、逃げ出そうとした村落の住民が槍によって串刺しにされている。村落の周囲には刺殺された死体が積み重なっていた。
そして、村落を焼き払っているのは貴族だ。
そこで俺はついに魔術というものを自分の目で確認した。
貴族は杖を握り、その杖の先に複雑な幾何学模様がARで見たかのように宙に浮かび上がり、その微かに輝く紋様から火炎放射器のように炎が伸びていく。その炎は火炎放射器と同じように粘性を持った燃焼剤で燃えているらしく、目標を確実に燃やしている。
そして、燃え上がる家屋の中には逃げそこなった住民たちがいた。彼らの上げる悲鳴が聞こえてくる。炎の轟々と燃え盛る音と、住民の悲鳴、兵士たちの怒号が虐殺の音楽を奏でていた。聞きなれた音楽だ。
家屋に火を放ち、パニックで逃げ惑う住民にテロリストが銃弾を浴びせかける。銃弾が魔術になっただけで、地球の虐殺と大した変わりはない。
だが、これでようやく魔術というものについてある程度の想像がつくようになった。魔術とはああいうものなのか。
もっとも、イメージができるようになっただけで、具体的なスペックは謎のままだ。
どれほどの射程があるのか。どれほどの威力が発揮できるのか。どれほどの速射性、持続性があるのか。どれほどの応用が利くものなのか。
アティカにも尋ねたが、彼女も全てを知っているわけではなく、あいまいな答えが返ってくるだけであった。
未知の事象に挑むというのは、あまりいい気分にはならない。
しかし、殺すことはできる。貴族を殺すことはできるのだ。実際に俺は交易都市ナジャフで大量の貴族を殺した。貴族が殺せない絶対的な存在であるということはない。
残りについては今後起きるだろう混乱の中で探ろうと、俺は再び森の中に戻った。
それから精霊帝国の部隊が通り過ぎるのを待ち、彼らがいなくなったところで村落を大きく迂回するルートを選んで我々は再び西に向かった。
村落を横切ってもよかったのだが、マリカとミロの両親が焼き殺されたのは数日前の話だ。余計な混乱や恐怖で足並みを乱したくはない。
そして、5日目2100。
「あれがレジマ山だね」
三日月の光でうっすらとシルエットの見える山脈が目の前に広がった。
あれがレジマ山だ。
標高は2000メートルほど。鬱蒼とした森林に覆われており、自然がそのまま残ってることが分かる。開発の手は及んでいないようだ。
また主要な街道や都市部などの敵の警戒地点から程よく離れており、ゲリラやテロリストが身を潜めるにはちょうどいい場所のように思える。
「疲れた……。もう歩けない……」
「もうちょっとだから頑張って」
マリカとミロの姉弟はかなり疲労している。ここまで整備された道をほぼ使わず、野道を進んできたのだから当然だろう。それも5日間、ほぼ歩きっぱなしだ。訓練された軍人である俺ならば大丈夫だったが、ただの子供には辛いものであることは間違いない。
だが、その逃避行もようやく終わりが見えてきた。
後はこのレジマ山のどこかにいるユニオ・ボルゲーゼ氏を探すだけだ。
「とは言えど、どこから手を付けたものだろうか」
レジマ山はなかなかの広さである。疲労困憊した子供たちを連れて当てもなく歩き回るのは致命的ですらあるだろう。
「君たちの両親は具体的にどこで会うようにとは言ってなかったのかね?」
「それは何も……。レジマ山に行けば会えるからとしか。私たちも本当に村が焼かれるなんて思ってもみなかったし……」
子供をこれ以上問い詰めてもしょうがない。
ここは手あたり次第にやるしかないだろう。
俺はもう一度山を見渡してからマリカとミロ、そしてアティカを連れてレジマ山の麓から頂上まで続く森の中に足を踏み入れた。
これまでの森はそこまで規模の大きくないものであった。少なくとも平野部では燃料などのために伐採が行われたらしく、同時に開墾も進んでいたので残っている森と言うのは見渡すほどの大森林というものではなかった。
だが、レジマ山の森は壮大だ。
これまでは遭難や野生動物の脅威をさして考えずに進んできたが、その点にも留意しなければなるまい。ここまで広大な森であり、かつ山であるならば滑落の恐れもある。
そして、反乱勢力と思われるゲリラとテロリスト──いや、ここは抵抗運動と呼ぶとしよう──の脅威も考えなければならない。マリカとミロ、そしてアティカは子供であるからにして即座に攻撃の対象とはならないだろうが、俺の方は精霊帝国の人間と考えられてもおかしくはない。
今のところ抵抗運動が存在したとしても、それは俺の味方ではないのだ。
抵抗運動が味方になるかどうかはこれからの俺の働き次第である。
「味方、か」
本当に味方になると思っているのか?
結局は日本情報軍が見捨ててきたいくつもの組織と同じように使い潰すだけの存在にすぎないのではないか。所詮はその程度の役割しか期待していないのではないか。
そもそも本当に味方だと言える存在がこれまでいただろうか。
アメリカ情報軍は表向きな友好的な組織であったが、その下では日米の情報戦が繰り広げられていた。国家に友人はいないということの体現であるかのように、日米の情報組織はお互いの腹の内を探り合い、優位に立とうとしていた。
日本情報軍の同じ軍人たちとて安心できる相手ではない。日本情報軍及び日本国国防組織全体の情報保全と防諜を行う、日本情報軍情報保安部は二重スパイ狩りに熱心であった。かの有名な偏執病の工作官ジェームズ・アングルトン染みた狂気に駆られたかのように、あちこちに人員を忍び込ませていた。
情報保安部の工作官たちは軍人・官僚・政治家の醜聞を掻き集め、それをネタに協力者になることを脅迫して回っているという話だった。その工作官の密告者が隣に立っている戦友である可能性は常にあったのだ。
そんな職場で何を信じられようか。後ろめたいことがなかったとしても、身内のことを密告する人間が潜んでいるというのは気分が悪くなる。
騙し、騙され、裏切り、裏切られ。そうやって信頼できる人間は消えていき、最後に残るは自分だけ。情報戦とは薄暗闇の中における孤独との戦いになる。
味方も友人もいない。一時的な協力者がいるのみ。
思えば、俺のことを節操のない人殺しだと罵った部下も、孤独と戦っていたのだろう。俺のような上官を信じられず、日本国以外の国に内戦の炎を放つだけの作戦で疲弊しきっていたに違いない。彼はいくら説明しても作戦の目的を理解しなかった。
日本国の国益のために、他の国の国民には殺し合ってもらう。
ただ、それだけの話だったというのに。
俺がそんなことを考えながら夜の森の中に視線を走らせていたとき、俺のナノマシンによって補正された聴覚が物音を捉えた。野生動物のそれではない。人間が森の中を歩く音だ。人数は2名、距離300メートル。こちらに向かってきている。
「マリカ、ミロ。止まれ。アティカ、こっちに来てくれ」
俺は子供たちを止めて、アティカを呼ぶ。
「どうなされました?」
「これから戦闘になるかもしれない。基本的にこちらの対応は相手によるが、万が一に備えておいてもらいたい」
「備えると言っても何をすればいのですか?」
「君たちは逃げろ。いてもしょうがない。ただ、分かるように逃げてくれ。来た道を真っすぐ逃げて、森に入った地点まで向かってほしい。場所は覚えているね?」
「それでしたら覚えています。こう見えても記憶力はいいのです」
「結構。合図したら逃げるんだ。それまでは隠れていてくれ」
俺はアティカにそう告げると、アティカは子供たちの方に向かった。
俺は木々の陰に隠れ、手に握っていたHK416自動小銃の光学照準器を覗き込む。
物音は着実にこちらに近づいている。だが、いくらナノマシンが光源を増幅させていると言っても限度というものがある。この森の中では視界が妨げられ、なかなか接近している人間の姿は見えてこない。
だが、それは同時に向こうからもこちらが見えていないことを意味する。
こちらは曲がりなりにもデジタル迷彩の戦闘服で、木の陰に隠れているのだ。発見するのは難しいだろう。まして、この世界の文化技術水準では暗視装置の類などない。夜戦における優位はこちらにある。
相手との推定距離が200メートルを切った。
見えた。クロスボウを持った人間が2名。鎧のような胸当てを装備しているが、精霊帝国の軍隊のそれではないものだ。不明瞭ながら、粗末な格好をしている。それは正規兵だとは考えにくい装備だ。
これが当たりか。
さて、どう接触するかだ。いきなりクロスボウで撃たれるというのも困る。
とりあえず、先手を取るか。
「動くな」
俺は暗闇の中から2名の人間に向けてそう告げる。
そして、その動きが止まった。
「誰だ?」
「難民だ。精霊帝国に追われてきた。そちらは?」
男の声が戸惑ったように尋ねてくるのに、俺は光学照準器でしっかりと2名の人間を狙いながら、そう尋ね返した。
「難民か。こちらは“南部国民戦線”だ。お前が精霊帝国に追われてきたならば助けになれるだろう。近づいてもいいか?」
「その前に。ユニオ・ボルゲーゼを知っているか?」
2名の人間が前に進もうとするのに、俺はそう言葉を挟み込んだ。
「ユニオ・ボルゲーゼ? 知っているとも。俺たちの指導者だった人物だ」
男の声がそう告げ返してくる。
男の声色に嘘の色はない。顔が観察できればより確実に表情筋から真否を見定められるのだが、この暗闇ではどうしようもない。
「武器を下ろしたままこっちに来てくれ。連れがいる」
「分かった。安心してくれ。俺たちは精霊帝国に弾圧されている人間の味方だ」
そう告げながらも俺は光学照準器を覗き込んだまま、狙いをずらさない。
2名の人間はクロスボウを下ろしたまま、ゆっくりとこちらに進んでくる。
俺の脳に暮らすナノマシンは最適な緊張状態を維持し、過剰な緊張を抑止する。確かに緊迫の場面であるが、俺は人工的に作られた冷静な心の中にいた。
「やあ。こんばんは」
そして、2名の人間が目の前に来るのに、俺は光学照準器から顔を上げてそう告げた。
「……お前、本当に難民か?」
「難民なのは連れだ。子供がいる。フェルラ村の生き残りを連れてきた」
俺の姿を見て、目の前に来た男が尋ねるのに俺は視線でアティカたちの方を見た。
「アティカ。マリカとミロを連れてきてくれ」
俺がそう告げると、茂みの中からアティカがマリカとミロを連れてやってきた。
「子供か。両親は?」
「殺されたよ」
「それは……残念だったな」
男は申し訳なさそうな顔をしてマリカとミロの姉弟を見る。
「彼らは君たちを頼れと言われていた。当てはあるのか?」
「ああ。逃げてきた者たちを匿っている。だが、少し待ってくれ。尾行されていないか確かめる。ここ最近は精霊帝国の動きが激しい。どこかで追われている可能性もある」
男はそう告げるともうひとりの男に合図し、その男は森の中に進んでいった。
「安心していいぞ。ここなら安全だ。南部国民戦線は君たちを歓迎しよう」
残った男はマリカとミロにそう告げて微笑んだ。
これで一応の接触はできたわけだ。
問題はこれからどう転がすか、だ。
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