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水の精霊公

……………………


 ──水の精霊公



 ティベリア藩王国総督にして水の精霊公テオドシウス・フォン・ホルシュタインにとってここ数週間は悪夢のようであった。


 貴族たちの連続した暗殺。


 間違いなく抵抗運動レジスタンスはティベリア藩王国に入り込んでいる。ヴィクトリアが警告していたようにして。


 国境付近の検問にも引っかからなかったということは、衛兵の中に裏切り者がいるのか。あるいは抵抗運動はこのティベリア藩王国の内部で生まれたのか。それすらも今のテオドシウスには分からなかった。


「全く、どうしろというんだ!」


 テオドシウスは蒸留酒の杯を傾け、自棄酒に走る。


 だが、アルコールではもはや慰めにもならない。


 完全な失態だ。自分の領地は安全だと思っていた。それがたったの数週間で!


 テオドシウスは引き出しを開くと、そこからドラッグ“ミスト”の収められた革袋を取り出し、それを紙の上に広げた。


 そして、それを丸めた別の紙で鼻に吸い取る。鼻の粘膜からミストが吸収され、中枢神経が刺激される。


 その目が覚めるような心地よい感覚にテオドシウスは目を瞑って感覚を味わう。


 テオドシウスがドラッグの使用を始めたのは4年ほど前からだった。とある貴族のパーティーで勧められたことが切っ掛けであった。


 このドラッグがあればいくらでも起きていられる。何日もぶっ通しで遊んでいられる。これはまさに魔法の薬だ。そういわれてテオドシウスもドラッグの使用を始めた。


 確かに言われた通りであった。その効果は素晴らしく、テオドシウスは何日も寝ずに遊び続けた。薬の効果が切れるまで遊び続けた。


 テオドシウスは精霊公の地位にあるが、実際は遊び人だ。酒、女、ドラッグ。あらゆる娯楽に手を伸ばし、それを楽しんでいる。精霊公としてモレクに絶対の忠誠を誓っているものの、それはそれとして遊び続けている。


 精霊公には膨大な富がある。それを使えばどれだけでも遊んでいられる。これからの人生は、その身が果てるまで遊び続けよう。テオドシウスはそう思っていた。


 だが、この反乱騒ぎだ。


 彼の精霊公としての地位は脅かされている。忌々しい反乱勢力は次々に貴族たちを暗殺し、精霊帝国の統治を揺るがしている。これではテオドシウスは遊び続けることなどできない。どうにかして対策を考えなければならない。


 ドラッグの染みわたった頭で考える。


 また都市を水没させるか? 税収は減るが、反乱勢力を叩くにはちょうどいい。反乱勢力の動きが活発な場所を見つけ出して、そこを水で沈めてしまおう。そうすれば反乱勢力は打撃を受け、恐怖を覚える。精霊公である自分に盾突けばどうなるのか思い知ることになるだろう。完璧だ。


 未来の展望が明るいものになっていくのに、テオドシウスはさらにミストを吸い込む。最初は少量でもかなりの効果があったミストだが、今ではかなりの量を摂取しなければ、最初の時のような快楽は得られなくなっていた。


 それが薬物依存の傾向だと気づくこともなく、テオドシウスはドラッグに溺れる。


「反乱を鎮圧したらパーティーを開こう。壮大なパーティーだ。美しい女に、美味い酒、それからこっそりとドラッグ。生き残った貴族たちを集めて、盛大にパーティーをしよう。そうすればこの疲れも吹き飛ぶというものだ」


 テオドシウスはドラッグが中枢神経を刺激するのを感じながら、そんなことをひとりで呟いていた。


「その前にヴィクトリアの監察官たちにはどこかに退去してもらわなければならないな。確かに我々は下層民の犯罪組織からドラッグを買っているが、あれは所詮は下層民なのだ。放っておいても害はない。むしろドラッグが手に入るだけ有益だ」


 まさかその犯罪組織──ティベリア共和国軍こそが反乱勢力をティベリア藩王国に招き入れ、ともに抵抗運動を組織しているなど、テオドシウスには知る由もなかった。


 彼はこれで問題が解決するのだと思っていた。都市を水没させ、それによって問題は解決するのだと信じていた。


 テオドシウスの考えも全くの誤りではない。これまでの反乱は都市の水没という最終手段で鎮圧できていた。民衆は水の精霊公であるテオドシウスに恐怖を覚え、彼に逆らおうなどと思うことはなくなった。


 だが、今回は今までの反乱とはレベルが違う。


 八代によって組織された抵抗運動はその質と数においてこれまでの抵抗運動に勝っており、多少の恐怖などでは止まらないだけの勢いを持っていた、相手の恐怖を自分たちの勝利の機会に繋げるという技術を有していた。


 相手の恐怖で民衆に抵抗運動に加わるように促し、本来ならば恐怖ですくみ上るだけの民衆を味方に付ける。それがあるからこそ、南部やルンビニ公国で黒書騎士団が行った反乱鎮圧作戦は失敗したのだ。


「全て上手くいくとも。ああ、全て上手くいくとも」


 テオドシウスがドラッグに溺れている中、彼に死が迫りつつあった。


……………………


……………………


 ポタラ城の内部は静まり返っていた。


 少数の警備が警備に当たっているが、それだけで、侍女や下男などは見受けられない。そして、その少数の警備も貴族ではなく、下層民だった。


「エーデ。貴族の気配は?」


「あります。200歩先に2名。最上階に1名。最上階の貴族がテオドシウス・フォン・ホルシュタインだと思われます」


 こういう時にエーデはそこらの軍用ロボットより頼りになる。相手の位置のみならず、どのような相手なのかも理解できるのだから。これほどまでに高性能の軍用ロボットが生まれるにはまだまだ十数年はかかるのではないだろうか。


「貴族を始末して、それからテオドシウスを暗殺する。貴族を始末しておかないと脱出の際に障害になる可能性が高い。では、行こう」


 我々は環境適応迷彩で姿を隠しながら、確実に目標に向けて迫る。


 やがてエーデの言っていた貴族のいる部屋の前まで来た。


 俺は背中からサプレッサーが装着されたショットガンを抜くと、それをドアノブに向け、スラッグ弾を叩き込んだ。ドアノブが錠前ごと弾け飛び、その扉が僅かに開くと、すぐさまエーデが部屋の中に滑り込む。


「何の音だ──」


 貴族は起き上がって何事かを告げようとしたが、それがエーデによって塞がれた。エーデの銃剣が貴族の喉を抉り、悲鳴を上げようとする貴族の心臓を貫き、確実に殺害した。俺もHK45T自動拳銃を手に扉の中に飛び込み、起き上がろうとしていた貴族の頭に向けて2発の銃弾を叩き込んで始末した。


「ひゅう。流石だな」


 ことを見ていたエトヴィンが軽く口笛を吹く。


「見ているだけではなく、少しは手伝ってもらいたかったな」


「あれを手伝うなんて冗談はよしてくれ。俺の出る幕なんてなかったさ。あんたらの相性は抜群だ。それを邪魔することの方が迷惑ってものだろ?」


 確かにエトヴィンの出番ではなかった。今のは俺とエーデの連携で十分だ。


 だが、それだとすればこの男は何のためにわざわざ我々に同行したのだろうか。


「急ごうぜ。城の中は巡回が行われている。巡回している衛兵に壊れた扉が発見されれば警報が鳴り響く。そうならないように先にテオドシウスを片付けないとな」


「そうだな」


 目的は不明だが、エトヴィンもテオドシウスを殺したがっていることは事実なのだろう。その言葉に嘘があるようには感じられない。


 またはエトヴィンは天性の詐欺師で、我々日本情報軍の尋問技術すら逃れるだけの嘘のつき方を知っているかだ。


 日本情報軍の尋問技術は高度なものへと発展したが、完璧ではない。未だにこの手の尋問技術から逃れる方法を知っている人間はいるのだ。まして、今は暴力も精神的圧迫も伴わない環境下での観察レベルの話だ。嘘のつきようは残されている。


 だが、そうやって味方を疑っていても、話は進まない。


「残りはテオドシウスだ。彼を始末しに向かおう。確かに時間はない」


 我々はポタラ城の廊下を駆け抜けて、最上階に向かう。


 俺が戦闘に立ち、エトヴィンが中央を進み、エーデが後方から続く。


「残り300歩です、ヤシロ様」


「分かった」


 この暗い城内の中で、明かりの灯っている部屋が見える。あそこだ。


「俺とエーデで突入する。エトヴィン。あなたは援護を」


「任せておいてくれ」


 俺が告げるのにエトヴィンが頷いた。


 だが、どこか様子がおかしい。エトヴィンは何を考えている?


「では、いくぞ。3カウント」


 3──俺がショットガンを構える。


 2──エーデが扉に張り付く。


 1──エトヴィンがAKMS自動小銃を握りしめる。


 ゼロ。


 俺はショットガンで錠前を吹き飛ばし、エーデが素早く扉を開いて突入する。


「賊かっ!」


 部屋の中にはテオドシウスがいた。


 彼は飛び上がるようにして椅子から立ち上がると、杖を抜く。


「沈め!」


 テオドシウスがそう告げ、杖の先から大量の水が溢れ出す。


「エーデ! 退避だ!」


 俺はエーデの腕を掴むと、遮蔽物に引き摺り込んだ。


 大量に溢れる水と同時に氷の刃が飛来し、エーデが立っていた位置を貫いていき、壁に突き刺さる。その間にも水は溢れ続け、俺たちは押し流されそうになるのを必死に耐える。だが、この状況では動きようがない。


「ヤシロ様。私が行きます。援護をお願いできますか?」


「分かった。可能な限り援護しよう」


 エーデが告げるのに俺は頷き、片手で壁を掴み、片手でHK416自動小銃を構える。


「行きます!」


 その次の瞬間、エーデが水の上を駆けた。


 水の上に飛びあがった彼女は水の上を泳ぐわけでもなく、駆け抜けたのだ。まるで幻覚でも見ているかのような気分だった。水の上を歩くなど、それこそ奇跡に他ならない。まして、このように全てを押し流すような猛烈な勢いの水の上を駆けるなど。


「貴様がアッシジの悪魔憑きか! よかろう! ここで私が葬り去ってくれる!」


 テオドシウスがそう告げて杖を振るおうとする。


 俺はそこに向けて片手でHK416自動小銃を乱射した。


 片手では、ましてこの濁流の中ではまともに狙いを定めることなど不可能だ。それでも俺はエーデのために自動小銃を乱射した。一発でもテオドシウスに命中することを祈って。俺はただただ引き金を引く。


「くうっ!」


 俺の乱射を脅威を感じたのか、テオドシウスが氷の壁を展開し、守りに入る。


 だが、その守りは守りにならない。


「はああっ──!」


 エーデが叫び声を上げて銃剣をその氷の壁に突き立て、思いっきり蹴り飛ばす。


 それによって氷の壁は崩れた。


「貴様っ!?」


「女神ウラナ様の名において死を」


 エーデは銃剣をテオドシウスの杖を握った右手に突き立てると、テオドシウスは右手を切断されるほどに抉られ、杖を取り落とし、短く悲鳴を上げた。


 それによって我々を押し流そうとしていた洪水は収まり、水は流れ去っていった。


「待て! 待て! 取引をしないか? 私には──」


「私が求めるのはあなたの死だけです」


 エーデがそう告げてテオドシウスの喉に銃剣を突き立てようとしたときだ。


「そこまでだ」


 エトヴィンが声を上げた。


 俺に自動小銃の銃口を突き付けて。


「……何のつもりだ、エトヴィン?」


「何、ちょっとしたお願いさ。そいつを殺す前にしたいことがある」


 俺が彼の嘘に気づいて告げるのに、エトヴィンが短く笑った。


「よう。テオドシウス・フォン・ホルシュタイン閣下。初めまして、じゃないんだよな。あんたとは一度会ったことがある。覚えてないか?」


「なんだ、お前は。お前など知らないぞ」


 エトヴィンがエーデの隣に立って、銃口をテオドシウスの方に向けなおすのに、テオドシウスは混乱した様子でそう告げた。


「覚えてないか? 本当に何も覚えていないか? そうだな。もう25年も昔の話だ。覚えているはずもないか」


「25年前? 何の話をしている?」


 エトヴィンが肩をすくめるのに、テオドシウスは必死にそう尋ねる。


「25年前。あんたはひとりの娼婦を孕ませた。あんたは養育費を送ってやると約束したが、所詮は貴族の約束だ。あんたは約束を破り、その娼婦を見捨てた。その孕んだ子供と一緒に。それがこの俺だよ、“親父”」


 ああ。そういうことか。


 エトヴィンの言っていた娼婦を見捨てた貴族というのはテオドシウスのことだったのか。これで全てが納得いく。


 テオドシウスをどうしてエトヴィンがここまで付いてきて殺そうとしたのか、エトヴィンの言葉の端々に嘘の色が見えたのか。全てが納得いく。エトヴィンは自分の父親に復讐するためにここまできたというわけだ。


「ま、まさか、私に復讐するためにここまで来たのか? 私を殺すために?」


「いいや。違うさ。あんたは一応は俺の親父だ」


 テオドシウスが震えながら尋ねるのに、エトヴィンがそう告げた。


「どうだい。立派な息子に育っただろう? 褒めてくれよ。あの世でな」


 エトヴィンはそう告げるとフルオートでテオドシウスの体に銃弾を叩き込んだ。銃弾の命中によってテオドシウスは踊るように震え、血飛沫が舞い散り、床にじっくりと赤い染みが広がっていく。エトヴィンはマガジン1個分の銃弾を撃ち尽くして、そこでだらりと自動小銃を腕に垂らした。


「よう。悪かったな。突然、妙なことを始めちまってさ」


「構わない。だが、事前に言ってくれればよかったものを」


「親父を殺したいから連れて行ってくれ、じゃあ、形がつかないだろ」


 俺が告げるのにエトヴィンがそう返した。


「さて、とんずらしようぜ。合図を送ってくれ」


「送った。逃げるとしよう。テオドシウス・フォン・ホルシュタインは死んだ」


 我々は精霊公のひとりをまた始末した。


 抵抗運動はまた一歩前進したということだ。


 だが、この戦いの終わりはいつ訪れるのだろうか。


……………………

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