社会不安
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──社会不安
ドラッグの密売は続いている。
自由エトルリア同盟は既に越境し、集結地点に集まりつつあるが、エトヴィンが最後の仕事だと言って、俺を取引に付き合わせた。
しかし、これでようやくドラッグの密売から解放されるわけだ。エーデも聖女としての奇跡を示すことができるようになって安堵することだろう。俺もこれで一安心というわけである。エーデは戦って奇跡を示すべきだ。
本当に?
エーデに本当に必要なのは平和ではないのか。精霊帝国が滅び、それで掴めるだろう平和に彼女は望みを賭けているのではないのか。
だが、精霊帝国が倒れても平和は訪れない。
間違いなく軍閥同士の争いが始まる。精霊帝国という覇権国家の喪失により、ソ連がなくなった世界のように各地で紛争が勃発するだろう。権力の空白というものは、内戦の炎を育てるのにもってこいの環境なのだ。
つまり、エーデはいくら望んでも平和を手に入れることはできない。
「これであんたに付き合ってもらうのは最後だ」
馬車の中でエトヴィンがそう告げる。
「これからは自分たちでやれるのかね?」
俺はエトヴィンにそう尋ねる。
「ああ。あんたからもらった武器の使い方は理解したつもりだ。これからは俺たちだけでもやっていけるだろう。それともまだ心配か?」
「いいや。あなたたちは貪欲に知識を吸収して、成長した。今更俺がとやかく言うことはないだろう。あなたたちはあなたたちの手でビジネスに勤しむといい」
エトヴィンたちは既に銃火器の使い方とメンテナンス方法をマスターしている。
こちらが弾薬さえ提供し続けるならば、エトヴィンたちは頼もしい同盟者であり続けてくれるだろう。もっともいつ裏切るか分からない同盟者であるが。
そう、未だにエトヴィンは何故抵抗運動を組織したのか、どうしてリベラトーレ・ファミリーを裏切ったかについて語っていない。彼は精霊帝国を倒して、より良い世界を作るためだと語るが、その言葉には嘘が混じっている。
だが、エトヴィンが精霊帝国と戦っていることは事実だ。精霊帝国の社会不安を形成するために、ドラッグを売りさばき、それを妨害しようとする精霊帝国の監察官たちを殺している。ただのおとり捜査だとは思えない。
それでも、エトヴィンとの同盟は危うい感覚の上に成り立っている。
「社会不安とやらは形成されてきているかね?」
俺はエトヴィンにそう尋ねる。
「それなりにはな。この間、貴族が晩餐会の席で乱心して、列席者を数名殺した。そいつ自身も他の貴族の反撃を受けてあの世行きだ。ドラッグの需要に対してこっちは供給を絞っている。これならばいずれは大騒動だ」
中毒者が増え始め、もっと大規模なドラッグが必要になってくる段階で、敢えて供給を絞る。そうすれば確かに混乱は生じるだろう。
ドラッグというものは常習性があり、最初は少量のもので我慢できても、次第により精度の高いものを、より多くのものを求めていくようになる。
そこで供給が絞られてしまえば、とても愉快なことになるであろう。人々は幻覚や幻聴に襲われて、突飛もない行動に出る。そうやって生じていくのが、ドラッグによる社会不安というわけである。
エトヴィンは貴族たちにドラッグを与えて、社会不安を形成しつつある。
「しかし、貴族たちはより多くのドラッグを売るように要求してこないのか?」
「希少価値ってものがある。供給量が少なければ、それだけ仲介する貴族は儲けられる。だから、多くを売れとは要求してこない。それに文句を言おうにも俺たちしかドラッグを扱ってないんじゃ、別の業者に代えるわけにもいかないしな」
なるほど。全てはビジネスというわけか。
ひとえに貴族たちがエトヴィンを疑ったり、下層民だと相手にしないわけでもないのは、エトヴィンがちゃんとしたビジネスマンだからだろう。彼はどこまでもそのビジネススタイルを貫いている。義憤に駆られたり、正義を振りかざしたりすることなく、ただただビジネスを行っているのだ、エトヴィンは。
その分、抵抗運動の指導者としては疑問が残る。本当に彼は精霊帝国と全面対決するつもりがあるのだろうか。自分の利益が保証されている間は、精霊帝国を裏切ることはないのではないだろうか、と。
「それにしても結局、この仕事に聖女様は連れてこなかったな」
「別に必要はないだろう」
エトヴィンが愚痴るように告げるのに、俺は肩をすくめてそう返した。
「俺たちの薄汚いビジネスを聖女様には見せられないってわけか?」
「我々はあなた方が思っている以上に薄汚い作戦に従事しているよ」
ルンビニ公国では、意図的に飢饉を引き起こすために食料貯蔵庫を燃やし、南部から食料を運ぶ船を襲った。それによって多くの無辜の民が死んだ。それが今更麻薬の密売程度どうだというのだろうか。
「別に責めてるわけじゃないさ。実際に俺たちの仕事は薄汚い。貴族に媚びて、ドラッグを売って、そうやって儲けているわけなんだからな。軽蔑してくれたってかまいやしない。だが、勝利への貢献を疑われるのは困る」
エトヴィンは俺の心を見透かしたようにそう告げる。
「アプローチは違うが、俺も精霊帝国の破滅を願っている。回りくどい方法ではあるものの、精霊帝国の戦力を弱体化させ、精霊帝国に打撃を与えている。俺は精霊帝国が倒れるならば、喜んでそれを歓迎する」
エトヴィンの言葉と表情に嘘の色はなかった。
エトヴィンは確かに望んでいるのだろう。精霊帝国の崩壊を。
だが、その理由は?
貴族たちに虐げられた民衆を助けるため? 共和国を成立させるため? それとも自分がトップに立つため?
どれも違う。エトヴィンは本心ではそんなことを望んでいない。
となると、何が彼を動かしているのだろうか。
「エトヴィン。君は何を憎んでいる?」
俺はただそう尋ねた。
「憎んでいる? 俺がか?」
「そうだ。君は何を憎んでいる?」
人を混乱に向けて動かすのは恐怖と憎悪だ。エトヴィンが混乱を望むのならば、エトヴィンは何かを憎んでいる。恐怖という感覚はないだろう。エトヴィンは何かを恐れている様子をこれまで見せなかった。
「……まだ話せないな。あんたはまだまだ信用できない」
エトヴィンはそう告げて首を横に振った。
「ここまで協力しているのに信頼してもらえないのは心外だな」
「俺は用心深い男なんだよ」
エトヴィンはそう告げて小さく笑った。
馬車が急に止まったのはそんなときだ。
「何が起きた?」
「貴族が暴れてます。近づくとやばいですよ」
エトヴィンが尋ねるのに、彼の部下がそう返した。
俺も荷台から正面を覗くと、前方で鉄の槍がそこら中にまき散らされていた。
その鉄の槍を放っているのは貴族だ。魔術で形成された鉄の槍を通行人に向けて、無差別に叩き込んでいる。そこら中に死体が積み重なり始め、通行人は逃げ惑っている。
衛兵たちはどうしていいのか考えあぐねているかのようにその様子を遠巻きに眺めていた。相手は貴族だ。衛兵たちの手でどうにかなる相手じゃない。
そして、俺が見る限り、その貴族は薬物中毒状態にあった。目は充血し、口から涎が洩れている。目の焦点はあっておらず、意味不明な叫び声を上げている。
「おやおや。早速社会不安を見るチャンスがやってきたぞ」
エトヴィンは愉快そうにそう告げる。
「暴れているのは貴族だが、どうやって止める?」
「同じ貴族が殺すのさ」
まるで銃の乱射事件だ。
通り魔的に犯行に及び、逃げる算段も犯行を止めるつもりもない。後先考えないタイプの銃の乱射事件。こういう事件は得てして犯人の自殺で幕を閉じるのだが、冷静な判断などどこかに吹き飛んだあの貴族にはそんなことを考える余裕はないだろう。
そして、仮に彼に僅かでも冷静な判断力が残っていたとしても、貴族はこれまで絶対的な存在だった。下層民を何人殺そうと罪には問われてこなかった。そういう理由で、大人しく自殺したりなどはしないだろう。
この事件を防ぐにはそれこそ市民全員がライフルで武装するしかないだろうね。魔術が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ。
「おっと。おいでなすったぞ。監察官殿たちだ」
まるで野球の実況を眺めているような声でエトヴィンがそう告げた。
エトヴィンの言ったように暴走する貴族の向こう側から別の貴族たちが姿を見せた。プレートアーマーを身に着けた貴族だ。
その貴族は杖を振りかざすと、暴走している貴族に向けて氷の刃を放った。
氷の刃は暴走している貴族を両断し、その血が舞い散ると攻撃は終わった。
「呆気ない幕引きだな」
エトヴィンはまるでもっと被害が出た方がよかったかのようにそう告げる。
「だが、これは材料になる」
そう、この大通りの殺戮は材料になる。
下層民の憎悪を掻き立て、精霊帝国に向かわせる材料に。
「材料ねえ。あなたらが何をしようが構いはしないが、有効活用できるんだな?」
「こっちにプロパガンダの専門家がいる。その人間がこの事件を大きく報じるだろう。下層民の怒りを焚きたてる方向に向けて」
エトヴィンが尋ねるのに、俺はそう告げて返す。
「だといいけどな。意味もなく下層民が虐殺されるのには飽きていたところだ」
エトヴィンの言葉には犠牲になった下層民への同情の気持ちなど欠片も見られない。やはりこの男にとって、同胞たる下層民はどうでもいい存在なのだろう。
「どうする? これから取引に向かうのか?」
「当たり前だ。向こうは商品を待っている。貴族社会にさらなる社会不安とやらをもたらすためにも、取引は続けるとも」
俺の問いにエトヴィンがそう告げると、道路の通行再開を待って、再び通りを進み始めた。交通整理を行っている衛兵たちはこの騒動の発端がこの馬車の積載されているドラッグだとは思わず、馬車を通過させた。
衛兵たちは混乱を拡大させるなど思ってもいないのだろう。この馬車に積み込まれた荷物でどれだけの混乱が生じるかなど思ってもいないのだろう。
そう思うとドラッグを運ぶエルヴィンたちも、その通行を許可する衛兵たちも、急に滑稽なものに思え始めた。
彼らは彼らのために自分のビジネスを進め、他のことには注意を払ってもいないのだと。そう思うと空港や港で受ける税関の必死の調査が馬鹿げたもののように思えてくる。たとえ、それが必要不可欠なものであったとしても。
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