先に金を見せな
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──先に金を見せな
取引現場は貴族の邸宅だった。
馬車は裏庭に止まり、降りてきたエトヴィンたちが周囲を見渡す。
裏庭は貴族の邸宅らしく、きちんと整備され、美しい庭になっていた。
「来たか」
「ああ。来たぜ」
やがて、取引相手が姿を見せた。
確かに貴族だ。貴族のまとう上品な装いに身を包んだ男は、ドラッグの密売人には見えない。だが、確かにこの男が取引相手なのだろう。
目はやや充血し、薬物中毒を疑わせる兆候がいくつかある。彼はドラッグの密売人であると同時に、その使用者でもあるのだろう。
日本情報軍の兵士はいつものようにドラッグの成分を無害化する。ドラッグは尋問に使われることもあり、それから身を守るためにそのような機能が付けられているのだ。
我々はドラッグに頼らなくともナノマシンが中枢神経刺激を行って適度な緊張感を保たせ、痛みはマスキングされて感じない。日本情報軍の高度なナノマシン施術を受けている人間はドラッグに頼る必要などないのだ。
ドラッグ中毒をナノマシンで回復させるという試みも行われているそうであり、将来的にドラッグは中毒の品ではなくなるのかもしれない。それでも健康への被害を考えるならば、そういうものがないことの方が望ましいが。
「物を見せろ。ちゃんとこちらが要求した分、あるんだろうな?」
「もちろんだとも。だが、そっちが金を見せる方が先だ。俺たちとの取引で、随分と儲けているんだろう。これは俺たちの共同ビジネスだ。儲けは分かち合わなくちゃな」
貴族の男がそう告げるのにエトヴィンがそう告げて返す。
貴族と下層民の間には絶対に越えられない壁があるものだとばかり思っていたが、エトヴィンはそういうものを気にしていないように思える。貴族との共同ビジネスなど、下層民として弾圧されている人間が言える言葉とは思えない。
「分かった。金だな。もってこい」
貴族もエトヴィンに抗弁する様子はなく、控えていた家来にそう告げる。
家来は木製の箱をエトヴィンの前に置き、それを開く。
そこには黄金が詰まっていた。金貨が山のように積まれている。
これは儲かるわけだ。
エトヴィンたちがどうやってドラッグを密造しているのかは把握している。彼らは地方の貧農に気前良く金を払い、ドラッグの材料となる植物を栽培させ、それを金貨数枚で買い取っている。それから彼らはそれを精製し、ドラッグに加工する。
エトヴィンがこの樽の収めて運んできたドラッグの原価は金貨50枚程度であろう。それがこれだけの黄金の山になって帰ってくるのだから、エトヴィンは笑いが止まるまい。
「確かに確認した。おい。物を引き渡せ」
次はエトヴィンが命じる。
エトヴィンの部下が樽を運んで貴族の前に並べていく。合計で4個。
貴族はそのワインで偽装された樽の底の方の密輸用の空間から、ドラッグを取り出し、それを神経質に確認した。
「薄めていたりはしていないようだな」
「当たり前だ。こういうのは信用が大事だろう。お互いに」
確かにエトヴィンがドラッグを薄める様子は見ていない。あのドラッグが地球のそれと同じならば、薄めていないドラッグは急性中毒症状を引き起こす可能性もあるのだが。
それにしても貴族を相手にしても敵意を見せず、誠実さを貫くエトヴィンは本当に抵抗運動の一員なのだろうか。彼は貴族に敵意など抱いていないのではないだろうか。本当に俺はこの男を信頼していいのだろうか。
いまいち、正体を掴みかねる男だ。この男の本当の目的はなんだろうか。
戦後のことに興味はなく、共和制を目指し、それでいて貴族と親しい。
その言葉は玉虫色で、どれが本音なのかが分からない。
こういう人間は信頼できないし、利用しにくいのだが、今はこの男を信頼するより他に方法はない。この土地で抵抗運動と呼べるものを行っているのは、エトヴィンのティベリア共和国軍だけなのだから。
彼が抵抗運動に関して嘘をついているならば、その首を刎ね飛ばして組織を乗っ取らなければならない。
だが、エトヴィンの言葉は玉虫色ではあるが、抵抗運動について嘘をついているようには見えない。少なくとも日本情報軍に所属し、相手の感情を掌握する技術を手にしている俺には、エトヴィンは本当に精霊帝国を倒したいと思っているようであった。
「旦那様! 大変です!」
俺がそのようなことを考えていたとき、貴族の使用人と思しき人間が現れた。
「何事だ?」
「監査官です。監査官が屋敷を訪れています」
おやおや。噂の監査官とやらか。
「不味いな。この場面を取り押さえられては……」
貴族の表情が青ざめる。
監査官はドラッグ密売に関わっている人間全てを処理している。下層民のマフィアだろうと、それと取引を行っている貴族であろうと。
この貴族は今ここにドラッグの収まった樽を保有し、監査官はすぐに隠し空間があることに気づくだろう。そうなればこの貴族は終わりだ。
「手を貸してやろうか?」
そんな貴族にエトヴィンがそう告げる。
「貴様に何ができる」
「いろいろとできるさ。そうだろう、ヤシロ」
エトヴィンはそう告げて俺の方を見る。
「できるだろう。いろいろと」
既にティベリア共和国軍にはAKM自動小銃とPKM汎用機関銃の使い方を教えてある。バルトロとレオナルドは反対したが、武器供給の根っこを我々が押さえている限り、ティベリア共和国軍が裏切ったとしてもその戦闘力は限られる。
この世界に俺以上の死の商人はおらず、武器のコントロールは可能だ。
もっとも、自由エトルリア同盟内部の権力争いでは、そうも言えないようだが。バルトロは信頼できる部下たちで身を固め、武器を必要以上に要求している。レオナルドも同様であり、彼は経済部門にかかわらず、同じように武器を要求している。
既に破損や紛失という名目で補充された武器は何百丁に及び、自由エトルリア同盟は共通の敵である精霊帝国を失えば、即座に内戦に突入するかのように思われていた。
エトヴィンのティベリア共和国軍もそうならないという保証はない。彼には必要な武器を渡したが、彼はより多くの武器弾薬を求めている。精霊帝国を倒すためであり、戦後に関心はないというエトヴィンだが、その言葉をどこまで信用したものか。
「では、任せていいのか? 相手は凄腕だぞ?」
「商売相手を消されても困るし、あんたから俺たちの情報が洩れても困る。ここは俺たちがどうにかしてやるから、あんたは証拠隠滅を図ってくれや。流石の俺たちも貴族を殺して、そのまま逃げおおせられるとは思っていないからな」
やはりエトヴィンは貴族と親しい。
彼の本当の敵はなんだ? 精霊帝国か? それとももっと個人的なものか?
「始めようぜ、ヤシロ。俺たちにはまだあんたの指導が必要だ」
「分かった。指揮を補佐しよう」
エトヴィンの本当の狙いが分からないまま、俺たちは戦闘に突入しようとしている。
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「ここでドラッグの密売が行われているとの情報を手に入れた。調べさせてもらう」
監査官は既に邸宅の正門にまで来ていた。
50名程度の衛兵を引き連れ、プレートアーマーを纏った貴族が、この邸宅に貴族の使用人を問い詰めていた。突入までの時間は少ないだろう。
「そのような事実はありません。旦那様がドラッグの密売など」
「それにしては随分と下層民と親しいそうではないか。ドラッグは下層民から流れて来ている。精霊帝国の支配体制を揺るがすためにドラッグによって、この地に住まう我々貴族たちのちを汚染しようとしているのだ。許されることではない」
確かにエトヴィンの作戦はある意味では巧妙だ。
直接的な攻撃を精霊帝国に仕掛けるわけではなく、あくまでドラッグの密売という形で精霊帝国の支配層である貴族たちを弱体化させていく。ドラッグはその中毒性から広く広まり、精霊帝国の貴族たちの心は瞬く間に汚染されるのだ。
ドラッグによる社会不安の形成。エトヴィンの戦略は高度なものだ。
この手の作戦に従事したことはないが、軍閥はこの手の作戦を行っていた。彼らは支配地域にドラッグをばら撒き、それを収入源とすると同時に、民衆の抵抗力を奪った。加えて軍閥は子供たちをドラッグ漬けにすることによって、子供兵を確実に確保していた。中毒になった子供はドラッグを得るためにどんな作戦にも従事し、恐れを知らず、痛みを知らず、そして無謀な戦い方で消耗品のように死んでいく。
何度、ドラッグ漬けになった子供兵と交戦しただろうか。両手の指では数えきれないほど、我々はドラッグによって未来を奪われた子供兵と戦っている。我々は痛みも恐怖も感じない子供兵を確実に殺すために、頭と胸に二連射で銃弾を叩き込み、彼らの地獄を終わらせてやってきた。
思えば鈴谷を殺した子供兵も、ドラッグ中毒者の典型的な特徴をしていたな。
「先生や。どうすりゃいい?」
俺がそんなことを考えていると、エトヴィンがそう声をかけてきた。
「こちらのキルゾーンを設定する。あの前庭の辺りがそうだ。そこに最大の火力が発揮できるように部隊を配置する。機関銃は十字砲火が可能な位置に配備、小銃班はそれを補佐するように展開するように」
「了解だ」
エトヴィンは戦闘を前に飄々と応じる。
エトヴィンの頭にナノマシンは詰まっていないはずなのに、彼はあまり戦いを恐れていない。人を殺すということにストレスを感じていない。
それは彼がサイコパスであるということを意味しない。戦場で恐怖しない人間をサイコパスとは呼ばないのだ。
レオナルドが言うにはエトヴィンはリベラトーレ・ファミリーを裏切ったときに大規模な粛清を行ったそうだが、その時にエトヴィンは殺人を体験したのだろうか。ナイフで人を殺すという最悪の感触を理解したのだろうか。
分からない。ただ、エトヴィンは貴族との戦闘を目前にしても緊張をしていなければ、戦意に奮い立ってもいないということだ。まるで事務仕事でもするかのように、淡々と戦闘に備えていっている。
エトヴィンは自分が死ぬことを恐れていないのか?
バルトロはそうだった。彼は軍閥の指導者として、自ら前線に立ち、部隊を指揮してきていた。彼は戦場に恐怖せず、ただただ戦うことのみを考えていた。
だが、バルトロのそれは恐怖を押し殺していただけだ。
エトヴィンのそれは恐怖をまるで感じていないかのようなのだ。恐怖という感触を持たず、それが心からストンと落ちてしまっているかのようだ。
「エトヴィン。確認しておきたいことがある」
「なんだ?」
俺が尋ねるのにエトヴィンが怪訝そうな顔した。
「君もドラッグを使っているのか?」
ドラッグを使えば恐怖は消えるだろう。あの内戦の場にいた子供たちのように恐れを知らず、痛みを恐れず、どこまで勇敢に、どこまでも愚かに戦えるだろう。
だが、指導者がドラッグ漬けというのは困る。
彼には冷静に物事を判断してもらわなくてはならないのだ。
「商品に手は付けてない。あれがどんな毒物かは俺が知ってる。あんなものを使う気にはなれないな。あんなものを使ったら、革命なんて起こせない。そうだろう?」
エトヴィンの表情には確かにドラッグ中毒者の傾向は見受けられない。
彼は本当に恐怖を有さない人間なのだろうか。
「ええい。邪魔をすると切り殺すぞ!」
やがて正門の方から、貴族の叫ぶ声が聞こえていた。
使用人たちが屋敷に入れまいとするのに監察官の貴族は激高し、杖を抜くとその矛先を使用人たちに向けた。
次の瞬間、使用人たちは生成された金属の槍で串刺しにされ、地面に倒れる。
「いよいよだ。準備は?」
「できてる。楽しみだな」
俺が確認するのにエトヴィンが楽し気にそう告げて返す。
「よろしい。では始めよう。敵がキルゾーンに入ったら射撃を許可する。指示があるまでは絶対に引き金を引くな」
「聞こえたか。準備しておけ」
我々は貴族の邸宅の窓に二脚を立てたPKM汎用機関銃を据え付け、窓から自動小銃の銃口を突き出し、貴族たちがキルゾーンに入るのを待った。
もう少し、もう少し、もう少し……。
俺の隣にいるティベリア共和国軍の兵士の指が震えている。少なくともティベリア共和国軍に所属する全員がエトヴィンと同じように感覚がマヒした人間ではないようだ。
「撃ち方始め」
俺は貴族と衛兵がすっぽりとキルゾーンに入ったことを確認すると発砲を命じた。
けたたましい機関銃の銃声が響き、それが貴族を蜂の巣にする。貴族は何が起きたのかも分からないままに地面に崩れ落ち、続いて衛兵たちが自動小銃から放たれた銃弾をたんまりと浴びることになった。
戦闘は一瞬のことだった。
体感時間で30秒程度。それだけ僅かな時間で俺たちは監察官の貴族と衛兵たちを皆殺しにした。隣の兵士は安堵の息を吐いている。
「ひゅう。こいつはいいな。あんたらが武力闘争を勧めるだけはある。これがあれば貴族なんて恐れるものではなくなるな」
エトヴィンは軽く口笛を吹き、目の前に築かれた死体の山を見下ろしていた。
「そうだ。武力闘争でも勝利できる道はある。それでもドラッグ取引は必要かね?」
「必要だね。俺たちは貴族ひとりを殺しただけだ。ドラッグはその二十倍の人間を殺す。俺たちは貴族に毒を流しているんだ。快楽という名の毒をな」
エトヴィンはそう告げると立ち上がった。
「さて、後始末をしてもらわないなとな。連中も庭に監察官の死体が転がっているのにはぞっとさせられるだろう」
エトヴィンはそう告げると、取引相手の貴族の下に向かった。
確かにドラッグによる社会不安を招くのは有効だろう。だが、それは時間がかかりすぎる。我々には迅速な勝利が必要なんだ、エトヴィン。
去っていくエトヴィンの背中を見つめて俺はそう思った。
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