ドラッグ取引
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──ドラッグ取引
俺は自由エトルリア同盟がティベリア共和国軍の支援を受けて、ティベリア藩王国に密入国するまでに、エトヴィンのビジネスの手伝いをすることになった。
すなわち、ドラッグの密輸と密売。
エトヴィンたちの扱っているドラッグは“ミスト”といわれるもので、気分を高揚させる向精神薬である。
ドラッグのほとんどがそうであるようにミストにも常習性と中毒性があり、ミストを使い始めると、永遠に使い続けなければ安息が訪れないようになっている。使用によって満たされる量は次第に増えていき、幻覚・幻聴に悩まされ、最後は廃人になる。
もっとも、ティベリア共和国軍は顧客である貴族たちにそんな懇切丁寧な説明はしていない。ただ、気持ちよくなれる薬だとして販売している。その点は地球のドラッグ密売人とさして変わりはない。
貴族たちへの売れ行きは順調で、ティベリア共和国軍は多大な利益を上げていた。
だが、精霊帝国はこの手のドラッグを違法だとしている。彼らもその危険性を理解しているということだろう。少なくとも気分の良くなるいい薬だと無邪気に信じているようなことはないわけである。
そのためドラッグ取引は密かに行われる。
ティベリア共和国軍はいくつものドラッグ密売ルートを有しており、大口取引先にドラッグを纏めて売り払い、そこから末端の貴族たちに行き渡るようになっている。
そして、その顧客のひとりにはティベリア藩王国総督テオドシウス・フォン・ホルシュタインも含まれていた。精霊公である彼もまたドラッグに溺れているというわけだ。
そのような状況なので、ドラッグの密売は容易であった。
テオドシウスは積極的にドラッグ密売を取り締まろうとしないし、精霊帝国の他の貴族たちも自分たちの娯楽を奪われることを望みはしなかった。
だが、例外も存在する。
精霊帝国本国から派遣されている監察官たちだ。
彼らはティベリア藩王国がドラッグ密売の温床となっていることを知っており、ドラッグ密売グループ──すなわち、ティベリア共和国軍を取り締まろうとしていた。
ドラッグ取引はその点にのみ注意して行われることになる。
「こいつを屋敷まで運び込む。表向きは貴族の邸宅に収める酒になっているが、その実はミストだ。その屋敷から晩餐会などで貴族たちにドラッグが出回る。俺は貴族は信用しないようにしているが、向こうもそうだろう。監察官が居合わせたら、向こうは真っ先に俺たちを裏切るぞ。注意してくれ」
部下たちに馬車に樽を積み込ませながら、エトヴィンは俺にそう告げた。
「これはテオドシウス・フォン・ホルシュタインに通じる荷物なのか?」
「まさか。奴のは特別に扱われる。奴は他の貴族たちからミストを買わない。他の貴族たちが小麦粉とかでミストを薄めていることを知っているからな。だから、奴は直接俺たちから購入する。もちろん、監察官対策を施してな」
この積み荷がテオドシウスに達するならば、このミストに毒物を仕込むというやり方もあっただろうが、特別な配達となるとそうはいかないな。
エトヴィンが告げたように貴族は下層民のマフィアを信用せず、下層民のマフィアは貴族を信用しない。テオドシウスは自分がそれを試す前に毒物が入っていないかチェックさせるだろう。毒物が混入していればそれでばれる。
「しかし、よかったのか? 聖女様を宿に置き去りにしてきて」
この作戦にエーデは関わっていない。
アティカの言うようにマフィアの仕事にエーデを関わらせたくなかったということはない。ただ、その必要性がなかったから置いてきただけだ。
「ドラッグ取引に聖女は必要ないだろう? 奇跡がなければ成功しない取引か?」
「それもそうだ。奇跡は必要ない。必要なのは金だけだ」
俺が告げるのにエトヴィンが頷いた。
「さて、出発だ。乗り込んでくれ」
「あなた自ら乗り込むのか?」
「そうしないと貴族どもは信用しないんだよ」
まさかティベリア共和国軍という抵抗運動のリーダーであるエトヴィン自ら取引に乗り込むとは。彼はある意味ではとても活動的だ。
「あんたも行くんだろ。乗れよ」
「ああ。行くとしよう」
エトヴィンが告げるのに、俺も馬車の荷台に乗り込む。
馬車は出発し、ガラガラと音を立てて進んでいく。
「取引現場で監察官に出くわしたことは?」
「ある。一度だけだが」
エトヴィンは語る。
「監察官は火の精霊公ヴィクトリア・フォン・リンドルフの手下だ。血も涙もない連中だよ。ドラッグ取引の現場を見つけたら皆殺しだ。俺たちは元より貴族すら殺す。こいつに出会った時は本当に死ぬかと思ったぜ」
「ヴィクトリアか」
ヴィクトリア・フォン・リンドルフ。
エーデの両親と隣人の仇。南部とルンビニ公国で大虐殺を行った黒書騎士団団長。
名前だけは耳にするこの人物のプロファイルを俺は行おうとしていた。何故ならば、我々は将来的には絶対にこのヴィクトリアを殺すことになるからだ。
我々がバルフ王国を解放するためには、ヴィクトリアの死は不可欠である。そして、精霊帝国を崩壊させるには黒書騎士団の崩壊も不可欠である。であるならば、二重の意味でヴィクトリアには死んでもらわなければならない。
そして、エーデには仇討ちを果たしてもらいたい。
エーデ自身がそれを望んでいなくとも、彼女は仇討ちを果たすべきだ。彼女は聖女である以前にひとりの人間なのだから。
エーデも心の底から報復を望んでいないとは思えない。心のどこかでは報復を望んでいるのではないだろうか。そう思うのはおれの思い過ごしであろうか。
現地住民に入れ込みすぎているな。日本情報軍にとって現地住民はさほど価値を持たず、感情移入するなど論外だ。彼らは我々の支援する軍閥によって徴兵され、虐殺され、見捨てられるのだから。
だが、俺のナノマシンはエラーを吐き出しているのか、ここ最近は俺は明白にエーデに感情移入している。エーデのことを気にかけている。
くだらない。エーデのことを気にかけてどうなるというんだ。俺は彼女をこの混乱に満ちた大地に置き去りにするつもりなんだぞ。また俺は裏切るのだ。
考えないようにしなければ。
「ところで、あんたはどこの出身なんだ?」
エトヴィンが世間話だというように俺にそう尋ねてきた。
「遠い場所の出身だ」
「精霊帝国の配下か?」
「いいや。そこに精霊帝国は影も形もない」
祖国日本はどこの誰にも支配されていない。表向きはそうだ。
「夢のような国だな。精霊帝国が存在しないだなんて」
「夢のような国などありはしないよ。精霊帝国は存在しなかったが、もっと性質の悪いものが大勢存在していた。自国の利益のために他国で内戦を誘導する国。罪もない一般市民を無差別に殺す組織。民衆同士が殺し合って、この世の地獄を描いている国」
地球は楽園などではない。この世の地獄だ。
日本とて例外ではない。他国のことから意図的に目を逸らす市民たちの安寧とした生活の下には、無数の躯が埋まっている。日本国民はそのグロテスクな事実を知ろうともせず、認識しようともせず、ただただ無知に生きている。
無知とは力であるといったものだ。
「どこの国も楽園ではない、か。だからこそ俺たちは自分たちの手でこの国を少しでもまともにしなければならないわけだ。精霊帝国の屑どもを叩き出し、この国に共和国を作る。そして、よりまともな国にするわけだ」
俺はエトヴィンが語るのを静かに聞いていた。
ドラッグの密売人の言葉とは思えないような言葉だ。ドラッグの密売人が語るには滑稽な話だ。ドラッグの密売人が国をよくしようと思っているなどとは。
それに共和国になったからと言って全てが解決するわけではない。
共和国にも様々な形態がある。代表をどのように選ぶのかにいはいくつもの方法がある。これまで世界に民主主義というものが欠片も存在しなかったこの世界で、どれだけ選挙制度が汚職に塗れず維持されるのかは見ものだろう。エトヴィンがそのまま抵抗運動の指導者から独裁者にならないという根拠はどこにもない。
そして、他の軍閥との衝突も考えなければならない。やはり、ここでも国境問題がある。精霊帝国が人為的に定めた国境線の引き直しを求めて、自由エトルリア同盟やルンビニ革命議会、そしてエトヴィンたちのティベリア共和国軍が衝突する可能性は皆無ではないのだ。ここでは誰もが民族主義者なのだから。
これまで抑圧されていただけ、民族主義の炎は熱く煮えたぎっている。何がきっかけで、それが巻き起こったのかは理解しがたいが、彼らは民族主義に燃え、自分たちの民族が誇りある暮らしができることを望んでいる。
民族。それは己のルーツであり、文化そのもの。21世紀も30年以上が経過した地球においても民族主義は今なお健在だ。今日もご機嫌に異民族の頭に銃弾を叩き込んでいることだろう。民族主義そのものは素晴らしい価値観なのかもしれないが、どんな素晴らしいものでも悪意ある人間に利用されてしまっては。
「精霊帝国の貴族をここから追い出したら、次はどうするんだい?」
俺はエトヴィンにそう尋ねた。
「精霊帝国の貴族がこの国を奪い返しに来るのを阻止するだけだ。そのためには精霊帝国本土にも乗り込まなくちゃならないかもしれない。だが、ここから精霊帝国を追放できりゃあ、それぐらいのことはできるだろ?」
「楽観的だな。あなたたちのビジネスはどうなる?」
エトヴィンが告げるのに俺は問いを重ねた。
「俺たちのビジネスは手段であって目的じゃない。必要なくなれば解散するさ。それに俺はもうたんまりと儲けているからな。もう戦後のことを考えるほど楽天的ではないが、俺は戦後は真っ当な商売を始められるだけの金は稼いだつもりだ」
おやおや。ドラッグ密売で手に入れた金でどんなビジネスを始めようというのか。
「政治家は目指さないのか」
「政治家か。興味ないな。俺たちは共和国のおぜん立てをする。それだけだ。戦後のことはもっと頭のいい連中に任せるとするさ。俺は正直、政治家ってものが何なのか理解しちゃいない。どうでもいい」
言うことが二転三転する男だな。
この国をよくすると語ったかと思えば、この国の戦後にはまるで興味がないという。
こういう人間は何かを隠している。自分たちの本当の目的を悟られないようにごまかしている。それが何なのかは分からないが。
「エトヴィン。俺はまだ君の来歴を聞いていない。どうして君はティベリア共和国軍を組織することになった? どうして君なレオナルドのリベラトーレ・ファミリーから離脱することになった? 聞かせてはくれないか」
俺はエトヴィンにそう尋ねる。
「あんたはまだ本当に信頼のおける人間じゃない」
エトヴィンはそう告げた。
「だが、いずれは話してやるよ。聞けば納得するだろう。俺がティベリア共和国軍を組織した理由も、リベラトーレ・ファミリーから離脱した理由も。何もかも。だが、それは今語るべき話ではない」
エトヴィンがそう告げたとき馬車が止まった。
「さて、ビジネスの時間だ。行くぞ」
エトヴィンはそう告げて、馬車から降りた。
結局のところ、エトヴィンについて俺が把握できたことはほとんどなかった。
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