蛙の鳴く日には
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──蛙の鳴く日には
次の目標はベンヤミン・ベルガーに決まった。
これ以上、周囲の警戒態勢が上がるとこの人物を殺すのが困難になるからという判断から決まったことである。
ベンヤミン・ベルガーは貴族に情報を売って、貴族の庇護下で生きている。どうやら貴族も裏切り者には甘いらしく、この男は豪邸に住み、衛兵たちに守られて暮らしている。これを始末するというのはちとばかり骨が折れる。
衛兵を巻き添えにするとただの抗争ではなくなる。それは精霊帝国に対する挑戦として受け取られるだろう。これまで我々は山のように衛兵たちを殺してきたが、今回は繊細にならなければならないということだ。
我々は注意深く張り込み、ベンヤミン・ベルガーの行動パターンを探る。
彼に衛兵がついていないときはない。どんなときも衛兵の警備がついている。寝るときも、外に出るときも、トイレに行くときすらも衛兵の護衛がいる。
爆殺はできない。鉛玉を浴びせかけるのも難しい。
となると、選択肢は狙撃か。
狙撃は可能ならば避けたかった。優れた狙撃手でも目標を外すことはある。まして、俺は狙撃手養成過程を受講し、何度か実戦で狙撃を行っただけだ。シモ・ヘイヘともカルロス・ハスコックとも異なる。そんなにタフで優秀な狙撃手じゃない。
我々は警護が外れる瞬間はないかとじっと待ち続ける。
月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜、日曜。
我々はベンヤミン・ベルガーの行動パターンを纏めていき、入り込める隙を探した。だが、衛兵の警備は絶対にはずれない。
「こうなったらいっそ衛兵のいるときに殺すしかないのかもしれない」
俺は考え込むようにそう告げた。
「それだと取り押さえられませんか?」
「ああ。普通に殺せば間違いなく拘束されるだろう」
衛兵の目の前でベンヤミン・ベルガーを殺せば、衛兵たちに取り押さえられるだろう。衛兵たちを殺してしまえば問題はなくなるだろうが、あいにく衛兵たちを殺していい状況にはなっていない。
衛兵に殺したと思われず、ベンヤミン・ベルガーを殺す。
何かいい手段はないかと考える。
暗殺は日本情報軍の十八番だったはずだ。殺しの手段は何も鉛玉と爆薬だけじゃない。交通事故に見せかけて殺すことも、ナイフで刺し殺すことも、毒物で殺すことも、様々な手段で我々は様々な人間を殺してきたじゃないか。
「そうか。毒物か」
俺はそこでひらめきを得た。
「何か手があるのですか、ヤシロ様?」
「ああ。すこしばかり荒っぽくはなるが、静かに殺せるはずだ」
俺はエーデにそう告げると、作戦準備に入った。
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装備は手に入った。アティカとの取引では些か高くついたものの、必要なものは手に入った。使い方は以前にも同じ用途で使ったことがあるので問題はない。
後はどうやってベンヤミン・ベルガーに近づくかだ。
俺の有する道具の有効射程は50メートル。かなり接近しなければならない。
警備は付いていてもいい。一瞬だけ接近できればいい。
我々はベンヤミン・ベルガーのスケジュールを見つめながら、接近できるタイミングを探る。月曜、ホテルで夕食。火曜、劇場で演劇を観覧。水曜、愛人の自宅に。木曜、自分の商っている貿易商の仕事。金曜、引き続き仕事。土曜、公園で過ごす。日曜、図書館で読書。
この中のいずれかのタイミングでベンヤミン・ベルガーを葬らなければならない。
いずれも衛兵の警護を受けていて、近づくのは難しい。衛兵は2名が常に護衛に当たっており、近づく人間を追い払う。
我々は毎日、毎日決まった行動をするベンヤミン・ベルガーの行動を追跡し、見張り、隙を探し続けた。時間は有限だが、焦ってはことを仕損じる。
そして、監視から20日目にして隙を見つけた。
仕掛けるのは火曜。
俺はアティカを介した取引で手に入れたそれを鞄に忍ばせ、劇場に向かう。
演劇と言うが貴族向けのそれではなく、下層民向けのコメディーが演じられている。ベンヤミン・ベルガーはここで笑って過ごし、自分の人生を謳歌している。遮られることなく、喜びの時間だ。
だが、敵に回した人間が悪かった。彼はエトヴィンを怒らせてしまった。その喜びの時間も今日で終わりだ。これから先にあるのは虚無だ。
演劇の幕が開き、笑い声が洩れながら、演劇は演じられる。低俗なコメディーで、笑うべきところが分からない。だが、どうでもいい。俺がここに来たのは演劇を楽しむためではない。ベンヤミン・ベルガーを始末するためだ。
やがて演劇は終幕となり、薄暗い劇場の中で観客たちが席を立つ。
ベンヤミン・ベルガーは護衛である2名の衛兵に前後を守られ、狭い劇場の廊下を進んでいく。俺は彼が隣に来るまでじっと待つ。
そして、ベンヤミン・ベルガーが俺の隣を通過した。
その瞬間、俺は引き金を絞った。
銃声はしないし、血飛沫も舞い上がらない。ベンヤミン・ベルガーがそのまま俺の隣を通り過ぎていった。だが、確実に手は打てた。
俺はベンヤミン・ベルガーが十二分に過ぎ去ったのを確認すると席を立ち、200メートルほどの間隔をあけて、ベンヤミン・ベルガーを尾行する。
「うぐっ……」
不意にベンヤミン・ベルガーが心臓を押さえて地面に蹲る。
ふたりの衛兵は混乱し、ベンヤミン・ベルガーに話しかけている。どう具合が悪いのかを確かめようとしているようだ。だが、ベンヤミン・ベルガーは唸るばかりで、何事も発せずに地面に倒れると青ざめた表情でそのまま衛兵が死亡を確認した。
俺が使用したのはナノインジェクターと言われる特殊な注射器を改造したものだ。
ナノインジェクターは針のいらない注射器として救急医療の現場で使用されるものだが、日本情報軍はこれを暗殺のための武器として利用することを試みた。
ナノインジェクターはナノマシンによってコーティングされた微小な弾丸を打ち出し、皮膚を貫いて、薬剤を体内に送り込む。ナノインジェクターはその射出威力を調整することで的確に薬剤を血管内に送り込むことすらできる。
日本情報軍はこの善意から生まれた発明を悪用した。
ナノマシンに毒物を包ませ、ナノインジェクターの出力を最大まで上げることによって、暗殺の道具にしたのだ。ナノインジェクターで攻撃された目標は、攻撃されたという事実に気づくこともなく、気づいたときには既に手遅れになる。
今回使用した毒物はバトラコトキシン。南米に住む蛙から採取される毒物だ。正確にはその誘導体が使用されている。
バトラコトキシン誘導体は目標の血液内に入ると15分かけてバトラコトキシンとなる。つまり攻撃された瞬間は何の影響もないのだ。
体内でバトラコトキシンとなったものは、神経毒となり、心肺機能を麻痺させ、目標を死に追いやる。それがベンヤミン・ベルガーが死んだ理由だ。
日本情報軍でもこの手の暗殺作戦を実行したことは何度もある。使用された毒物は違えどやることは同じ。100パーセントの善意から作られた医療機器を改造し、相手に毒物を叩き込む。そして、目標がもがき苦しみながら死んでいく様子を観察する。
俺が衛兵の目を盗んでベンヤミン・ベルガーを暗殺しなければならないとして、これが真っ先に思い浮かばなかったのが不思議なくらいにこれはこの任務に適している。証拠なし、犯人として疑われる可能性なし。完璧だ。
俺はベンヤミン・ベルガーの死体が運び出されるところまでを確認し、現場を去った。現場は衛兵たちによって封鎖され、衛兵たちはどうしてベンヤミン・ベルガーが死んだのかを確認しようとしている。
だが、その試みも30分程度で、この世界の未発達な医学ではベンヤミン・ベルガーがバトラコトキシンで殺されたことなど分からず、病死として処理されたことを、我々は確認した。我々はいたるところに盗聴器を仕掛けており、それは病院も例外ではない。
ベンヤミン・ベルガーは死んだ。エトヴィンの望む通りに。静かに。
その死体は葬られ、彼が殺されたという事実ともに土の下に眠る。
「つまり、毒殺したと?」
エトヴィンがそう尋ねる。
ベンヤミン・ベルガーの死を報告するために俺は再びマザーレの街を訪れていた。
「ああ。毒殺だ。彼は自分が殺されたことにすら気づかなかっただろう。どこまでも静かな死だ。衛兵たちも誰も疑っていない。これで精霊帝国が抵抗運動の関与を疑うことはないだろう」
「ふうむ。毒殺ねえ……」
エトヴィンはもっと変わった死を期待していたのか、不満そうにそう呟いている。
「残りはひとりだな」
「ああ。こいつはどう殺してもらっても構わない。精霊帝国もただのマフィア同士の抗争だと思うだろう。衛兵たちは鼻薬を嗅がせてあるから動きもしないはずだ。まあ、今回は随分と静かにやったことだし、今度は派手にやってみたらどうだ?」
エトヴィンは酷く気まぐれな男だ。本当に彼を当てにしていいのか分からなくなってくる。レオナルドとの関係は依然として険悪なものだし、抵抗運動の指導者と言うよりも、本当にマフィアのボスだ。
いや、マフィアのボスでもまた落ち着きと計画性と言うものがあるだろう。この男にはそれがあるのかどうかが怪しくなってくる。
「英雄殿はマフィアの抗争に関わることなんてご不満かね?」
エトヴィンは挑発的にそう尋ねる。
「そんなことはないよ。我々はもっと酷いことをしてきた。今更マフィアの抗争程度」
我々日本情報軍はマフィアの抗争が子供遊びに見えるほどの凄惨な戦いを行ってきた。民間人を拉致し、拷問し、死体を切り刻んで海に捨てる。政治家を暗殺し、その言葉を封じる。ジャーナリストを醜聞で脅し、日本情報軍に関する記事を書かせない。
そういうことを腐るほどやってきたのだ。マフィアの抗争がどうだと言うんだ。日本情報軍そのものがマフィアを超えた犯罪組織のようなものなのだ。あらゆる手段で目標を達成し、あらゆる手段で組織を守ってきた。
日本情報軍のお歴々はことある度に“これは日本の国益を守るためである”と告げていた。自分たちの組織を血塗れにしてでも守り抜くことは、日本国と日本国民のためなのだと我々に常々言い聞かせてきた。
我々はそれを聞いて、同意しているように見せていた。そう演技することが最適だとナノマシンが判断していたからだ。
実際にどれだけのものが日本国の国益のためになったのかは分からない。俺自身も日本国の国益のためと言い訳して内戦という壮大な遊びを楽しんできたが、それがどこまで本当に日本国民のためになっていたのかは分からない。
不用意にそのようなことを疑えば、日本情報軍情報保安部による忠誠度テストを受けることになるだろう。ニューロチェイサーで記憶を探られ、自分が本当に日本国の国益のためというお題目を信じて戦っているかを探られるだろう。
俺は日本情報軍情報保安部と関わり合いになるのはごめんだったし、一先ずのところは日本国でテロの発生件数が減ったことから、それが国益のためになっているのだと信じ込むことはできるようになった。
だが、疑いの目は常に向けられている。
日本情報軍は日本情報軍という軍隊に日本国という国家が付随しているというような、悪しきプロイセン的価値観を有している節がある。
日本国の国益というのはすなわち日本情報軍の利益なのではないだろうか。
やはり日本情報軍とはマフィアと同類の存在なのではないだろうか。
ここは異世界だ。日本情報軍情報保安部は存在しない。いくら疑ってもいいだろう。それこそ何の利益にもならないだろうが。
「それは頼もしい限りだ。これからも随分と殺してもらわなきゃならんからな」
エトヴィンの言い方からするに、俺たちはエトヴィンが指定した4名を殺して、それで仕事は終わりというわけではなさそうだ。やれやれ。
「では、最後の目標を頼むぞ。カール・クリューガー。こいつの頭を叩き切って、組織はいただく。これでティベリア共和国軍の勢力は一気に拡大する」
国益だのと言う誇大妄想染みた大義を言わない分、エトヴィンたちの方が健全に思えるのは、恐らく俺だけではないだろう。
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