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特殊な職場環境

……………………


 ──特殊な職場環境



「我々精霊帝国の権威に泥がつけられた!」


 南部属州総督にして土の精霊公ゲルティ・フォン・マントイフェルは自らの城に集めた南部属州の貴族たちを前に唾を飛ばして怒鳴った。


「聖バルトロマイの式典が下層民によって襲撃され、さらには交易都市ナジャフにおいて大聖堂が崩壊し、帝国貴族たちの邸宅が破壊された! これは精霊帝国と我らが皇帝モレク・アイン・ティファレト陛下への明確な侮辱であり、反逆だ!」


 ゲルティの声を前に貴族たちは震えあがっている。


「しかし、閣下。まだ下層民の犯行だと決まったわけでは……」


「馬鹿か、貴様は! この南部属州において我々精霊帝国に反抗するものが下層民以外にいるというのか! 貴族たちが領地を取り合って殺し合っているとでも言いたいのか! 私の治める南部属州においてそのようなことがあり得るのだと!?」


「い、いいえ、閣下! 決してそのようなことは!」


 そうなのだ。このゲルティは決して己に過ちがあるとは思っていない。


 誰よりも優れた土系統の魔術が行使でき、精霊帝国皇帝モレク直々に精霊公の地位を授けられた自分が間違うことなどありえないと彼は思っているのだ。


 このような思想は精霊帝国ではさして珍しくない。精霊帝国においては魔術の素質こそが地位を示す。優れた魔術の使えるものは優遇され、高い役職が与えられ、その逆に魔術の才能がないものは貴族であっても冷遇される。


 だから、精霊帝国の貴族たちは己の魔術の素質を少しでも高めようと、素質の高い貴族の家系同士で結婚し、その血筋を高めようとする。


 そして、その地位と血筋は固定化され、価値観も固定化される。


 その結果が今の精霊帝国だ。


 魔術の才能だけはある無能だろうと高い役職に就き、その責任を果たさずに相手の義務ばかりを追求して責任転嫁する。それでもってして、それに逆らったり、意見を述べようとするならば社会的に抹殺されるのだ。


 女神ウラナが精霊帝国を世界発展のための障害とみなしたのも当然のことである。


「下層民どもをこれ以上のさばらせてはならん。支配者は我々精霊帝国の貴族であり、我々の仕えるモレク陛下であることを下層民たちに徹底的に教育しなければならない!」


 ゲルティは執務室の机を叩いてそう宣言する。


「下層民の反乱勢力については既に取り締まりを始めておりますが」


「成果は上がったのか?」


「そ、それは……。森林地帯を徹底して捜索させております。ですが、今のところ脅威となりえるような規模の勢力は発見できておりません。脱走した農奴が家族単位で潜んでいる程度で、反乱勢力と呼ぶにはあまりにも……」


「怠慢だ!」


 貴族のひとりが報告するのにゲルティが叫んだ。


「怠慢だ! 反乱勢力は存在する! そうでなければ聖バルトロマイの式典と交易都市ナジャフの件はどう説明するつもりだ!」


 ゲルティはあれが噂される反乱勢力の犯行だと信じ込んでいた。


 だが、下層民があれだけの規模のテロを実行するのには、この世界では血の滲むような努力をしなければならないということを理解していない。


 森に潜んだ下層民の反乱勢力というのが、どこから銃の技術を入手したというのか。あの交易都市ナジャフの街並みを変貌させただけの爆薬はどこから入手したというのか。そもそもそれだけの組織力がある反乱勢力が、これまでほとんど気にも留められなかった程度の存在だったというのはどういうことなのか。


 結局のところ、ゲルティは自分に責任が向かわないように、下層民による反乱勢力の脅威を過剰に評価し、貴族たちに悪いのは反乱勢力だと信じ込ませようとしているのだ。


「徹底的に下層民から反乱勢力を洗い出せ。狩り出せ。都市から、農村から、森林から連中を一掃するのだ。いいか、徹底的に精霊帝国に逆らうものを殺し尽くすのだ」


 ゲルティはそう告げて貴族たちを見渡す。


「か、畏まりました、閣下」


「よろしい。結果は目に見える形で示すようにしろ。明確な数字を出せ。反乱勢力を何名処刑し、どれだけ治安が回復したかを誰もが分かる形で提示せよ」


 ゲルティはそう告げて椅子に腰かける。


「何をしている。私の命令は今から有効だぞ。ただちに動け!」


「はっ!」


 ゲルティが再び怒鳴るのに貴族たちは丁重に頭を下げてから慌ただしく出ていった。


「部下使いが荒いな、ゲルティ?」


 そんなゲルティの執務室で女性の声が響く。


「……ヴィクトリア、貴公か……。“転移門”から来たということはモレク陛下は既にこのことをご存じなのか?」


「この精霊帝国においてあのお方の知らぬことなどない」


 現れた女性は長く伸びた炎のように真っ赤な赤毛を腰まで流し、艶やかな色を湛えた青い瞳を怪し気に輝かせた20代後半ほどの長身の女性だった。


 美しい。万人がそう判断するだろう魅力があるが、それはどこか危険な空気を感じさせるものである。まるで抜き身の日本刀のように。


 そして、その成人男性と変わらぬほどの背丈の体は精霊帝国陸軍の軍服で覆われ、その肩には精霊帝国が有する最大戦力“黒書騎士団”の黒と白マントと胸にはその団長であることを示す五芒星の勲章が存在する。



 ヴィクトリア・フォン・リンドルフ。


 精霊帝国の火の精霊公にして、黒書騎士団団長。モレクの右腕と呼ばれた女性。



「この恥をどのように弁解すればいいというのだろうか……!」


「案ずるな。陛下はお許しになる。これ以上、連中が増長することがなければ」


 ゲルティが頭を抱えて汗を垂らすのに、ヴィクトリアは小さく笑った。


「本当か? 陛下はこの未曽有の恥辱をお許しになると?」


「陛下は寛大なのだ、ゲルティ。貴公は優れた魔術師である。それをそう簡単に切り捨てるようなことは陛下はなさらない。もっとも、貴公がその優れた魔術の力を示し、下層民どもの反乱などというくだらないことを引き起こさないことが求められるが」


 縋るようなゲルティの視線に、ヴィクトリアはその目を細めてそう告げる。


「もちろんだ。私の皇帝陛下への忠誠を示そう」


「それは結構だ。だが、ゲルティ。貴公にこれだけは言っておこう──」


 ヴィクトリアの瞳から温度が失われていく。



「失敗の代償は死だ」



 そうヴィクリアが告げたのにゲルティの額につうっと汗が流れる。


「分かったな。では、ごきげんよう、ゲルティ。貴公ならば上手くやるだろう」


 ヴィクトリアはそう告げるとひらひらと手を振り、現れた時と同じように溶けるようにしてゲルティの執務室から消えてしまった。


「……失敗は許されない。決して……」


 ゲルティはひとりになった執務室で唇を血が滲むまで噛んだ。


……………………


……………………


 俺とアティカは交易都市ナジャフの城門が封鎖される前に街の外に出て、街道をそれなりの速度で歩いて進み、地図の上では深い森林地帯になっている場所に潜り込んだ。


 それからは潜伏生活である。


 食料は魂との取引で手に入るレーション──日本情報軍の戦闘糧食III型か、森の中で木の罠を使って捕まえられる小動物と蛇を食した。戦闘糧食III型は一見するとスナックバーのようになっているが、50グラムのそれをひとつ食べるだけで鍛えられた成人男性が24時間に必要とする栄養素とカロリーを全て補給できる優れものだ。


 味については少なくとも美味いと言った隊員は見たことがない。


「ただのキャンプですね」


「潜伏生活というのはそういうものだ」


 キャンプと違って火はなるべく起こさない。火の明かりと煙は発見されることに繋がる。レーションはそのまま食した。流石に小動物と蛇は火を通さねば食せず、なるべく煙の漏れない方法で加熱した。


 それから水分についても水質濾過装置を購入し、川の水を汲んで飲んだ。ミネラルウォーターを購入してもよかったのだが、魂は肝心なときに使いたい。それに体内循環型ナノマシンは多少の雑菌や寄生虫は無害化する。


「このままどれくらい過ごすつもりですか」


「そろそろもっと遠方に偵察に向かおうかと思うのだがね。精霊帝国の反応が知りたい。もっとも、魂のチャージ額が大きく増え続けていることから、俺の予想したことが始まったということは疑いようのないことだ」


 魂のチャージ額はあのテロ以降、増え続けている。


 俺が殺しているわけじゃない。俺の起こした混乱で死人が出ているのだ。


「本当に始まったのですね」


「ああ。始まった。近場を偵察してきたが、衛兵たちが街道を通る市民を尋問している。村が焼き払われているのを目撃した。ついに始まったのだよ。我々が望む混乱のために必要な弾圧と恐怖の段階が」


 アティカが俺が渋々と購入した粉末ココアで作ったココアをちびちびと飲みながら告げるのに、俺は小動物を捕獲するための木製の罠をナイフで作りながらそう返した。


 敵が腰を上げた。治安対策に乗り出したのだ。


 とは言っても、テロの実行犯である俺を拘束するという明確な目的のために動いているわけではない。俺はあれが俺の犯行だと分かるような証拠は残さなかったし、相手はどうやってあれが実行されたかも理解できなかっただろう。


 では、何を治安対策として行うのか?


 それはテロの混乱に乗じて反乱勢力に加担したり、反体制的な姿勢を取ろうとしたりする人間を取り締まることにある。


 21世紀においては西側の先進国ではテロが起きても言論統制をすることも、政治・民族・宗教的要素で人々を予防拘禁することもできなかった。だが、東側は違った。彼らはテロに対して徹底した言論統制と国民監視を行い、裁判なき予防拘禁すら行った。


 そして、実際にそれは一定の効果を上げていた。彼らはある程度の数にまでテロを押し殺すことができた。テロリストたちの基盤となる民衆は抑圧され、活動を阻害され、テロリストたちも自由に行動できなくなった。


 だが、一方でその抑圧によってより一層の体制への不満が高まり、それはじわじわと民衆たちの心に根を張っていった。恐怖は一時的な安定をもたらしたが、その効果は永続はしなかったのだ。テロリストの発生を阻止するための措置はテロリストの生まれる土壌をゆっくりと形成していった。


 そして、その東側を攻撃するテロリストを西側が支援し始め、その不満は決壊した。


 俺が予想していたのは、精霊帝国側が俺が語った東側諸国のような国民に恐怖を感じさせるような弾圧を行うことだった。


 今の精霊帝国の下層民たちは諦めきっているし、体制を受け入れてしまっている。15世紀にわたって固定化されてきた価値観から外に出ることができず、貴族に従う下層民としての生活を甘受してしまっている。


 そして、それは命の危険性がなく、貧困ながらも辛うじて暮らしていけるということで、早急に打破する必要性を獲得していない。



 だが、弾圧が始まれば?


 人々は拘束され、拷問され、監視され、殺される。



 そこで人々はようやく気付くだろう。このままではダメなのだと。


 つまりは精霊帝国が治安対策に乗り出すことによって、我々は混乱の源となる反乱勢力を育成する土壌を獲得できるようになるのだ。


 それがあの狙撃と爆破の狙いであった。


 狙撃によって何人の貴族を殺したか。爆破テロによって何人の貴族を殺したか。それは重要ではない。肝心なのは精霊帝国の貴族たちが危機感を覚え、下層民を弾圧する治安対策に乗り出してくれることなのだから。


「やはりあなたは楽しそうに混乱について語りますね」


 アティカはココアの入ったカップから顔を上げて、じろりと俺を見る。


「実際のところ、楽しいのだよ。何の起伏もない平和の中に俺は存在価値を見出せなかった。そこに喜びも幸せもなかった」


 平和。尊い平和。くだらない平和。


「喜びも幸せも混乱の中にあったよ。己の存在価値とともに」


「随分と生きにくい性格をなさっていたのですね。そんな性格ではまともに生きてはいけなかったでしょう」


「幸いなことに日本情報軍はそういう変わり者の集まりだ。国家のために手を汚すことを宣誓する人間というのはこのご時世ではなかなか希少でね。俺のような人間は日本情報軍の中はいろいろといたものだよ」


 アティカが肩をすくめて告げるのに、俺はそう返した。


 日本情報軍は異質の軍隊だ。これまで陸海空の三軍が行っていた情報活動を一手に引き受け、軍事組織と諜報組織のハイブリッドとして生まれた軍隊の顔をしたスパイ。


 高度2000キロ以下の低軌道(LEO)を周回する偵察衛星の運用から、古くからの伝統的な人間から人間の手で情報を引き出す人々の想像するスパイ活動まであらゆる活動に日本情報軍は関与している。


 そして、外套と短剣という演劇における古い言葉にもあるように、短剣たる暗殺もまた日本情報軍の仕事であった。


 暗殺そのものは陸軍の特殊作戦群なども行っていたが、彼らの暗殺は軍事作戦の延長にある暗殺だ。暗殺作戦は戦争、準戦争中に限られ対象は軍事目標に限定される。


 だが、日本情報軍の暗殺は諜報作戦の延長にある暗殺だ。時期は限定されず、平時でも暗殺は実行され、対象者は“日本国の情報活動に不利益な人物”全てに適応された。


 特殊作戦群の暗殺作戦はかの砂漠のキツネと名高いロンメルを北アフリカで暗殺しようと潜水艦で乗り込んだ勇敢なコマンド部隊のそれであり、日本情報軍の暗殺は長いナイフの夜に哀れな突撃隊員(SA)たちを処刑した親衛隊(SS)のそれだ。


 もっとも、日本政府はこれまでどの政権も日本情報軍が暗殺活動を行っていると認めたことはない。日本情報軍も常々暗殺の疑惑を否定してきた。


 だが、もはや誰もが知っている。


 国家安全保障局(NSA)は通信の秘密など守っていないし、ウクライナ東部を占領しているのはロシア軍だし、イスラエルは核武装している。


 誰もが日本情報軍が国際的には認められない非合法な政治的な暗殺を行っていることを知っている。それでもなお日本情報軍に志願する人間はいるのだ。俺のように。


 日本情報軍は早い昇進を売りにし、志願者を募ってきた。軍学校の中でも優れた生徒は情報軍に進むことを選ぶ。ただし、軍人として優れていて、論理的な思考ができるスパイとしての素質があり、それでいて人間として何かが欠落した人間だ。


 非合法な暗殺や諜報作戦を受け入れるのだ。まともな人間は陸海空軍のいずれかに行く。それでも日本情報軍に入隊するような人間は人間性の何かが欠如している。


 良心か。共感性か。責任感か。あるいは人生の目標か。


 日本情報軍に入隊するのも、日本情報軍で昇進していく人間もそういう人間だ。


「サイコパスばかりの職場ですか。楽しそうで何よりです」


「別にサイコパスではないさ。人間性の欠如はすなわちサイコパスというわけではないし、サイコパスであったとしても有能で、役に立つサイコパスというものも存在する。事実、法曹界や金融業界、報道関係者にもサイコパスが多いと言われている」


 アティカが皮肉気に告げるのに、俺は淡々とそう返した。


 日本情報軍の軍人たちは狂っていない。日本国の存続のために求められた人材が配置され、環境に適応しているだけである。


「俺のことは理解してもらえただろう。では、そろそろ行くとするか」


「そうするとしましょう。私としてもこの仕事は早く終わらせたいので」


 俺が告げるのに、アティカが空になったマグカップをテーブル代わりにしている岩の上に乗せて、立ち上がった。


 さて、混乱は何をもたらしただろうか?


……………………

本日の更新はこれで終了です。


いかがだったでしょうか?


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