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 部屋の中には子供が一人しかいなかった。小さく齧ったパンには毒も薬も仕込まれてはおらず、しばらく寝た振りをしていてもなにも起こらなかった。その内本当に寝てしまったが、浅い眠りから覚めた時も、俺は五体満足のまま薄い布の上に横たわっていた。

 本当に、なにもする気はなかったらしい。

 その日はそのまま、降夜に断りを入れることなく、崩れかけの教会を後にした。久しぶりに胃に入れた食べ物と睡眠のおかげで、体は少し軽かった。


 その後も度々、降夜と会った。意図して会いに行った訳では無い。ただ、偶然あっちが俺を見つければ話しかけてきたし、俺も以前より教会のある地区のスラムを訪れる頻度が増えた。会えば降夜に促されるまま、教会の隅を借りて、しばらく眠った。良くない兆候であることは分かっていた。それでも、安全に眠れる場所を手放すのは、少しばかり惜しかった。

 元々俺は根無し草だ。家などないし、金もない。物騒なこの街で心休まる場所などどこにもなく、日々人の居ない場所を探しながら、僅かばかり体を休めている。数日置きに情報屋の女の元へ出向き、標的を知ればそいつを殺しに行き、情報を引き出せなければ気が済むまで女の相手だ。あのサディストは全て知っている癖に出し惜しみをする。その上俺を見下して嬲るのを好むから、性質が悪いったら無い。

 寝起きのぼんやりとした頭を抱えたまま体を起こす。腑抜けている。今を狙われれば、きっと一溜りもない。分かっている。分かっているのに。

 どうしてこんなに、居心地がいいのか。

 葵と呼ばれていた子供はここに住んでいるわけではなさそうだった。いる頻度は高いが、いつも居る訳では無い。ここに来る子供は時々増える。そうして、いつの間にか帰っていく。

 話し声が聞こえて入口を見遣れば、降夜が誰かと話していた。感謝の声が聞こえる。何かを手渡されていた。恐らく礼の品だろう。

 こういった場面を見るのは初めてではない。時に頼まれごとをしている最中を、時に助言をしている所を見たりした。何かの雑事をしている所を外で見かけたこともある。

 いつ見てもこいつは、人助けをしているような気がする。



「お前、聖職者なのか」


 ある時思い立って尋ねてみると、降夜は首を捻った。


「前はそうだったと言えるかもしれないけど、今は……どうなんだろう。多分、違うと思う。神は信じているけど」

「なんで」

「団体に、属してないから? 俺はただ一人でこの場所に居るだけで、神を勝手に信仰するだけの一般人だからかな」

「違う、なんで神なんて信じてる」


 似合わない。何故だかそう思った。降夜が神に縋る様を想像出来ない。なんだかんだ、こいつは精神が強靭だ。神なんて必要ないように思う。


「俺は、生まれつき壊れているから」


 しかし、そう言った降夜の瞳はいつか見たように揺れていた。それ以外の変化はない。相変わらず表情は微塵も動かない。なのに、どこか寂しそうだった。


「直してほしいんだ。努力はしているけど、自分じゃきっと直せない。神様でもないと叶わない。……それが無理なら、生まれ変わった時、普通にして欲しい。普通の人に、生まれたい」

「生まれ変わりなんてねえよ」


 吐き捨てる。何を悩んでいるのかは分からない。でも、その考えは嫌いだ。都合のいい夢だ。神も、死後も、不確かなものに期待して縋るなんてくだらない。

 期待したところで、返ってくる保証などどこにもない。

 思い出す。蹂躙された村を。心臓を抉られた妹を。軽々しく、不確かな根拠で、次があるからなんてどうして言える。


「死んだらそれっきりだ。その先なんてねえ。全部終わりなんだ。神は人を救わない。期待したって馬鹿を見るだけだ」

「……そうだね。死んだ後どうなるかなんて、それこそ死んでみないと分からない」


 静かに俺の言葉を受け入れた降夜は、少し考え込んだ後、でも、と言葉を付け足した。


「だからこそ、死は恐怖であり、救いになり得るんだと、俺は思うよ」

「救いだと?」

「うん。分からないから、どんな可能性もある。想像だけなら自由だ。それに」


 一瞬言葉を詰まらせて、数度瞬きをする。

 降夜はどこか遠くを見つめながら、呟くように零した。


「死後があろうとなかろうと、本当は、どっちでもいいのかもしれない。……今生きているこの世界こそ、俺にとっての地獄だから」


 ここで俺でさえなければ、どこで何になってもいい。例え消えてしまうのだとしても、それはそれで構わない。

 そうとでも言いたげな様子だった。


「蓮は、神の救済については否定するのに、神がいないとは言わないんだね」


 唐突に話を振られて、言葉に詰まる。

 俺は元々無神論者だ。でも、妹が熱心に神を信じていた。だから、神自体は否定出来ない。したくない。そうすることで、少しでも妹の痕跡を残しておきたかった。

 でも、それをこいつに話す必要は、ない。


「どうでもいいだろ」

「そう」


 自分から振ったくせに、降夜はやけにあっさりと引き下がった。


「確かに、どうでもいいことなのかも」


 話をそらされたのだろうか。一瞬思う。でも、それにしては、本音を何も隠していないように思えた。

 訳が分からない。

 思えば、いつもそうだ。

 俺が何かを聞けば答えるし、降夜も何かが気になれば直ぐに聞いてくる。そこに脈絡がないことは今までにも何度かあった。でも、必要以上に詮索されたことはない。俺が返答を拒否すれば、その話題は終わる。

 その姿勢は楽だった。でも今考えれば、行動には矛盾があるような気がしてならない。

 この無法地帯で、お節介にも人に尽くすこと自体がそもそも異常なのに。

 世話焼きかと思えば淡白だ。

 人を助けたがる癖に、助けた後には興味が無い。

 やっているのは振りだけで、人自体にはほとんど関心がないように感じる。

 降夜の行動は、どこか歪なのだ。


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