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 この国に国教は定められていないため、内部には多数の宗教が存在する。俺の村を襲ったのは一部のカルト信者達だったのだと、後で知った。

 奴らの主神に捧げるための、人の心臓が必要だったのだという。

 初めはこっそりと城壁内の人を襲っていたのだが、次第に動きづらくなり、あの村に目をつけた。どうせ一度は捨てられた者達なのだから、殺したところで構いやしないだろうと。むしろ早急に魂を浄化してやることこそ、安楽だろうと。

 情報源はあの女で、裏付けは初めに手を掛けた信者で取れた。

 足の健を切り目の前で刃をちらつかせれば、信者は泣き縋って命乞いをしながら、あまりにもあっさりと全てを吐いた。

 滑稽だった。同時に、やるせなかった。

 募る憎しみは変わらずあるのに、心の底は奇妙に凪いでいた。

 こんなものか。

 こんなもののために俺の妹は死に、俺の村は焼かれたのか。

 こんな世界が、そこに生まれ出る人々が、平等だなどとよく言えたものだ。こんなにも理不尽に塗れているというのに。


「神父さまー」


 遠くから子供の声が聞こえる。軽快な足音も。俺は近くに誰もいないことを確認すると、壁に背を預けて薄暗い路地裏の一角に座り込んだ。細く息を吐き出す。体が妙にだるい。

 貧困層の集まるスラム街とは行っても、場所によって程度は様々だ。近くに中流階級の人々がよく通う市場があるこの場所は、多少殺伐とはしているが比較的ましな部類に入る。昼間は割に平和だ。少なくとも子供の弾んだ声が聞こえるぐらいには。


「大丈夫?」


 突然聞き知った声が聞こえて、一瞬思考が止まる。がばりと顔を上げると、以前見た無表情が、俺を見下ろしていた。


「また貧血?」


 この前もそうだったが、こいつは足音を立てないのか。

 ほんの数秒前には誰もいなかったのに、少し気を弛めただけでこれだ。只者じゃないとは思うが、害意がないので扱いに困る。下手に藪をつついて蛇を出したくはなかった。


「なんでいる」

「路地を覗いたら君が見えたから」

「放っとけよ」

「神父さま、どうしたの?」


 先程と同じ子供の声が近づいてくる。その歩みが止まったかと思えば、子供は目の前の男の後ろから顔を出して、こちらを覗き込んできた。

 神父? 引っ掛かりを覚えて目の前の男を見る。微塵も動く気配のない表情筋は、とても聖職者のものとは思えない。年の頃はせいぜい十代後半だろう。その呼称には違和感しかない。


「どうしたの? 具合悪い?」


 男の背に隠れていた子供が、突然詰め寄ってきて思わずたじろいだ。


「……いい。構うな」

「病人だよ。葵、悪いけど先に家に帰って寝床整えておいて。連れていくから」

「構うなっつってんだろ」

「分かった! 早くね!」

「っち、聞けよ話っ、……!」


 不意に、視界が揺らいだ。体から力が抜けて、景色が傾ぐ。やばい。咄嗟に体を支えようと突き出した腕は、地面に届くことは無かった。

 なにかに体が支えられる。違う、抱きとめられたのだ。この細腕で。子供が遠ざかって行く足音が、小さく辺りに響いていた。


「っ、はな、せ」

「警戒するのも分かるけど、俺は君に危害を加える気は無いよ。体調は早く治した方がいい。動けなくなってからじゃ遅い」

「冗談じゃねえ。お前なんざ信じられるか」

「君をどうにかする気なら、この前の時にいくらでも出来た。あの時の方が、君は弱っていたから」


 言葉に詰まる。塞がったばかりの左手の傷が疼いた。上に巻かれた白い包帯は、元々はこいつの持ち物だ。

 あの日、かろうじて意識を保ってはいたものの、俺の体は完全に制御を失っていた。警戒しながらも、ろくな抵抗も出来ないままに背負われたのは、単に力が入らなかったからだ。そのまま奴隷商に売り飛ばされても文句は言えなかったし、最悪解剖屋にでも連れ込まれて臓器を抜かれるかと思っていた。でもそのどれもが実現することなく、ただどこかの廃屋の中で手当を受けた。


「信じないならそれでいい。なんにしても俺は君を連れていく。放ってはおけない」


 奴は無表情な面のまま淡々と言った。


「君が思っているより、人は簡単に死ぬんだよ」


 知っている。底辺に生まれて、この場所に来て、そんなことは嫌という程知っている。

 切り傷ひとつで、運が悪ければ人は死ぬ。頭を打つだけで、打ちどころが悪ければ人は死ぬ。他人に生を脅かされることもざらだ。人一人まともに信用できないこの場所では、死は身近で、日常的に溢れている。


「立てる?」


 肩に手を回された。脇から背中を通った腕は、俺の体を支えながら起立を促す。起き上がった瞬間、立ちくらみがした。嫌になる。本当、どうしてこんなことになってるんだ。


「偽善者め」


 そっぽを向きながら悪態をつく。少し、返答に間があった。数秒後に発された言葉は、今まで以上に空虚な響きをしていた。


「安心して。これに関して言えば、全部自分のためだから」





 比較的ましとはいえ、犯罪蔓延る大都市のスラムだ。万全でない体調のまま、通りに出るのは抵抗がある。だが、奥まった場所へ行くだけ、危ない人種は増えていく。

 立ちくらみの収まった俺は早急に男から離れると、ベルトに括りつけたナイフの位置を確かめた。それを見ていたにも関わらず、こっち、と無防備にも背を向けて先導する気で居るから、すっかり毒気が抜かれてしまった。

 初め通りに目を向けていた男は、思い直したように踵を返すと路地の奥へと進み出す。途中で壁だと思っていたトタンの板を押して、そこに体を滑り込ませる。それに続けば、その先は人一人がやっと通れるほどの、狭い道が続いていた。

 極端に道幅が狭く入り組んだこの辺りは、スラムの人間であっても利用することは少ない。入口が半ば隠れているこの道は、尚更通る人は少ないのだろう。道中に他の住民とすれ違うことは無かった。

 入り組んだ路地を抜けて辿り着いた先には、所々蔦の這う寂れた教会があった。壁には所々にひびが入り、雨による染みがそこかしこに浮き出ている。促されるままに内部に足を踏み入れれば、そこはまるで人気がない。ものも少なく、床に置かれた長椅子は配置がまばらだ。ふと何かが視界の端に映り込んで視線をずらせば、部屋の隅には折れた木片や壊れた椅子、欠けた石材などが積み上がっていた。

 屋根はあるものの壁は所々が崩れていて、隙間から空が覗いている。ガラスは一部が割れている。正面にある大きなステンドグラスだけが、やけに綺麗なままを保っていて、異様な存在感を放っていた。

 もう、教会としての体裁は保ってはいないのだろう。

 ただの廃墟だ。


「おかえり、神父さま」


 声につられて奥を見れば、聖壇の横辺りにある壁から、先程の子供が顔を出して居る。

 神父。そうか、ここが教会だからか。

 ならば、こいつがこの場所のリーダーか。

 あそこは別室になっているのだろうか。言われてみれば、この場所は完全な長方形では無い。奥は両側の壁が迫り出しているせいで、手前よりも幅が少し狭くなっている。


「こっち」

「……行くとは言ってない」

「ここまで来てまだ言うの」


 ここまで来たからこそ、だ。

 害意がないから様子を見ていただけだ。いつだって退路は気にしていた。ここは広い。近くにはこの男ぐらいしか気配がない。入口近くにいれば、まだ逃げやすいだろう。でも、あんな部屋に入ったら、何があるかわからない。

 ここまで来ても、まだ読めない。こいつの目的はなんなんだ。こいつのためとは、どういう事だ。こんな街に、ましてやスラムに、純粋な善人なんているわけが無い。なにか裏があるはずだ。


「何が目的なんだよ」

「君を助けたい」

「それが、お前にとってなんの得になる」

「得、かぁ」


 男は無表情のまま首を捻る。少しの間動きを止めた後、徐ろに口を開いた。


「知りたいことがある。君を助けてそれを知れるとは思わないけど……手がかりくらいは掴めるかもしれないから」

「俺は何も知らない」

「ああ、君自身に何か聞くわけじゃないよ。ただ、俺が勝手に知るというか、感じるというか……よく、分からないんだけど」


 こっちにだって、訳が分からない。

 眉間に皺を寄せて睨みつける。それを受け止める男の表情は変わらない。少しも、変わるところを見たことがない。人形を相手にしているかのようだ。目の前の男は本当に血の通った人間なのか、分からなくなる。

 男の瞳が、少し揺れた気がした。はっとする。かと思えば、男の視線は直ぐにそらされて、床の上をさ迷った。


「分からないから、知りたいんだ。害も面倒もないはずだから、大人しく俺に助けられてよ」


 男は俺の手首を掴んで、緩く手を引いた。身体が引きずられる。気づけば俺は、男の後に続いて、歩を進めていた。

 何故だろう。

 手を振り払うことは容易いはずだ。黙って従う道理はない。無防備な背中を蹴り飛ばして入口に走れば、ここから逃げることもできるだろう。

 でも、嘘を言っているようには思えなかった。一瞬見せた懇願にも似た渇望も、本物のような気がした。

 ふと、感情が顔に出にくかった妹のことを思い出す。善意と幸せに慣れない妹は、時々不安そうに俺を見上げた。その度に思いきり甘やかしてやれば、驚きながら、珍しく目元を緩ませたのだ。

 舌打ちが漏れる。顔を歪める。

 こいつは、苦手だ。


「食べ物と寝床をあげる。休むといい。君のそれは、栄養不足と過度の精神疲労が原因だ」


 内開きの扉の前に辿り着くと、男は振り返る。


「名前、聞いてもいい?」

「……蓮」

「俺は降夜」


 コウヤ。舌の上でその名を転がす。男は相変わらずの無表情さで、無機質な声音のまま、似合わない言葉を口にした。


「よろしく、蓮」


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