お馴染のキシロー:3
ところで、彼にとって、いや一般に文化人にとって『なじむ』とはどういう状態だろうか?
何度テレビに出たら『なじんだ』というのか?
それとも『いじられ方』が一定したら?キャラがはっきりしたら?
私はあまりテレビを見ないのでわからない・・・。
私が原稿につまっていたら、モモさんから携帯にメールが来た。
「記者さん、こんにちは(=・ω・=)モモだよ。キシロ―がどう有名になっていったのかこないだ知りたいって言ってたよね?
普通企業家さんなら作った会社やサービスが注目されて・・・って感じだけどキシロ―そうじゃないもんね、うーん??
あ、でもね、テレビに出るって、きっと少数者が生きやすい世の中にしたくってだよね?だってみにこみゅのキシロ―だもん」
成程、私は基礎を忘れていたようだ。
彼はIT企業家としてというより、当事者問題について語る当事者として有名になっていき、その突飛な個性からタレント化し、ヒーローになったのではないか?
だとすると、彼は社会運動家とての面もあると言えよう。
本来それは静かな小さな声でやるもののような気もするが、と思いかけて、それは私が健常者として多数派に属していることからの思い上がりではないか?と考え直した。
何々をすれば、あなたたちの言い分も「たまになら」聞いてもいいのだという高慢さに、私もまた無関係ではなかったのか。
キシロ―は実際よく色んなことに気が付いた。
例えば、当事者があまりインターネットでネガティブだったり悪意がある意見に触れないようにするために、そういう記事が検索上位に出ないようできないか提案した。
実際そういった言葉が検索結果に出ないようなブラウザをインターネット企業と結託して作る企画もした。
障がいがあり、手助けが必要な者と手助けしたい人とのマッチングサイトがいると言ったり。
なりすましの無い少数者だけのSNS。
女性同性愛者が嫌な目に合わない為に、男友達レンタルサービスを考えたりもした。
そういったいくつかの案は論議にはなったが、あまり実行されることもなく、やってくれる誰かを待つという意味では今までの障がい者運動と大差なかった。
「だからよく口だけって言われるんです、でも誰かが言わないと」




