キシローの誕生:3
二度目の転機は二十一歳の時、なんとなく目についたアマチュアの『三十分ゲームコンテスト』というのに向けて短編を作る
「三十分だからそんな難しい内容はできない、一発ネタ。そういえば『あにまる☆えっぐ』も結構構造は簡単なんですよ」
サイコロを振って、モンスターを召喚、土地を支配させる、相手の土地に止まると戦闘で、土地のレベルを上げるとモンスターもレベルアップし、例えば小さな魚からやがてはドラゴンへというものだった
「もう某ゲームのモロパクリなんですけど、あ、駄目だ、と思ってたのに」
入賞は逃したが、『よくできたクローン』というレビューがつく。
「で、なんかふっ切れたっていうか、『そんな力入れなくてもいいかな?』って思った」
そのままネタに走った作品を何篇か作り、滞っていた『ロボットピポ太』を思い切って封印、ゲームの長さは三十分がやがて三分へ。
「代わりに、ジャンルを増やした。この時から、いつかゲーム会社を作ることを漠然と考えていたのかもしれない」
ゲーム以外にもプログラムをした、今では自閉圏以外の人も悩み相談に使う「自分の気持ちがわかる」アプリなどはモモさんのような友人がいたから作れたという、だが慣れや習慣によるミスも起こり
「だんだん、プログラム組むのめんどくなってきて、もしかしたら企画向きなのかな?僕?とか思いはじめちゃって」
プログラムを組むのが楽しくなくなる。
すると、ここで先ほどのアプリの人気が徐々に上がり、パソコン雑誌で記事になる、そして公式サイトで配布したいのでもっと色々な結論があるバージョンを作らないかとある大手会社からアポイントがあった。
「やっともらった開発の仕事、実は僕の仕事としては生活実用が先だったん」
流石に一人の趣味でプログラムというのもきつくなった、友人数名を誘って、株式会社もんすたぁを立ち上げる。
二十二歳の時である。