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二月は春にはまだ早い

作者: かえりみち


 御影みかげさんは男に縁がない。


 彼女に今まで彼氏がいた時期などない。中学高校と、御影さんは周囲に男の影も形もないような純朴な田舎の女子校ですくすくと育てられてきた。


       ○


 御影さんは眠たげで大人しそうな眼が特徴の美人だ。

 だから時節外れの冬に、初めて彼女がサークルにやって来た時、僕たち男子はほとんどが――声に出していないものも含めれば全員――沸き立った。なんとか彼女とお近づきになろうと躍起やっきになった。

 だが僕たちは御影さんの恐ろしさを知らなかった。


 初めての飲み会の席で――。

 脈絡もなく気安く「ななちゃん」とファーストネーム呼びをした男はあからさまに嫌な顔をされた。気を引こうと自慢話を始めた男はあからさまにため息をつかれた。無遠慮に連絡先を訊いた男は眉をひそめられた。滲み出る下心と共に飲み会の帰りに駅まで送ろう、と申し出た男は睨みつけられた。


 そしてその一つ一つの行動の後に、御影さんは舌鋒ぜっぽう鋭い毒を付け加えるのだ。

 そのことに僕たち男子は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。


 花の女子校。田舎の純朴な妖精たちの楽園。

 そんな幻想は文字通り夢幻でしかなかったらしい。

 純朴な校風――とはいえ女子校は女子校。口さがない女子たちのそのですくすくと純粋培養ではぐくまれた毒は、一つ一つが純真かつ助平心に満ちた男たちの心を見事なまでにへし折り、穿うがち、打ち砕いた。

 御影さんが飲み会から帰った後に残されたものは死屍累々。酒となみだと男と男である。


 さて。そんな有様ではあったものの、サークルの例会には必ず彼女は顔を出した。その後の飲み会にもだ。

 しかし御影さんが参加すると、飲み会は親睦会という名の大虐殺大会には早変わりしてしまう。つまり薄汚い青春模様にじっとしていられず、美人との桃色遊戯を夢見て、無謀な挑戦をする男たちが玉砕し、中央卸売市場のマグロとなってしまう。

 そうして打ち上げられたマグロの中で御影さんは一人、焼酎をかっぱかっぱとすのだ。


 僕はそんな様子を壁際の席から上目遣いにいつも見やっていた。

 御影さんは美人でお近づきになりたいけれど、鋭い言葉の毒刃で惨殺されたくないなあ、と思いながら。


       ○


 私は男に縁がない。


 中学高校は仕方がなかったとも思う。クラスメイトのうちの幾人かはどんな手を使ったのか彼氏を作っていたが、私を含む大多数はそんな経験などないイモのような女子校生徒だった。経験の進んだ友人の話を聞いては、いつも羨ましいと思っていた。


 けれども焦るほどじゃなかった。

 きっと大学に進めば彼氏なんてものの一人や二人、三人四人五人六人、いくらでもできるものだと思っていたからだ。ひどく楽観的な考えだったと思う。


 結論から言えばそれは間違いだった。

 彼氏なんて、大学に入ってもできるものなんかじゃあなかった。


 自己紹介の時には私の周囲に男はたくさんいた。しかし彼らに対して受け答えをしているそのうちに、男の壁は波に揉まれた砂の城のように崩れていく。

 そして気が付けば彼らはうんうん唸りながら涙に暮れている。その様子は情けなくて、とてもじゃないけれども恋人にしたいと思えるような姿じゃあない。


 そして今回の飲み会も似たようなものだった。いつの間にか私の周りは死体以上ゾンビ未満の男たちで埋め尽くされている。

 死臭や腐臭は立ち上ってこないものの、情けのない嗚咽が木霊こだましてどうにも落ち着かない。私には芋虫のような人間を眺めて悦に入るような趣味はないのだ。


 気分転換とばかりに目の前に並べられた料理を焼酎と一緒にやっつけていると、テーブルの隅でこちらを盗み見るようにしている気弱そうな男子を見つけた。

 名前は確か、松尾くんだったか――。以前、ちらと聞いた彼の名前を思い出しながら、私は彼の隣に席を移すことにした。


 そういえば彼とまともに話したことがなかったなあ、と思いながら――。


       ○


 緊急事態。

 御影さんが僕の方に近づいてきている。

 CP、CP、脳内司令部、もしくは薄汚い大学生活ブラザーズ、至急増援を、と呼び掛けてみたところで誰も応答してくれない。それはわかっている。でも無駄なあがきをしたくなるほどに事態は深刻だった。


 御影さんは美人だ。それは確かだ。

 恋人のいない薄汚い青春に立ちすくむ健全な男子としてお近づきになりたくない、と言えば嘘になる。


 しかし御影さんは触れればケガするオニカサゴのような美女でもある。軽率に手を出した挙句、返す毒の刃で切り伏せられ、床の上でうんうん唸っているスルメの仲間入りはしたくない。


 真っ当な抵抗は無理、無茶、無謀と悟り、逃げ出そうとしたが、右手にグラスを左手に焼酎のビンを持ってやってくる御影さんの前では、蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。

 そもそもここで逃げ出せるような勇気があるのならば、僕だって御影さんとお近づきになろうとして既に玉砕しているはずなのだ。進む勇気のなかった僕は、近づいてくる彼女から逃げ出す勇気もなく、ただただテーブルの隅で縮こまっていた。


 御影さんは僕の隣にどっかと座りこむと据わった目で僕を見続けてくる。

 何か言われるのかとも思ったが、黙ったままだ。聞こえてくるのは居酒屋がBGMとして流している有線の音楽と、御影さんが手酌で焼酎を注ぐときのビンとグラスがぶつかる音だけだ。


 下手なことを話した挙句に玉砕するのも嫌だが、このまま締め上げられるような沈黙の中に居続けるのも嫌だ。このまま御影さんの据わった目に見つめられ続けたなら、僕は量子崩壊を起こしてしまうに違いない。少なくとも心が木っ端微塵(こっぱみじん)になってしまうのは間違いない。


 だから当り障りのないような趣味の話をした。


 その間、御影さんは仏頂面のまま「ほう」だの「ふん」だのとしか言わないので、健全な一般男子大学生として僕はドキドキしっぱなしだった。

 甘い桃色恋模様を予感するドキドキではない。

 据わった目でじっと見つめられ続けているのだ。いくら御影さんが美人とはいえ、一対一での会話を楽しむといった雰囲気じゃあない。まるで命綱なしで綱渡りをさせられているようなドキドキ、次の一瞬に全てがおじゃんになってしまいそうな緊張。僕は健全な一般大学生なので、そのドキドキを楽しむことができない。


 ――ああ、せめて見下される視線に興奮を感じるような不健全な男ならこの状況も楽しむことができたのに。


 御影さんは僕が話している間にもかっぱかっぱとグラスを乾していく。


「飲み過ぎじゃない……かな……?」


 僕がそう訊ねると御影さんは僕の顔を、昭和のチンピラのように下から覗き込み、


「酔ってないよ」


 とニィと笑った。

「笑いというものは元来攻撃的なものである」とは誰が言った言葉だろう。

 それはどこまでも本質をついているに違いない。僕は御影さんの獲物を前にしたような笑みに恐怖し、「ちょっとトイレ」と無理やりに席を外した。

 そのまま僕が下宿に逃げ帰り、朝まで布団をかぶって震えていたことは言うまでもない。


       ○


 何をすればいいのだろう。

 私は松尾くんの隣に座った後、私はそのことばかり考えていた。今までは男子からの質問や話題に反応を返していればよかった。だけど松尾くんはずっと黙ったままだ。


 何をすればいいのかわからないまま、時間だけが過ぎていく。緊張を隠すために私はとりあえず不自然にならないような行動を繰り返す。具体的には空のグラスを持っているのは不自然なので、お酒を注ぐ。お酒の入ったグラスを持ったままなのは不自然なので、それを空にする。そして空のグラスを持っているのは――。その繰り返しだ。


 何をしているんだろう、と自分の間抜けさをわらいたくもなる


 そうこうしているとテンパった私を見るに見かねたのだろう、松尾くんがポツリポツリと話し始めてくれた。


 それは私にはよくわからないマンガの話だったり、魚釣りの話だったりしたが、せっかく松尾くんが話してくれたのだ。なんとかこの場をたせようと「ふーん」だの「そうなんだー」だのとこまめに返す。

 相槌を打ちながら、自分でも「適当に話を合わせてるんじゃねーよ」と自分の不器用さに呆れてしまう。

 もっとも真っ当な会話にしようと思ってもそもそも、どこが「そうなんだー」なのかわからない話題。単調な相槌に終始するのも仕方がないと思いたい。


 ――欠点は自分自身の不器用さ、という言葉の妙な暖かさといったら! 本当は勉強不足のくせに!


 しかし友人が言うには男子というものは話を聞いてあげると喜ぶ生き物だという。何でもない受け答えに手を叩いて喜ぶ生き物だという。

 私にはそうは思えないけれども、いわゆるモテる彼女が言うのなら正しいのかもしれない。そしてそれが正しいのなら、傲慢ごうまんかもしれないが、私の反応は間違ってないと思う。間違ってないんじゃないかな。ま、ちょっとは覚悟しておこう。


 松尾くんはそんな話し甲斐のなさそうな私に対しても、気配りができる男らしい。


「飲み過ぎじゃないかな?」


 と遠慮がちにも、それでいてこちらを心配するような声をかけてくれる。余計なお世話、とまではいかない絶妙の力加減だ。

「大丈夫」と返そうとして、モテる友人の言動を思い出した。


 彼女は同じように話しかけられたとき、「酔ってぇ~、なぁいよ?」と、「ないよ」の部分でこてんと首をかしげて応えていた。

 それは徹頭徹尾、嘘をついている言動ではあるけれども、ぽわんぽわんとして可愛らしかったことも事実だ。彼女のその行動の直後に、彼女を囲む男たちの壁が一段と厚くなったことも事実だ。つまり可愛くて男にウケるのだ。


 そのような行為に気恥ずかしさを覚えるものの、虎穴に入らずんば虎子を得ず。きゃぴきゃぴとした行為をせずば彼氏を得ず。

 友人の仕草を思い出しながら、なるべく上目遣いを意識して「酔ってぇないよ」と口にする。笑顔も添えてだ。


 結果は――完全な失敗だった。

 松尾くんは「トイレに行ってくる」と言ったきり、戻ってこなかった。

 やっぱり嘘はいけない。


 ――それでも。

 可愛い子ぶった演技が全くの無駄に終わり、まるでパンツ一丁で大通りを徘徊するような恥ずかしい気分を誤魔化すために手酌酒を加速させつつ、私は松尾くんの顔を思い浮かべた。

 話の内容はよくわからなかったけれども――まあ、楽しかったな、と。


       ○


 男というものは見栄の生き物だ。

 他人よりも優れているということを確認したい、自慢したいという欲求がいつも渦巻いている。

 そしてそれが可視化されるような状況になると、恥も外聞もなく意味不明の、それでいて意図明白の馬鹿な行動を始めてしまう。


 つまりはバレンタインにおけるチョコレートの獲得数の自慢だ。


 そして僕も男だ。いくら男らしくないというレッテルを四方八方から貼られようとも生物学的にも精神的にも男だ。女の子から受け取るチョコレートの数というものを厭でも意識してしまう。

 そしてその意識してしまう数字は、悲しいことに薄汚い青春仲間同様、ゼロだった。


 僕はため息をつく。ゼロという数字にあえいでいる人間がいるのに、数えきれないほどのチョコレートをもらう人間がいる。なんという富の偏在。不平等。

 いや。僕だってモテてモテて仕方がない、というような夢物語に憧れるような馬鹿じゃない。一個だっていいのだ。むしろ一個でいい。

 それが憧れの人からであるなら。

 例えるなら、例えるなら――。

 ――誰だろう?


 とにかく男の見栄として――


「チョコが欲しいなあ……」


 僕の呟いた言葉に友人が耳聡く反応する。


「まったくだよな……。あー、誰でもいい! 俺にチョコをくれえ!」

「誰でもってことはないだろ。たとえばお前は良く知らないナメクジのような相手からもらったチョコでも喜べるのかよ?」

「……一考には値するな」

「そうか。お前すげえな。変態は近寄るな」

「そういうお前は欲しい相手でもいるのか?」


 その言葉にすんなりとある人物の名前が僕の口から出てきたことに我ながら驚いてしまった。


「……御影さん」


 ふと口をついて出てきた名前は、触れてはいけない美しい毒サボテン。御影さんだった。

 ほんの少しの間、彼女の名前を反芻はんすうする。

 もしも彼女から本命のチョコレートをもらえたら、それはどんなに嬉しいことだろう。きっと僕は一生、菓子業界のイメージ戦略に踊らされ続けることも厭わない。


「御影さんから欲しいかな」

「そうか。お前すげえな。変態は近寄るな」

「なんでだよ」

「マゾヒスト。それも超ド級。ドM。ド変態のワンちゃん。連想するのはそんなところだな」

「なんとでも言え。歩く公然猥褻物に言われても屁でもないよ」

「しっかし、なんであんな向かうところ敵なしの危険物に……」

「そこがいいのかも」

「向かうところ敵なしなのに、どこに向かうのか予測もつかない。まるでゴジラじゃないか」

「ゴジラ、か。御影さんの足に踏みつぶされるのならそれもいいかな」

「阿呆だな。恋する男は阿呆だというけれどお前は極めつけての阿呆だな! ついでに気持ち悪い!」

「なんとでも言え! 僕は御影さんから! チョコレートが! 欲しいんだ!」


 僕がそう叫んだ瞬間、友人は僕の後ろに目をやって「げ」という顔をした。そしてそのままくるりと回れ右をして足早に去ってしまう。

 どんな恐ろしいものを見たのかと思って、恐々後ろを振り返って僕は納得した。


 御影さんだ。

 納得するのはもの凄く失礼にあたると理解しているのだけれども、やっぱり納得してしまう。――御影さんだ。

 それでも。彼女が自分の憧れの人だと無意識ながらも気づいてしまった今ではちょっとした優越感を抱いてしまう。

 彼女に今でも轢かれているのは自分だけだという優越感だ。


 御影さんはポッキーを齧りながら僕を睨んでいる。

 彼女は何も言わない。いつもの無言のプレッシャーだ。

 少し息苦しくなる。


 だけど今この瞬間、僕が彼女のことを好きだと気付けたことを無駄にするのはどうにも気が引ける。

 急がば回れ、と言いながら結局世の中は早い者勝ちということが往々にしてあるのだ。

 だから僕は――。


「チョコをくれませんか!」

「ハァ?」

「あ。いや――ええと――」


 しまった。自分でも訳が分からない。ここは正々堂々、明朗簡潔に「恋人になってください」と言うべきじゃなかったのか?


「ん」


 僕がそう混乱していると御影さんの短い声と共に、僕の口に何かが突っ込まれた。

 苦くて、細い。

 これは――ポッキー?


「じゃ」


 御影さんは立ちすくむ僕にそう短く言うとさっさと行ってしまった。

 残されたのは僕と、口の中のポッキーだけである。


 気のきいたセリフどころか「ありがとう」も言えなかった。

 いや待て。むしろ次回に練りに練った会話の妙とやらを楽しむ布石になるんじゃないだろうか?


 そう思えば不思議に楽しくなる。


 次に彼女と会えたら何を話そう。

 差し当たっては――、もらったチョコレートの感想だろうか。


 そんなことを考えながら味わうポッキーは市販のものよりも苦いように思えた。


       ○


 やってしまった。

 私は自分の行動を悔やんでいた。


 まさか目の前で男の人にチョコレートが欲しいと言われるとは思わなかった。

 しかもその相手が松尾くんだったなんて。


 それはいい。すごくいい。

 何しろ松尾くんを探して講義がないのに、大学の構内を歩き回っていたのだから。

 だけどその後の自分の行動がマヌケだ。


 せっかくのチャンスに「ん」はないだろう。自動販売機でももっとまともに受け答えをするというのに。

 いや、さすがに「イラッシャイマセ」や「アリガトウゴザイマシタ」では格好がつかないけれども、血の通っている人間としてもっとこう軽妙洒脱でウィットに富んだ言葉の一つでも言うべきだったと思う。


 はあ、と憂鬱になり一つため息をつく。

 ただでさえあのポッキーもどきを作るために下宿のキッチンはさながら戦場跡のように荒れ果てているというのに。

 自分の会話のセンスの無さ、そしてこれから待つ台所掃除を思い浮かべると、ため息も出るというものだ。


 でも――、私は一ついいことを思いついた。

 今度松尾くんと会った時の会話の種が一つできたと思えばどうだろう。


 ちょっと焦がしてしまったチョコレートに、松尾くんはどんな感想をくれるだろう。

 いつものような困ったように笑いながらの「苦かった」だろうか。「おいしかった」だろうか。

 気付けば彼の笑顔のことばかり考えている自分がおかしくなって、くすりと笑ってしまう。


 そう。落ち込んでいても仕方がない。まずは散らかった台所を片付けよう。


 よしと気合を入れて、勢い込んで校舎の外に出る。

 二月の冷たくて清々しい陽射しがあたりを照らしている。

 春はまだ遠いけれども、確かに近づいているような気がして、私はそれだけでなんだか楽しくなってしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 不器用ちゃん可愛い(*´︶`*)✿ 私なら御影ちゃんに轢かれに行って轢死体になるのを楽しんでそうです。 誰もがMになる? [一言] パッケージも自作してそうな御影ちゃん。 続きが気になり…
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