エルフの章・1 森の民の少女
俺は黒煙の上がる方向をしばらく呆然と見ていた。
怒号と悲鳴、何かが倒れる音、壊れる音、馬のいななき、炸裂音、母親を呼ぶ娘の声、荒々しい男の声。
(これは……森の中の集落が賊に襲撃されてるとか、そういう状況か……?)
正直を言うと、混沌と戦った時よりも、人間の感情が渦巻いているこの修羅場のほうが、俺は苦手だった。
俺は死ぬことは怖くないが、戦う力を持たない人が暴力で蹂躙されるのは、正視に耐えない。
(まず、セーブしておくか……この状況自体は変えられない。どう切り抜けるかだ)
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SYSTEMCALL>SAVE
?NAME:リョウ・カシマ
1156/3/12 13:24
SAVE COMPLETED .
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頭の中にセーブを完了したという旨のメッセージが浮かぶ。視界に写っていないのに、頭に情報が直接流し込まれる感じ――どうやらソロネの力でセーブすると、これが表示されるようだ。
(これは年号か……暦は地球と同じみたいだな。太陽があって、太陽暦があるってことか……いや、それはまだ気にしなくていいか)
ロードも試したいところだが、それより襲われている村をどうするか――俺の力なら助けられる気もするが、賊の実力はどれくらいか、試してみる必要がある。
俺は剣を掲げ、鞘から刃を抜き放った。刃渡り60センチほどの、両刃の剣――見た限りでは、刀身に刻まれた楔型文字が風格を感じさせるが、エクスカリバーという見た目ではない。
そして俺の服装は、異世界相応のものになっていた――これもソロネのはからいだろうか。上下のシャツに、革製の軽鎧と具足、小手が装着されている。
装備を確かめたところで、俺は周囲を見回す――すると。
少し先に行ったところに馬車が止まっており、その中から出てきた男二人が、俺の存在に気がついた。
「おい、まだ村の生き残りがいるぞ! あの村のエルフは一人も逃がすなって言われてるだろうが!」
「いや、こいつはただの人間だ。おおかた、俺たちを探りにでも来たギルドの密偵だろうよ」
「じゃあ殺すか。全く、いいところを邪魔しやがって……なんだ、その剣は……やる気か?」
二人の賊が村の方向から姿を現し、俺を見つけて近づいてくる。その服には返り血を浴び、焼ける集落の中にいたことを示すように、服と肌の一部が煤けていた。
(村……エルフ……)
「うぉぉぉらぁぁぁっ!」
山賊が切りかかってくる――だが、俺は全く焦燥感を覚えない。山刀を振りかぶって突進してくる山賊の動きが、まるで止まっているかのように遅く見える。
こんな攻撃、混沌の攻撃の速さに比べたら、動いてすらいないのと同じだ。
――だが、それよりも、何よりも。
この男たちがエルフの村を襲い、地獄に変えた。その事実が俺に告げる。
こいつらは、殺していいやつらだと。
「死ねやぁっ!」
山賊が叫びながら、山刀を振り下ろそうとする。俺は鈍く光る鉄剣の柄を握り、何の造作もなく、ただ水平に切り払った。
「――あ?」
山賊が呆けたように声を上げる。振り上げた山刀の刃が、消えている――そして。
「おごっ!」
回転して落ちてきた刃が、賊の頭蓋を貫通した。
俺の剣は、まるで紙でも切り裂くように、山刀の刃だけを切り離していた。そして切り飛ばした刃は俺の思い描いた通りの軌跡を描き、絶命の一撃に姿を変えた。
(……自分が死ぬのに慣れたから、平気かとは思ったが。殺していいやつを殺すのでも、嫌なもんだな)
「て、てめぇぇっ……何してやがる! そいつは、そいつはっ……!」
「悪いが、俺も殺されるわけにはいかないしな。あんたも俺を殺したいのか?」
「――畜生ぉぉぉっ!」
雄叫びと共に、二人目の賊が斬りかかってくる。そして俺は思う、死を恐れない奴はここにもいるじゃないかと。
それとも、恐れているからこそ、斬りかからずにいられなかったのか――だとしても、同情の余地はない。
振り下ろされる剣。俺はそれを、どんな方法でも『止められる』と分かっていた。
エクスカリバーを使うまでもない。俺は振り下ろされる剣を、素手で止める――二本の指だけで。
「なっ……んだ、てめぇっ……!?」
(防御力300000って、こういうことか……人間との戦いでは、死ぬ気がしないな)
それも、まだ力の一端でしかない。『最強』の真価は、もっと強い相手と戦った時にわかるのだろう。こんなザコでは、全力を出したら原型すら残らないように思える。
「うぉぉっ! くそっ、離せっ! 離しやがれっ!」
指二つで挟んだだけで、刃はピクリとも動かない。俺は刃を押し返しながら距離を詰めると、男の額に手を伸ばし、もう一つ試したいことをテストする。
「歯を食いしばれよ。耐えられなかったら悪いな」
「なっ……ぐぼぁっ!!」
それはただのデコピンだった。「ズドン」と冗談みたいな音がして、男は水平に吹き飛び、木に叩きつけられる。
どうやら、伸びているだけだ。しかし男は白目を剥き、泡を吹いている。
デコピンが、まるでマグナムのような威力に変わっていた。狙う場所によっては人を殺せる。
(さて、特典のテストはこんなもんか……)
一人は殺してしまったし、もう一人は起きる気配もなく、このまま置いておけば死ぬだろう。
俺が特典をもらってなければ、こいつらに殺されていた。そう思うとぞっとしない――戦う力を持たないということが、どれほど恐ろしいかと思い知る。
やはり、ここに来る前に経験を積んで正解だった。身を守る力は絶対に必要だ。
山賊を倒したあと、俺は剣を携えたまま、彼らが乗っていた馬車に近づいていく。
(……積み荷は何だ? 奪ったものでも積んでるのか……?)
――そう考えて、俺は賊が言っていたことを思い出す。
(『いいところを邪魔しやがって』……って……そういうことか……!?)
男たちが何をしようとしていたのか。燃え盛る村から、どうやって捕まえたエルフを連れ出しているのか――そう考えれば答えは明白だった。そのための馬車だ。
俺は走りだしていた。少しでも早く、馬車の積み荷を確かめなければならないと思った。
そこに人間がいる可能性がある。いや、人間ではない――奴らの言うとおりなら、そこにいるのは……。
「おいっ、大丈夫かっ……!?」
俺は幌馬車の荷台の中に踏み込む――すると。
薄暗い中に、白い素肌が見える。それは、女性のものだった。
白い肌に、金色の長い髪を持つ、美しいエルフの少女がそこに捕らえられていた。
「……あ……あ……」
俺を見て怯え、震えている。身にまとう麻の服は無残に引き裂かれ、その下の肌が晒されていた。
(こ、これは……何て大きさ……身体は細いのに、こんな……)
華奢な身体に似つかわしくないほどに、胸の膨らみが豊かな曲線を描いている。後ろ手に縛られていても、髪でその頂上が隠されているのは幸いだった。
不幸中の幸いとも言えないが、服は上だけ破られただけのようだった。拘束されているのは手だけではなく、首には革の首輪が着けられている。
ここであの男たちが何をしようとしたのか。その男に怯えきった目を見れば、痛いほどに伝わってしまう。
図らずも俺は、それを途中で阻むことができた――しかし、彼女が怖い思いをしたことに変わりはない。
「少し待ってろよ、その首輪、俺が外してやるからな。大丈夫、俺は味方だ」
「……っ」
首輪を外そうと手を伸ばす。エルフの少女は可哀想に、唇を震わせて歯を鳴らしていたが、俺が味方だと言うことで少し安堵したのか、震えが少しだけ和らぐ。それでも、手早く終えなければならない。
――そして、指先が少女の首輪に触れた瞬間。
「うわっ……!?」
首輪から赤い光が生じ、一瞬にして円状に広がり、エルフの少女と俺を包み込む魔法陣となる。
(罠か……いや、違う。これは……!)
「……契……約……首輪の……魔法……」
言葉を話せずにいた少女が、とぎれとぎれに言う。そして俺とエルフの少女を範囲に入れていた魔法陣が消えたとき、俺の頭のなかに、何が起きたのかを示すメッセージが表示された。
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奴隷の首輪の特殊効果が発動しました。
「クレア・リムフィール」があなたの奴隷になりました。
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※次回は夜に更新いたします。