姫騎士の章・2 心とは裏腹に
※今回は前話で話に出てきたマリアンヌの視点になります。
「……ここは……」
目が覚めると、両手が後ろに回されて縛られていて、ずきずきと身体のあちこちが痛んだ。
だんだんと、何が起きたのかが思い出されてくる。ダークエルフの魔法を受けて、意識が遠のいて――私は自分から山賊たちに縛られて、彼らの砦に監禁されてしまった。
意識を失う前と同じ、鎧はそのままになっている。まだ、何もされてはいない。
そのことに安堵することはまだできない。私は、捕らわれているのだから――脱出することを考えなければ。
けれど縄は私の両手首だけでなく、後ろにある木の柱にしっかりと結び付けられて、外すことができない。
「くぅっ……こ、ここから出しなさいっ! 私を誰だと思って……っ」
怒りがこみ上げてくる。亜人狩りは悪党の集団なのに、そんなやつらが、私にこんなことをしていいわけがない。許せない、許せない、許せない……!
「このままじゃただではおかないわよ! お父様がすぐに兵士を差し向けて、こんな砦、すぐにっ……」
声を絞って叫んでいると、部屋の扉の覗き窓が開いて、男の目が見えた。私は不本意にも驚いてしまって、びくっと身体を震わせてしまう。
そして扉が開き、黒いローブを羽織り、顔をフードで隠した女が入ってくる――忌々しいことに、その女の顔の見えている部分だけでも、貴族でも類を見ないほどの容貌をしているとわかる。
――しかし、この女は忌むべき種族。いくら美しくても、それは悪魔に魂を売ったからにほかならない。
私の予想に反して、入ってきたのはダークエルフの女一人だけだった。座り込んでいる私のすぐ前に立って、フードを外す――すると、紫色の長い髪が広がる。
紫の髪に、黒い肌。この女こそが、亜人狩りの首領。私の国を汚す、許されざる者たちを率いる者。
「……なかなかいい格好をしているわね。捕まって泣いているかと思ったら、女だてらに騎士に混じるだけのことはあるってことかしら」
「私を愚弄するな……っ! 私はフラムベルジュ公国の騎士姫っ! 女とはいえ、男にも剣は引けをとらない!」
「魔法がものを言う世界で、いくら剣が強くても意味はないわ。私だって、魔法がなければただの非力な存在でしかない。でも、あなたは私より弱い。弱い者は、強い者のおもちゃになる」
「くっ……さ、触るなっ! おまえの汚れた手には、最後には何も残らない! 絶対に排除する!」
喉が痛むことにも構わず、言葉をぶつける。どれだけ罵倒しても、怒りが尽きることなどない。
――そんな私を楽しそうに見ていたダークエルフの瞳が、不意に温度を下げる。私は悪寒を覚えて、続けようとした言葉を飲み込んでしまう。
「姫騎士なんて、そうそうお目にかかるものでもないから、私の奴隷にしてあげようと思ったんだけど……どうやら、一度壊してからの方がいいみたいね」
「こ、壊す……わ、私に何かしたら、お父様が決して……っ」
「あなたのお父様は、あなたが壊れる前にここにたどり着くことはできないわ。あなたが一週間も耐えられれば、それは話が別だけれど……さあ、この薬を飲みなさい」
「い、嫌だっ……やめろ、そんなもの私はっ……ん、んくっ……!」
ダークエルフの女の言葉が頭の中に響いて、逆らえなくなる。私は自分の意志に反して口を開かせられ、小さな瓶から垂らされた、ひどく甘い薬を飲ませられてしまう。
「高潔で勇気があり、正義を貫こうとした姫騎士……そんなあなたが、どこまで堕ちるか。過程を見ているのもいいけれど、全てが終わった後に見るのも、それはそれで楽しいものよ。私好みの奴隷になったら、また会いましょう」
「な、何を……飲ませた……待てっ……わ、私を……解放……」
扉が閉じられたあと、外で何かを話している声がする。その断片を聞き取っても、私の感情に波が起こらない。逃げなければ、そう思うのに、抵抗する意志が薄れていく。
(……身体が熱い……こ、こんなときに、男に入ってこられたら……)
身体の中から際限なく熱が溢れてくる。飲まされた薬が存在を主張して、私の理性を麻痺させていく。
――誰でもかまわない。そんなことは絶対に嫌。何かされたら舌を噛んで死ぬ。本当は死にたくない。
覗き窓が開く。そこにある男の瞳が、何度も入れ替わる。まるで、品定めをしているかのよう。
身代金を出すつもりがないと分かった今、女はどう扱っても構わない。
身の程知らずの国王に、変わり果てた娘の姿を見せてやればいい――そんな、許しがたいことをダークエルフの女が言っている。
数時間だけ待てば、完全に理性が消える。その時に、扉を開けて――後は、好きにすればいい。
ダークエルフが立ち去っていく。私は愚かだと思いながら、彼女が立ち去ってしまわないように、声を上げて引き止めたいと思ってしまった――数時間の私の無事を保証したのは、あの女なのだから。
覗き窓から見てくる男は、何度も、何度も入れ替わる。人間がそんな目をできるのかと思うほど獣じみているのに、その視線を不快だと、恐ろしいと思わなくなっていく。
どれほど時間が経ったのか。どれほども、耐えることができていない。
あのダークエルフが、男たちに数時間待てと言った理由は、何だっただろうか。
――そんなことはもうどうでもいい。
誰でもいいからあの扉を開けて、入ってきて欲しい。身体が熱くて、全身が汗で濡れて、もうどうにもならない。
「おい……あんな上玉、いつまでも放っておけねえぞ……!」
「もう待てねえ……扉の鍵を渡せ! ベルゼビュート様も、俺達で頃合いを見てやっちまえって言ってたろ!」
「ここに居るやつだけでいいのかよ? 見張りしてるやつらも、おこぼれに預かりてえんじゃ……」
「うるせえ! てめえは黙ってろ! この国の姫だぞ、こんな機会二度とねえ! 人数が増えたら、いくらも持たなくなっちまう!」
「いいから早く開けろ! もう待ちきれねえって言ってんだよ!」
扉の鍵をベルゼビュートが残していかなかったのか、男たちは無理矢理に扉をこじ開けようとする。その有様も、私を怯えさせるためのたくらみだったのかもしれない。
がたがたと震える扉。やがて武器を叩きつけて、鍵が壊され――扉が押し開けられる。
山賊はあのダークエルフを除き、何日かに一度しか湯浴みをしていない。油でべたべたになった髪をした、筋骨ばかりが発達した毛むくじゃらの大男が、私を見て目を血走らせる。
「すげえ……すげえよ兄貴! こんな女見たことねえ!」
「だから言ってんだよ……俺らだけのものにしちまおうってな。他の奴らには言うことはねえ。縄を解いても抵抗はしねえだろうが、ひとまずこのまま楽しもうじゃねえか」
「ヒャッハァァァ! たまんねええええ!」
いつの間にか男が三人に増えている。私の意識はとぎれとぎれになって、男たちの言葉の一部だけが理解できる。
高い声を上げて喜んでいた細い目の男が、最初に手を伸ばしてくる。私の鎧を剥がそうとする――。
そうされてはいけないという意識が一瞬だけ生まれて、けれど押さえつけられて消えていく。
(私は……どうして、ここに来て……忘れてしまった……この男たちに、求められるため……?)
ぼんやりとした意識の中で顔を上げる。そして私を見下ろしている男が三人のうち誰なのかも、分からなくなる。
男の顔が近づいてくる。荒く息を吐きながら、装甲を剥がされて軽くなった私の身体に手を伸ばす。
(……お父様……私は、間違っていたのでしょうか……それとも、これが、正しい……)
「――敵襲ぅぅぅっ!」
「うぁぁぁっ!」
「な、なんだこいつっ……人間じゃねえっ……うぼぁぁっ!」
部屋の外から大きな音と、声が聞こえてくる。私に群がっていた男たちは、そちらに意識をとられる。
「畜生、良いところで……!」
「構うこたあねえ、続けようぜ兄貴!」
「後ろから斬られてえのか! 邪魔者はとっとと片付けるんだよ!」
「ベルゼビュート様はいねえのか!? クソが、どいつもこいつも役に立たねえ!」
文句を言いながら、武器を取って扉の外に出ていこうとする男たち――しかし。
三人が廊下に飛び出したところで、短い悲鳴と共に、部屋の外の壁に、赤い模様がつけられた。
(ころ……された……? あんな大きな男たちが……どうやって……)
「――この部屋か……おいっ、無事か!?」
そして、部屋にひとりの男が駆け込んでくる。黒い髪をした、およそ山賊を殺すことなんてできそうもない、軽装の上からコートを身につけた優しそうな男性。
――でも、彼が助けてくれた。
違う、助けられてなんていない。
私はあの男たちを傅かせようとしていた。そうしないとおさまらない、身体が熱くて仕方がない。
男たちを消してしまったのなら、この男に、責任を取ってもらわなければ。
――そんなことをお願いするのは、騎士姫の誇りに反している。そう、私は何者にも屈したりはしない。
お願いではなく、命令するだけ。私は姫なのだから、そうする権利がある。
「……私は……誰にも屈服しない……あなたにも……」
「っ……完全に無事とはいかなかったか……」
「ご主人様、これは……薬で、身体が火照らされているみたいです。大事はありませんが、鎮めてあげないと、とても攻撃的になってしまいます」
「そいつはタチが悪いな……」
「……リョウ、どうするの?」
女性ふたりが増えて、リョウと呼ばれた男性に寄り添う。こんなことをしているこの男は、きっと女性の扱いにも長けているに違いない。
「……私を……私を助けたいと言うのなら……助けさせてあげてもいいわ……下賤の者にも、それくらいの役割を果たすことはできるものね……」
「……想像してたよりだいぶ性格に問題があるな。もしかして、薬のせいか?」
「い、いえ、それはわからないですっ」
「……クレア、山賊はもう全滅したから、他の部屋を探す。ダークエルフの手がかりを探さなきゃ」
「は、はいっ……ご主人様、それでは行ってきます!」
「気をつけろよ! 何かあったら、俺を呼べばすぐ行くからな!」
女性たちが従順に返事をして出て行く。残された男は、私を見て困ったものだと言わんばかりの顔をしていた。
――しかし、わかっている。私の容姿と身体が、どんな男でも惹きつけるものであるということは。
「……まず、縄をほどきなさい。そうしてから、私の足を舐めなさい……さあ、早く……何をぐずぐずしているの。あなたみたいな下賤の者に、そんな大役を与えてあげているのよ。感謝しなさい……!」
一度話し始めると、頭に熱が集まるようで、言うつもりのなかった過激なことまで言ってしまう。
こんなことを言ったら、助けてくれた男性も、怒っても仕方がない。
それでも私は挑発する。縛られたままで、自由になる足を動かして、彼の視線を私の足に誘う。この足を見せたのは、子供の頃から世話をしてくれている乳母と侍女にだけ。母上にさえ見せたことのない、私の素足――いつも絹のようにすべらかで、足だけで世界を手に入れられるとまで褒めてもらっていた。
そんな私を見られているこの男は幸運だといえる。私を助けさせてもらえたことに、感謝するべき。
――それを口にしようとしたとき。男性は地面に膝をつき、私の足に触れる。
「助けるといえば、助けるわけだけどな……さすがの俺も、ここまで言われると少しは火がつく。お姫様、そんな顔したままじゃ助けてやったとはとても言えないな。だから、望み通りにしてやる。何がしてほしい?」
この男が望み通りにしてくれる。私を助けた、この優しそうな男が――そう思うと、山賊に囲まれていたときよりもずっと、私の頭の中が熱く痺れていく。
「……言ったでしょう……足を舐めなさい」
「それが望みなら、そうしよう。でも、足先からだとは約束してないぞ」
「っ……い、いいわ……それくらいの自由は与えてあげる……」
「……そして、手加減をするとも言ってないぞ。薬のせいかもしれないが、男を挑発するとどうなるか。いい機会だから、勉強しておいてくれ」
――優しそうだった男の眼の色が、変わる。私はそれを怖いと思うべきなのに、逆の感情を覚えてしまう。
「あなた……名前を名乗りなさい。私に触れる前に……」
「リョウ・カシマ。マリアンヌ・フラムベルジュ……貴女を助けに来たんだ。さっきまでは、純粋にな」
(リョウ……カシマ。珍しい名前……覚えていなければ……いいえ、こんな下賤の者の名前……)
私は自分でも気がついていた。種族の差別を嫌う私は、本来「下賤」なんて言葉は使わない。
――どうしてこの男には言いたくなるのか。それが、自分の強がりなのだと、宣言通りに、足先ではない箇所に触れてくる手を見ながら思った。
※次回は明日更新です。




